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~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(50)

ところで、ふだんの矢野だったならば、こんなダーティなマネはしない。

いうまでもなく、だましとひっかけを使っていることが、ダーティだというのだ。

“兵庫山口組とのメール、ライフル売買の。チンピラが残してたのを…見つけたよ”巧妙なのは、既述したようにこれが、東とのあいだで交わしたメールとは言っていない点だ。

もう少しわかりやすく説明しよう、矢野警部の名誉のためにも。

メールが、兵庫山口組のチンピラと、銃購入希望のだれかとのだということを、きちんと説明しなかった、だけなのだ、厳密には。

しかし東には、じぶんとのあいだのメールだったと聞こえるよう。いや意識的に、そう錯覚させるやりくちだったことはまちがいない。

いくら自供をひきだすためとはいえ、虚偽はダメだ、不実は駄目なのだ、との流儀でやってきた矢野。その理由だが、たんに、録音・録画をされているからではない。

ところで矢野のはそのいっぽうで、誤解をまねく言いまわしではあるが、虚偽とまでは断定できない。だが、問題がないわけではない。

よくいえば巧妙、悪くいえば、ズルいやり方である。本来ならこんな取調べを、かれはすることはない、否、したことがない。

にもかかわらず、矢野の良心はいたまなかった。いつもとは状況がちがいすぎるのだ。

はっきりいって、十一人もの尊い命をうばった被疑者に、正当に罪を償わせるためだから、このていどなら許されるとすら、かれはおもっている。

反省どころか、この期におよんでも東は否認し、罪をのがれようとしていたのだ、卑劣にもこのおとこは。当然そうなるわけだが、悔いることも謝罪の言葉も、いまだ口にしていないのである。

それでは、あまりに報われないではないか、被害者たちもその家族たちも。

だから、追及の手をゆるめなかっただけ。矢野がなした、これが真実である。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(49)

……ここからしばらくは、東に注目していただこう。

さすがに堪えきれず、“もはやこれまでと”、跳びはねるようにして立ちあがったのだった。矢野とのギリギリの心理戦にいたたまれず、ついには呆然と、つったってしまったのである。

部隊での訓練は、もはや、意味をなさなくなったということか。

朝一番からのやりとりが、ボディブローのように効いていたうえでの、自信にみちた矢野の言動。おまけにくやしいが、デカのつぶやきが事実かハッタリか、確かめようにも手段をもたないのである。

だからといって、ヘタに反論すれば、かえって足をすくわれるであろう。まさに、ファジーゆえの巧みな攻め手に閉口するなか、精神的に安寧のない苦海(はてしない苦しみ)を漂わされていたのだ。そんな状態だからこそ、抗えず、なすすべもなかったのである。

ここまでいたぶられつづけるなかを、それでもよくぞ(たいがいの被疑者なら、とっくに降参している)耐え忍びつづけていた。が、孤軍奮闘むなしく、すべてにおいて、完全に追いこめられてしまったのである。

もはや、逃げ場はない。そう、どこにも、ないのだ!と。

そうなった理由のひとつ。脳ミソの腐った痴呆チンピラなればこそ、指示したメール消去を忘れたにちがいないと、デカにそう指摘されたとき、たしかに、ありうると。

それというのも心のかたすみで、社会のクズどもは愚昧だから、凡ミスをするのではないかと、犯人として、じつは恐れていたからだ。

とはいっても、感情むきだしの輩に、消去の念押しが通用するともおもえなかった。

それでも、あえて念押ししたならば、どうなったろうか?おそらくは、逆効果どころか、やつらは“バカにするな!”と怒鳴りまくり、あげくに、意趣晴らしすらしかねない。そのていどの、単細胞なのである。

果然、“さわらぬ疫病神にたたりなし”、とおもったのだ。

たしかに、銃購入のしかたには一抹の不安をかかえてはいた。しかし計画において、それ以外は完璧な復讐劇であると。

不安ならば、銃以外の殺害手段をもちいるべし、とは、かんがえなかったのだ、一片も。

報復に、銃は絶対条件であった。父親の無念をはらすに、狙撃こそ必然だったからだ。

それで、暴力団から買うことにしたのである。裏サイトよりは危険度がかなり低いとの見たてには、いまもそうだとおもっている。

ただ、運が悪かっただけなのだ。取引のあった組の手下が刺殺され、しかもそいつが銃刀法違反をおかしていた、なんて不運としかいいようがないではないか。

運不運はあざなえる縄のごとしで、けっか、逮捕されてしまったが、復讐劇そのものには、微塵の後悔もない。とうぜんのことで、理不尽な殺害を、子として看過できるはずもないからだ。ただ、それにつきる。

それで、数々の報復に人生を賭けたのだ。そのための、練りあげた完全犯罪であった。

残念至極なのは、それを、とるに足らないやからがぶち壊してしまったことだ。

しかし、そんなアホウに頼るしかなかったのも事実である。

いずれにしろだ、完膚なきまでの敗北がショックだった。

サンドバッグのように、ただただ、打たれっぱなしであった。刹那、パンチドランカーのように、思考が停止してしまったのである。

それでこのあとついに、くちおしさと絶望のあまり、落涙したのだった。ではおさまらず、歯がみをし、地団駄までふんだのである。逮捕されたことにというよりも、このあとの計画をが頓挫したことにである。

動機の露見や逮捕への不安もふくめ、じぶんの存在すべてを、精いっぱい抑え、警察の眼から隠れつづけてきた。事実そうなっていたし、今後もそうあり続けられると、デカたちと玄関で相向かいあうまでは、かたく信じていたのだ。

それだけに、堰をきったように、激情がほとばしってしまったのである。

人生、一寸先は闇。だからあるいは、組員に消去の念押しをしていたら、証拠はなくなって、こんな目にあわずにすんだかも…。が、もちろん、結果論でしかない。

いっぽうで、うだうだの自分にたいしても、腹がたったのである。こんな“たられば”に、なんの意味がある!嘆いても、覆水、盆にかえらず、だ。一敗、地にまみれたのである!

そうとしるとじぶんが惨めの極みにおもえ、自然、足の力がぬけていった。立っていられなくなり、心とともに、へなへなと頽くずおれてしまったのである。

あとは素直に、もはや、運命をうけいれるしかないと。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(48)

さらに独壇場はつづく。

「そうでなくても、人というのは、期待どおりには動いてくれないもんだしな。おまえ、今、心あたりがあるといわんばかりの表情になったな。そうか…、大変な目にあったもんな」それとなく同情してみせたのだ、名演技で。そして「気の毒に」と、心をこめてつけたしたのだった。

くわえての手管。東にのみ通じるように話しかけているのは、録音・録画を意識しているからだ。言わずもがなの、ヘタをうったばあい、最悪、被告側に有利な証拠ともなりかねない材料をあたえることに。そうはさせない手練である。

ちなみに取調べにおける可視化は、暴力や脅迫などによる強引な取調べの防止や裁判の迅速化を期待しての制度だけに、裁判で、自供が脅迫によるものだとの被告側の訴えがないかぎり、先例からも、公開されることはなかったのである。そこが矢野の付け目だった。

かましやハッタリを、それだと被告側が気づかないように、そこさえ気をつければ大丈夫だし、あとづけにはなるが、メールという証拠も見つけることはできるだろうとの予感もあった。

そして翌日、それは事実となる。

そのうえで東の表情から、あと一押しでオチルとふんだ矢野、とっておきの、最後の毒矢をはなつことにしたのだった。

「これで容疑はかたまった。まあ、がんばったんやろうけど、勝負はついたよ」だがこのときもみごとに、“おまえも”の主語を抜いていた。

あとは東が、勝手にじぶんのことだと勘違いするはずだと。

そうなるよう、細工は流々りゅうりゅう、仕上げをごろうじろ(とは死語。伏線をはり、オレ流の布石や示唆で、袋小路へと誘導したと解してほしい)。いわゆる、人事をつくして天命をまつの心境であった。

そして、思惑どおりにすすんだ。じわりじわりの絞めつけが、功を奏したのだ。けっか、東の心臓を射ぬいてしまったのである。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(47)

そんな心裡を見透かしたかのように、「あとで弁護士がくるというのに、こちらの手の内はあかせないよ」とだけ言った。

ついで、追いうちをかけた。「だから、バカは使えない!と。誰でもそうおもう、だろ?たしかにな。削除しておけと、そいつはきつく指示されていたのに」これもまた、見てきたような、講釈師まがいの放言(無責任な発言)であった。

東がそう指示したとは、矢野はひとこともいっていないからだ。

「やっぱ、バカは使えない」おとこのようすを捉えつつ、矢野はくりかえした。証拠をつかんだと、そう印象づけるために。さらに、「そんなやつにかかわると、ずいぶんな目にあうからな!」と追加したのだ。

ちなみに、ライフル売買を証拠づけるメールそのものの存在も、いまのところは事実ではない。読者もご承知のとおりである。

つまり架空から、自供をひきだそうとしているのだ。

 とここで、攻めかたをいったん変えることにした。「そういえば、キミのお父さん、右翼の、くだらないバカ野郎の凶弾に倒れたんだったよな」でもっておおきく、同情の太息をついたのだった。

ついでの言の葉「ひとの命をなんだと思っているんだ!」。この怒声に、微塵もウソはなかった、刑事としてより、ひとりの人間として。

 この、正なる人語を耳にするなり、東はきつく瞑目し、歯を噛みしめた。父親の無念の死をおもうと、おもわず肩がふるえた。拍動も、尋常ではなくなっていたのである。

たしかに、肉親を殺害された同士だからこそ共有できる、悲憤であり悲鳴であった。

しかしながらデカを天職とする矢野は、怒髪をすぐにおさめ、本来にもどったのである。

もちろん、怒声に一ごう(毛筋ほど)のウソはなかった。それは事実だったが、やはりかれは、生まれついてのデカなのだ。

だから、揺さぶりをかけるとの意味においても、縦横無尽である。

「ところで、おまえみたいに頭の切れるやつは特にそうだろうが」と一転、「図体ばかりがデカく、知能はサル以下の組員なんか、心底軽蔑しているんだろ」東の肚ならと、代弁してみせたのだ。

「とはいうものの、銃を買うなどのばあい、やはり、助力は必要だろうしな。けど、いつ足をひっぱられるか、心配はつきないよな。役目をはたしたあとは、百害あって一利なしだからな、やつらは」

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(46)

ところで連続殺人犯は、いままでのを見聞きしつつも、さも興味なさげに、こんどは右上へ目玉をうごかし、ついで顔を右へそむけたのであった。

ちなみに、なにげにみえるこの仕草こそ、思考をつかさどる左脳を、フル回転させた証左だった。矢野の意図やこんごの展開を必死で思考・想定していた、そのあらわれである。

ということは、降伏するつもりはないとなる。

矢野はそれらを見知ると、「いままで言わなかったのは、イライラさせたかったからだよ。さてと、こんなとき助けてくれる友がいないって、ほんと、つらいよな」さらに焦らした。

 すると、東のイスが、ギッと音をたてたのだ。たしかに、力になってくれるような親友など、ひとりとしていないし、そこを衝かれるのは、人生を否定されたようで、正直むかっ腹がたったからだ。

しかし表情は、それでも、どうにか冷静をよそおってはいる。

表面、たしかに、藤浪たちにはそう見えた。

が、微かにうごいた平穏ならざる東の眉をみ、経験からここを潮時と、「兵庫山口組とのメール、ライフル売買の。チンピラが残してたのを…見つけたんだよ」こんどは逆に、ズバリ核心をついたのだ、むろん、物証を示せないハッタリだったが。

いっぽう、対処に迷っている顔つきの凶悪犯、「ならば、その証拠とやらを見せてみろよ」と、啖呵をきるか、ようすを見るかをだ。しかしすんでのところで、啖呵を、気道の奥へとおしもどしたのだった。

もしも証拠を提示され、みてしまったが最後、完全犯罪をなし遂げたはずの東浩蔵は再起不能、まさに最期となる。

かれも人の子、じつのところ、それを恐れたのだ。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(45)

 むろん、指し手(この場合は追いつめる手法)をまちがわないこと。それに尽きるとして、矢野の方針自体はゆるがない。

「なあ、正直にいえよ、さきほどの報告だが、ほんとうはものすごく気になっているんだろ」ニヤリ笑った。

その唇を東は、無言のままキッとにらみつけた。しかも眸は、「うるさい!」とどなったのである。

しかしバカな若造ではなかった、直後におもい直したのだ。なにかにつけ突っつくのが、このデカのやり口だったと。で、メデューサ(ギリシャ神話に登場する、見たひとを石に変えてしまう怪物)を目視もくししてはだめだ、そう無視しようと、まずは目をつむったのだった。できれば、耳もふさぎたいくらいだったが。

だがもういっぽうの本心は、知りたいにきまっていた、じぶんに不利になりそうで、…恐ろしかったが。しかし知らなければ、こちらとして、手の打ちようもない。単なるこわいもの見たさ、ではなかった。

そんな東の心のうごきを、掌中のできごと(まるで手にとるよう)と満足しつつ、つづけて、「そりゃ、気がもめるよなあ。じゃあしかたがない、教えるとするか」とはいってみたものの、故意に、ここで口をつぐんだのである、焦らし、イラだたせるために。

そんなイヤがらせにも、東は瞑目しつつ辛抱しているようす。

ややあっての矢野、鷹揚な口ぶりで「ライフルを買ったという証拠、見つけた」と今度はしかし、いきなりのかましとハッタリを。「…としたら、なんて話し、おまえ」ここで身をのり出した。「どうおもう?」いやはや、関西弁でいうところの、おちょくりだったのだ。

 しかしながら、警部の眸の奥はまったく、わらっていなかった。

「おやおや、またもだんまりですか。まあ、いいか」いうなり、一つおおきく呼吸をした。「さ~てと、いずれにしろ、最後にものをいうのは、証拠だよな。ところで暴力団員なんてやから、…おまえもわかるだろ。完全なる証拠隠滅なんてマネ、できるかどうか」

肝心の、「証拠、みつけた」の件くだりを、のらりくらり世間話さながら、ハッキリさせないやり口でつづけた。そのじつ少しずつだが、エアーの真綿で、東の首をしめつけていたのである。

そのせいで、息苦しさをかんじつつあるのだが、なんとか耐えている東。とはいうものの、やはりデカの言動がきになり、つい目をあけた。

それにしても、先刻とは別人のようだ。

なんの異見も反論も口にせず、ただ、おとなしく無表情のままであった。思惑をひめつつ反撃の一手を模索中だからなのか。だとしたら、部隊でうけた訓練のたまものである。

あるいはまさかだが、証拠云々ときかされ、不本意だが、連続殺人を認めざるをえない無条件降伏を、それでも口にだけはしたくないとの意思表示か。

 しかし、矢野がそれを忖度したところではじまらない。もはや、賽はなげられたのだ。

「むろん、おまえはマヌケではない」とひとこと。だがすぐには続けない。首をひねり、肩をほぐしたのである。しかし鋭い視線は、東をとらえて離さなかった。そのうえで小出しにするのも、ようすを窺いたいからだ。

「出どころは、使いっぱしりのチンピラ、だよ」とつぶやき、ついで笑いとばした。もちろん、可笑しいからではない。

得意の心理戦にもちこもむなかで、“すべてわかっているんだぞ”と、精神的優位をみせつけたかったのだ。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(44)

現在、ひとえに矢野班がたずさわる連続殺人事件を解決すべく、警部の頭のなかはさらにめまぐるしい。

ライフル銃を手にいれたい復讐者がひとり、と矢野。

いつものように、犯人になったつもりの推測をしたのである。以下がそれだ。

必要だからといって、なんのツテもなく銃を密輸するには困難がおおすぎる。ならば裏サイトはどうか。なるほど使える。が、事件のおおきさから警察は、威信にかけてもそのサイトをみつけださずにはおかない。となると、裏サイト使用の危険度たるや、致死的である。

凶器のライフルを買ったのは、じぶん東浩造だと自白するに、ひとしいではないか。

取捨選択のけっか、安心できるのは工作員として、ある意味その手の一員だった闇の組織だと。

暴力団対策法施行いらい、やつらはじぶんたち暴力団を、駆逐しかねない存在としての警察力、それをおそれている。だからこそ眼をつけられないよう、つねに細心の注意をはらいつつ、闇で活動しているにちがいない。

ということはつまり、そいつらに乗っかっても、だれが銃を購入したかは闇のままで、やがて情報は消えさるはずだ、と東。

闇社会の秘密厳守は掟であり、いわば、国家における破ってはいけない法律にあたるのだ。だから万が一、掟が崩壊すれば、それはじぶんたち組織の自滅・自爆につうじるのだ、まちがいなく。そんなことを、組織はだれも望まない。

ここまで忖度してから、警部の立場にもどった矢野。陸自の特殊工作員だった東ならば、闇の掟に着目したにちがいない。そこで独りひとり言ごちた。「こいつらなら、警察の眼をかいくぐって銃を売ってくれるはず、しかも闇のままに」

そうして東は、アンダーグラウンド情報を入手すべく、その方面にアンテナを張ったであろう。けっか、東が使えるとみた情報、すなわち、“関西から指定暴力団が出張ってきた“が、おそらくはその触覚にふれたのだ。

 縄張り争いはリスクがおおきい。それでも着手するのは、手にできる利がおおきいからだ。とくにヤクは。それと、買い手にもよるのだが、銃の密売もわるくはない。

阪神地域を基盤とする根城では自粛を余儀なくされているぶん、あがりの不足分をかせがそうと、出城に命ずるはずだ。

この手のウラ情報だが、陸自にいて耳をすましていれば、手にすることはむずかしくないらしい。矢野はそんなことも以前、同期の警部補(暴対課)からきいたことがあった。

さて、以上の内容だが、まだ想像の段階であり、ライフルの入手経路を断定できたわけではない。

しかしいっぽうで、兵庫山口組から以外、いまのところかんがえにくいのだ。既述したように、じぶんの組織維持に躍起であるとの消去法により、以後もないであろう云々。

 でもって、ここからが思案ではある。

せっかく、被疑者が目のまえにいるのだ、追いつめ、自白させるべく、そのための妙案はないか?は、当然だった。いっぽう、いやいや、まずは慎重をきし、メールの存在と文章の確認をまつべきではないかとの思案も。しかし出てこなかったばあい…にたいする妙手はない。

それで直後に、即決したのだ、迷っていても進展はないと。たしかに、まだメールのやりとり確認はできていない。しかもまちがいなく、東は全削除をしている。残るは、出来がいいとはいいがたい売り手だけ、となる。

団員しだいとは、心細いかぎりだ。が、だからといって、無為のままとどまるわけにいかない!

さらには、たとえば学校のテストで、最初にきめた答えが正解だったと、ほぼだれもがそんな経験をしているのではないか。ぎゃくに、迷ったあげくまちがった選択をしたにがい経験も。

この経験知もあり、心の奥がつぶやいたのだ、「こいつを追いつめろ」と。

あとは妙案だが、そうそうに捻りだせるものではない。かといって、やみくもに猪突するつもりもない。追いつめるに、ただ、経験も自信もそれなりには、との自負で、のぞむつもりではいる。

肚を決めたということだ。これからの取調べでじぶんたちがすべきは、運をみかたに強気とかまし(大阪弁、一種のおどし)、ついでハッタリの活用につきると。ところでこのハッタリだが、根拠がないわけでもなかった。

第一番目は運だ。まちがいなくじぶんたちに微笑みかけている。

いうまでもないが、チンピラが刺殺された時期、くわえて、ナイフを隠しもっていたことでガサ入れができたこと、もしも事件のタイミングがずれてしまったり、そのうえでナイフ不所持だったならば、捜査は進まなかったのである。

それだけでも、矢野は強運のもち主といえるだろう。

あとは強気と、ハッタリやかましで自供においこむ、得意の手腕にかけるしかなかった、否、それで行くときめたのだった、強く。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(43)

とここで、見たての内容を読者に知っていただこうとおもう。そのためには、矢野がだした指令などを、あきらかにする必要があろう。

 事のはじまりは一昨日の夜のことだった。群馬県の某いなか町のスナックでおきた、暴力団どうしによる殺人事件である。

 関西弁がうるさいとけんかをうった地元のチンピラに、「群馬のいなかモンがガタガタぬかすな!」と殴りかかり、あげく、関西弁のチンピラがナイフで刺殺されたのだ。

すぐさま、群馬県警が捜査に着手したのである。ただ、それが殺人事件だから、だけが理由ではなかった。

 事件の背景としてまず、小競りあいがなんどかあったとのこと。それというのも…、

兵庫山口組がシマをひろげるため、ヤクや武器の密売拠点にと、じぶんたちの根城から遠くはなれた首都圏に進出をはかったからだ。なかでも、比較的警察力のよわい群馬のいなかに目をつけ、出張ってきたのである。

ところで、このような縄張りあらしだが、近年、ほかの地域ではないとのこと。ほとんどの暴力団は暴対法に絞めつけられ、組員は減少、それらのせいで各自、弱体化しつつあり、縄張りを拡張するよゆうなどないのが現状だからだ。

 ちなみに八か月ほどまえのことだった。同期で友人の、暴力団対策課の警部補から、このあたりの大まかな情報はすでにもらっていたのだ、いずれ、じぶんたち警視庁管内に飛び火し、累がおよぶかもしれないから注意しておいたほうがいいとの。

この忠告により、その節は銃がからむ事件発生も予感してはいたのだが、さきほどの取調べで、銃の入手経路を裏サイトだとみてさぐりをいれたときの、東の不敵なわらいのおかげで、その節の予感をおもいだしたのである。

それがあって、兵庫山口組による銃の密売の可能性へと、想像をはせたのだ。

勢力図のぬりかえを、地元の暴力団がない指(そんな奴もすくなくない)をくわえて、ボーッとしているはずがないと。でもっての今回の事件だが、いわば起こるべくしておきたとの見方があり、それも、言うまでもないことだった。

 起こるべく…だからといって県警として、「やっぱり」で済まされるはずもない。どころか、即刻、警察庁が介入したこともあり、あげての、徹底した捜査を開始したのである。

当然だと、矢野はおもった。

 それでわかったこと。

兵庫山口組が関東進出をくわだてた理由だが、タッグをくんだ兵庫県警と大阪府警ににらまれているなか、そのせいで活動は、資金源確保もふくめ、むしろ自粛せざるをえない現況にあった。

ことに、ヤクと武器の密売には特別チームをくみ、警察として目を光らせていたのだ。

 だからといって、組として、手をこまねいているわけにもいかない。

もしもの抗争のときのためにも、団組織維持に、銃の確保こそがある意味最重要命題となりつづけているのだ。そういうべつの思惑もあり、中国マフィアと手をくんで、九州の離島経由で、密輸していたのである。

そこへこんかいの殺人事件だったわけだが。ひとが死んだとはいえ、県警にとってまさに、渡りに船となった。

被害者のカバンから、銃刀法違反にあたるナイフがでてきたからで、即日、出城としての事務所の家宅捜索がなされ、警察庁も上記の情報まではつかんだのだった。

そんなこんながあって、いろいろと推測をしたすえの、矢野がだした指令。

警察庁の友人から、可能なかぎりの情報を仕入れてくるように、であった。

とくに、刺殺されたチンピラもしくは出城事務所と東との関係について。たとえば遊ぶ金にこまっているチンピラならば、情報と引きかえだと札束をみせられれば、手もなくそれにのったのではないかと、矢野は想像したのである。

つまり銃の入手は、そいつらからと。

そのうえで、いちばんほしいのは、売買のやりとりだ。メールで交渉をしていたとして、そのときの文章を手にできれば、うごかぬ証拠となる。

むろん、東はメールを削除しているにちがいない。だが組員に、どこまでの危機管理能力があるかとなると、はなはだ怪しい。優秀といわれるエリート官僚でもチョンボをするくらいだ。まして…。ひとつくらい、削除しわすれがあったとしてもすこしも不思議はない。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(42)

ではコンピュータに精通し、第一級技能のハッカーに比肩する人物とはだれか?

既述したとおり、藤川をさしていた。そのかれなら、いまは隣室にて見学中である。そこへ唐突に、“あっかんべえ”のサインが送られたのだった。

さて、取調べなどで快調なペースになると、この手のおあそびをする性癖が、矢野にはある。一種のおちゃめといえようか。

で、藤川。鑑識が持ちかえったパソコンを、このあと弄る予定だった。が、いましがたの矢野からのサインにより、中止で了解したのである。

というのも、東の言動から矢野はすぐさま、闇サイトをつかっての銃の注文は、これをしていないと確信した、ことによる。

にもかかわらずの矢野、「おまえがけした証拠を復元するくらい、こっちは朝飯前なんだよ」と言いきった。それはこれで、東がボロをだすかもしれないとあわく期待したからだった。

そんな魂胆もあって、キミからあんたに、そしておまえへと呼称をかえたのである。

ところで矢野警部のほんとうのところ。

それは、理不尽にもひとの命を収奪するケダモノには、強烈すぎる憎悪をいだいてしまうことだ。罪を憎んで人を憎まず、などというキレイごとにはまったくもって納得していない。

このおもい、もちろん、両親を殺された惨事と無関係であろうはずがない。

 そこへ、待ちにまった電話のコールが。すかさず聞こえた「警部の見たて…」との、藤浪の第一声のトーンで、朗報とわかった。

 それがどのていどかは不明だが、「見たてどおりでした」から、すくなくとも取調べを進展させることはできそうだとふんだ。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(41)

 この東の言動に矢野は、「えっ!」という表情をみせたのだ、がじつは、ひっかけの一環だった。直後、マジックミラーのむこうの藤川に、予定変更のサインをだしたのである。

それに気づくはずのない東。「それはそうと、いかなるデータも、一連の証拠品とともにとっくに処理・処分していたとしたら、あんたら、どうする気」と、いかにも楽しそうに破顔したのである。

「処分していたということは、その存在をみとめた、つまりおまえの自供ととらえてもいいのかな」和田がここぞとばかりに、東を弄いじった、平常心をうばうために。もっといえば、怒らせるためにだ。それと、さきほどへのお返しもかねていた。

「すこしは賢いのかなとおもったけれど、サルよりはまし程度か。ガッカリしたよ」矢野も間髪いれず、鼻で嗤ってみせた。

「自供なわけないだろ!仮のはなしとして、おまえたちをからかったまでだ。当たりまえだろうが!そんなことより、弁護士はまだかっ」怒りをもてあましている感さえあった。

たしかに、時間がかかりすぎのきらいはある。忙しいのかもしれないが、あるいは、無罪を勝ちとるのはムリと計算し、いやがっているのかもしれない。

ちかごろの法律事務所のなかには、報酬のおおい民事には心血をそそぐが、刑事事件には手をぬく、などというのもすくなくないと聞く。

それはそれとして、二者からどうじに徹底的な愚弄をされたこと、また“かたるに落ちる”ではないが、調子にのりすぎ、つい口をすべらせた感のじぶんにも腹がたち、刹那、目尻が吊りあがったのである。

頭は切れるが、神経も切れやすい質らしい。特殊部隊で訓練をうけた身、とはいえ長時間の孤軍奮闘による疲労感もあったであろう、それと、世間的にはまだ若造である。だから瞬時、じぶんをコントロールできなかったわけだが、無理からぬことともいえた。

「そういえば、弁護士がくるまでは一言も口をきかないはずだったよね。キミはいうことがコロコロかわるんだ。それではひとから信用されないだろうから、友達、いないよね」弄もてあそぶって、こういうことなのだろう。

「……」憤然とし、天敵にでくわした貝のように、またもや口を閉ざしたのである。

「都合がわるくなると、だんまりですか。あんた、バカのひとつ覚えだね。じゃあ、勝手にかたらせてもらうね」東のはらわたが煮えくりかえっているのを、ほくそ笑みながらつづけた。

「消したつもりだろうが。まあ、復元なら、最終兵器の“米沢守”がいるからな」と。テレビドラマ”相棒”の天才的鑑識員をもじってのことのようだ。むろん、個人名は架空である。

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