「ひ、彦原さんが単身、ド、ドリーム号を発進させましたっ!」部下である主任が、地球最後の日でもあるかのような悲愴な顔で、専務宅に連絡をいれた。いまだ夜もあけぬ午前五時には、およそ不具合な叫び声で、だ。じつは自宅で就寝中に、ドリーム号のMC起動という異変を、主任のスマフォがしらせていたのだった。
寝ぼけ頭は、最初、夢かとおもった。つぎにたんなる誤作動だと。だから、スマフォによるセキュリティシステム稼働の操作が遅れてしまった。もっとも彦原の詐術による睡眠薬被服用後の就寝中だったため、スマフォがはっした警告に気づいた時点ですでに手遅れだったのだが。
とはいえ、自宅で坐していてもなにも情報ははいってこないと、まず、誤報でないことを確認するため、部下に連絡をいれてみたのである。部下たちも就寝中だったので気づいていなかったが、同じように異状発生の通告アラームが鳴っていたという。
それでも疑心暗鬼のまま研究所について、まさに仰天の事態をしったのである。
すぐに見あげた暗黒の空は、いつもと変わらなかった。激変したのは、空(から)になったメイン工場とじぶんたちの立場であった。
「油断があった」と指摘されれば、認めざるをえない。冷静になったときそうおもった。
寝おきの専務も同様で、寝ぼけている状態のまま、彦原の背信をつげられた。俄かには信じられなかった。息子のように、いやそれ以上に信じきっていたからだ。「お前、悪い夢でもみたんとちゃうか?」
主任はまだすこしもつれる舌ながら、必死で事態を説明した。急をしらされた部下たちも研究所に揃いはじめていた。そのうちのひとりが、東京に出張中のCEOの秘書に連絡をいれた。予定をキャンセルし、乗用飛行車でただちに帰社することになるだろうとの返事であった。また別のひとりが、専務の秘書に連絡をいれていた、専務宅への迎えを依頼するために。
専務もようやく異変を理解したのである。「ス、スマフォで、ひ、彦原といますぐ連絡をとりなさい!」部下のが感染したわけでもあるまいが、青天の霹靂にうけたショックを隠せなかった。いや、ウロがきていた、のほうが適切か。
それは、=彦原にかぎって=とのおもいを払拭しきれないからでもあった。それにしても慌てかたが尋常ではない。宇宙にでた人間のスマフォに繋(つな)がるはずがないからだ。
通信衛星を借用している携帯電話各社は、地球と宇宙、あるいは宇宙間の通信では採算がとれないとの判断を当然しており、いわば子どもでも承知している常識だった。
「べつの方法でドリーム号との連絡を試みましたが、交信できません。むこうの通信装置が切られてます」通信装置を強調した言いかたになった。
しかしそれに気づく余裕すら、まだいまの専務にはなかった。「な、なら、直(ただ)ちに、ホープ号で追いかけなさい!」
主任らもそれは考えた。が、一瞬でそんな愚考を捨てていた。「お言葉ですが、ドリーム号はステルスです。どこに行ったのか、とらえる術(すべ)がありません」部下のほうが冷静になりつつある。
一瞬、グッとつまったあと、「コ、コンピュータ間の交信ならできるやろ」吐きすてるように叫んだ。
「はい、通常ならばもちろん。ですが交信を拒絶されてます。所在位置をしられないよう、ブロック処置がなされているもようです」感心したわけではないが、さすがは副所長だと。
それにしてもどうやって、単独でセキュリティの解除と虹彩認証等をたった十秒でこなしたのかまではわからなかった。絶対的信頼度が強烈すぎて、かれらはいまだ思考が混乱しているのだ。平常なら簡単なはずの思いつきさえ浮かばなかったのである。工場内で日常の仕事をこなすなか、固定観念に縛られ、すこしちがう角度から発想するということさえ、優秀なはずの頭脳はその機能停止にさらされていたのかもしれない。
単身によるセキュリティ解除等の、謎の解明はできていないが、それでも主任は、単独犯だとすでに確信している。たしかにだれかが手伝わなければできない犯行なのだが、てつだえる能力を有する研究員二十五人はひとりも洩れなく揃っていたからだ。また、深夜、所内にはいったのは彦原だけだった。
あるいはなんらかの方法で、チェックゲートのセキュリティをかいくぐって協力者が通過できたとしても、メイン工場で作業をてつだうまえに拘束されてしまう。ここにはいれるのはCEOと専務、彦原以下二十六人の研究員だけである。
これら以外のものにたいしては、七台の警備ロボットが侵入を許さないからだ。まず、入室ゲートを見はるセンサーがはっする警告を無視してはいれば侵入者とみなす、その一分後には、右手の麻酔銃と左手の五十万ボルトの高電圧スタンガンを駆使して、どちらかで意識をうしなわせるようプログラムされている。
ただしロボットの、事前のプログラム解除は可能だ。が、一台ずつ暗証番号はべつで、しかも同時に解除せねばならず、ひとりではこちらも不可能だ。研究員がすくなくとも七人揃っていなければ解除できないことになる。万が一社内の人間や客を招じいれなければならないときの解除法として、設けられた。
ときに警備ロボットだが、侵入者を失神状態のまま工場外へ強制退去させ、刑法百三十条の住居侵入等の容疑で現行犯逮捕することとなる。現行犯逮捕は警察権のない一般人も行使でき、法改正された現代では、ロボットでも行使が可能となった。
というわけで、これらの状況に鑑み、彦原以外は侵入できなかったことになる。したがって単独犯と断定したのだ。問題のセキュリティ解除だが、彦原ならやり遂げるだろうと。
主任はじつはミステリーファンである。ここ二十年ほどでネタ切れとなったために廃れ、いまでは見向きもされなくなったミステリーを好む、一種のマニアだ。結婚に縁がないのはオタクっぽいからか。
しかも自称プチ・シャーロキアンだ。当然、コナン・ドイルが創作した名探偵ホームズを敬愛している。だからこの謎が気にならないといえばウソになる。だが、いまは謎解きをしている場合ではなかった。
「コスモスGPSは?」とは、航行中の宇宙において二重・三重のトラブルが発生したとき、船体の現在置を社にしらせる搭載装置である。電源がきれないような設計と、同装置故障時の自己修復機能が組みこまれている。だから、追跡は可能なはずだと。
このふたつの機能のせいで、「破壊は不可能」との認識を、専務はもっていたのだった。
あながち間違いではないが、実体はすこしちがっていた。
「だめです。それも試しましたが感知できませんでした。どうやら、彦原さんが壊してしまったようです」例外があり、破壊は不可能ではないと、電源維持機能について正確に説明したのである。「それで電源を遮断できたと…、それしか考えられません」
「わかった、けど心配ない、大丈夫や」そう、じぶんに言いきかせているのである。「自己修復機能が組みこまれてるさかい」
「そっちのほうも壊されたようです。手わけして、所内設置の全コンピュータの記録を調べたのですが、しかも、位置を特定できなくなって一時間以上たつのに、いまだ信号を受信していませんから」
「だとしたら、ドリーム号は、停船状態のままで漂ってるはずや」
GPSが破壊された場合、停船し、同時に全機能も停止するよう設計されていたからだ。つまり宇宙で難船させ、動けなくなった船はその位置で宇宙線を反射しつづけることとなる。
直進していない宇宙線を探査することで、時間はかかるが難船位置をしることができる。
ただし、たんに天体に反射した宇宙線とどう区別するかだが、専務は、反射規模を測定することにより、反射物の正確なサイズを、つまりはドリーム号かどうかを推定できると。よって最悪、船体の確保も可能になるとした。
ときにGPSを破壊する人間がもしいるとして、当然ながらプロジェクト参画者以外だとの前提であった。
青天の霹靂級のまさか、彦原が破壊することなど想定していなかったのである。まさに陥穽だった。
「そこなんです。難船プランを設けたあの彦原さんが、プランのことを忘失してしまったとはとても考えられません。このわたしですら、難船しないような細工をしてからGPSを破壊します。でないと、船がおおきな棺桶になってしまいますから」説はもっともであった。
それに設計者の彦原ならばこそ、GPS破壊の事前の、どんな工作も朝飯前だったにちがいない。
専務も渋々だが、首肯せざるをえなかった。
このように、主任は研究所に到着直後から思考をつかさどる“灰色の脳細胞”(名探偵エルキュール・ポアロの名セリフ)をフル稼働させ、打てる手はすべて打っていたのである。部下もてつだってのことだったが。
「もはや我々ではどうすることも…。専務ならではの善後策を…、なにかお持ちではないでしょうか?」個人的には万策尽きており、ゆえに率直な質問であった。
そのとき、「我々ではどうすることも」という言葉から、まさか、CEOか専務のどちらかがてつだったのでは?との疑念が頭をもたげた。しかしすぐに、それはないだろうと。
専務が家で寝ていたことは、スマフォのGPSで確認したし、驚きようや慌てふためきが演技とはとてもおもえなかった。CEOにしても、秘書と東京にいたというアリバイが成立している。
でもってつぎの瞬間、彦原がなした十秒内解除の謎を解きあかす連想が浮かびあがったのである。たしかに我々ではどうすることも、しかし“人間”ではなく、ロボットならば…。コロンブスの卵ではないが、発想を変えれば気づくことであった。
それを妨げたのは、ロボットが純粋に警備用だったからだ。そうプログラムされているロボットをよりによってセキュリティ解除仕様で、事前に準備していたなんて、ふつうなら思いつかないことであった。事前に準備と推定したのは、今夜はとくに時間短縮をしたかったにちがいないと。犯罪者としては、鷹揚にかまえておれるわけがない。
ところで、なぜロボットの活用に気づかなかったのか。特化された存在で、両手はふだん、麻酔銃とスタンガンでふさがれており、それをあたりまえの姿として、じぶんたちは見慣れすぎていたせいではないか。しかも、七台同時の暗証番号入力とプログラム変更が必要なのだ。
そんなことを一人でできるわけがないともきめてかかっていた。
しかし、あった、彦原なら朝飯前の簡単な方法が。1号が2号を、2号が3号を…、そして7号が1号をというふうにそれぞれが同時に操作させればいいだけであった。
=きっとそうや!=そのうえで船のセキュリティ解除のためのコードを、ロボットに命じて入力させたにちがいない。しかもタイマーセットをしておいて、その間にドリーム号に入船しMCのまえに立ってロボットの作動をまてばよいのである。そしておそらく発進時において、メインゲートの開放操作などもロボットにさせたにちがいない。
しかし謎解きなどは、いまさらどうでもよいことだった。
次元のちがうはるかなる大事が、みなの不安げな顔をみるまでもなく感知できるからだ。「それとです、これからのことですが、僕らはどうしたらいいんですか?」いまだ独身の身とはいえ、部下全員の絶望的不安を代表して、今後のことをほんとうは突っ込んで問いたかった。
家族もちと独身、職責や年齢などの立場のちがいから多少の温度差があるとはいえ、各自がじぶんの将来を考えると正直、不安でいっぱいだった。そんななかでもがんばって、彦原がなした違法発進直後の対処とほう・れん・そう(報告・連絡・相談)を完了したのである。
とりあえずの義務をはたしたことで、責任を回避できたとはおもった。
しかし、もちろん問題が解決したわけではない。むしろ、かれらがふかく憂慮するとおりの死活問題がこれから浮上するのだ。X社自体、今後存続できるのか?研究員たちは半々だが社員には家庭もちも数おおい。かれらのことも考えないわけではない。
すると、毎月の生活費は今後も保障されるのか?さらに、自分たちの将来は?当然だが、心配事はドリーム号のことなどではなく、もはやそっちである。
と、突然だった。ふだんなら、総じて少欲で冷静な学者肌のかれらである。だが子どもができたばかりの研究員が、プロジェクトの最高責任者である専務に生活権を涙声で直訴したのだ。それも人情だろう。
「ぼ、僕たち、これから一体どうなるんでしょうか?リストラなんかされたら、とても、家族をやしなってゆくなんてできません!」との切実な哀訴であった。
だが専務にとっても、こんごはむろん不透明だ。不測の事態、でことがすむような生やさしい状況ではないからだった。しかも、いまはまだ最高責任者としての責務遂行をしていない。
そのためには、部下の泣訴などにあまり拘(かかわ)ってはいられなかった。専務にとっての責務完遂と社の存続最優先は、同義語だった。ただし、自己保身のためのX社存続、でしかない。だから、社員の生活保障にまで思慮がおよぶなど、なかったのである。
=社の存続のため、もはや唯一=とおもった善後策を口にした。「しかたがない。いそいで準備してくれ。予定のワームホールへむかわせよう」との声は、しかし弱々しかった。正直なのだ。成算のほど、望み薄だからである。
とはいっても=頭を抱えてるだけでははじまらん=と。X社ナンバー4として、こうなればわずかな可能性にかけるしかなかったのである。
ところが、「あの彦原さんが、そんなとこに行くでしょうか。捕まるのは目にみえているんですよ」「行かないと僕もおもいます」「タイムトラベルへの志願理由、たしか、情報収集のためでした。宇宙に長期滞在したいとかで」「今回のこと。あるいは、なにかふかい想いがあってのことかもしれません」
研究員たちは口々にはっした。長く、彦原とおなじ釜の飯を喰ってきた仲間だ。たしかに、虚心に傾聴すべきである。そしてそのほとんどが、予定のワームホール行きはありえないと同音であった。
ふだんの絶対的自信などとうに揺らいでいる専務は、かれらにいわれるとさらに不安が募ったのだった。だが、やはり座しているわけにはいかない。
「誰もがそう思うそのウラをかく」いってはみたものの、=とも考えられる…。う~む= 不安でしかたがない。そんな声を、かろうじてノドの奥におし戻した。
=そういえば一年半くらい前やったか、だれかが言(ゆ)うたようにタイムトラベルを希望してたな=そこから察するに、はたしてどんな行動をとるか?いやいや、そもそもなぜ宇宙船を盗んだのか?という根本問題。それすら不明なのだ。
盗んだ理由がわかれば、おそらく彦原の現在の所在地がわかるのではないか。彦原の身になって考えるしかないと。しかし、結局これという答えはでてこなかった。それで、
みなに問うた。が、二十五人全員が首を横にふり、絶望的なため息を洩らしたのである。
そうなるといっそう、専務の思惟(=考え)はさだまらず、ただ錯綜するばかりとなった。「それにしても、あいつの、一体なにをしってたんや」考えてみれば、すべてをしっているつもりだっただけと。
みんなもおなじことにはじめて気づいたふうだった。通話口の両方で空気がいっそう重くなり、淀んだ。
最悪の状況だ、まさに。それでも、なにも手をうたないでいれば、無能の謗りではすまない。「とにかく、やるしかない。早速クルーをおこしたまえ。命令だ!すぐそっちにむかうから」いまは、かれらにはたらいてもらわなければならない。哀訴にたいする即答は避け、「善処する」とだけいって、とりあえず急場をしのいだ、それしか手がなかった。
=うつ手がないと現場に泣きつかれても…=と嘆いて困りはてるだけというわけには、立場上いかない。まして善後策があれば=教えてほしいのはこっちのほうや!=とは、口が裂けてもいえなかった。いや、泣きごとをいっている場合でも、もちろんない。
哀訴できるのはまだ余裕があるからだ、ということにすら気づかないほどただただせっぱ詰まっていた。