人生最悪の窮地。心の闇が深すぎて、その終点がみえてこないのだ。
いくら泣き叫んでもこだまさえも帰ってこない、果てなき暗黒の宇宙さながらであった。
人生最悪の窮地。心の闇が深すぎて、その終点がみえてこないのだ。
いくら泣き叫んでもこだまさえも帰ってこない、果てなき暗黒の宇宙さながらであった。
経験したひとにしかわからないであろう。混乱や恐怖、そして自棄。それこそここまでがリミット、をかんじられない闇黒でしかなかったのだから。
しかし 心はやはり支離滅裂の、いや暗黒の感情に支配されたじぶんであった。
せめて支柱があれば、すこしは強くなれるだろうに。にもかかわらず肝心のこのとき、ああ、支え護ってくれるひとがいないのだ…そう、そばに誰も。
このままではまえに進めるはずもない。不安や孤独・絶望、だけでなく過去に捕らわれたままでは、愚かで哀れな身でしかないなども、もちろん頭では…。
くわえて、通夜や葬儀の前後もおもい煩っていた。そのあと体調を崩し、ベッドで横になっていたときも。
悲嘆にくれても、ふたりがそれを喜ぶどころか悲しむだけで、また「わたしが駅に迎えにいっていれば」との悔いや怨嗟に身もだえをしてもなにも生まれない、それが現実だとも。
ここで、誤解を招かないためにひとつ。
ここで、誤解を招かないためにひとつ。
こどもが一人きりではなく、複数人数であったとしても、亡くなった子への悲嘆が薄らぐものでは決してない。こどもはまだ他にもいるから、なんておもえるはずもない。
それが、なにものにも代えがたい存在以上だったのに…。
たしかに、外ではほとんど飲まなくなったわけだが、いまにしておもえば母でもあった妻を、ありったけの存在で労わりたかったのだと。もっといえば、溢れんばかりの愛情表現でもあったのだと。
とめどなくながれる涙に、夫はハンカチを手わたすと、悲しみと慈愛の眼差しでより添ってくれたのだ。うち震える肩には、さりげなく情愛の手が背をさすったのだった。さらにやさしい声が、哀惜や辛酸でみちた心をなぐさめてくれる日々であった。
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