ところで、ふだんの矢野だったならば、こんなダーティなマネはしない。

いうまでもなく、だましとひっかけを使っていることが、ダーティだというのだ。

“兵庫山口組とのメール、ライフル売買の。チンピラが残してたのを…見つけたよ”巧妙なのは、既述したようにこれが、東とのあいだで交わしたメールとは言っていない点だ。

もう少しわかりやすく説明しよう、矢野警部の名誉のためにも。

メールが、兵庫山口組のチンピラと、銃購入希望のだれかとのだということを、きちんと説明しなかった、だけなのだ、厳密には。

しかし東には、じぶんとのあいだのメールだったと聞こえるよう。いや意識的に、そう錯覚させるやりくちだったことはまちがいない。

いくら自供をひきだすためとはいえ、虚偽はダメだ、不実は駄目なのだ、との流儀でやってきた矢野。その理由だが、たんに、録音・録画をされているからではない。

ところで矢野のはそのいっぽうで、誤解をまねく言いまわしではあるが、虚偽とまでは断定できない。だが、問題がないわけではない。

よくいえば巧妙、悪くいえば、ズルいやり方である。本来ならこんな取調べを、かれはすることはない、否、したことがない。

にもかかわらず、矢野の良心はいたまなかった。いつもとは状況がちがいすぎるのだ。

はっきりいって、十一人もの尊い命をうばった被疑者に、正当に罪を償わせるためだから、このていどなら許されるとすら、かれはおもっている。

反省どころか、この期におよんでも東は否認し、罪をのがれようとしていたのだ、卑劣にもこのおとこは。当然そうなるわけだが、悔いることも謝罪の言葉も、いまだ口にしていないのである。

それでは、あまりに報われないではないか、被害者たちもその家族たちも。

だから、追及の手をゆるめなかっただけ。矢野がなした、これが真実である。