カテゴリー: 秘密の薬 (page 17 of 24)

~秘密の薬~  第二部 (5)

ならばこそと、さらに憶測をかさねるしかなかったのである。

その結果だが、記すにためらいたくなる、最悪のシナリオであった。

さすがにそれは…背筋に悪寒がはしる事実だ。

だとしても、最悪とする想像が杞憂であれば、まあそれはそれでいいわけだし、と云々。

ぎゃくに、最悪を想定もせず危機感もいだかないままに楽観視する、そのような能天気たちのおろかさよ。人生の一ページから数ページにおいて敗残を味わってきたのは、こうゆう人たちなのだ。

つまるところ反面教師として、それを歴史から学ぶが智者であろう。ちなみに、みずからの経験から学ぶは愚者である、らしい。

で、超のつく極秘密談の理由ならば、いわく。

万が一にも外部、なかんずくマスコミに漏洩しようものなら、“国民のあいだでたいへんな物議をかもしだすほどの悪影響”が…、ではとても済まない驚天動地になるから。だったこと、想像に難くない。

だけでなく対外的にも、日本国の威信そのものが奈落のそこに落ちてしまうであろう、との最悪の事態をも懸念された、のでは。

 つまるところ筆者がその内容を知ろうとして、触手を伸ばそうとの由縁は、この辺にある。

ところで既述したように、“超のつく極秘”。しかも秘書をも参加させずの少数精鋭。だったというのに、

なぜ、ではこんな当て推量のようなまねを、部外者である筆者ができたのか?…との疑義が他者により、一般的かつ客観的にわきいでたとして、なんの不思議もない。

だったら、それに応えねばと。

~秘密の薬~  第二部 (4)

錚々(そうそう)たるメンバーというほかないほどに、キャリアとされている人たちからみてもまさに雲の上の、威張りくさった連中なのだ。

ただし密談のゆえに、日頃はまるで召使いのようにこき使っている秘書たちではあるが、同会議にかぎってはかれらを余人だとして、一度たりとも参加させなかったのである。

ふだんなら書記も兼ねるはずの秘書を、同席させず少数精鋭でのぞんだことになる。

さて異例づくめのその理由。憶測するしかないのだが、情報の流出が絶対にゆるされない案件だったからであろうと。

ふんぞり返っている御仁たちが、単独で行動するというのは、余程のことである。入室や乗車時などのドアの開け閉め、飲料水などの購入までもさせる、殿様気どりも珍しくない連中なのにだ。

つまりよほどに特別の会議、ゆえに少数精鋭であったとみるべきで。よって、会議開催じたいもいわば超国家機密だったにちがいないと、おそらく。

お歴々という顔ぶれは不変だったが、開催場所や時間を毎回変えていたことからも、推察できるではないか。

だからこそ六人から余所へ、議題の詳細それ自体が、すこしも漏れることはなかったのである。 よって五里霧中の段階では、議題の内容について、言どころか半句も記しようがないのだ、後年、年末の先述の居酒屋での、筆者のよこの席にいて駄弁していた酔客たちの雑談とはちがって。

~秘密の薬~  第二部 (3) 

多大にすぎる人命、五大陸の尊いいのちを奪いきずつけ、世界経済をもガタガタにしたこの顛末、長編のドキュメンタリーに仕上がるだろうが、ボクの任にはあらず。

でもって、通常国会の会期中ともなれば面々は予算委員会などの審議にあって、お飾りでしかもバカな大臣どものために、書類作成(ほとんどは部下にまかせている)をふくむ答弁(国会中継で極まれにみかけるように、官僚自身がたつ場合も)にそなえねばならず、余念をもつ余裕などないからだった。

ところで余計なそんな事実は剰余としつつも、余の儀(つぎにのべる事柄を強調)として、これには当時の、検察庁(法務省)ナンバー2の次長検事と警察庁(内閣府の外局)ナンバー2の次長が音頭をとり、共同の提案側として出席していたのである。 いっぽう、持ちかけられたほうの出席者はというとこちらも五年余前の、財務省主計局長、内閣法制局(内閣府)同次長、厚労省からは医薬の生活衛生局長、文科省よりは科学技術の学術政策局長というように、アンタッチャブルともいうべき肩書(通常の批判や攻撃などは通用しない高みの存在)をもつお歴々であった。

~秘密の薬~  第二部 (2) 

うって変わって以下は、かの、居酒屋での雑談より翻(さかのぼ)ること、五年ほどの情景である、

ちなみにそれ以上が経過したのちに判明した異常な事実、その一部をまずはここにしるす。

酔客とは真逆の、真剣な表情たちが密談中。面々、非公式かつ非公開の話に傾倒していたのである。

そんなかれらこそ、霞が関(国の行政機関の庁舎が群立)を根城のごとくにし、われこそは日本を背負う傑物あるいは逸材とおもいこんでいるキャリアの中のキャリア、そのうちの六人であった。

このような霞が関における中枢がそのじつ、場所も時間帯もたびごとに変えながら、おどろくことに五回も集合していたのである。

しかもいわゆる密会とよぶにふさわしい代物で、そのすべてが国家的な極秘中の、まさに超極秘会議であった。

でもって、とんでもない秘事にいそしんでいた、のである、かれらは。

 にもかかわらず、これに要した期間は二週間強。いうまでもないが、異常なほどの頻度ということだ。

ちなみに、2021年の暮れから2022年一月にかけての、国会閉会中であった。 世界を奈落の底にたたき落としたたチャイナウイルス。ようやくの収束が、ほんのこのあいだのような時期にあたっている。記憶に新しいが。

~秘密の薬~  第二部 (1) 

「話はかわるけど、今年に入ったくらいからかなあ、殺人とかの凶悪犯罪、統計によるとかやないよ、ただの実感や。けどそれにしても減ってきたなあと…。ふたりはどう思う?」

「なるほど。いわれてみれば、そうやな、たしかに。けど、もうちょっと早いうちからやったようにも思うで」

「そやな。レイプ事件なんかもふくめ、ニュースでも取りあげる回数、少ななったなあ、知らんけど」

 と、この何気ない会話、2026年の暮れにおける一幕であった。

鉛色の空から三年ぶりとなる雪が、チラホラと舞い降りてきた大阪北部の、とある居酒屋で酔客がかわした、それこそアフターファイブの愚にもつかない四方山(よもやま)ばなしである。

 ちなみにかれらがそう感じたのも当然で、日本で発生する凶悪犯罪がいちじるしく減少しているとの統計を、警察庁として年明け早々にも発表する段取りだったからだ。  ところでだが、他愛のないこんな世間ばなしが、まるで、この物語の端緒をひらいた恰好になろうとは…

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(55)

そんな被害者家族である矢野一彦の言が、犯人の耳には、焼き鏝ごてを当てられたようにはじめは熱く、やがて痛みとしておそってきたのである。

それでもだった、うなだれつつも、東は矢野の説得力、否、陽だまりのような温もりの人間力に、いつしか涙をこぼれさせたのだった。

そんな東に、寒風のあとの陽光をおもわせる言。

「もしくはだね、かかえている苦悩や呻吟(くるしみうめくこと)を乗りこえようとあがき、歯をくいしばっている、だったり、愛する人の幸せそうな笑顔をみたいからと、がんばって人生のきびしいのぼり坂を汗にまみれながらも、必死で歩きつづけているんとちがうかな、…ひとって」

「……」犯人は、口を真一文字に結んだまま、矢野のおだやかな声にしずかに耳をかたむけていた。さきほどまでは垂れた頭こうべだったが、いつしかその面おもてをあげていたのだ。

 そんなようすに矢野は、いたずらっ子の頭を、よしよしとなでるような口調で語りつづけた。「じぶんの幸せは、家族はもちろんのこと、友人などまわりの幸せがあってこそ、より光り輝くのではないかな」

 ふたりの子供たちを残したままの両親の無念をおもいながら、それでも、いやだからこそ人として、だれかの役にたちたいとねがいつつ日々生きている。

、きっと両親は、そんな自分を、いつも笑顔でみつめているだろうと信じているのだ。

「…逆に、たとえ復讐であろうとも、ひとの不幸のうえにきづいたやり甲斐や満足、キミのばあいはちがうが、幸せなどは、砂上の楼閣のように儚いものだと、すくなくともボクはそう思うよ」

 最初のうち、達成感は、たしかにあった。しかしそのうち、色ざめてゆき、しだいに、達成感をえられなくなっていったじぶんを、不思議だとかんじていた。

 その理由が、わかった気がしたのだ。

「くどいが、あえて言おう。血にそまった息子をみて、お父さんはどう思っているだろうか」

矢野が言わんとしていることを、全くそのとおりだと。

悔いあらためることをはじめた東の面持ちはというと、じぶんのしでかした罪のおおきさに気づき、自責で満ちていたのである。その眸は、罪をつぐなうになにをなすべきか、考えはじめたことをしめす光を放っていた。

そんなすがたを確認し安堵した矢野は、すこしの間だけじぶんに戻ったのである。

死んでもきえないほどの無慚(いたましさ)を、まだ幼かった身でいやというほどにしった。それがどれほどのものか…。経験したものにしか、その苦海の深さも昏くらさもわかるものではない。

無慙に苦しんできたかれであったが、愛にみちた婚姻のおかげで、また敬愛できる上司や信頼できる部下たちのおかげで、みずからの幸福をしみじみと、実感できているのである。

そのことに日々感謝し、今日を、そして未来を、じぶんらしく生きていくのだと。

第一部  完

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(54)

ゆえにとうぜんのこと、矢野は逆恨みも泣きごとも、さきほどまでのようには許さなかった。しょせんは、じぶん勝手な動機にすぎないとわからせたかったのだ。

いっぽうの連続殺人犯、東、“銃でころしたやから以下”そういわれて、やっと気づいたのである。

たしかにそうだと歯を食いしばった。事実、じぶんこそが、おおくの“八年前のじぶん”をつくってしまったのだと。

つくらずにすんだ被害者家族を、はたしてぼくは何人うみだしてしまったのか。独りよがりの世界に囚われていたせいで見えていなかった罪のおおきさ。今それをしり、自責の念で息ぐるしくなった。もはや、あごが胸につくほどに、うな垂れるしかなかったのである。

そんなようすを見ながらも、それでも血へどがでるほどに猛省させ、いまは亡きひとたちへ衷心からの謝罪をさせたかったのだ。

矢野は静かにつづけた。

「いかなる理由があれ、ひとの命をうばっていいはずがない。ひとは、殺されるために生まれてきたのではない。蹂躙されるために生きているわけでもない。人生を苦しみながらもそれでも良くなりたくて、もがきながらも幸せになりたくて、みんな懸命なんだ。ちがうか」

矢野の、こころからの叫びであった。十歳で両親をころされ、そのあとは姉と二人で、そうして懸命に生きてきたからである。

当時医学生一年生だった姉の幸みゆきは、八歳離れたおとうと一彦が精神性疾患(たとえばパニック障害や全般性不安障害あるいは社会不安障害等々)を発症したときの対処法をしるために、精神科医をめざしたのだった。

幸い一彦は、気丈にも恐慌的状況をのり越えることができたのである。惨殺された両親の第一発見者となり、そのとき、血の海によこたわる最愛の二人を眼にしたにもかかわらず、トラウマにはならなかった。

精神を患わずにすんだのだ。天恵というべきか。ともかくも、すぐに気絶したからよかったのだろう。さらには自己防衛本能が、そのときの記憶をおぼろげにしたがゆえに、精神的後遺症になやまされずに、刑事をつづけてゆけるのだ。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(53)

それはそうとしてもし、このおとこが逮捕されなかったばあい、このあとの人生をどう生きるつもりだったのか。

復讐の完遂で燃えつきたのか、そうでははく、つぎなる目標をもっているのか、ということだ。

連日、矢野が物証の有無についてあたまを悩ませていたときに、うかんだ疑問であった。

で、東の言をかりての結論としては、以下である。

――近年、右傾化が著しい。だからこそ、わが愛する日本を、1945年8月15日以前の言論統制国家にはおとしめさせないぞ。もっといえば、日本人や周辺国の人たちを塗炭の苦しみで苛ませることなど、二度とさせないぞと――

 そのためにはまず、国民主権の否定につうじる特別国家秘密保護法を、廃棄させねばならない。

さて、東のこの想念、理解のためには解説がひつようであろう。

九十年ちかくまえに戦前の日本がうけた、欧米列強からの政治的経済的封鎖にもにたバッシングで追いつめられ、やがて勃発させた亡国の戦争(もとより、これには諸説やいろんな意見が存在する)。

そのような戦争を、今日以降において、永遠に回避せんがためである。

当時、軍部が暴走できたのは、民主主義の根幹たる、国民の知る権利を踏みにじったからで、そのけっか、本来は無関係な他国の人々の尊すぎるいのちがうしなわれ、いわんや、(日本人だけで)推定三百万人のいのちまでをや。

そんな愚の極みをおこさせないための、理想の具現化の方途となると、東とて、まださっぱりだ。

しかし、理想に近づけようと真剣なのだけは、まちがいない。

では、そこまでの強い想いはなぜ?どこから?となると、順をおっての、東の思考と行動から、まずはあきらかにせねばなるまい。

とはいっても、常人には納得するに困難な、東らしい思いこみであった。

ちなみに、この常軌を逸した飛躍の因となったのが、2018年施行の“特別国家秘密保護法”である。常に、国民の“知る権利”をおびやかし、ひいては国家権力の暴走を可能にする悪法だと、かれはみている。

ゆえにかれの頭のなかでは、つぎのとおりの論理が成立したのだ。

――危険な法…認めることのできない特別国家秘密保護法と、父の殺害をふくめ、悪法を作成し可決成立させた政治家どもをどうしても許せない!――

東のつのるばかりの嫌悪や憎悪だが、まずは“そんな為政者“にむけられていったのだった。

以上の事由により、連続復讐殺人の完遂こそが、そして手段としての完全犯罪の完成が、当面の、この若者にとって崇高な生き甲斐となったのである。

そのために、巻きぞえをくうひとが数人ていど出ることになるだろうが、それは誠にもうしわけないがいたし方ないと、そう心を鬼にしたのだった。

そのうえで、施行から七年たった特別国家秘密保護法の廃止が、つぎの目標であった。

歴史(東は戦前の、戦争へと突き進んでいった狂乱、帝国日本とナチスドイツを事例にしている)から学ぶと、悪法を成立させた日本は、やがて堕地獄の道をすすむと信じたのである。

それは、ナチスドイツが全権委任法(ナチ党、なかんずくヒトラーに白紙委任をみとめる法。独裁者ヒトラー誕生の因)を、大日本帝国が治安維持法(万単位の処断者をだした言論・思想弾圧の根拠となった悪法)を成立させたことをさしている。

権力者の暴走を防ぎ止めるには、テロだろうと無差別殺人だとののしられようと、もはや強硬手段しかない、これは――まさに革命なのだ――と確信しきっての論理であった。

本人は正気のつもりだろうが、むろん、てまえ勝手にすぎる暴論である。

そのために殺されたひとはたまったものではない、ていどで済むはずがない。

こんな論理を、さも正論がごとくふりかざす東。人命の尊さがわからない、たんなる犯罪者にすぎないやから以下だ。否、ここまで狂うと、もはや悪魔の化身である。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(52)

送検後の担当検事の職域だと判断したからだ。裁判員や裁判官の心証を、検察側へ誘引するためになにをなすべきかは、検察官の仕事だとして一線をひいたのだった。

ところで饒舌がもどった東にすれば、いいたいことがまだまだいっぱいあった。「だから、本当にいまでも、ゆるせない気持ちでいっぱいです」

犯人のそんなようすに矢野は、書記役の藍出の目をみた。

藍出は、師とあおぐ矢野警部にちゃんと速記できていますと、アイコンタクトでかえした。

そんなことにはお構いなし、この連続殺人犯の口だが、まさに、想いをぶちまけたのである。

「父には青天の霹靂だったでしょう。だけど、あんなやからにすれば、見せしめのテロの標的などだれでもよかったと、そう…」ここで瞑目すると、悔しさのあまり、唇をかんだのだった。どうじに、場壁たちへの憤怒に、目尻がおおきく吊りあがったのである。

ちなみに“やから”とは、殺人をおかした右翼の若造をさしていた。

「事実、そいつの裁判において検察側があきらかにしたように、場壁に盾つく人間を血祭りにあげることで、テロの目的や動機をわかりやすくし、ほかの反対者の言動を封じたかっただけですから。裁判を傍聴していて、おとこの動機に正直、おぞましさと衝撃をうけました」

「……」いま、矢野たちにだが、放言をさえぎる意思はない。むしろ、思いのたけを吐露させることにしたのである。

「虫けらみたいにころされたわけですが、父は立派だと、ボクも誇りにおもえる夢をいだいておりました。弁護士として、いわゆる社会的弱者の側にたち、そのひとたちを支える力になりたいという…、いや、すでに人権派弁護士と、世間からいわれ…」

ここでついに、堪えていた父親への情念が、思いあまったすえの嗚咽となって、咽のどのおくからこみ上げてきたのだった。

気がしずまるのを、いかばかりだったろうか、一同、無言のまま待ったのである。

やがて、「尊敬する父親の夢を直接うばいさったやからもだが、根源的因をつくった場壁以下こそが断罪されるべきだ」と鋭くさけんだのである。

ところで、帳場が疑問視していた「なぜ、八年も待ったのか?」の答えならば、ここからくみ取ることができるであろう。

特別国家秘密保護法案が世間で侃々諤々かんかんがくがくの論議となり、けっか、父親が殺された八年前、連続殺人犯東はまだ十七歳であった。復讐したくても、その手段をなにも身につけていなかったのである。

かれは、銃の腕前や爆薬の製造法などに精通するひつようがあった。陸自入隊は、その道程だったのだ。だから八年は、東にとっては、長くはなかったということになる。

捜査にたずさわったデカたちも、これで得心するであろうと、和田もおもった。

で、連続殺人犯だが、いい分をつづけていた。「ああ、どうして…、どうしてじぶんだけがこんなにも苦しまねばならないのか!」これが東の、正直な想いであったろう。

しかし、だった。「なにをバカな!」いままで黙ってきいていたのは、犯人にこの類のことばを言わしめんがためでもあった。

「そんな理由で、無関係な六人ものひとを巻きぞえにしたのかっ!まさに理不尽な、無差別殺人そのものだ。それでは、お父さんを銃でころしたやから以下ではないか!」

矢野がおもわず怒鳴ったのは、巻きこんだ人々にたいする謝罪の気持ちを、いまだかんじとれなかったからだ。

「いまのをお父さんがきいていたら、殴りつけたにちがいない。すくなくとも、ボクが父親なら性根がいれかわるまでぶん殴っているぞ!」

被害者家族はほかにも大勢いるのに、“じぶんだけが苦しんでる”がその象徴である、独りよがりや自分本位こそ、犯罪者の心裡なのか。もっといえば、エゴイストだからこそ、ひとの命を虫けらのように蹂躙できるのか。

世によくあるじぶん勝手な動機による犯罪、たとえば愉快犯による無抵抗だからとの動物虐待、遊興費ほしさの強盗や詐欺、性欲をみたしたいからするレイプ、気にくわないからと殺人。

そんなエトセトラに、首をかしげざるをえないが、この手の犯罪をおかすエゴイストたち、その生きざまのもとには、じぶんしか存在しないのだ、きっと。

じぶんが納得もしくは満足できれば、それでいい。これが、さらに悪いことに、大半の犯罪者心理だとしたら、人間社会に巣くう悪業の根は、とてつもなく深くおおきい。

嗚呼と、矢野はときに失望する、この手の自己中心が犯罪被害者を生みだす現状に。

だからこそ、エゴを潔しとしない、また、自分本位だけだとかならず行き詰まると説く、よほどの、利他(他者への思いやり)的哲学が人類を変えないと、犯罪被害者たちがいなくなることはないであろう。涙にくれる気の毒な人々が、これからも増えつづけるだろうと。

 しかし、イノセントな人が、嘆きの人生をながらえる、なんて、それでいいはずがない!

 矢野は、犯罪被害者やその家族に、せめても寄りそえればとねがい、日々生きているのだった。

ところで、裁判の責務のひとつ、それは、被告人のいいぶんが同情に値するか、まったくのじぶん勝手か、その判断もする、である。判決文には、それが示されるはずだ。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(51)

さて、ここにきての、東の急変に満足しながらの矢野だったが、手綱はゆるめない。「それにしても、完膚なきまでというにふさわしい、惨めすぎる敗北だな」

敗者に容赦しないのは、つぎに言いたい大事のための布石であった。

「おまえがこれほどの連続殺人事件をおこし、おやじさん、泉下(あの世)で悲しんでるぞ」

 きいた東は、首をちいさくなんども横にふった。そこには触れてほしくない、そっとしておいてほしい、と一同には、そう見てとれた。

 しかしながら、取調べを加減する矢野ではなかった。

「それにしても残念だったな、狙撃事件のほうは、立証が正直むずかしい状況だったが。縄張りあらしの大事な時期にケンカをおっぱじめる、知能はサル並みのチンピラがいて。おかげですべてが明らかになったよ。おまえは怒り心頭だろうが、警察としては感謝状ものだな」

 和田によって、すでにイスに座らされていた連続殺人犯の目が、一瞬だが吊りあがった。しかし、瞋恚しんに(怒りや憎しみ)を継続するにひつような気力だが、もはやなかった。すぐに、うなだれたのである。

 ところで証拠がない状況下ゆえに、かましもハッタリもすべて賭けであった、いうまでもなく。しかもかなり危険な。とはいえ、推測には自信があったのである。

さて、関東での地盤にゆるぎのない地元の暴力団は、ハイリスクローリターン(危険のわりに見返りがすくない)となる単数の銃の密売などには、鼻もひっかけないはずだ。おとり捜査の危険性も考慮にいれるであろうし。

 いっぽう、地盤がよわいぶん失うもののすくない新参者は、ある意味ムチャができる。ことに使い捨てにちかい立場の遠征組の下っ端は、稼ぐためには少々のあぶない橋でもわたるしかないのだ。座していては、上からえらい目にあわされるだけだから。

 つまり、既存の組は確実な運営で組織をまもろうとするが、新来は攻めるしかない。これは、それぞれの立場における定理である。

 この推測にアナがあるとはおもえない矢野は強気で、ハッタリとかましは通用するとふんだのだ。

 あとは、もっていきかただとかんがえた。そしてきめた手法が、一点を思いっきり衝いて、そこでとどめを刺す、であった。吸血鬼の息の根をとめる手段に似て。

「残念だろうが、おまえは、完膚なきまでに敗れさったということだよ」とかまし、吸血鬼の心臓に、まさにエアー杭を徒手空拳で打ちこんだのである。

で、いまの東のおちこみぶりは、矢野が賭けに勝ったことを証明していた。

ともかくも、いかなる理由があれ、五人の命をうばい、六人をその巻きぞいにした!ゆるされざる連続殺人鬼である。断罪されるべき、命の収奪者なのだ。

ここは、冷徹なデカとしての矢野。いまがグッドタイミングと、「では、教えてもらおうか。どうしてこれだけの犯罪を冒したのかね」見当はつけているが、動機を、本人の口から吐きださせる必要があった。

そのために、一種の“逆恨み”ではないか、とはあえていわなかったのである。

 逆恨みととるか、報復行為にたいし同情をしめすのか、その判断は、裁判所がすることだと。

「……」

「いいか、よくかんがえてくれよ。さきに立証した三つの爆殺事件だけをみても、もはや逃げも隠れもできないことぐらい、キミならずともわかるだろ」また“キミ”に呼びかたをもどした。そのうえで、小バカにするような皮肉や愚弄する態度もさけた。

そして矢野は、「ここからが肝心なんだから、しっかりコミュニケーションをとろうな」真剣そのものの言動にあらためたのである。

「ところで現在の心境を、まずは聞かせてもらおうか。巻きぞえをくったひとたちにたいしてだ。キミの憎しみの対象者でもなかったのに、これからの人生が一瞬で、うばわれてしまったんだよ。どれほどの無念か。まだまだしたいことや夢があったと、ボクにはおもえてならないんだが…、ちがうかな」

さとすような口調と声色になっていた。愛するひとたち、妻や元義父母・部下たちに普段みせる、安らぎをもたらす温和な眉と瞳で。

先刻はひかえていた、心情にうったえる陳述を、これからしようというのだ。

「……」相変わらずのだんまりではあったが、態度にはややの変化がおきていた。

「しかも、命をうばわれた被害者だけの問題じゃない。あとにのこった被害者家族もが」語調に、叱責のにおいはもはやなく、説諭の色あいもうすかった。あえていえば、ものわかりのいい父親が、愛息に語りかけている、そんな光景にもみえた。

しかしだ。“被害者家族”というピンポイントのことばに、連続殺人犯はすぐさま反応したのだった。「あっ、それをおっしゃるなら、ボクにもいいぶんがあります」

ここにきて敬語にかわったのは、口先ではない矢野の、被害者のことを真摯におもう人間性(矢野も被害者家族だから、よけい滲みでるのだ)に、心うごかされはじめたからであろうか。

であったとしても、自説はつらぬいたのだ。「ボクの父は、場壁元首相らの手によによる、あの悪法が原因でころされたんです!にもかかわらず、犯人たちからの謝罪はなかった…」

いうところの“犯人たち”が、実際の犯人をさしていないのは、明白である。

つまり、東がのぞんだ謝罪とは、場壁首相(当時)談話などでの遺憾の意の表明であろう。さらには、尊い命がうしなわれたことへの、政府としての哀悼の辞ではなかったか。

しかしながら、具体にふれることを東はしなかった。理解してもらえるとはおもっていなかったからか。それで、独り言のようになってしまったのである。

 矢野たちとて、そこにまではふみこまなかった。

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