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核兵器を全廃させる、未来からのテロリスト~破壊が生んだもの~ 第七章(中編)

 「ひ、彦原さんが単身、ド、ドリーム号を発進させましたっ!」部下である主任が、地球最後の日でもあるかのような悲愴な顔で、専務宅に連絡をいれた。いまだ夜もあけぬ午前五時には、およそ不具合な叫び声で、だ。じつは自宅で就寝中に、ドリーム号のMC起動という異変を、主任のスマフォがしらせていたのだった。
 寝ぼけ頭は、最初、夢かとおもった。つぎにたんなる誤作動だと。だから、スマフォによるセキュリティシステム稼働の操作が遅れてしまった。もっとも彦原の詐術による睡眠薬被服用後の就寝中だったため、スマフォがはっした警告に気づいた時点ですでに手遅れだったのだが。
 とはいえ、自宅で坐していてもなにも情報ははいってこないと、まず、誤報でないことを確認するため、部下に連絡をいれてみたのである。部下たちも就寝中だったので気づいていなかったが、同じように異状発生の通告アラームが鳴っていたという。
 それでも疑心暗鬼のまま研究所について、まさに仰天の事態をしったのである。
 すぐに見あげた暗黒の空は、いつもと変わらなかった。激変したのは、空(から)になったメイン工場とじぶんたちの立場であった。
「油断があった」と指摘されれば、認めざるをえない。冷静になったときそうおもった。
 寝おきの専務も同様で、寝ぼけている状態のまま、彦原の背信をつげられた。俄かには信じられなかった。息子のように、いやそれ以上に信じきっていたからだ。「お前、悪い夢でもみたんとちゃうか?」
 主任はまだすこしもつれる舌ながら、必死で事態を説明した。急をしらされた部下たちも研究所に揃いはじめていた。そのうちのひとりが、東京に出張中のCEOの秘書に連絡をいれた。予定をキャンセルし、乗用飛行車でただちに帰社することになるだろうとの返事であった。また別のひとりが、専務の秘書に連絡をいれていた、専務宅への迎えを依頼するために。
 専務もようやく異変を理解したのである。「ス、スマフォで、ひ、彦原といますぐ連絡をとりなさい!」部下のが感染したわけでもあるまいが、青天の霹靂にうけたショックを隠せなかった。いや、ウロがきていた、のほうが適切か。
 それは、=彦原にかぎって=とのおもいを払拭しきれないからでもあった。それにしても慌てかたが尋常ではない。宇宙にでた人間のスマフォに繋(つな)がるはずがないからだ。
 通信衛星を借用している携帯電話各社は、地球と宇宙、あるいは宇宙間の通信では採算がとれないとの判断を当然しており、いわば子どもでも承知している常識だった。
「べつの方法でドリーム号との連絡を試みましたが、交信できません。むこうの通信装置が切られてます」通信装置を強調した言いかたになった。
 しかしそれに気づく余裕すら、まだいまの専務にはなかった。「な、なら、直(ただ)ちに、ホープ号で追いかけなさい!」
 主任らもそれは考えた。が、一瞬でそんな愚考を捨てていた。「お言葉ですが、ドリーム号はステルスです。どこに行ったのか、とらえる術(すべ)がありません」部下のほうが冷静になりつつある。
 一瞬、グッとつまったあと、「コ、コンピュータ間の交信ならできるやろ」吐きすてるように叫んだ。
「はい、通常ならばもちろん。ですが交信を拒絶されてます。所在位置をしられないよう、ブロック処置がなされているもようです」感心したわけではないが、さすがは副所長だと。
 それにしてもどうやって、単独でセキュリティの解除と虹彩認証等をたった十秒でこなしたのかまではわからなかった。絶対的信頼度が強烈すぎて、かれらはいまだ思考が混乱しているのだ。平常なら簡単なはずの思いつきさえ浮かばなかったのである。工場内で日常の仕事をこなすなか、固定観念に縛られ、すこしちがう角度から発想するということさえ、優秀なはずの頭脳はその機能停止にさらされていたのかもしれない。
 単身によるセキュリティ解除等の、謎の解明はできていないが、それでも主任は、単独犯だとすでに確信している。たしかにだれかが手伝わなければできない犯行なのだが、てつだえる能力を有する研究員二十五人はひとりも洩れなく揃っていたからだ。また、深夜、所内にはいったのは彦原だけだった。
 あるいはなんらかの方法で、チェックゲートのセキュリティをかいくぐって協力者が通過できたとしても、メイン工場で作業をてつだうまえに拘束されてしまう。ここにはいれるのはCEOと専務、彦原以下二十六人の研究員だけである。
 これら以外のものにたいしては、七台の警備ロボットが侵入を許さないからだ。まず、入室ゲートを見はるセンサーがはっする警告を無視してはいれば侵入者とみなす、その一分後には、右手の麻酔銃と左手の五十万ボルトの高電圧スタンガンを駆使して、どちらかで意識をうしなわせるようプログラムされている。
 ただしロボットの、事前のプログラム解除は可能だ。が、一台ずつ暗証番号はべつで、しかも同時に解除せねばならず、ひとりではこちらも不可能だ。研究員がすくなくとも七人揃っていなければ解除できないことになる。万が一社内の人間や客を招じいれなければならないときの解除法として、設けられた。
 ときに警備ロボットだが、侵入者を失神状態のまま工場外へ強制退去させ、刑法百三十条の住居侵入等の容疑で現行犯逮捕することとなる。現行犯逮捕は警察権のない一般人も行使でき、法改正された現代では、ロボットでも行使が可能となった。
 というわけで、これらの状況に鑑み、彦原以外は侵入できなかったことになる。したがって単独犯と断定したのだ。問題のセキュリティ解除だが、彦原ならやり遂げるだろうと。
 主任はじつはミステリーファンである。ここ二十年ほどでネタ切れとなったために廃れ、いまでは見向きもされなくなったミステリーを好む、一種のマニアだ。結婚に縁がないのはオタクっぽいからか。
 しかも自称プチ・シャーロキアンだ。当然、コナン・ドイルが創作した名探偵ホームズを敬愛している。だからこの謎が気にならないといえばウソになる。だが、いまは謎解きをしている場合ではなかった。
「コスモスGPSは?」とは、航行中の宇宙において二重・三重のトラブルが発生したとき、船体の現在置を社にしらせる搭載装置である。電源がきれないような設計と、同装置故障時の自己修復機能が組みこまれている。だから、追跡は可能なはずだと。
 このふたつの機能のせいで、「破壊は不可能」との認識を、専務はもっていたのだった。
 あながち間違いではないが、実体はすこしちがっていた。
「だめです。それも試しましたが感知できませんでした。どうやら、彦原さんが壊してしまったようです」例外があり、破壊は不可能ではないと、電源維持機能について正確に説明したのである。「それで電源を遮断できたと…、それしか考えられません」
「わかった、けど心配ない、大丈夫や」そう、じぶんに言いきかせているのである。「自己修復機能が組みこまれてるさかい」
「そっちのほうも壊されたようです。手わけして、所内設置の全コンピュータの記録を調べたのですが、しかも、位置を特定できなくなって一時間以上たつのに、いまだ信号を受信していませんから」
「だとしたら、ドリーム号は、停船状態のままで漂ってるはずや」
 GPSが破壊された場合、停船し、同時に全機能も停止するよう設計されていたからだ。つまり宇宙で難船させ、動けなくなった船はその位置で宇宙線を反射しつづけることとなる。
 直進していない宇宙線を探査することで、時間はかかるが難船位置をしることができる。
 ただし、たんに天体に反射した宇宙線とどう区別するかだが、専務は、反射規模を測定することにより、反射物の正確なサイズを、つまりはドリーム号かどうかを推定できると。よって最悪、船体の確保も可能になるとした。
 ときにGPSを破壊する人間がもしいるとして、当然ながらプロジェクト参画者以外だとの前提であった。
 青天の霹靂級のまさか、彦原が破壊することなど想定していなかったのである。まさに陥穽だった。
「そこなんです。難船プランを設けたあの彦原さんが、プランのことを忘失してしまったとはとても考えられません。このわたしですら、難船しないような細工をしてからGPSを破壊します。でないと、船がおおきな棺桶になってしまいますから」説はもっともであった。
 それに設計者の彦原ならばこそ、GPS破壊の事前の、どんな工作も朝飯前だったにちがいない。
 専務も渋々だが、首肯せざるをえなかった。
 このように、主任は研究所に到着直後から思考をつかさどる“灰色の脳細胞”(名探偵エルキュール・ポアロの名セリフ)をフル稼働させ、打てる手はすべて打っていたのである。部下もてつだってのことだったが。
「もはや我々ではどうすることも…。専務ならではの善後策を…、なにかお持ちではないでしょうか?」個人的には万策尽きており、ゆえに率直な質問であった。
 そのとき、「我々ではどうすることも」という言葉から、まさか、CEOか専務のどちらかがてつだったのでは?との疑念が頭をもたげた。しかしすぐに、それはないだろうと。
 専務が家で寝ていたことは、スマフォのGPSで確認したし、驚きようや慌てふためきが演技とはとてもおもえなかった。CEOにしても、秘書と東京にいたというアリバイが成立している。
 でもってつぎの瞬間、彦原がなした十秒内解除の謎を解きあかす連想が浮かびあがったのである。たしかに我々ではどうすることも、しかし“人間”ではなく、ロボットならば…。コロンブスの卵ではないが、発想を変えれば気づくことであった。
 それを妨げたのは、ロボットが純粋に警備用だったからだ。そうプログラムされているロボットをよりによってセキュリティ解除仕様で、事前に準備していたなんて、ふつうなら思いつかないことであった。事前に準備と推定したのは、今夜はとくに時間短縮をしたかったにちがいないと。犯罪者としては、鷹揚にかまえておれるわけがない。
 ところで、なぜロボットの活用に気づかなかったのか。特化された存在で、両手はふだん、麻酔銃とスタンガンでふさがれており、それをあたりまえの姿として、じぶんたちは見慣れすぎていたせいではないか。しかも、七台同時の暗証番号入力とプログラム変更が必要なのだ。
 そんなことを一人でできるわけがないともきめてかかっていた。
 しかし、あった、彦原なら朝飯前の簡単な方法が。1号が2号を、2号が3号を…、そして7号が1号をというふうにそれぞれが同時に操作させればいいだけであった。
=きっとそうや!=そのうえで船のセキュリティ解除のためのコードを、ロボットに命じて入力させたにちがいない。しかもタイマーセットをしておいて、その間にドリーム号に入船しMCのまえに立ってロボットの作動をまてばよいのである。そしておそらく発進時において、メインゲートの開放操作などもロボットにさせたにちがいない。
 しかし謎解きなどは、いまさらどうでもよいことだった。
 次元のちがうはるかなる大事が、みなの不安げな顔をみるまでもなく感知できるからだ。「それとです、これからのことですが、僕らはどうしたらいいんですか?」いまだ独身の身とはいえ、部下全員の絶望的不安を代表して、今後のことをほんとうは突っ込んで問いたかった。
 家族もちと独身、職責や年齢などの立場のちがいから多少の温度差があるとはいえ、各自がじぶんの将来を考えると正直、不安でいっぱいだった。そんななかでもがんばって、彦原がなした違法発進直後の対処とほう・れん・そう(報告・連絡・相談)を完了したのである。
 とりあえずの義務をはたしたことで、責任を回避できたとはおもった。
 しかし、もちろん問題が解決したわけではない。むしろ、かれらがふかく憂慮するとおりの死活問題がこれから浮上するのだ。X社自体、今後存続できるのか?研究員たちは半々だが社員には家庭もちも数おおい。かれらのことも考えないわけではない。
 すると、毎月の生活費は今後も保障されるのか?さらに、自分たちの将来は?当然だが、心配事はドリーム号のことなどではなく、もはやそっちである。
 と、突然だった。ふだんなら、総じて少欲で冷静な学者肌のかれらである。だが子どもができたばかりの研究員が、プロジェクトの最高責任者である専務に生活権を涙声で直訴したのだ。それも人情だろう。
「ぼ、僕たち、これから一体どうなるんでしょうか?リストラなんかされたら、とても、家族をやしなってゆくなんてできません!」との切実な哀訴であった。
 だが専務にとっても、こんごはむろん不透明だ。不測の事態、でことがすむような生やさしい状況ではないからだった。しかも、いまはまだ最高責任者としての責務遂行をしていない。
 そのためには、部下の泣訴などにあまり拘(かかわ)ってはいられなかった。専務にとっての責務完遂と社の存続最優先は、同義語だった。ただし、自己保身のためのX社存続、でしかない。だから、社員の生活保障にまで思慮がおよぶなど、なかったのである。
=社の存続のため、もはや唯一=とおもった善後策を口にした。「しかたがない。いそいで準備してくれ。予定のワームホールへむかわせよう」との声は、しかし弱々しかった。正直なのだ。成算のほど、望み薄だからである。
 とはいっても=頭を抱えてるだけでははじまらん=と。X社ナンバー4として、こうなればわずかな可能性にかけるしかなかったのである。
 ところが、「あの彦原さんが、そんなとこに行くでしょうか。捕まるのは目にみえているんですよ」「行かないと僕もおもいます」「タイムトラベルへの志願理由、たしか、情報収集のためでした。宇宙に長期滞在したいとかで」「今回のこと。あるいは、なにかふかい想いがあってのことかもしれません」
 研究員たちは口々にはっした。長く、彦原とおなじ釜の飯を喰ってきた仲間だ。たしかに、虚心に傾聴すべきである。そしてそのほとんどが、予定のワームホール行きはありえないと同音であった。
 ふだんの絶対的自信などとうに揺らいでいる専務は、かれらにいわれるとさらに不安が募ったのだった。だが、やはり座しているわけにはいかない。
「誰もがそう思うそのウラをかく」いってはみたものの、=とも考えられる…。う~む= 不安でしかたがない。そんな声を、かろうじてノドの奥におし戻した。
=そういえば一年半くらい前やったか、だれかが言(ゆ)うたようにタイムトラベルを希望してたな=そこから察するに、はたしてどんな行動をとるか?いやいや、そもそもなぜ宇宙船を盗んだのか?という根本問題。それすら不明なのだ。
 盗んだ理由がわかれば、おそらく彦原の現在の所在地がわかるのではないか。彦原の身になって考えるしかないと。しかし、結局これという答えはでてこなかった。それで、
 みなに問うた。が、二十五人全員が首を横にふり、絶望的なため息を洩らしたのである。
 そうなるといっそう、専務の思惟(=考え)はさだまらず、ただ錯綜するばかりとなった。「それにしても、あいつの、一体なにをしってたんや」考えてみれば、すべてをしっているつもりだっただけと。
 みんなもおなじことにはじめて気づいたふうだった。通話口の両方で空気がいっそう重くなり、淀んだ。
 最悪の状況だ、まさに。それでも、なにも手をうたないでいれば、無能の謗りではすまない。「とにかく、やるしかない。早速クルーをおこしたまえ。命令だ!すぐそっちにむかうから」いまは、かれらにはたらいてもらわなければならない。哀訴にたいする即答は避け、「善処する」とだけいって、とりあえず急場をしのいだ、それしか手がなかった。
=うつ手がないと現場に泣きつかれても…=と嘆いて困りはてるだけというわけには、立場上いかない。まして善後策があれば=教えてほしいのはこっちのほうや!=とは、口が裂けてもいえなかった。いや、泣きごとをいっている場合でも、もちろんない。
 哀訴できるのはまだ余裕があるからだ、ということにすら気づかないほどただただせっぱ詰まっていた。
 

核兵器を全廃させる、未来からのテロリスト~破壊が生んだもの~ 第七章(前編)

 さて予定していた行事、マスコミ発表や晴れやかな完成披露式典ならびに祝賀パーティ等を挙行できなくした驚天動地の大事件。CEOの一安心を完膚なきまでに粉砕した大事件…。
 それは、発射予定日ニ日と約六時間前の2095年十一月十八日午前三時五十一分、彦原茂樹が宇宙船を、単身で発進させたことだった。
 ドリーム号(命名が陳腐と笑うなかれ。思いがストレートなだけで、発想力が貧困だからではない。くわえて、子どもでもわかる名前を採用したのである)と名づけられた実験用ステーション型宇宙船に深夜、万全の準備のうえで、秘かに乗りこんだのだった。
 ところでその準備のひとつは、発射十日前にすませた。シミュレーション試運転にも成功し、あとは本番をむかえるだけとなった日の深夜である。工場に単身やってきた彦原は、全ロボットをフルにつかい数時間かけて、船腹に車の出入りが可能なハッチをつくった。そのうえで、外見、そうとはわからないよう工夫しておいた。
 もっとも、部下たちが入船することは、発射前日以外はもうないはずだ。よって、ハッチの存在に気づく心配はなかった。
 残るおもな仕事は、クルーたちが生活するに必要な機材等を運びこみ、設置するだけだ。最長、五日を見こんでいる。
 さて、彦原がつぎになした万全の準備は、数種類のセキュリティ解除だった。
 手はじめに指紋認証をしたかれは、つくっておいた自分の分身ロボットに使役させ、手順どおりほぼおわらせた。
 そのうえで、残ったふたつのうち肝心なのは、ドリーム号のセキュリティ解除である。ラス前の作業ときめていた。
 船のこの、あらかじめの規程にそった解除だが、じつは、これがいちばん大変だった。適確かつ迅速、しかも軽微なミスすら犯せないからだ。解除後、十秒以内で船のメインコンピュータ(MC)の始動準備をおわらせないと、何重にも組みこまれた船の起動妨害機能が作動し、完全なるロックアウト状態となってしまう。
 最高企業秘密ゆえに詳細ははぶくが、ここでのロックアウトとは、船の完全なる機能遮断をさす。いったん発令されると、全システムの復旧にまる五日はかかってしまう。
 侵入者にとっては、厄介な機能遮断となる。船自体を盗みだすことはおろか、装置を取りはずすことも、装置の機能をコピーすることもできない事態に陥るというメカニズムだ。
 これほど厳重なシステムは当然、社運をかけたプロジェクトを守りぬくためである。
 では、破壊工作にたいする備えはどうなっているのか?くわしくは後述するが、研究所の入り口より先へは、爆発物や銃器類等を持ちこむことなどさせない仕組みとなっている。
 ところで船のMCを起動させるにはまず、CEOか専務か彦原、このだれかの虹彩認証が必要となる。いっぽうで、船のセキュリティ解除用ボタンはメイン工場のメインゲート横壁面に設置された操作盤にある。それからドリーム号までは、瞬間移動でもしないかぎり十秒では行けない。つまり、単独ではMCを起動させられないのだ。
 しかしセキュリティ上、十秒とした本当の理由は、侵入者が複数人いようと、防御システムをクリアさせないためである。
 まず不可能だが、たとえ、三人のうち一人の虹彩のコピーを入手できたとしても、始動準備させるには、つぎに、七桁の暗唱番号をうちこまなければならない。知らなければ、正規の手つづきを十秒以内でふむことなどできない相談だ。
 だいいち、部外者が、このメイン工場に一分以上いること自体むずかしい。警備ロボット包囲網がただちに敷かれるシステムのせいだ。
 あるいは、何か特別な手段をもちいてこれらをクリアしたからといっても、すぐには発進できない。準備を完了しMCが起動後、船の全システム稼働までに三分はかかるからだ。
 この三分間を利用したセキュリティシステムに、じつは、彦原以下の専従チームを活用する形で、かれらが組みこまれていた。
 上記三人のうちのだれかが脅迫され侵入者に協力させられたときの防御システムとしてだ。
 それは、MCが起動したとの通告をかれら全員のスマフォに送るという方式である。
 計画にそった船の正常なMC起動ならば、その事前において専従チームは、すでに各自持ち場で仕事にいそしんでおり、当然ながらだれもその間、起動に不審を懐くはずもない。
 逆に、事前の知らせのない唐突な通告がとどいた場合、それ自体が異状ということになる。
 そんなときのための防御システムなのだ。通告受信に最初に気づいた研究員が、すぐに船をフリーズ状態にするであろう。やり方なら簡単だ。
 研究員各自専用のスマフォ(指紋による個人認証をしなかった場合、機能しない)で、船の全システムを稼働できなくする信号を送信できるようにしてある。実行すれば、たちまちロックアウト状態に陥る。こうなると部外者はむろんのこと、立ち往生するしかない。
 とはいっても、どんな場合でもロックできるというわけではない。いったんMCが起動し船の全システムも起働完了すると、遠隔操作ではもはや機能停止できないようにも組まれている。船の正常な発進を、ハッカー等に妨害させないためだ。
 ついでに、さらなる追加で、万が一のべつのセキュリティシステムも組んだのだった。
 社機密情報におおむねつうじた侵入者が出現したとして、それでも、船のセキュリティ解除を失敗させる工夫である。じつに単純で、手順どおりの操作のあとにMC用制御盤の解除ボタンを押せば、解除完了との表示がでるのだ。ただし、あくまでも見せかけの、である。
 実際の正規の解除には、専従者しかしらない極秘のコードがあり、それを入力しなければ、そのじつMCのロックはかかったままなのだ。
 いっぽう、侵入者は、解除完了の偽装ともしらずフェイクに安心する。
 直後、研究所内に強力な催眠ガスが散布される。つぎの刹那、手ちがいに気づくも手おくれで、手近にある工具類をもって手あたりしだいで船を破壊しようにもできず、全員が後ろ手でお縄となるのである。
 かれらには気の毒だが、爆発物持ち込み不可と同様のセキュリティが組まれているから、持ち込めなかった防毒マスクをつかうことも、当然できない。
 これは、CEOと専務と彦原たち研究員しかしらないセキュリティなのである。
 ところで既述したように、ラストふたつ、これら別々のセキュリティ解除法を知悉した人間が複数いて、十秒以内にどちらもクリアしてはじめて、ようやく三分後に船が発進可能となる。
 しかしMC起動直後に、その通告が全研究員のスマフォに送られるという防御システムもクリアしなければならない。MC稼働停止の信号をひとつも漏れなく防ぐことが、はたして可能だろうか。
 このような、デジタルとアナログ両面のセキュリティシステムを張りめぐらせたのだ。
 完璧とも思えたセキュリティシステム。にもかかわらず彦原が出しぬけたのは、研究所内のすべてのノウハウをしり尽した副所長だからこそだった。
 ただし、手口は後述となる。
 まさかの、独断でのドリーム号の発射は、いうまでもなく立場を悪用した、震天動地の暴挙であった。
 さらには、恩人である専務への、そして長きにわたり労苦をともにした部下たちへのまごうことなき背信行為だったのである。
 信義や信頼をうらぎった彦原は、飛びたった船内にあって、掌(たなごころ)をあわせ全霊で陳謝していた。十一年のあいだに、紆余曲折や試行錯誤をともにした部下たちと専務にたいし、衷心よりのだ。だから毛筆にて認(したた)めひとりひとりへ宛てた手紙は、かれの涙色に染まっていた。
 辛労のすえにだした結論、それがたとえどんなに大きな目的を達成するためとはいえ……、許されざる背信行動と、ふかく頭(こうべ)を垂れるしかなかった。
 刹那、想いでが蘇った。
 専務がまだ所長だったとき、入社翌日の彦原に声をかけたのだ。「君は発明で、僕はそんな君を実務でバックアップするから。なっ、ふたりで人類の未来にむけた貢献をしようやないか!彦原君、たのんだで」誠意に満ちた笑顔でだった。
「はい」とちいさく固まった儀礼的あいさつのあと、「社にとっても日本にとっても必要な資源の確保に、まずは貢献していきます。そのうえで僕は、ご承知のとおり、悲願であるタイムトラベルをなし遂げてみせます。どうか宜しくおねがいします」二十歳の青年は未来を見さだめた瞳で、姿は神々しくさえあった。そして、自信に満ちあふれていたのである。
 ふたり、ともに誠実であった。所長から専務に昇進する過程で毎年、必要な予算をつけ、最大限の便宜をはかってくれた。入社九年目で副所長に昇格した彦原も、理論構築に骨身を惜しまなかった、ただの一日も。だから互いのはたらきに満足し認めあう仲となった。
 母親ほどの夫人も可愛がり、健康にも気づかっていた。また、邸での月一の手料理は美味だった。親子のように固い信頼で結ばれていったのである。
  部下との想いでは、もっと濃密だった。
「彦原さん!」当時はまだ特別主任研究員だったが、肩書ではよばないようたのんでいた。「工場で爆発事故が発生しました!」報告しにきた若手の顔は蒼ざめ引きつっていた。
 入社八年目で、任意のワームホールが出現する時間とその宇宙域(正確には宇宙座標)を予測する理論構築に成功し、予測装置を製作しているときに事故はおきたのだ。
「それで怪我人は?」死者がでたという不吉な想定はしないようにし、もうひとつの心配事を最初に問うた。装置や工場が壊れたくらいなら、いくらでも取りかえしはつくからだった。
「三人が負傷」
「状態は?」“三人とも意識はしっかりしています”との即答にまずは胸を撫でおろした。三人とも、可愛い部下たちだったからだ。自費で救急車を呼び(2069年の法改正で有料になっていた。料金は年収の二百分の一と条例できまっていた)、大事な仕事を中断までして精密検査につきあった。脳波にもMRI検査でも異常はみられなかったことではじめて安堵したのだった。
 遅れたぶんの仕事は、休日を返上してこなしたのである。
 この、自分のことのように心配しつき添った姿が感銘をよび、チームの結束はいっそう堅固となった。そして、社内での彦原への信頼や評価はさらにあがったのである。
 またべつの思いで。こちらは最近であり、軽かった。思いだしたのは、かれも恋に憧れる男だったからだ、三十一歳になったばかりの今年五月のことだった。
「彦原さんは、いつもこうしてチョコレートやキャンディー、休憩時には和菓子などをふるまってくれてます。おかげで一息つけるってありがたがってますよ、みんな」彦原の瞳をみるのが恥ずかしいのか、テーブルにおかれた栗ようかんからじぶんの湯飲みに目を移しながらいったのは、三年目のわかい女性研究員だった、清楚で可愛らしい顔だちが印象的な。
 そこへ無粋にも、「それよりもっとありがたいのは、良好な睡眠がとれる寝具類を全研究員におくっていただいていることです。女房によると、けっこう高価なものだそうで。余分な出費をさせてもうしわけありません」と。“けっこう”も“余分”も、余分な修飾語だった。IQ百五十超の秀英なのに言葉づかいにいささか問題があるのは、学者バカのせいである。
「なにも感謝にはおよばないですよ。糖分だけが脳のエネルギーとなることは常識ですし、研究開発という仕事には、良好な睡眠も不可欠ですから。いわば、チームのためです」
 おかげで、銀行口座は軽くなった。たしかに相当な出費だったが、こともなげにいったのである。
…ああ…ほかにも蘇った種々様々の想いではすべて、感慨ぶかいものだった。
 研究が挫折し、絶望的な壁にぶち当たったことも十指をおるくらいではたりない。それを乗りこえられたのはみなの団結力があったればこそだった。ひとの失敗を責めるのではなく、失敗をみんなの糧としてきたのである。そんな仲間だったから、「ベストなチームワーク」との吐露は本音だった。知識や知恵・経験など不足したぶんをお互いが補い励ましあいながらがんばってきたおかげで、歴史的大事業達成前夜にまでこぎつけることができたのだ。
 万感が心を圧し、たどった想いでからこみあげてくるのは、ただただ感謝の念だった。
 ところでじつはもうひとつ、この件でもちいさな謝罪をしなければならなかった。
 前日の昼、みなにふるまったケーキのなかに、十二時間後から効きはじめる睡眠薬を混入していたことをだ。かれらから、重要な仕事のひとつ(スマフォによるセキュリティ発動)を奪ったからである。
 それでもと、涙をグイとぬぐった。かれがもつ美徳である誠実や思いやりよりも、みずから決した使命感が勝(まさ)ったからだ。
 むかう先は、社が予定しているワームホール、ではない。そこにむかえば、2号機であるホープ号があとを追ってくるだろう。
だいいち、実験でむかう予定のワームホールでは目的を達成できないのである。

核兵器を全廃させる、未来からのテロリスト~破壊が生んだもの~ 第六章(後編)

 それらを踏まえたうえでこんどは、紀元後の人類に目を転じよう。
 その一 ユーラシア大陸東方の遊牧民だったフン族が、西端のヨーロッパにまで大陸大横断し、その間、他民族を排斥あるいは隷属して大帝国を築いたのだ。
 言語学的論証によると、ハンガリー人やフィンランド人はかれらの子孫であり、長期間に白人化したといわれている。ときに、奴隷たちをふくめた数万をはるかにこえる人数といい、一万キロ近い移動距離といい、この民族大移動は有史では空前だ。行きつく先が人口を養える沃野とはかぎらないのに、である。つまり、ムチャで無謀で長大な旅だったのだ。
 そしてこれを端にするゲルマン民族など、諸民族の大移動(紀元四世紀から七・八世紀ごろのヨーロッパにおいて。西洋史ではこれを民族移動時代と呼称)を引きおこす。
 その二 千年以上続いた、陸路・海路における広義のシルクロード。
 陸路は、南北の交易路もあったが、主流は、ユーラシア大陸を大横断した東西路だ。
 いつ砂嵐が襲うかしれない荒涼たる灼熱の広大な砂漠帯を越えねばならず、また、氷と雪に覆われた急峻(=傾斜が急で険しいこと)な大山脈も踏破しなければならなかった。過酷、ではとてもいい表せない道なき道もあったであろう。しかもつねに、盗賊群が虎視眈々とねらっていたのである。
 海路も困難の極みでしかなかった。十二世紀頃までは、大船をつくる技術はまだまだ未熟だったからだ。動力もなく、せいぜい数十から百数十人ていどの船では、人力以上に、風と潮流まかせとなる。平穏な海が、大風・大波・サイクロンなど大自然の脅威へとその様相を急変させると、人力の抗(あらが)いなどただただ虚しく、赤子のように翻弄されるがままであった。
 インド洋および南シナ海横断等、一万kmをこえる長距離であったぶん、難破や沈没は茶飯事だったにちがいない。
 ただし、“困難を極めた航海”という意味での例外はある。大船建造技術を習得しつつあった十五世紀初頭、中国明朝永楽帝がとおくアラビア半島およびアフリカ東海岸にまで、提督の鄭和(ていわ)以下二万七千八百人、六十二隻の大船団を派遣したことだ。
 当時の世界最大をほこった宝船(ほうせん)は全長百三十七メートルの巨艦だったと記録(『明史』など)にある。しかも七度の大航海だったという。しかし中国人はなにごとにおいても大袈裟に表現する習性があるから、それぞれの数字を鵜のみにはできないのだが。
 それでも、特質すべきは平和外交のための派遣であったことだ。略奪や占領および植民地化が目的ではなかった点、後世のコロンブス(コロンビア国の語源)たちとは大きくちがっていた。
 その三 十五の末から十六世紀、西欧から発した数千キロ超の渡海。当時もまだ天候に左右され、まともな海図もなかった大航海時代。鄭和による、財宝などを手土産としていた悠々の渡航とちがい、飢餓や渇水、疫病に苦しみながらの大航海であった。
 クリストファー・コロンブスによるインドを目指した大航海がその象徴だ。ほかにも、有名なエンリケ航海王子(かれはパトロンであり航海の指揮者であった)が派遣した探検隊を草分けに、ヴァスコ・ダ・ガマ隊やマゼラン隊など、だれもがまさに命がけであった。
 キリスト教のまちがった世界像が信じられていた時代であり、逆に、地球が球体だと証明されていない時代に、未踏の地への大航海というものがいかに無謀な冒険だったか。
 大洋を突き進み海の果てまで辿りつくと、あとは滝のようになった海に呑みこまれ、船は真っ逆さまに墜ち、二度と戻れないと信じられていた時代なのだ。
 尖端の探検家たちはさすがにこれには半信半疑だったろうが、それでも有名な話、マゼランと腹心たちは世界一周の途上で戦没している。人類史上初の世界一周が、苛酷な旅だったというなによりの証左だ。
 ところでマルコ・ポーロの東方見聞録をたよりに、ジパングをその象徴とするアジアの黄金をもとめたコロンブスが、三度にわたり到着したのは中央アメリカ近海にあった島々であって、かれはそこをインド遠海と信じていた。
 まあ、ムリもない。アメリカ大陸の存在など、ヨーロッパ人はだれ一人しらなかった十五世期末なのだから。で、コロンブスの思いこみはトンチンカンなものとなった。
 コロンブスがスペインにもたらしは報告がまちがいだったことが、アメリゴ・ヴェスプッチ(アメリカの語源)のアメリカ大陸発見により証明され、かれは詐欺師の名にまみれながら、失意のうちに没したとのことだ。
 その死の十数年前、西インド諸島にあったかれと千五百人の部下は、人間狩りもどきのはてに数千人単位の大殺戮をなんどもくり返した。すべては、パトロンであるスペイン女王イザベル一世に提示した目標量の黄金略奪をはたすためであった。
 それで、見せしめの手足切断・拷問・惨殺や放火に明けくれたのだ。また劣情から強姦もし、カリブ海の島々の民衆を奴隷とした。わずか数年間にもかかわらず、結果、かれらの手による直接の死者だけでも数十万人と推計されている。どうひいき目にみても、悪逆のかぎりを尽くしたという以外にない。
 以上の歴史をふまえたうえで、数百万年前を頭にすこしおきつつ、数十万年前へ遡(さかのぼ)るとしよう。
 アフリカ大陸での人類(古人類学が定義する初期の化石人類)創生後…、人類のとおい祖先の祖先である、直立歩行し道具をつかえた猿人から、やがて進化の過程であらわれた北京原人やジャワ原人などの各原人が、地球上の各地へ命を賭し艱難辛苦のすえ、散らばっていったのだ。
 さらに進化し人口増加したネアンデルタール人やハイデルベルク人などの、新人(ヒト)と対比しての旧人(この区分には異説があり)がユーラシア大陸各地へと移動しなければ、現生人類が繁栄できたかどうか?
 それはともかく、東アフリカから散らばっていったおかげで、潤沢とはいえなくなった食料を確保できるようになり、旧人もながく生存しえたのだ。
 そして結果的に、現生人類の存続にも貢献したのである。
 おかげで、のちにおとずれる氷期において現生人類は飢餓により絶滅することなく、後世へと生存しえた。やがて文明を築く古代へとつうじていけたのだ。化石人類にたいし、感謝にたえないではないか。
 さて、目を時空ともに身近な日本国へ転じよう。
 国家の一大事業だった遣隋使や遣唐使たちも、日本海をわたるのに命をかけた。史実、多大な犠牲者をだしている。それでも遣唐使にいたっては、二十回近く(諸説あり)つづけられた。大洋に比するまでもなく狭い海域にもかかわらず、目的地には到達できず北にながされ、あるいは南に漂着した。さらには難破・沈没などに見舞われた厳しい渡航であった。
 逆に唐から、失明しつつも命からがら鑑真とその一行が来日している。井上靖作”天平の甍”にくわしい。
こんどは宇宙に視点をむけよう。
 ガガーリン少佐(飛行中に二階級特進し最終階級は大佐)による初の有人宇宙飛行。
 つづく、有名なアポロ11号の快挙。ケネディ大統領が提唱した人類初の月面到達だ。1969年七月二十日であった。アームストロング船長がその歴史的第一歩を月面にしるしたのである。これら宇宙開発の史実を、…ムチャな・非経済的な・危険な旅といわずして…云々。
 しかし挑み、やり遂げたのである。前人未到の危険にむかったそれぞれの有人宇宙飛行…、命がけで、莫大な経費をかけ、そして国の威信をかけて。
 執拗だった記述はこれでおわる。が、以上のように人類史を読みとくことにより、ヒトと命しらずの無謀な旅は、切っても切り離せないということがよくわかる。

 また、命しらずの冒険心にたいし、脳科学の論点から切りこむとこうなるのだ。
 脳内化学物質・神経伝達物質としてしられるドーパミンは快楽物質として作用する。子どもが好奇心旺盛に行動するのは、ドーパミンのはたらきと関連しているからとも。グルタミン酸は興奮作用をもち、オクトパミン(名称はタコに由来)は積極・能動性のもとだとのこと。カフェインはその両方の作用にはたらきかける物質だ。エルケファリンは達成感や陶酔感を呼びおこすのである。(科学分野として広い未解明領域をもつゆえに、断定表記はむずかしい)
 これらの物質は一例だが、文化人類学も参考に展開を試みる。すると、ヒトはときに応じ、ほかの動物とくらべ脳内化学物質・神経伝達物質をよりおおく放散することで行動範囲をひろげ、多角的な能力すらもつようになったと考察できる。
 つまり、脳内化学物質・神経伝達物質が冒険心を大いにくすぐった結果だったと。
 結論、冒険心やフロンティア精神は、ヒトの特性なのだ、
 と思っていたら、
 覚醒させられる論文が2012年、今から八十年以上前に発表されていた。
 昆虫でしかないハチにすらも、フロンティア精神が存在するというのだ。イリノイ大の研究論文として、世界的に権威ある科学誌「サイエンス」が掲載した。
 それによると、餌場を巣の近辺ていどにしか求めない臆病な個体がいるいっぽうで、危険をおそれずとおくまで蜜を捜しにいく個体もいるという。後者の冒険好きなハチの脳を調べると、グルタミン酸を検出したとのこと。また、オクトパミンやグルタミン酸のレベルをあげたハチは、臆病転じて冒険ずきになったとも。逆に、ドーパミンを遮断すると非行動的、いわゆる引きこもりになったとの実験結果も。
 つまりハチといえども、脳内化学物質が冒険心を大いにくすぐったのだ、と理論づけていた。おかげで、ヒトの特性ではなくなってしまった。
 しかし慌てるなかれ・嘆くなかれ、だ。論文は、つぎのような示唆もしていたのである。
 人類は進化の過程で脳内化学物質を大いに活用し冒険心を向上させ、それで、好奇心や新奇探索への意欲が強くなった結果、新たな食料源をもとめる行動力を得たのではないかと。また新経験により手にした優位性を糧に、さらなる冒険心を湧きたたせたとも考えられる。
 人類は長い時間をかけて新経験から学び、知能を高めてきた。経験が知の源としったのだ。それを仲間や次世代に残す術としての言語をあみ出し、経験から得た知を積み重ねることで、すこしでも危険性のすくない冒険を可能にした。換言すれば、すこしでも安全に新世界をめざせるよう工夫したからこそ、さらなる冒険が可能となったのだ。つまり、
 ヒトは単に、無謀でムチャな冒険に徒手空拳で挑んだのではなかったとも類推できる。

 以上の事由ゆえに、この計画が正当とは評価できない御仁も、人類初の試みの、大きな第一歩くらいの位置づけならしてもらえるだろう。
 したがって「そんな愚かな・無茶な云々の、危険な旅をなぜするのか?する必要があるのか?」が、愚問であったと気づいてもらえたであろう。
 数百万年前からのはるかに遠い祖先の命しらずの挑戦があって、人類は地上において繁栄し、我々はその恩恵を蒙(こうむ)っている。そのことを感謝するとともにけっして忘れてはならない。
 そして我々はかれらの、勇猛果敢というDNAをうけ継いだのである。

核兵器を全廃させる、未来からのテロリスト~破壊が生んだもの~ 第六章(前編)

 ここで、余談を一章まるごと。
 現段階におけるタイムトラベルにかんする、大閑話だ。
 CEOのみならずとも、実験が完璧な成功をたとえ収めたとしても、それでもいまだに不完全であることは、読者もうすうす感じていただけていると思う。
 それでも蛇足で記述したい。ただし法制定等のこととは、まったく観点がちがう。
 今回のタイムトラベルが不完全なのは、残った二機目がいつ帰還できるかわからないという欠点のせいだ。
 2095年の地球への帰還用ワームホールが出現するまで、指をくわえるか、首を長くするか、果報は寝て待つかは飛行士の恣意まかせ、あるいは好みだ。
 が、とにかく宇宙で待機、ということに変わりはない。
 彦原の、ワームホール自在作成装置が完成しなければ、帰還は五日後・五年後・極端な話、五十年後かもしれないわけだから“運まかせ”もはなはだしい。たしかに不完全きわまりない。
 そんな不確実にもかかわらず、いわゆる人体実験が許されるのか?…との疑念がわく。
 当然だ。人命は地球よりも重い、尊い存在なのだから。
 しかしながら、とX社CEOになりかわり反論させていただく。まずはこれが現時点での、時・空をこえて旅をする唯一の手段であること。
「なるほど。だとしても、そんなにも不完全ならばやめておけばいい」、との至当の常識論。いわく、「そんな愚かな・ムチャな・非計画的な・非経済的な・危険な旅をなぜさせるのか?する必要があるのか?ありえへん・狂気の沙汰・するのは命知らずの冒険家だけ・真っ平ゴメン・金もろてもイヤ」エトセトラ・エトセトラ。
 ならばと、“人類の歴史”にもとづいての反論を、ちがう角度から展開させていただこう。
 ただしこれから人類と記すそのほとんどにおいては、推定二十万~十五万年前に誕生したとされる現人類、すなわちホモ・サピエンス(ヒト)のことをさしている。
 また、進化論的見地においては、多地域進化説(略説すると、たとえば約五十万年前のヒト科の一種でホモ・エレクトスとして分類される化石人類の代表、北京原人やジャワ原人および旧人ネアンデルタール人が、化石の出土したそれぞれの地域で現生人類へと進化したとする旧来からの説のこと。中国では、北京原人をじぶんたちの祖先とする説を有力視している)ではなく、アフリカ単一起源説を採用する。
 つまり、東アフリカにて現出した唯一の現生人類が世界に分散していったとする説である。
 採用理由は以下のとおり。
 ヒトのDNA(核DNAのほうではなく、赤血球等から抽出可能なDNA、母系遺伝であるために、全ての現生人類に共通するミトコンドリアDNA)を遡及(さかのぼること)追跡してゆくと、東アフリカ出現の上記のホモ・サピエンスに、たどりつくからだ。
 また、男系であるY染色体から遡及していったハプログループの追跡結果(詳細は省く)においても、アフリカ単一起源説を有力とした。
 さらにいえば、世界各地で発掘された現生人類以外の化石人類とは、DNAが異なるのである。
 ということは、単一起源説以外、どうやら説明がつかないことになる。ほかにも単一起源説を有力視する論証が多々(詳細割愛という怠慢の許しをこう)あり、よって、世界の人類学者の大半が支持しているのである。
 ただしこの第六章における記述そのものが、あくまでも学説であって、真実と断定できるわけではない。真実は、このタイムトラベルがやがてもたらすこととなろう。

 さらなる仮説をついでながら。
 トバ・カタストロフ理論である。出アフリカの原因、つまり、楽園だったはずの地をみかぎったその理由をここに求めようと思う。
 推定七万四千年前、インドネシアのスマトラ島北部トバ火山が巨大噴火を起こし、結果、地球の大半が氷期になったと考えられる。
 二十世紀後半のことだが、遠く離れたパキスタンにおいて、火山灰が約二メートル堆積している地層が発見された。地質や地層の年代分析等からトバ山由来の火山灰と推定され、それゆえトバ火山大噴火を推測できるのである。
 氷期は、地上10Km以上に吹きあげられた火山灰や塵・噴煙などが、貿易風など大気の大循環により浮遊拡散しつつ地球の大半を覆い、によって赤外線をふくむ太陽光を遮断したからで、5~10℃地表温度をさげたとされている。
 まずは、光合成にたよる植物全般が気温低下の悪影響もあって、より生育しにくくなった。つぎには、草食動物の棲息が困難になった。つられて肉食動物も。悪い連鎖は当然、ヒトにも容赦なく襲いかかったのである。
 その多くが餓死していった人類は、よって、一万人程度にまで激減したと推測される。今日でいうところの、“絶滅危惧Ⅱ類”となったわけだ。
 誕生の地、東アフリカにとどまっていたのでは確保が困難となった食料を、四分五裂に散らばりつつ別天地に求めるしかなかった。こうして、人類の地球規模のグレート・ジャーニー(これも有力な学説)がはじまったのだ。
 ちなみに食料に困窮した多くの動物も、小型化しつつ(推測)移動拡散していったとされている。
 さて、このときの我々の祖先は、生き抜くための必要性に迫られたわけだが、古今東西、“旅”とは危険に挑みつつ、いや、いちばん大事な命をも顧みず道をきり拓(ひら)いてきた冒険そのもの、でもある。
 近世になり、治安のよかった江戸期ですら、旅人は近親者などと水杯(今生最期を覚悟するわかれの儀式)をかわしたのだった。
 はなしを氷期に戻そう。夕刻のように暗くそして肌寒い朝ぼらけ、そんな一日のはじまりを迎えるたび、飢餓一歩手前の身をみなで鼓舞しあい、移動しながらわずかな食料を確保しつつ、その多くがアフリカ大陸を北上していったのである。
 北東部(現エジプト)からシナイ半島を経てアラビア半島をわたり、岐路を東あるいは西へとった人々。むろんその途上を、定住の地と定めたヒトたちもいたであろう。
 子どもを守りつつその手前、紅海の南東部バブ・エル・マンデブ海峡をわたり現イエメン・オマーン(アラビア半島の南方海岸ぞい)をとおり、ホルムズ海峡の最狭部を経てイランに上陸した人々。
 そこを起点に北ルートとよばれる経路で移動していったヒト。かりに、グループAとしよう。長い年月をかけ東アジアへと辿りついたこのヒトたちの子孫は、やがてモンゴロイド(大別、黄色人種)と称される。
 いっぽう、ヨーロッパ大陸へむかった人類をグループBとよぼう。コーカソイド(いわゆる白人系)と分類されることに。
 南ルートをたどったヒトもいた。現インドの南岸からインドシナ南岸、マレー半島、現インドネシアなどを経由しオセアニアに安住したオーストラロイドで、グループCである。ただし、不明な点がおおい。たとえば、大洋をわたった舟の材料も、帆が動力だったかもわからないというか、朽ちてしまったせいだ、もはや調べようがないのだ。
 で、“journer”ではなく小さく“trip”ていどでアフリカ大陸にとどまった人類をグループDとする。彼らはネグロイド(黒人系)でとよばれるようになるわけだが、たとえばアフリカ大陸を西方へ移動、あるいは南下、なかにはマダガスカル島にわたり定住したヒトたちをもふくむ一団だ。
 ついでの余談だが、ここで、AとBの人々が寒冷化に耐えられた一因について。
 獣にくらべ、すくない体毛のゆえに奪われやすい体温を保持するため、狩猟で得た獣の毛皮を縫合して衣服をつくる技術をすでに習得していたとの説が有力だ。動物の骨などを加工し縫い針をつくっていたことが、化石などから証明されている。
 さてグループAのうち、その一部が新天地をもとめ極寒のシベリアへと移り住んでいった。かれらを新モンゴロイドとよび区別している。
 また最古にみつもって三万年前のことだが、氷結したベーリング海峡(最狭部で約86Km)をわたり、人類未踏(いわゆる化石人類…旧人や原人などは生息してなかった。化石がもし発掘されたら、ノーベル賞級の発見である)の北米大陸の、具体的にはアラスカや北部カナダに定住した部族を、人類学的にイヌイットと。ロッキー山脈に沿いつつ東西および南部へ安住の地をもとめたヒトたちをアメリカンインディアンと。これは単なる呼称のちがいである。やがてメキシコ等をもやり過ごし、南米大陸はアンデス山脈の両裾を西へ東へ、あるいは南下した種族はインディオと。一万年ほど前には、マゼラン海峡を望む南米大陸の南端にまで到達したのである。
 東アフリカ発、なんと六万年をかけ、果てしないほど無数の世代交代のすえに、地球の最大円周四万Kmを凌駕し、なし遂げた命がけの旅だ。
 その間、大自然はまったく容赦しなかった。それでも新天地をめざしたのである。吹雪くなか断崖に落ちたヒトは数知れず。また激流にのまれたものも…。うしなった仲間に涙しつつ絶壁をこえもした、そんな無謀で過酷な、まさに大いなる旅だったのだ。
 いっぽうグループCの一部が、数千年をかけ、並太平でない太平洋の荒波をものともせず舟でわたったメラネシア・ミクロネシア・ポリネシアの人々の祖先。難破・沈没をくり返したすえに、イースター島(現チリ領)にまでわたりついだのだ。
 いまも海底には、子孫の繁栄を願う、先駆者たちの英霊が眠っているにちがいない。
 またオーストラリアにはアボリジニが。かれらはなんと、数万年前の原始的狩猟法とその道具を今世紀にまで伝承しているのだ。
陸に、海に、命しらずの旅。総称して…グレート・ジャーニー。どれほどの困難や危険にみち溢れていたことか、そして無数の犠牲者をだしたことか、想像をこえてあまりある。
 それでもやり遂げたホモ・サピエンスにたいし、ちがう呼称をつける学者もいる。
 ひとつはホモ・モピリタス(移動するヒト)であり、別の名はホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)だ。
 たしかに移動するヒトであり、ちがう見方をすれば遊ぶヒトでもある。

核兵器を全廃させる、未来からのテロリスト~破壊が生んだもの~ 第五章(後編)

 さても…、彦原が企むはじめてのタイムトラベルにおいてもっとも有用となるのが、過去の地球で威力を発揮する、特殊な船外服だ。2095年最新の、彦原お手製ハイテクスーツ、である。かの007ジェームズ・ボンドならずとも、垂涎の逸品とうつるだろう。さすがの“Q”もつくれなかった代物である。
 しかし船外服の件は現時点では些細であり、また彦原が個人的に必要とする道具ゆえに、後記(ごき)とする。
 さて、船外服とは比較にならない、人類史上未曾有の実験が成功した時点での大問題の惹起を、世界企業X社CEOはすでに織りこみずみであった。
 そのための布石も、六年前、専務のときから怠りなくうっていたのである。
 ひとつは、タイムトラベルにかんする法、仮名“タイムトラベルおよび同ツアー法”の制定と施行だ。
 法案の根幹だが、“歴史を絶対に変えるなっ!”こそ、まさにその大原則であった。
 歴史を絶対に変えるなっ!が、ではなぜ大原則なのか?
 老婆心ながら、あえて端的な例で大問題点をしめそう。
 日本史上驚天動地の大事件がもしおきてなかったら?…つまり信長が、惟任日向守光秀に討たれていなければ、日本の歴史は今とは随分ちがったはず、である。
 まずは、秀吉の天下統一もそのあとの文禄・慶長の役(朝鮮出兵…たしかに、明国侵略をぶち上げた信長の受け売りではあるが)もなかったであろう。さらには、徳川幕府もできなかったはずだし、となると首都が東京ではなく、それどころか、その地名さえ江戸のままだったかも…すくなくともだ、歴史的見地から、東京への改名はあり得ないのである。
 穿(うが)つようだが、滋賀県の安土(信長が天下を安堵したあとの、軍事・政治・経済の中心地にと構想した要衝の地。そこに巨大な安土城とその城下町を構築しつつあった)がその地名を冠していたというのはどうか、等々。
 そうなると、日本史の教科書の記載内容をのぞいてみたい、なんて気持ちになる。
 そんなこんなで、この、人類がはじめて経験する大きすぎる課題にたいし、当事者である巨大企業X社の首脳として、現CEOはその辣腕をすでに揮(ふる)っていた。財閥出身のかれは専務という立場のときからすでに財界の重鎮であり、行政府にたいしても大きな影響力を有していたのである。
 でもって、空前ゆえに、人類が経験したことのない課題への具体策として…。
 上記したように、まずはタイムトラベルおよび同ツアー法成立のための下準備からはじめた。
 すでに一院制になって二十年以上(2089年当時)たっていることが、X社にとって幸いした。
 2050年ごろには、アフリカにおける経済力の弱い途上国にてもすっかり定着してしまったグローバリズム。
 それにより、日々刻々情勢が変化する世界経済。端的な例として2016年、英国国民がEU離脱を選んだ十数時間後、世界は大幅な全面同時株安に陥った。
 つまり一寸先は闇なのだ。日本がもし現状に安住して変革に逡巡し、世界水準の法治国家であるための努力をおこたったならば、はげしく競いあっている多面性のなか、置いてけぼりにされるばかりでなく、各国が争うようにしてすすめているスピーディ化にもついてゆけず、ついにはマイナス成長が常態の三流国へ陥落してしまうはめに、
 そんな危機感を、じつは官民問わずいだいていたのである。
 それで憲法を改正し、総選挙のない半数改選の衆議院による一院制に因(よ)り、国会審議時間の短縮化をはかったのだった。
 政官(政治家と官僚)および財界が、そのための法整備を2051年の通常国会から本格化させた。
 憲法四十二条はもとより関連する五十九条等々の改正をめざしたが、「国会軽視であり与党の我田引水だ」と声高にさけぶ野党の反対で、結局、成立に十五年かかった。
 それ以前のことになるが、通常国会(常会)や臨時会というような会期自体を廃止し、すでに年中会期としていたのである。こちらは世論があと押しをし、五十二条、五十三条および五十四条等はなんなく改正された。
 で2089年当時のこと、代表権を有する専務は先をよんで、タイムトラベルおよび同ツアー法にかかわる国内法の整備についても、法務省の官僚に急がせたのだった。
 当然、すべては水面下で、である。
 まずは法務省内に特別チームを組ませた。三年をかけ、極秘裏に法案をつくらせたのだ。同時に整備的意味あいのの関連法案を、与党幹部にはたらきかけ可決成立の準備をさせておいたのである。
 最終目標は、歴史的大実験の開始前日までに、法の制定と同日の施行をやり遂げることであった。
 ちなみにCEOは、周知期間の設定は不要と考えていた。たしかにそうだと、法案の内容をみればわかる。国民一般には当面無関係な特別法なのだ。
 また、反対理由の考えにくい法案だけに、趣旨説明から審議まで数日。それでもって採決、そういう段取りは可能とふんだ。
 そんなことよりなにより長期間の審議を設定しないのはつまり、事前の情報漏洩を絶対にさせないためである。
 PJTの正確な内容が、うわさの域をこえその一部でも露見すれば、日本国としてうける損失は計りしれないからだ。
 異例というより前代未聞の国会運営を承知のうえで、可決成立させねばと決めていた。
 本来ならば法案の各条項はまず、各小委員会か部会での集中審議ののち可決成立させ、本会議においても審議・採択・可決の段取りを踏むのだが、そんな手間を省かせたのだ。
 天下りの受け皿である巨大企業の首脳から耳打ちされた法務官僚だ、動かないはずがなかった。くわえて、主要三大政党の一部幹部にも当然はたらきかけたのだった。
 官僚たちは議員にも政党にも常々恩を売っているので、反発する議員も党も存在しないとふんでいた。
 むろん、法制化を急がせたのは、国益のためであった。
 くどいようだが、X社から、あるいは法務省の官僚や国会議員からであれ、今もしこれら秘密裏につくった法案の内容やそれにむけての工作が一部でも漏れれば、そこからおおきく波及し、やがて国家的甚大損害を招きかねない。水面下と火急こそが必須だったのだ。    
 ところで、彦原のタイムトラベル原理を知ったのは、専務就任直後だった。
 かれはすぐさま原案づくりに着手した。そのとき、案の主旨も列記したのである。歴史をかえる極悪性と劫罰(=地獄に落ちたような苦痛を目的とした罰)の必要性を理解させるためにだ。それをもとにした法案の骨子は以下のとおりだった。
 ことに1)から3)はその性質上、超法規的手段をとらざるを得ないほどの最重要事案なのである。同時に、実験成功の前日に法令化する必要性があるのは、これら三条だった。
1)①タイムトラベルの技術やそれに類する極秘情報の一部においても漏洩したものは、その三親等までのものの、それぞれが所有する全財産を没収。(犯罪にはまったく無関係の親類縁者にとって、違法であり不当だとの至当の反対意見が、特に日弁連中心にでるであろう。だが、犯罪行為で得た巨利をかれら親戚の管理下で隠した事例も過去に数多(あまた)あったため、無茶を承知で、それでも見せしめも兼ね連帯責任制をとるのである。こんなにも不当かつ厳しい罰則のいっぽうで、いやだからこそ、巻きこまれることを恐れる親族の内部告発や情報提供を、官憲【=おおむね、検察や警察をさす】として期待できる案にしている。不当な目にあわないためのにげ道を用意しておけば、国家権力の横暴との批判を緩和できると、専務は考えた)
②内部告発者あるいは情報提供者とその二親等の親族は、当該犯罪にかんし免罪されるものとす(官憲に協力したものは、一項の連帯責任から免責される…まさににげ道である)。ただし、当該犯罪行為で得た金品は免責対象とはしない。(情報提供等は、政治警察あるいは秘密警察へ身内を売る卑劣な行為との見方もでき、さらには歴史にみる独裁国家の、弾圧や粛清を連想させるものだ。が、タイムトラベルにかんする当該極秘情報を知りえるものが三親等にいないかぎり、国民一般にはまったく無関係という法律である。ゆえに過去にあったような、法を為政者が悪用しての弾圧や粛清は起こりえない。当該極秘情報漏洩罪の適用範囲が、X社社員とX社関係者などごく一部に限定されるからだ。逆に、あきらかな虚偽の内部告発にも厳しい処罰でのぞむとした。法を悪用させないためであり、冤罪をうまない処置でもある)
③機密漏洩にたいする刑罰だが、抑止効果を期待しつつ見せしめの意味もこめて、当該犯罪者は餓死刑とする。審判が確定した日に麻酔をしないままで抜歯(激痛を甘受させるとともに、舌を噛み切っての窒息死を不可能にするためだ)する。そのあと拘束衣をきせ自由を完全に奪う(ばかりでなく便の垂れ流しによる恥辱と悪臭で人間の尊厳すら蹂躙し、精神面を破壊する。ナチスドイツが人格破壊目的で人体実験をした強制収容所での精神的拷問の亜流として)。また、しだいに体力が弱っていくなか、生命を維持できるていどの量のビタミン類にくわえ、ミネラルや糖分・必須アミノ酸入りの飲料水だけは与える。(意識明瞭のまま飢餓で苦しませ、確実にすすむ餓死への恐怖を致死までの約一・二カ月間強要するためである。非人道的残酷さでもって、罪の重さを本人にも社会にも知らしめることを目的とする過酷刑だ。「残忍をこえ、もはや暴虐だ」との批判、たしかに沸騰するであろう。だが、歴史変更という、それが巻きおこす計りしれない事態を考えれば、いたしかないと世論もやがて、容認するであろうと、法案作成に従事したものとしては期待するのみならずそう信じてもいる。ときにこれらは、2063年施行のスパイ防止法のその最高刑である死刑を踏襲した量刑である。したがって)
④当該法令施行前の機密漏洩であっても最高刑に処し、減刑の考慮はしない。(くどいが、スパイ防止法よりも残酷刑にするのは、歴史の変更が大罪中の大罪だからである)
2)①タイムトラベルの技術やそれに類するすべての機密情報を所有するX社は、情報漏洩を完全に防止するための最大最適の処置を常にとらねばならない。
②当該技術を知りうるもの(以後は乙と表記)には守秘義務(当然、家族にたいしても適用)を課し、乙の存命中は当該義務の消滅はしないものとする。つまり乙が立場の変化(離職や定年退職等)をした場合でも、違反者は最高刑に処す。
③秘密確保のための監視を乙にたいしほどこす必要性が発生した場合、事前にX社役員の過半数の賛同を要し、管轄の裁判所にその旨を書面で提出、裁判所の許可を得なければならない。
④X社設置の漏洩防止装置等の監視・管理および保守・点検等にあたっては、第三者機関がおこなうものとす(X社が、それらへの怠慢等や自社に都合のよい処置をとらせないため)。
⑤乙が存命中、なんらかの手段で当該情報を残し、その後乙が死亡したのち、情報を他者が取得した場合、X社にその旨をすみやかに報告しなければならない。当該義務をおこたった場合、終身禁固刑に処す。また、故意、瑕疵(=ミス)にかかわらず漏洩させ、もしくは当該情報を流用したものは最高刑に処す。それで利益を得たものがたとえ善意の第三者であったとしても、最高刑に処す。
3)①乙のヘッドハンティング防止のため、X社にたいする義務づけも厳格にする。義務を負う執行役員以上の管理怠慢は十五年以下の懲役刑に処す。
②同社は乙個々に、国を愛すること・会社を守ること・日本国民としての誇りをもつ等の教育(いわば矜持教育)を徹底する義務を負う。国益を守り、極秘情報遵守のための教育である。
③タイムトラベルの研究者および専従者への俸給をはじめとする待遇は、これを半期ごとに労使双方の個々の話しあいにより査定し、双方納得のいく結果をみなければならない。不調の場合は代理人により交渉を完了させるものとする。不満を懐かせないためである。
④乙の離職や定年退職後の再就職は、(監視する必要上)X社の子会社や関連会社のみとする。
⑤乙による出版等またはメディアやSNS等の利用について、X社で得た先端知識やそれにかんする情報の流用は守秘義務違反とす。違反者は、違反内容に応じ、懲役二十年以上とす。
4)タイムトラベル船の設計ならびに航行の安全等において、X社の企画に違反したものは最高刑として終身刑に処す。具体的には①船体面はステルスにし、そのうえで地上では透明装置により不可視にしておかなければならない(過去の人間に、宇宙船の存在を認識させてはならないからだ)。
②タイムトラベル船の乗客・乗員の生命を最優先とする安全航行について、装置・機器のトラブル発生時や目的の時・空間と異なった場合の管制センターへの通知法(ワームホール突入直前に信号を送ることで、管制センターは誤った時・空間である航行先を知ることができる)、ならびに救助方法など詳細な規定を設けることとする(一例。万が一のため、タイムトラベル船は、救助専用船をつねに帯同しつつ航行しなければならない。ワームホール自在作出装置搭載を義務づけた救助専用船には強力なトラクタービームの設備も義務づける。トラクタービームとは牽引光線であり、いわば、港湾内において大型船舶の牽引や誘導をするタグボートのロープの役割を果たすものである)。
5)①(厳しい法的規制をうけるのは当然で、そのかわりとして)過去にいくことを法で許可されるのは、X社が開催する歴史探訪ツアーを唯一とする(二十世紀の日本に存在した専売公社がモデルである。タイムトラベルの完全なる管理手段として一社に絞りこみ、自由競争はこれを認めないとの立場をとる。X社のタイムトラベル技術流出の効果を無意味にするためだ。自由競争は認めなければ、盗む意味がなくなる)。また、海外への流出を防ぐため、タイムトラベルにかんするいかなる情報であれ、社外へ送信を試みる場合、半時間ごとに自動的に変化するコードを解読できないと、情報が消去されるセキュリティシステムを採用する。
②歴史探訪ツアーを許可する時期は、完璧な意味でのタイムトラベルが可能(ワームホール自在作出装置の完成)となってからとす。
③X社は、歴史探訪ツアー中の乗客・乗員に歴史変更をさせない万全の処置をとらねばならない。実験航行の段階においても、X社は同様の処置をとるものとする。
 そこで問題となるのが“歴史探訪ツアー”の運営方法だ。
 現CEOは四年ほど前だったが、以下の原案を専務にのみ示したのである。その前日すでに、代表権のない会長や二人の副社長、ほかの役員からも一任を取りつけていた。
 CEOの辣腕に、役員の数だけをたのみに対抗してもムダだと。かれらに味方する株数が、CEO指示をうわまわる見こみはほぼ皆無で、よって、いわば長いものには巻かれろ状態であった。
 彼は孫正義や松下幸之助のような創業者ではないが、実力も内外からの信頼も絶大であった。私利には動かないという、経営者以前に、ひととしての美学を保ちつづけているためであろう。
 株主総会も毎年、しゃんしゃん(=議題がつつがなく採択されること)で終了している。筆頭株主である政府からは水面下で全面白紙委任を受けており、のみならず、年二回の配当が高利率であるため、一般株主たちの反対意見がでることも一度もなかったからである。
 で、歴史探訪ツアー客はというと、基本的には数~数十メートルの地上より眼下にひろがる時代を、つまり真実の歴史を目の当たりにできるのだ。
 さらには歴史探訪の現場に、船外設置の数機の超小型空中飛行カメラを送りこみ、船内の巨大な360°(全方位)スクリーンに映し出されるそれらの3D映像と生の音声をも堪能できる。しかも、バーチャルリアリティ(=仮想現実)も併用することで、触覚も楽しめる施設となっている。
 具体例として。
 不明だからこそいまだ論争の的である邪馬台国の所在地はもちろんのこと、卑弥呼の容姿やファッションも、本能寺の変をふくむ前後の謎(惟任光秀謀叛の真相や秀吉の中国大返しの真実)も、関ヶ原の合戦俯瞰も合戦にまつわる数々の謎(小早川等の裏切りや徳川秀忠勢38000の家康本陣への遅参【1585年第一次上田合戦で徳川勢に辛酸を舐めさせ煮え湯をのませた真田昌幸・信繁親子の首を手土産にすることで、父家康に認められたかった】等)も。さらにはクレオパトラ七世の美貌のほどやピラミッド建造風景も、ナスカの地上絵をだれがなんの目的で描いたのかも。挙げたらキリがないがそのほか、歴史上の謎のすべてを居ながらにして、しかも尋常でない臨場感をあじわいつつ見知できる、をあげた。
 一点の疑いもない真実をしかも安全に目撃できる、そういうツアーなのだ。
6)映像と音声にかんし、戦場などでの殺戮の生々しい場面や倫理上問題のある場面にはボカシをいれ、局所的消音処置もほどこす、等の規制をくわえるものとする。方法として、カメラから転送された映像と音声は、規制装置をとおさなければ放映を許さない。そのさいのタイムラグは0・1秒未満とする。また、これは当然のことだが、規制をくわえる必要のないものはそのまま流す方式とする。規制対象については、詳細に明記しておく。
7)①宇宙船内にとどまったままでの“歴史探訪ツアー”でなければならない。“歴史を絶対に変えさせない”ため、地上には降りたたせないということだ。たとえ国が許可した歴史研究の学者であろうとも、同様に降りたてない。採掘等の学術的作業は、いわゆるロボットが許可されたプログラムにしたがって行ない、歴史を変えさせることはさせない。
②宇宙船は下界と完全に断絶し、船内から声を流すことも紙一枚おとすこともできない仕組みに設計しなければならない。歴史上の人物になにかを教えるだけでも、歴史は容易に変わってしまうからだ。たとえば、戦死者約1600万人を出した第一次世界大戦の原因となった1914年六月二十八日の事件、オーストリア・ハンガリー帝国皇帝の甥で王位継承者夫妻暗殺だが、もし暗殺者の存在を示唆するメモを歴史ツアー客が船上から投下したら、テロリストは事前に逮捕され暗殺は未遂となり…、大戦の原因が消滅したのだから、あとは言わずもがなであろう。
③とはいっても、彦原チームが取りくんでいる二隻の実験船のみは、土や空気を採取するなど船外活動が可能な設計となっている。だが実験終了と同時に、この七条の法令に違反しない船体へと改良をくわえるものとする。
④例外として、超小型空中飛行カメラや空気・水・土等採集専用ロボットの船外作業は、この法に抵触しないものとす。歴史変更を目的とはしていないからで、よって、歴史変更を可能にすることのない処置をほどこした機器のみに使用許可をあたえるものとする。
 ときに、4)から7)は必要に応じ、随時法制化していけばいい、そう考えている。

 …さて、このように重要な法の審議と制定にもかかわらず、国会でだれも問題にしないだろうと、CEOが個人的に嘆かわしく思うことがある。
 それは一般国民との関係が希薄な法だけに、国民は当然ながら、議員も管轄官庁外の官僚も国民うけしないと判断するマスコミすらも関心を示さないにちがいないからだ。
 国会を例にあげると、応答する大臣や官僚はもちろん、質問する議員も票や評価につながらないと考える事由による。絶対に必要な法律ではあるのだが、国民との距離は、そう、宇宙のかなたの星以上にありすぎる。
 また、議員は当然、課長以上の官僚の事績までが情報開示される当今においては、人気投票的気分で議員の当落、あるいは官僚の出世が決まってしまうのだ。議場はさながら、パフォーマンスショーの舞台と化してしまっていた。だから不人気な事案にはかかわりたくないというのが本音なのだ。
 それを、識者も良識的な政治意識を有する賢明な国民も、悪弊として問題にしているくらいなのだが。
 
 ところで、法制化の件はCEOの手を離れつつあるので、これ以上の子細はおいておくとして、世界有数の大企業のCEOが立場上問題にするもうひとつが…。当然ながら、経済的側面である。
 とくに日本の景気動向には最大の関心、いや責任すらもつ立場にある。そして企業人としてはむしろ、日本の良好な景況のために貢献することのほうが重要だった。
 かけた巨費の数十倍以上の巨利をうむ一大発明であることは自明だ。どんなにエクスペンシブでも、世界中の金満家がツアー客として我さきに来日するにちがいない。そこで、申しこみ時とツアー本番の複数回か長期間の日本滞在をなかば強いる方法を考えついた。
 X社に本人が直接来社しての申しこみ以外は受けつけないと決めたことだ。
 それによって、すくなくとも二度滞在しなくてはならない。あるいは申しこみ時から実体験までの長期滞在ともなれば、そこでまず、日本の観光産業を潤わせることができる。さらに日本製品の顧客とすることにもつながり、“おもてなしの心”で、日本びいきの外国人を生みだす民間外交としての意義ももたせられる。
 国益そのものとなる展望がはてしなく広がるのだ。
 残る最大の問題は、この巨大利権を国家・国民のために守りぬくことである。
それには海外諸国をある時期まで騙して、日本だけの利権として承認させねばならないということだ。むろん、難事中の難事である。
 がそのために、WTO(世界貿易機関)における条約締結に向け、CEOがまだ専務だった六年前からこちらも関係官庁に働きかけていたのだった。とはいえ国内外にたいし、手のうちをさらすようなマネはしなかった。換言すれば、タイムトラベルのTの字すら、おくびにも出さなかったということだ。
 長年の懸案だった新多角的貿易交渉におけるグローバル条約締結がオーストリアのウイーンでなされたあと、ようやく世界経済はその垣根を取っぱらったのである。そんな状況下で、本来の目的をかくしつつ、国際間で協調しあえる条約締結を専務は目論んだのだった。
 ちなみに、国際間の貿易完全自由化が取りきめられてから三年後のグローバル経済は、2093年九月に大きな転換期をむかえていた。通貨が世界統一されたことだ。おかげでもはや、通貨危機そのもの自体はなくなっていた。
 ところで、経済のグローバル化ができあがり通貨の世界統一化がなされたからといって、他国によるX社株の大量買い占めや買収工作(敵対的M&Aならば最悪)など、不安要素が解消されたわけでは、もちろんない。否、その逆だ。
 じじつ、利益をあげている、あるいは今後期待できるとされる企業の経営陣は、買収にたいし戦々恐々の日々を過ごしていたのである。だから、X社が日本政府の34%出資でできた会社だとはいっても、一寸先、なにが起こるかわからない。
 巨大マネーをあやつる投資家やヘッジファンドの連中が、勤労の一滴の汗もながすことなく指先ひとつや口先ひとつで生き馬の目を抜く荒技は、前世期末からすでに茶飯事なのである。
 外務省と経産省などはその防止策に大わらわ、となった。しかし学業は優秀であっても、知恵をはたらかせ有効な手だてを編みだす能力はカラッきし(天下りなど保身術にかけては天才ダ・ヴィンチも脱帽の創造力と悪知恵を案出するのだが)、国民・国家のどちらにとっても役立たずのまさに烏合の衆で、屁のツッパリにもならない輩だと専務は見ぬいていた。
 そこで機が熟したとみて、五年半前からの懸案事項を解決すべく国家的特殊法人等保護条約案を起草するいっぽう、関係各省庁に知恵をさずけた。(ただしその詳細は、機密保護法に抵触するゆえに省く)
 ところでこの、国家的特殊法人等保護条約案だが、国連海洋法条約(正式名称は海洋法に関する国際連合条約)に基づいた海洋・海底資源等や漁業における排他的経済水域をもとに発想したものだった。排他的経済水域のように、国家的特殊法人や経済的国際特許の排他領域、または保護や不可侵を認めあうという、国際間の条約案である。
 そういえば、グローバル化が定着して数十年、関税が世界経済の発展に足かせとなっていた過去への反省から、各国が努力と協調で、国際的貿易完全自由化をおし進めてきたのだった。
 それだけに、たしかに逆行する条約ではある。
 だが、各国にもそれぞれ事情や思惑、そして利害があり、貿易完全自由化は行きすぎとの批判や是正を望む声が各国政府に根強く残っている状態であった。
 じじつ、特許や著作家などの知的財産権も脅かしているサイバー攻撃(政治・軍事面でのスパイ行為としても利用する、中国や北朝鮮による相変わらずのお家芸)などの国際的問題だが、枚挙に暇がないというのが実状だ。
 この許されざるサイバー攻撃には、各国あるいは各組織が有効な対抗策でのぞまねばならない。ちなみにX社は独自の万全な対策をほどこしているので、これにたいしても、なんの憂いも感じていない。
 しかしながら、社外におけるセキュリティは別だ。それで、充実すべく手をうったのだった。
 知的財産権への脅威たるその主原因が、ひと・情報・もの・カネの流通にボーダーがなく、また規制もないぶん、<悪貨は良貨を駆逐する(もとは経済学グレシャムの法則だが、悪がはびこると善良を破壊するの意)>のたとえではないが、完全自由化の悪用による弊害が、あらたに国家間の軋轢(あつれき)の原因となった。そのせいで弊害が顕著化しだしたからだ。
 そこで知的財産権を多く所有する経済大国(とくに米・日・独・英・仏・印)の間でだが、自国益のために保護しておきたい分野の、その防衛権を主張しはじめたのだった。
 それを、役員会で次期CEOに内定したばかりの専務が絶好のチャンスととらえ、国連での条約締結にむけ関係省庁にうごくよう促したのだ。国連に多大な資金提供をする上記六カ国などの巨大企業と各政府に、まず働きかけさせたのである。
 つぎに、日本が援助する百を超える途上国にたいしても、それぞれ基軸と考える独自の産業や得意方面の貿易黒字を見こめる分野の保護・育成をするためとして、途上国各政府に賛成票を投じるよう水面下で説いてまわらせたのだ。
 それらの工作が功を奏し、現CEOがえがいた図式で、国連を舞台にようやく条約発効とあいなったしだいである。
 こうしてCEOの、“タイムトラベルツアー法”制定と国連における国際条約締結の下準備といおうかお膳だての、長年の労は報いられ、…るはずだった。肩の荷をおろし、ドン・ペリニヨン・プラチナで祝杯となる……はずであった。だが、
 そんなムードなど、木端微塵となって吹っ飛ぶ大事件が……、
 既述したごとく、やがて起こるのである。
 ところで、現時点では、まだ法制定はされていない。つまり、“歴史を絶対に変えるなっ!”は、いまは仮定の話であり、せいぜい観念や概念でしかないのだ。
=歴史を絶対に変えるなっ!が、なんぼのもんじゃい!=ふだんの温和な彦原らしくない考えを、かれは髣髴(ほうふつ)した。黙殺すればもはや無いにひとしいとの、ムチャクチャな想念だ。
 それにしても、らしくない乱暴な考え。だが理由はもちろんあった。企てている前代未聞の恐ろしい犯罪行為にたいし、本来のかれならばそれを自身が絶対に許さないし、考えるだけでも自己嫌悪に苛まれると確信していた。
 法の有無以前、人倫に悖(もと)るからだ。
 しかしながらそんな優等生君では、目的の完遂などおぼつかない。決起の直前に、心身に異常をきたす恐れさえあるからだ。だからこそ、ふだんとはちがう自分を演じることで、本来の自分をおし殺そうとしたのだろう。
 すくなくとも、二人の真逆な彦原を戦わせることで、生来、人倫に厳格な茂樹という、計画遂行の妨害者のパワーを削ぐしかない、そうきめたのだった。
 ジキル博士をハイド氏の悪の力で抑えこもうというのである。
 甚大無比な犠牲のすべては、壮大な大義のためだと。

核兵器を全廃させる、未来からのテロリスト~破壊が生んだもの~ 第五章(中編)

 ところで彦原の希望や想いはさておくとして、2チームで構成されていたのである。
 2チームとしたのは、ワームホール通過直後、一億四千五百万年前の地球が存在している宇宙空間で、別々の実験をさせるためにだ。当然、宇宙船も別、持ち場を別ということになる。
 ひとつは、全員が若い社員で構成する、特別な宇宙飛行士チームだった。
 どんな仕事なのかを詳細に説明したうえで志願者を募集し、精神力、特に忍耐力を試す難関なテストに合格した健康体の八人(男女各四人づつ)を、専務が選抜したのだった。
 また、三人からなるもう1チームは通過直後も留まることなく、ワープ航法をつかって地球へいき、太陽や太陽系の惑星もふくむ他の星との位置を計り地球と月の正確な距離も計測、同時に地上800メートルから百台のフライング高感度カメラでズーム映像を音声とあわせて3Dで撮る。
 同時に探査機を駆使し、植物の種子・胞子と地表の土や空気のサンプル等を採取し、ワームホールが消える前(地球との往復時間は当然のこと、上記の全目的を達成させる時間を、ワームホール通過に要する往復時間三分強をさし引いた三十分弱で収めなければならない)に、二(光)年先となる時刻の地球に無事帰還する使命をおびていた。
 つまり太古からの帰還は、2095年の地球出発から四年後となるであろう。実験経過報告と成果持参が、三人のヒーローの役目なのである。
 その彼らが持ち帰るのは、一億四千五百万年前の地球の事実である。化石や出土時の全情報から想像するしかなかった太古、その、だれも見ることのできなかった純然たる真実の地球を手にするのだ。
 たとえば始祖鳥の生態。どのようにして飛翔していたのか、なにを食しどこに巣をつくっていたのか、鳴き声は?など。また、体重四十トン以上とも推定される地上最大草食竜ブラキオサウルス。どんな声で鳴き、表皮はどんな色だったのか、あるく姿やながい首をつかっての食事の模様もつぶさに知ることができる。あるいは、圧倒的な体格差の肉食竜はかれらをどうやって捕獲したのか。真実のほんの一例だが、考えただけでも胸躍るというのが、上層部の感想なのだ。
 ただし、名がどおり人気も高いティラノサウルスはまだ、この時代には棲息していない。それを残念がった。子どもにもだが、成人男性にも断然の人気をほこるからだ。
 それにしても3D映像や音響はもちろん、種子・胞子や地表の土と空気(気温や湿度も測定)も貴重な資料となる。しかも資料だけに留まらない。音響・映像と帰還後に地上で発芽・生長させた古代植物、それに土と空気の四点セットで博覧会をひらけば莫大な収益も見こめると、X社の首脳は目論んでいる。
 もはや歴史上のエクスポ‘70の別称で知られる大阪万博が大成功したのは、アメリカ館の“月の石”の展示もあったからだ。人々は秒単位の見学しかできなかったのに、それでも千客万来だった。それに比べてというのが首脳部の腹だ。
 常設の博覧会場で、ほんとうに生きていた恐竜を間近で見る、というより立体映像だけに、体験に近い十数種類のアトラクションを設けるのである。なんといっても、一億四千五百万年前の地球の実写映像はすべて本物なのだ。まさに、生き証人である。見たことのない生き物や植物の生態をとらえた映像と音響等、…圧巻に違いない。つまり、“月の石”展示ごときの比ではないと、算盤を弾いたのだった。
 しかしそんなこと、彦原チームにはどうでもよかった。かれらの関心は、もう1チームがいつ戻ってくるかだ。八人全員の無事帰還は当然だが、実験の成否こそが最大の関心事である。正直いって、一秒でも早く結果を知りたいのだ。
 むろん、帰還用ワームホールがそう都合のよく発生するとは考えていない。運任せなのだから。それでも可能性は、ゼロではないと。
 またPJTを科学者としてとらえた場合でも、こちらの方がはるかに重要なのだ。
 そのために、志願した八人は目的宇宙点に残って、帰還用ワームホールが宇宙のどこかにて生まれるまで待つ。そしてそのワームホールのなかを潜(くぐ)って、発射日だった2095年十一月二十日よりも後日の地球に無事帰還する予定となっている。
 宇宙船に搭載した、予定日以降の地球につうじるワームホールを探査する小型装置が、それで設計どおり機能したと知ることもできるのだ。
 しかしながら彦原のチーム二十五人と専務には、もっとべつの、最大の関心事があった。
 それは次への期待である。いや、究極の到達点といい換えたほうが正確だ。
 彦原がすでに取りかかっているワームホール自在作出装置の完成、である。むろん、あと半年や一年で完成できる話ではないとはわかっているのだが。
 現在は、理論構築の段階にすぎない。
「完成すれば、問題のほとんどが解決しますね」彦原を心から尊敬し、兄のように慕う若手の宇宙物理学者が、食事休憩時、憧れの上司にむかっていった。
「えっ、ほとんどって何でですか?すべてではないのですか?」質問したのは入社三年目の、酔っぱらいとあだ名される赤ら顔の男性研究員だった。
 親切心が服を着て仕事しているとの表現がピッタリの主任がその理由を教えようとするのを、彦原が「宿題やな、自分でかんがえるから進歩があるんや」ととめた。「切磋琢磨も必要やしな。ま、いずれにしろ装置ができてからや。それまでおたがい頑張ろうな!」と励ましの言葉とともに立ちあがった。「みんなには、ほんま期待してるで。ひとりひとりもベストやが、チームワークもベストや」左右の部下の肩に手をおき、すこし力をこめながらいった。
 直後、かれのベストチームワーク発言に、彦原の人徳こそがその源だと研究員全員が思ったのだ。だから全員が即応し、「おう!」一斉に雄叫びをあげたあと、うなずきあった。
 どの顔も屈託のない笑顔ばかり。またおたがいの漲(みなぎ)るヤル気も感じあった。最高の上司のもと、やりがいのある仕事に、充実の日々を送っているからだ。
 しかし天才科学者だけが、じつは吐いた言の葉とは裏腹であった。顔にこそださなかったが、心はひき裂かれんばかりに痛かった。そして辛かったのだ。「装置ができてから」というウソをついたから、だけではない。いかように謝罪しようとも許されざる罪をかれは犯すのだ、十数時間後、日付がかわったあとに。かれらを裏切るからである。
 ところで、一年半前に完成させた装置は小型であるぶん出力が弱い。しかし宇宙空間においてなら、研究所設置の大型装置と能力的に遜色はさほどないはずである。だが彦原としては、最大、どれほどの宇宙域にまで全方位式レーダーが機能(=感知)し、ワームホール出現百六十七時間前から発生する、光の直進の百万分の一というごく微妙な変化、つまり直進の微小な歪(ひず)みをどこまで正確に探査できたか、そのデータも収集しておきたかったのだ。ただし自在作出装置が完成すれば、必要性はまったくなくなるのだが。
 というわけで、宇宙に滞在しつつ帰還用ワームホールを待つ八人乗り宇宙船は、当然ながら大きい。十六人ていど(ひと組のカップルで二人の子どもをもうける計算)なら暮らせる宇宙ステーションの機能も備えていなければならないからだ。それでもできるだけコンパクトな設計にはしてある。地球からの発射時に要するエネルギーをすこしでも押さえるためにだ。
 蛇足ながら、ワームホールは巨大だから通過不可という心配はない。
 そのエナジーだが、大半を大気圏内では大気中の水分を取りこみつつ電気分解してできた水素および太陽光の併用でまかない、圏外では太陽(別宇宙では恒星)光と熱(赤外線等)から得る。当然ながら過剰分は蓄電・蓄熱しておく。
 ときにワープ航法だが、光速にいたるまではエナジーを大量に消費する。だが航行時は微少ですむという利点も、ワープ航法にはある。
 水は備蓄分と循環再生で得、万が一不足すれば、名もない最寄りの惑星の大気から水素と酸素だけをもらってくればいいわけだ。
 食糧は自給自足。一例だが、半年前から水耕栽培(受粉は人工風と蜂に媒介させる)で穀物・野菜・果実等をつくっている。発進後は、キノコ類もふくめ植えつけから取りいれまでの一切を、ロボットがつかさどることに。
 光合成のおかげで、酸素も新鮮だ。また羊や豚・鶏の飼育、鰯や鯵などの養殖も船内ですでになされている。豆腐類や牛乳・調味料などは化学合成でつくる。栄養素も味も遜色ないできだ。料理もだが、スイーツ類ならびに酒類や嗜好の飲みものなどの供給はシェフマシーンが腕を揮(ふる)う。
 アパレル関係を担当するマシーンは、食用植物の繊維を布地に加工することからはじめる。
 というように船内での生活が快適そのものなのは、2083年に完成した船底設置型重力発生装置により地上と同じような活動ができるおかげでもある。
 そのうえでの快適性。数十種類のバーチャル体験可能な娯楽設備と脳内での仮想遊戯(夢想的享楽や快楽)および体力維持のためのジムも完備。医療装置を兼ねたドクターコンピュータは、ロボットを操作し手術もする。治療薬を含む医薬品製造装置も搭載している。
 このように、地上と同様の生活ができるよう、できるだけの配慮がなされているのだ。
 また小規模の宇宙ステーション型には、世代交代もかんがえて、カップリングされた男女各四組が乗りこむこととした。前記の最終テストに合格したメンバーだ。生殖能力の事前チェックもすんでいる。
 つまり、この宇宙船内でなら世代をこえた永住が可能なのだ。
 しかし、世代交代は最悪のケースを想定してのことである。
 自信の裏打ちがあって眸を輝かせる彦原が専務に告げた予測では、五年以内でワームホール自在作出装置を作りあげられるだろうと。おおよそのイメージならすでにできあがっているとのことだ。
 彦原の予測に、専務は満足げに笑顔でうなずいた。彦原の予測ならまちがいないと確信しているからだ。それほどに信頼している。
 そしてワームホールトラベルに革命をおこす装置の完成と同時に、それを搭載した宇宙船でクルー八人(増えているかもしれない)が待つ宇宙ステーションを迎えにいくことができるわけだ。これにて一件落着、二機とも、無事に帰還とあいなるのである。
 ただし、宇宙ステーションを迎えにいくためには、一億四千五百万年前の中生代ジュラ紀後期というだけでは駄目で、帰着した年代の正確な時間の特定が必要となる。ワームホール発生を予測したときにコンピュータが計算した秒単位以下までの時間が正確だった…という保証はないからだ。
 1チーム三人の方の帰還船が太陽や他の星との位置を計り地球と月との正確な距離を計測したのは、それでもって、遠い過去に行った宇宙ステーションの現存年代どころか、その千分の一秒までを正確に知ることができるからだ。これなら、宇宙ステーションと遭遇するにじゅうぶんな条件を満たせられる。
 ちなみに各星間の距離と過去の正確な時間との関係だが、簡単な説明をすると、方法は以下のとおり。
 約四十六億年前、誕生したばかりの地球に、火星ほどの大きさの天体が約100000km/h(推定)の速度で衝突した衝撃によりできた月(以上は、月の起源として有力な巨大衝突説である。ほかに概略して親子説・兄弟説・他人説などもある)だが、四十六億年という時間の経過とともに徐々に離れていっていることを利用し、2095年現在の地球と月との正確な距離との差で、帰着した正確な時間の特定をする、というわけだ。もちろん、太陽や他の惑星との位置(地球は太陽の周りを楕円軌道で公転している。ゆえに、太陽との距離も一定ではない)等も年代計算に活用する。
 月・地球間の距離についても、簡単にいえば、今世紀においては年平均で約3.8㎝広がっている計算(人類を月におくったアポロ計画による成果のひとつ。距離計算は、月面に設置してきた反射鏡を活用)だ。
 これもよもやま話だが、その距離、たとえば四十六億年前は、約20000kmであった。赤道上の地球一周が約40000kmだから、もしタイムトラベラーが臨場すれば、当然、巨大な月影に、「手が届きそう」との感想を持つだろう。
 さて、日没後のその月光だが、眩いほどだったのだろうか?それともドロドロの溶岩に覆われた月面に太陽光が乱反射して、月明りは距離のほどには強烈ではなかったのか?は、ともかく、その距離が2095年現在だと約384400kmだから、十八倍強離れたことになる。
 また一カ月周期で、日にちによってすこしずつ近づいたり遠のいたりしながらこの二つの惑星は距離を保っているのだが、日々のその微妙な距離の数値をコンピュータは簡単に弾きだすことができるのだ。

 ところで…、
 ここニ年ほどのことだが、科学省(2051年に分離独立した省)からの天下りで常務にあぐらをかいている役人根性の権化のようなのが、タイムトラベル中の事故を危惧する呈で、ときに強硬な意見をはっしている。
「有人で、もし事故がおこったら取りかえしがつかない。だから安全策をとって、無人でいこう。コンピュータとロボットだけでも、このPJTの達成は可能なんだろう」
 人命尊重によらずとも、正当な意見である。
 ただし本音は「責任を、とくに法的責任を取らされたくない」だった。事なかれ主義で出世してきた癖が身に沁みついている、自己保身のためのアドバルーンなのだ。
 だが、現場の彦原たちと専務、そしてなによりCEOが強硬に反対したのだった。
 彦原たちと専務は、「計画は万全で、不備など一切ない」「失敗はあり得ない!まして、人命を危険にさらす事故などおこるはずがない!」「人命尊重は当然としたうえでの計画だ」「副所長みずからが宇宙に滞在したいと願っている。つまりそれくらい安全ということだ」等と主張した。
 その科学的理由も列記し、正式な手続きを経て役員会に意見書を提出したのである。概要は左記のとおりだった。①ワームホ-ル自体は、なんの問題もなく往復できること。②十年ほど前に実施した生物実験では、すべての生物がその後なんの問題もなく生存しつづけた。種の保存にも問題は生じなかった。ゆえに、人間の生存や次世代の誕生に支障をきたすとはかんがえにくい。もちろん理論上ではあるが。③通過後の宇宙は過去に存在した宇宙空間だから、生存に支障などありえない。等々。
 詳細なデータも添付した文面は平明で論調は平静だった。が、若い研究員のなかには、天下り組のへっぴり腰にたいし怒りをぶちまけるものもいた。
 いっぽう、CEOは、無人航行ならば実験という意味で安全性を確認できないどころか、逆に、問題発生時のリスク回避の証明が困難になるとした。「すこし違うが…、アポロ13号がその危機的トラブルを克服し生還できたのは、有人宇宙飛行だったから」と、歴史的事実を強調した。つづけて、「万が一想定外のトラブルがおこった場合、いくらAIが日進日歩で進化しているとはいえ、機械では対応できない!」と語意強硬に。AI(人工知能)を過小評価していること、むろん承知のうえで。
 想定外云々とは過去の事例をふまえ、あらかじめプログラムされたこと以外のトラブル発生をさしている。その場合でも、機械が処理してくれれば問題はないが、コンピュータとロボットのどちらかがオーバーロードで機能不全となる可能性を否定できない。
「機械は所詮、機械だ」と。さらに、「無人だったせいでPJTが失敗した…、では済まされない!」と主張。なんといっても、すでに巨費を投じているとの背景がそこにはあった。
 倫理性や論理性にやや問題のある意見を披歴したかれの、最高責任者の本音…計画の遅れがもたらす損失をもっとも恐れているのだ。しかし損失云々は口にせず、専務らに同調した。
 政財界につよい影響力をもつCEOの主張に押される形で結局、PJTの素人は黙るしかなかった。その本音だが、打算で黙したのだった、無人飛行を主張した自体が議事録に残されたことで法的責任を回避できる、との。呆れはてる役人根性だ。
 たしかに、想定外のトラブルがおこらなければ、元官僚が主張したとおり無人航行も可能だ。実際、離着陸時をふくむ操縦の一切を原則、コンピュータがするのだから。
 自動操縦ゆえに、目的の時・空間を宇宙座標等でインプットしさえすればよい。宇宙に存在する恒星や惑星、および彗星をふくむ天体などあらゆる障害物を避けながら、安全に航行してくれるのだ。
 しかしながらワープ航行だと、センサーではとらえ切れない百ミリ四方以下の極小の宇宙ゴミや氷などは避けられない。それらの衝突から船体を守るため、バリヤーとしてシールドで覆われ保護されてもいる。
 くわえてクルーの健康保全のため、シールドはまた、宇宙線(超新星爆発により生じた、宇宙空間を飛び交う高エネルギーの放射線)から生命体を守る役目も果たしているのだ。
 同時に、半導体素子の誤作動や破損防止にも役だっている。つまり、メカも守っているのだ。
 そんなシールドの強度を数倍高めたのは別のチームだった。
 でもってさらに脱線するが、安全航行のほかにもいろいろとあるコンピュータの仕事のひとつ。たとえば、言語・電波・光・音などかんがえ得るかぎりの、地球外生物からのコミュニケーション法にも対応できる最新機能を、さらに別のチームが開発していた。
 また、船体面には最新鋭のステルス機能を施している。通常のレーダーはいうにおよばず、電波音波変換式ソナーや音波電波変換式レーダーでも感知させないためだ。さらに肉眼不可視機能も付帯しており、おかげで向こう側が透けて見えるようになっている。
 技術的詳細はぬきにして、原理だけいうと簡単だ。
 光が船体に当たるまえに、その光の進路をかえるというか船体の上下左右を通過するようズラし(物体の存在を肉眼が可視できるのは、恒星やLED等の光源は当然として、それ以外の場合、光が物体に当たって反射するがゆえで、もし反射しなければ、視覚は物体の存在に気づかない。たとえば、真正面に位置する無色透明なガラス板に光が垂直に入射したならばほぼ反射しないから、肉眼はガラス板をまず認識できないことに。で、そのまま歩を進めた結果、ガラス戸におでこをぶつけ結構な痛さと自分のバカさがげんにへこんでしまう、といったらわかりやすいか)、通過直後に光を、進んできた本来の進行方向へと戻すことで船体を可視できなくしている。
“光は直進する”という“エウクレイデス(ユークリド)光の直進の法則”と、重力の干渉により進行方向を曲げることができるという両方の性質をうまく活用した一種のマジックだ。
 いっぽうで、人工ではない不可視な存在もある。太陽質量の百万倍超の巨大恒星が超新星爆発後、自己重力により凝縮し太陽の十倍超の天体となったブラックホールがそれだ。だがこれはあくまでも特殊な存在であって、とは、光までも吸収してしまうという理由による。
 ところで、上記の研究チームの責任者と彦原とは大学の同級生で、昨年、実用化に成功したのだった。
…閑話休題。

核兵器を全廃させる、未来からのテロリスト~破壊が生んだもの~ 第五章(前編)

 日米両国関係者の悲願がすべて叶うかたち、つまり、2092年春の帰還から翌年秋にかけて、宇宙における生物実験が最終テストである種(しゅ)の同系交配においても、ノープロブレムというもっとものぞましい結果でコンプリートし、さらに、地球への帰還が可能なワームホール発現を予測する理論も構築されたと、そう既述した。
 となると、つぎに必要となるのは、適宜なワームホールの発生予兆をもっと早く探知することである。
 くわえて、誕生以来46億年生きているそのうちの、どの瞬間の地球(を含む同時刻に存在する宇宙空間としての銀河)に通じているワームホールなのか、適宜とは書いてみたが、その正確な年月日を、便宜上とはいえ、なんとしてでも知らねばならなくなる。
 以上を噛みくだくと、説明はこうだ。極端なはなし、地球が誕生する以前(宇宙誕生が通説を採用して138億年前だとすると、138億マイナス46億イコール約92億年、この間、地球はまだ存在していないわけだ)の宇宙空間に通じるワームホールを利用してトラベルしても、なんの価値もなく、だからだれも行きたいとは思わないだろう。
 なにごとも、地球あっての話なのである。
 考えてみるがいい。タイムトラベルに参加する一般的な観光客は当然、多額の旅費を払うことになるのだ。せっかく行ったのに、地球はまだ誕生してなかった、「それで見る価値のものはなにもなかった」、では、洒落にもならないではないか。宇宙地学者ならちがう考えをもつだろうが。
 そうならないようにするには、既述した適宜の中身こそ問題となる。
 端的にいうと、いつをチョイスするか、だ。観光価値のある地球の年代、たとえば闊歩する恐竜を間近で俯瞰できるとか、歴史的大事件をリアルタイムで目撃可能だとか、がそうであろう。
 この条件を満たすためのその一。適宜だといえるワームホールをそれが発現する前に、あらかじめ探知するしかない。そのためには、最短で発現を予知しなければならない。
 でないと、せっかく適宜なそれが発生してもムダになってしまうという、そんな残念もありうるからだ。三十分強しか発現していないとの観測のとおりである。光速航法で向かったのに、到着前にそのワームホールは消えていた、では困る。まさに、お金をドブに捨てる愚だ。
 逆に、時間とお金の浪費を防ぎつつ安全も考慮するなら、ベストは、客をあらかじめ、ワームホールから一万キロていどの近場で待機させておけばいい、となる。
 それにはやはり、正確な発現時間とそれの場所を事前に知っておくしかない。
 くわえてのその二。ぜいたくだが、ワームホール通過後の地球がどの時代(例1、ジュラ紀や白亜紀=恐竜の全盛期、という区分けもあるが例2、古代エジプトや日本の戦国時代、という考え方も)か?も、知っておきたいものだ。
 いやそれでは、まだ不充分だ。もし可能ならば、地球到着日の正確な年月日が詳細であるにこしたことはない。ことに、歴史上のできごとを目の当たりにするためには。
 というわけで、その理論の構築こそが次のステップとなった。
 さらには、ステップをなし遂げたうえで最高最良のタイムトラベルに必要な最後のミッションがある。それは、最適の年月日につながるワームホールを自在に作り出すための理論構築であり、それを駆使して創りあげる試作機の実験成功である。
 ここが、時間旅行を完璧なものにするロードマップの終着点だ。行きたい時刻に、ピンポイントで行けるシステムができれば、帰着時間も任意にチョイスできるわけで、往復するだけで四光年分の所要時間イコール四年を、つまりはゼロにできることになる。出発した直後に帰還すれば、タイムトラベルの所要時間だが、結局、数分ですむからだ。
 こんな、夢のような時間旅行ならばこそと、世界の名だたる宇宙物理学者が栄誉と巨大な利益を求めて臨んだのはいうまでもない。
 が、壁にことごとく跳ね返され続けたのである。
 そんななかご多分にもれず、天才の名はかれにこそふさわしいとされた彦原も、時間旅行のための理論構築における最終目標は同じであった。がその前段階として、まずは発生予兆の最短探知理論の構築を目標としてかかげた。
 おかげでかれは、まさに<寝ても覚めても>となった。じじつ、X社の研究室に寝泊まりすることが、二十歳代前半の月・水・金の日常となったのである。
 そしてついに、理論を完成させたのだった。
 あっ、誤解がおきないよう、そのまえに記せばならないことがある。
 まずは基本中の基本なのだが、彦原理論のごときワームホールを使ったタイムトラベルでは、過去の時代は選択できるが未来にはいけない。そこが、SFのタイムマシンとは異なる点だということ。
 さて…、上記理論の構築成功もだが、じつはその前段階で彼が成し遂げたことに、世界は驚いたのだった。それを境に世界は、彦原を天才と称するようになったのである。
 地上にいる状況のままで、発生を予測できたワームホールの向こう側の時(地球歴でいつの時代か?おおまかだがカンブリア紀だとか、それよりずっと以前の太陽系誕生の前だとか)と場所(宇宙座標で何光年先だとか)を知る理論を構築し、それを立証したからだ。
 例の日米の一大PJTが組まれた、まちがいなく下地のひとつである。
 この理論完成の年、すでに京都に昔からある国立大の大学院博士課程を飛び級で卒業し、彼はそのままドクターとして研究室に残っていたのだった。
 しかし理論完成した日の夜にヘッドハンティングされ、二十歳でX社と契約した。
 株式会社の形式をとるX社ではあるが、政府機関が出資し、34%を所有する筆頭株主となっている。
 ところで、彼は知る人ぞ知る、現代のハインリッヒ・シュリーマンとなった。
 さて?…突如のH・シュリーマンだが、ドイツ系のかれは大実業家にして著名な考古学者でもある。1865年の夏、来日もしていた。そのかれだが、子どものときに知った“トロイの木馬伝説”を、歴史上の事跡と信じたのだ。成人するとやがてクリミア戦争時に武器の密輸などで巨万の富を得、その私財を投じてトルコに居を構え、ついに“トロイ”の発掘をなし遂げたのである。つまり、ギリシャ神話における伝説のトロイを、史実だったと証明した人物なのだ。
 子どものときに懐いたロマンを成就させたという意味において、彦原も同類であろう。

 脱線してしまってごめんなさい。X社が社運を賭けた一大PJTの話題に戻すことにします。
 彦原が二十歳のときから十一年かけた、タイムトラベルを可能にするPJTだ。
 時間旅行するうえでまず必須となったのが、行きたい時代(その年月日。たとえば龍馬暗殺の犯人たちを知りたければ1867年十一月十五日に照準を当てる)の地球(に限定する必要はない。たとえば1969年七月二十日二十時十七分四十秒<世界協定時>の月面…そう、アポロ11号による人類初の月面着陸時間にすることだって可能なのだ)につながるワームホールが、いつ、どこで発現するかを探知するための理論構築であった。
 で、つぎに必要となるのが、ワームホール発現のごく微かな予兆を測定する装置だが、こちらも心血を注ぎこんで完成させたのである。
 これでようやく、まさにその、人類史的革命前夜にまでこぎつけたのだ。
 あとは実験が成功し、おかげで…旅先となるワームホールの向こう側の過去、それが、その時間旅行者自身にとってはまさに現在であり現実そのものとなるのだが。
“なるであろう”と仮定しないのは、天才彦原にたいして失礼だからで、当然かれもまわりも、成功に揺るぎない確信をもっているからだ。
 そして一大PJTは、このあとの話だが、みごと成功をおさめるのである、X社の想定とは時代もだが、目的そのものが、経営トップにとっても寝耳に水のまったくちがったしろものとして。
 それこそ天地雲泥と称すべき内容だが、実体はあとの楽しみとさせていただく。
 で、宇宙船に乗りこんだタイムトラベラーは、ワームホールを通じ別時代の地球へ帰着(150年前の地球なので、帰還ではない)するのだ。ちなみにかれは、たとえば火星とか他の銀河などの別宇宙域という空間移動を欲してはいなかった。
 では彦原の望みは?
 現時点十一月十七日からみて三日後の2095年十一月二十日午前十一時(タイムトラベラーが地球を出発した二十分後)の地球に無事帰還可能なワームホールの発生を探知する小型装置、それが必要となった。単なる帰着ではない、帰還用ワームホールが発生する正確な時間と、宇宙座標が示すその位置を探知できる小型装置の開発だ。
 じつは一年半前、若き天才が労苦を重ねたのち、すでに装置は結実していた。ときに、小型化する必要性だが、当然、宇宙船に搭載するためである。
 あとは本格的実験の成功を祈るのみ。
 関係者たちは、その日が来るのを首を長くして待っていた。その日とは、X社CEOたち首脳が希望した過去の地球に通じるワームホールが生まれる、三日後の十一月二十日午前十前二十八分のことである。
 天才には無礼を承知で、理論が正しければそのワームホールは、一億四千五百万年前の地球(中生代ジュラ紀後期)に通じている、はずだ。巨大恐竜がのし歩いていた地球に、である。
 余談だがスーパー量子コンピュータ京は、おおまかに一億四千五百万年前に遡(さかのぼ)る、ではなく、行き着く先の正確な時間まで当然計算している。しかしそれが正しいかどうかも、本当のところ実証できたわけではない。彦原とチームの結実を信じるにしても、それを実証する必要があった。
 現在時刻が十一月十七日午前零時三十一分過ぎだから、あと三日と九時間五十六分四十四秒後。そのワームホール発生場所は、地球から恒星ベガ方向へ二光年先の宇宙空間。宇宙座標でいうと、…表記は意味がないから止めておく。宇宙船の発進まで、三日と九時間五十六分、ええと、九秒進んだから、同五十六分と三十五秒待たねばならない。
 ただし実験成功後も、このPJTには、既述したように最終といえる課題が残っていた。それが具現化してはじめて、かれのPJTは一分の隙もなく完成したといえるのだ。
 その課題とは、現在という時・空点から、好みでチョイスした、平たくいえば行きたい時間・空間へと通じるワームホールを人工で作り出す装置、を完成させることである。
 この装置がない現段階では、任意の時間・空間にいつでも自在に往来できる、わけではない。都合よく発生するワームホール頼み、はっきりいうと、ワームホールの思し召し次第、だからだ。
 要はワームホール自在作出装置の完成によって、過去への自在な、つまりは彦原方式の完璧なタイムトラベルが可能となるのである。
 もちろん、このPJTの中心者も、彦原茂樹であった。ワームホール自在作出理論の構築および同装置の設計と完成という重大な社命を担っていたのである。いやすでに取り組んで一年半が経過していた。
 だから当然、三日後に出発させる、社が今回選んだ十一人のタイムトラベラーは彼以外となった。
 それでも彦原は、「宇宙における情報収集のため」と十五カ月前、タイムトラベラーに志願してみたのである。だが、かれの主張に理解を示した専務ですら了承はしなかった。
 だが、この志願のウラには、だれも知りえない別の理由があった。彦原の、三年越しの懊悩、良心の呵責、連夜の悪夢、それらの真因である核兵器完全廃絶を自流で敢行すべきか、それを、重大にすぎるがゆえに、いまだ決心できないでいるのだ。
 社運をかけた最大のPJTの中心者だと自他ともに認める彦原の、長期にわたるタイムトラベルを上が仮に了承したら結果どうなるか?上記の、自在作出装置の完成に、“めどがまったく立たない”となる。
 神は人間の空想の産物でしかないとして、かれはまったく信じていないし運命論にも興味をしめしてこなかった。
 だが==彦原自発の核兵器完全廃絶という大義を天は許すだろうか==と、考えぬ日は、皆無だ。悩み迷いつつ、そしてあえぎながら、それでもなお結論をだせていない。
 敢行がひきおこす犠牲の甚大が、ひととして、かれを混乱させるからだ。このままだと気が変になってしまうかもと。じじつ、懊悩から、胃液をもが逆流するほどのおう吐をしたこともすくなからずあった。
 いっそ、別段による判断、そう、古代、科学に無知ゆえ頼った神託(=神のおぼし召し)ではないが、そんな、不完全で不確実に任せてみようか。
 天の願うところではない、彦原のわがままが受けいれられたならば、そう判断できるのではないかと。
 思い起せば、十五カ月前のことであった。
 大願にたいし、自分で自分をきっと制御できなくなるだろうから、それで、ひとの力を超えた存在に“奇跡の星”の未来を託そうとかんがえたのである。
 社のトップが彦原の志願を承認した場合、…それはとりもなおさず重大な社命を彦原に託さないということになる。
 なれば、天の意志(それが存在するとしてのことだが)は、彦原の大義の達成を望んでいないと断定していいのではないか。
 まるで中世中国の故事に由来するようだが、そして科学者らしくもないが、神を相手にしていないかれは一方で天命という不可思議を、存在として否定できないと思っている。
 全身全霊でことに挑めば、いい換えると、人事をはたし尽した場合にのみ、真理として天の命じるがごとく事の成否がきまると、そう信じたのだ。
 物理学者らしからぬ、まるで運命論者がごとき牽強(けんきょう)付会(ふかい)(=道理にあわないの意味)であろう。だが散々に考え、悩み苦しんだすえに最終結論を出せないでいる現状ならば、いっそ運を天に任せてみようと、科学者らしからぬ行動に出たのだ。つまり、《人事を尽くして天命を待つ》の心境であった。
 その心裡の奥底に、自らの行為がもたらす凄惨を止めたいとの良心が、それを自覚してはいないのだが、隠れひそんでいたからであろう。
 それで、抑止力を、自分以外に求めたのである。かりに天が求めていないなら、いくら万全な手を打っていたとしても、試みは必ずや失敗するはずだと。
 たとえは悪いが、名探偵ホームズやポアロほどの人智をもってしても犯人をあばけず、よって発覚などありえないはずの、つまり一分の隙もない完全犯罪を計画し実行したとしても、天が許さなければ、計画にわずかな狂いがしょうじ、やがては露見し逮捕されるだろう。いわゆる、天網恢恢(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず、である。
 くわえての、ニュアンスもあった。凶悪にたいする、人事ではおよばない抑止力としてである。凶悪犯がその犯行を悪逆だと自覚しつつも理性では自制できないでいるとき、あえて警察に犯行予告することで制御、さらには抑止させようとする心理に、どこか似ていた。
 少し違うか、あるいは例としてはピッタリではないかもしれないが、覚醒剤をやめられない中毒者がじぶんの実態をさらけ出すことで、極端な場合、警察署に自首することで覚醒剤を断とうとするようなことである。

核兵器を全廃させる、未来からのテロリスト~破壊が生んだもの~ 第四章(後編)

 ところで、以下の1⃣・2⃣・3⃣こそが、三度目の実験の主たるテーマであった。
1⃣ 最大の眼目は当然、生きたまま帰ってこられるか、である。だけでなく、ワームホール通過が生命そのものにどんな影響を及ぼすか?死なないまでも染色体等に異常をきたすことはないか?あるいは動物が凶暴性をおびる事態の有無などの実験もあわせもたせたのだ。
 とはいえ、実験結果を確認するためには、三回目発射(2089年)以降で、しかもせいぜい誤差五年程度の地上に帰還させるにかぎる。
 そんな都合のいいワームホールを見つけだす理論を構築したのが、当時まだ二十四歳だった彦原であった。2088年初秋のことである。
2⃣ テーマ1⃣の実験機とは別に、通過直後のワームホール出口あたりのB宇宙域を旋回させつつ、同ワームホールが消滅する前に再度、同出口から潜行させ、突入前と同時空である元のA宇宙域に戻ってこられるかを調べるというくり返しの実験もした。こちら2⃣は、2087年の二度目の実験と同様、みごとに成功したのである。
3⃣残ったほうの1⃣の機はB宇宙域にポツンと置いてけぼりされながらも、ワームホールが出現するたび、宇宙座標位置とそれの現存時間をデータ化していた。なんと健気ではないか。
 その間、百三十九個現出したワームホールだが、現存平均時間は三十一分二十八秒十九だった。世界が大注目したこの革命的実験だが、すべてにおいて最高の結果を得たのである。
2092年の桜の花が舞い散るころに帰還した動植物は、ワームホール通過を二度も経験したにもかかわらず生存し続けた。さらに、そのすべてを地上で交配させたのだが、次世代たちも問題なく種を繁殖させていった。突然変異や奇形もまったく現れなかったのである。
その後、それぞれちがう宇宙域で各二度の実験航行をし、生存実験とワームホール現存時間の計測がなされた。1⃣とほぼ同様の結果だった。生物実験のほうもつつがなく成功した。ワームホールのむこう側の宇宙域にちがいはあっても、生命体に異常はでないという期待どおりの結果を得られたのである。
 欧州宇宙機関ESAとインドも各一度ずつワームホール発生から消滅までの時間計測等の実験をし、誤差一秒以下という結果をえていた。
 ときにUFOだが、このワームホールを利用して遥かなる銀河系の惑星や自分たちの基地からやって来るのだ。これが近年の、当たり前すぎる定説である。
 さて、話を彦原の幼少期にもどそう。
 2069年において、まだ健常で働きながら育児もしていた母親が、彦原五歳の誕生日プレゼントとして、宇宙のバーチャル映像を見せたのだが、そのとき幼児は=¬=ワームホールを使(つこ)たら、過去の地球にタイムトラベルできるはずや=¬=と気づいた。《栴檀は双葉より芳し=大成する者は、幼児期から他を圧している》。天才の天才たるゆえんだが、五歳児はこれを機に、やがてタイムトラベルに心血を注ぐこととなる。
 しかしいくら天才とはいえ、しょせんは子ども。そういう学説が約八十年前すでにあったということなど知る由もなかった。幼稚園児の茂樹からすれば、まったくもってオリジナルな発想、だったのである。
 それはともかく、既存の事実として、二十世紀後半の時点で、“タイムトラベルは可能”との学説はあった。なかでも、1988年にカリフォルニア工科大のキップ・ソーン博士の唱えた説がとくに有名だ。
 だがこのときは残念ながら、“ワームホール”自体がまだ理論上の存在でしかなかった。存在が証明されるまでは、《絵に描いた餅》だったのだ。
 2066年に無人探査機サーチ6号が送信した映像が、宇宙開発の未来をあらたに開いたのだった。

 ところで、仮想敵国である中国やロシアとの軍拡競争に歯止めがかからず、軍事費を年々増大させた結果、2070年ごろから米国政府の累積赤字はしだいに増加の一途をたどっていった。
 また2084年には、共和・民主の二大政党に依(よ)らない政権が誕生していた。第十四代大統領(民主党政権)以降、約二百三十一年ぶりの政権は、赤字削減策の目玉としてNASAの運営をまず縮小させたのだった。
 NASAにかわって、宇宙開発事業に本格参入したのは、いかにも米国らしい、巨大コングロマリットであった。莫大な利益をみこめる一大PJTとして。
 米政府はというと、そこから税金を徴収すればいいと、うまく考えたのだ。いわば、放蕩息子を勘当し、働きものを甘言で手なずけて仕送りをさせる、…まさに妙手である。
 ちなみに、米政府が宇宙開発に力点をおかなくなったのには、もうひとつ理由があった。
 エネルギーを各国間で奪いあう必要性が、すでに無くなっていたのだ。風力は二千メートルの上空で、太陽光は地上二万メートルで、それを受けてエネルギーに効率よく変換できるようになっただけでなく、二酸化炭素を炭素と酸素に安価で分離化させるという最高のエコエネルギーまでもついに実用化させたからだ。
 つまり、前時代的エネルギー源のウランを宇宙に求めなくてもよくなったということだ。
 …で、ワームホールからの帰還実験の成功が、宇宙開発に対するNASA撤退の花道となったのである。(ただし、軍事関連の開発はトップシークレットで進めていた)
 一方、日本政府がJAXAに、大幅に予算をつけたのは十年ほど前からだった。X社に対しても、補助金を提供しだしていた。宇宙航法の時空間短縮で成果をあげ始めた彦原への投資が国益につながると、官邸が判断したことによる。
 略説すると、金やレアメタルなどはむろんのこと、地球にはもともと存在しない天然資源を無尽蔵に有する太陽系外の惑星、まさに宝庫といえるそんな惑星から効率的に運輸する最先端技術こそ不可欠と、日本政府はふんだからだ。
 ただ、官邸の当初の目論見と彦原のめざすものとが乖離して数年、しかし、巨大な外貨獲得も国益になるとふんだ政府は、補助金を提供しつづけたのだった。
 天然資源の採掘や運輸ていどなら、正確無比や経費軽減が絶対条件であったとしても、彦原でなくても可能な事業と判断し、それで政府は、彦原が提案していたPJTにのったのである。

核兵器を全廃させる、未来からのテロリスト~破壊が生んだもの~ 第四章(前編)

 秘密保持がようやくなって百一日目の十一月十八日午前零時十九分、それは予定より二日以上早かったが、巨大な実験装置が完成したのだった。
 社が決定したのは十一月二十日午前十時であった。この日の早朝、マスコミ各社へ重大発表と称するメールを送ることに。完璧なサプライズのつもりで。
 しかしそれより二日早いこの日こそが、彦原が本来立てていた計画どおりの完成日だったのである。
 じつは彦原による、とんでもない目論見がうごめいて、社の予定日より早めたのだ。正確にいうと、彦原の実行日より公式発表日は二日遅くなるよう、かれが故意に設定したのだった。完璧なサプライズに魂消(たまげ)るのは、X社のほうであった。
 いずれにしろ、かれが少年のころ思い描いた夢を形となした、壮挙の日だったのである。
 年齢の面から類似点が多いので、あえてたとえればこうだ。十五歳の野口清作(のちの英世)が秘めていた少年(十五歳)の夢、目指しつづけた医師に苦学の末なった(二十一歳)のである。やがては、精進のかいあって細菌学の世界的権威とうたわれるまでになったのだった。後年、かれが命がけで手がけた事績(黄熱病や梅毒など細菌病原体の研究等で三度、ノーベル生理学・医学賞の候補《第一回目は三十一歳》になったほど)の数々。
 それと同じような、否、不具合な例で恐縮だが、比較にならないほどに破天荒な壮挙なのである、彦原の発明というのは。重ねていうが、まさに、空前にして絶後なのだ。
 しかし…、
 このあと、ある驚天動地の大事件のせいで、X社あげての予定していた各種祝賀行事開催は、ついに実施できなかったのである。

 それがどんな大事件だったかは、今はさておく。
 それよりまずは、彦原が少年期に発想し確立していった理論をしることこそ肝要であり先決であろう。ただし概要であるため、数式でしめすたぐいの難解な理論を期待されては困る。どこにスパイが潜入しているか、わからないのだから。
 ここで取りあげるのは、七月十六日の昼前、トイレで謎の男栗栖浩二が彦原に鎌をかけた“宇宙物理学理論を基盤とするタイムマシン”についてである。
 蛇足ながら、所謂(いわゆる)“タイムマシン”を直截(=そのものズバリ)的に創出するという理論ではない。
 ちなみに、彦原理論解明のキーワードは、“ワームホール”である。
 SF作品“スタートレック”などに出てくる言葉だ。直訳だと虫穴、意味を付加して和訳すれば“(リンゴの)虫喰い穴”となる。命名者は、米国の著名な物理学者、ジョン・アーチボルト・ホイーラーだ。1957年のこと。ちなみに、子どもでも知っている“ブラックホール”の命名(1967年のこと)者でもある。
 この“ワームホール”には、アインシュタイン・ローゼンブリッジという別名がある。
 かの“アインシュタイン”の高名を冠しているわけだ。それは一般相対性理論をおし進めてゆくと、“ワームホール”存在の可能性が垣間見えるからである。ある意味、予言といってもいい。逆からいえば、相対論抜きだと、ワームホールの理論構築はできないことになる。
 追記するならば、現代人として、アイザック・ニュートンにも感謝しなければならない。万有引力の法則に代表されるニュートン力学や微積分法と相対論がなければ、人類は宇宙に眠る資源を入手できなかった。
 二人の天才物理学者とその理論のおかげで、まずもって、二十世紀後半の人類は宇宙を目指せたのだから。
 さて、約百三十七億年前(あくまでも仮説)に、ビッグバンにより誕生したとされる現宇宙。
 この大宇宙に存在する、たとえば銀河系A宇宙の時間・空間、それとは別の時空に存在するB宇宙空間を直接繋(つな)ぐ、いわばトンネルとかバイパスのような抜け道、簡単にいえば、それがワームホールなのだ。
 つまり、自分が今いる銀河の時・空から、遥かかなたの時・空間、ということは、別の四次元(か、もしくはそれ以上)宇宙へ移動できる直通トンネルのような存在、と換言できよう。
 またワームホールの通過により、しつこいようだが、空間だけでなく時間の移動までが、結果的には光速かそれ以上で可能(詳細をしるには、相対論をはじめ宇宙物理学のマスターこそ必須)となる。
 ただし2011年九月二十三日の発表による、ニュートリノが光速より約60ナノ[一億分の六]秒速く進んだとの実験結果(いわゆる、タイムマシンの可能性を示す理論)とは、なんの関係もない。ついでながら、上記九月の実験結果は、翌年五月実施の同種実験により2012年六月八日にいたって、正式撤回がなされたのである。
 少し横道にそれたが、ゆえに、ワームホールを自在に操れるとする理論の構築こそが、“時空超え”には必須となってくる。
 以上が、タイムマシンに頼らないタイムトラベル理論のもっとも簡明な説明といえよう。
(筆者の説明が稚拙だとしても、彦原の行動により、いかなる理論かは、いずれ明らかとなろう)
 さて、彦原が四歳だった2068年に、ワームホールの存在が映像と検証により証明されたのだった。
 NASAが三十九年前の2056年に発射し、地球から二光年先の宇宙へ送りこんだ、光の5分の1の速度で航行する無人探査機サーチ6号。目標とした宇宙域に到達し、全方位スキャン(スキャンとは精密調査のこと、全方位における捕捉可能半径は約五百億km)を開始して二十二日後だった、搭載した、当時の最新式スキャナーが、突然出現したワームホールをとらえたのだ。
 その映像を地上で受信したのが、二年後の2068年七月のことであった。
 ところで、サーチ6号航行の目的位置を“二光年先の宇宙域に”と設定したのは、計算上、ワームホールの出現頻度が最も高いとスーパー量子コンピュータ京19がはじき出したからだった。
 幸運なことに、さらなる棚ぼた的新発見もあった。発現から約三十分後に、そのワームホールが宇宙に溶けこむように元の位置で消滅したときの、二年遅れ(二光年の距離の結果)で届いた映像、これが新発見その一である。くわえて、しばらくは発生位置にとどまり、移動はしない可能性が高いとの情報を得たことも。
 このふたつの、世紀の大発見のおかげで、ながい準備期間のすえに日米で一大プロジェクトが組まれた。
 地上発射が2085年から隔年にて三度、JAXA(国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構)が主体で、予算大幅削減により弱体化したNASAと共同の実験として廃品同然を含む実験機あるいは無人探査機を、ワームホール内に送りこんだPJT(プロジェクト)だ。
 三回目もとうぜんのこと無人だったが、2089年と決したのは、地球への帰還用ワームホール発生の場所と日時を予測可能とする理論構築に時間を要したためだった。三度回の実験は、映像情報だけでは用をなさず、どうしても機の帰還を必要としたからだ。
 ちなみに2085年はというとその年頭、光速航行(約300000km/毎秒という速度を維持するワープ航法)の実験機がついに完成し、ついで見事、無人航行実験が成功した年でもある。
 そのワープ航法だが、理論上可能だとのプレゼンが米某有名私立大の研究チームにより、日本時間の2077年の五月三日になされた。
 それは、ワームホールとタイムトラベルについての勉学に熱中していた天才少年が、十三歳になった誕生日でもあった。
 その三カ月後のことだ、NASAと民間非営利団体米国科学アカデミーによる合同チームが、「計算式に誤謬(ごびゅう)(=ミス)はない」と発表したのである。
 それから八年後の成功となったのだが、いまだに実用化のめどすら立てられないワームホール利用計画を揶揄(やゆ)(=からかい)しつつ、民間企業体がつくった持ち株会社(じつは、日本政府機関が株式の34%を所有)のPJTチームは自分らの宇宙航法こそ画期的だと、我田引水さながらの発表をしたのだった。
 自分たちのも、世界情勢の変化で足かけ八年を要したが、それにはふれなかった。
 さていっぽうの日米国家PJTチームは、ワームホールを利用して別時間の別宇宙空間へごく短時間で移動し、到着したその宇宙空間を、今度はワープ航法を使ってピンポイントで任意の目的点にまで光速で移動できる必要性や有用性および発展性を、根気よく説得し交渉をつづけ、ついには提携合意にこぎつけたのだった。
 その間のすったもんだは、報道されたとおりいろいろとあった。
 結局、いわば日本国が所有する株34%が、最終的にものをいったのである。まあ、そんなことはどうでもいいのだが、おかげで、ワームホール頻発領域と地球とのあいだを航行する時間が十年から二年へ、大幅短縮させられるようになったのだ。
 これにより、日米による宇宙開発の未来は洋々たるものとなった。
 さて、話を戻すとしよう。
 ワームホールへ潜入するまえに、実験機の推進力(メイン動力)をオフにした第一号機であったが、ワームホールに文字どおり吸引されるがまま呑みこまれた刹那、間髪入れず、地上への映像発信をふくむ全コンタクトが、予測したとおり二年遅れで取れなくなってしまった。まさに、《鉄砲玉の使い》のごとくになるとした理論どおりであった。
 2087年一月に実施した二回目の実験(ブーメラン計画=活用したワームホールが消滅する前に元の宇宙空間へよび戻すPJT)も成功させ、のぞんだ三度目のPJTでは二機を用意し、数十種類による生物実験をおもな目的として実施したのである。
 エサや水・肥料の供与そして光源など、実験用動植物の生命維持に必要な物質や要件の供給は、二機ともに地球出発のときからAIロボットがつかさどった。
 では、AIの主力たるコンピュータの仕事は?というと、補佐する二台をふくむ三台が船の全運航、なかんずく、ワームホールをつかった別宇宙への入りと出、出とは再度のワームホール利用を出発点とする地球への帰還全般である。二度目の実験成功があっての試みだ。
 つまり発進から帰還までの全工程を、コンピュータがすべて取りしきったのである。

核兵器を全廃させる、未来からのテロリスト~破壊が生んだもの~ 第三章(後編)

 日毎夜毎、天才科学者の心奥では、納得していないとばかりに不定形の無色透明体がキリキリと音を発していた。音の源はつまるところ、無理やり彼が押さえこんだそのときごとの潔(けつ)麗(れい)な良心であった。
 かれの生きざまをつかさどってきた根底の存在そのものが、精一杯の抵抗をしていたからだ。==そんな残虐行為、どんな理由があろうとも、していいわけがない==と。
 既述したように日々葛藤で、自縄自縛状態なのだ。大望をえらぶか罪悪か、あるいは、誓願か良心かでぶれる無間地獄が、まさに彦原であった。
 いずれにしろ、彦原の五歳時におけるインスピレーションに端をはっした十二歳からの純粋な悲願…タイムマシン機能をもつシステムの達成は、目前なのである。
 くわえての、若き鬼才の、入社直後からの大願。十一年強の長きにわたる奮闘は、並大抵ではなかった。人類初のタイムトラベルを実現させることがどれほどの難事業か、そんなことは、考えるまでもない。
 すすむか留まるかの二者にくるしんでいても、達成間近ともなれば無理からぬこと、逸るきもちを押さえられなかった。自分がこの世に生まれ立った意義を、存在価値を、彦原でしか達成できないタイムトラベルを、一刻も早く。
 そのいっぽう、純粋とは対極の残虐を現出させてしまう偉業なのである。
==嗚呼、心の地下倉に鍵をかけて閉じこめていたはずの十五歳時のぼくの理想==それが蘇ったのはすべて、二年七カ月前に思い知らされた無力感と喪心のせいだ。
 核兵器全廃という大義が、無血という理想の姿では達成できないと思い知った。なぜなら、百五十年間の核廃絶市民運動だが、なにひとつ実を結ばなかったのだから。彼らに罪はない、とは変わらぬ彦原の想いだ。
 だとしても、実現できなかったという史実はあまりに重いのである。
==そうではないか!==為政者に憤怒し、激したあげくに虚脱を得、核廃絶運動へ絶望し、理性が砕けちる破滅をえた。寸刻ののち、怒髪衝天へと増幅していったのである。
 彦原のこころの葛藤は、ことここにいたり、手を下すことになる忌わしい大虐殺という現実でしか、核廃絶を完遂できないとの論理に帰結した。
 その直後にこうむった自暴自棄。
 いかなる表現も陳腐で寸たらずとなるのだが、あえて心裡を記す。発火寸前の油釜に放りこまれ、皮どころか肉も沸熱のなかで寸時に縮み、もがき苦しみながらもはやこれまでと、生を諦める絶望、なのである。
 それをふみ越えながら、理想と大願を実現させるための、空前の大殺戮。阿鼻地獄、叫喚地獄、焦熱地獄があちこちで出現すると知りつつ、冒すのだ、人倫を畏れぬ大逆を。
 執拗な表現で恥ずかしいが、しかも悪しきことにその大罪は、不測のおおきさなのである。
 これからなんども生まれ変わり、そのたびごとに償いをくり返しても、消し去ることのできない大逆、なのだ。
==それでも、なにがなんでもあのおぞましい歴史を、根底から転換するんや==と。==歴史の大転換以外に、核兵器廃絶などできない!やるしかないのだ。核戦争が起きてからでは、遅すぎるのだから==
 巨悪に目を瞑(つむ)りさえすれば、「…人類への貢献は、空前にして絶後や!」と、幾度となく発した正当づけんがための孤独な雄叫び。涙があふれ出るなかで、ひとり唇をかんでいたのだった。
 むろん、彦原は自覚していた、論理が手前勝手な思いこみだということを。¬¬
だから心の内奥にて、すかさず出る反論。==おまえはその人たちに償えるんか?犠牲止むなしと廃品みたいに切り捨てられるんか!==罪悪感と大義とが混淆(こんこう)(=入りまじる)する心のままの、叫びであった。
 普段、はたらきアリを踏まないよう心がけている彦原の優しさは、そしてちいさな命さえも慈しむ心は、どうなったのか、どこへ消えたのか。
 悶々、青年の胸中には大望か絶望か、解決不能な矛と盾が混在していたのである。

「最新の対盗聴撮装置を取りつけてほしい」との二年前からの請求は却下されつづけた。
 最新式を設置したりすれば、特別な発明とその開発の事実をかえって世間に吹聴するようなものだと。
 開発段階時は無防備になりやすい、産業スパイの、格好の餌食にされてなるものか、そんな社上層部の判断のもと、あえて従来型装置のままで通したのである。
 それに従来型とはいえニ年九カ月前に設置したもので、数段進化した機能をもっており充分役にたつと判断したからだった。結局は、CEOの鶴の一鳴きで決まったのである。
 まさに歴史的な発明を徹底秘匿化するために、ウラをかいたつもりであった。
 いや、だけではない。経営陣であれ一般の労働者であれ、X社内で各自支払われる報酬に不満をもつ人間などいるはずがないと。なぜなら、彦原たちがつくりだす発明で、莫大な営業利益を計上し、株主たちもふくめ、その配分は充分な金額だった。だから、社に不利益をもたらす行為をするはずがないとふんでいたのである。発明が基幹なればこそ、社員を信用しないと立ちいかなくなる、これは当然の経営理念であろう。
 そこに異議をはさむものではないが、それでも彦原が憂慮したとおり、情報は漏れてしまったのだった。もっとも、装置を最新式にしておけば防げたとは言いきれないが。
 つまり、最新防止装置を取りつければそれですむという話ではない。それで東専務は、社の代表権に裏うちされた専務命として、プロジェクトにかかわる社員全員に二十四時間、はずすことのできない盗聴装着を義務づけた。
 テロやサイバー攻撃が多発した2015年を機に、各国は自由より人命や国家をふくむ組織の防御・防衛に重きをおくような法体制をとるようになっていった。非常時の期間限定であれば、一企業でも認められていたのである。ただし、せいぜいニ~三カ月のことだと。
 プライバシー保護や人権云々を主張する社員にたいしては、そのあいだだけだが有給の出社停止という厳しい態度で臨むことになったのだ。
 研究所はじまって以来のこれほどに徹した対策は、一種の戒厳令ともいえた。
 同時にCEOと協議し、同日、昇格の名目で女性所長の任を解き閑職へと配置転換した。
 とともに、彦原がとり組んでいる理論に重大な欠陥がみつかり、完成にはすくなくとも二年はかかるとの偽情報を、彦原の部下数人が噂ばなし的に上級幹部にそれとなく流したのである。発明の具体的内容は秘匿したままでだった。とはいいつつ、露骨な手段は避けた。
 理由は簡単、プロジェクトそのものが超トップシークレットだからだ。
 それでもみなの最大の関心事だったから、情報は加速度的に伝播していった。ことに、アンテナを張りめぐらせているスパイには、噂ばなしで充分であった。あわせて、偽情報流布装置も効果的に作動したのである。
 秘事めいた工作のかいあって、天下りで入社したために愛社精神が希薄な二人の盗聴犯をすぐに見つけだせた。処分はこれみょうがしに上層部に任せ、そのあとも偽情報を流しつづけた。おかげで、納入業者に身をやつしていたスパイ三人も見つけだし、以後、偽情報におどらされるうごきは終息したのである。ちなみに排除はしなかった、かえって怪しまれるから泳がしたのだった。
 というのも基本的に、彦原に不安はほとんどなかったためだ。かれが大騒ぎまでして偽情報を広めたのは、アリの一穴というちいさなほころびすら存在させてはならないという、細心すぎる用心のせいであった。
 たしかに、世界が驚天動地する発明だからこそ、盗ませるわけにはいかなかったが。
 しかし杞憂となるほどに、隔離され完全密閉された肝心の巨大メイン工場のセキュリティは、完璧なものだったのである。
 それで、ここの最重要機密の核心が外部に漏れることは一度もなかった。
 巨大工場内にはいれる人間は、CEOは別にして、最高責任者の東専務と研究開発に直接携わる彦原チームだけであった。
 日々進歩のAIにより、工場内で組立や運搬作業などの実務をしているのは、すべてロボットだったからだ。しかも、たとえ社内からであっても、メイン工場内のコンピュータやロボットにアクセスするには、彦原がつくった複雑な専用コードを入力しなければならない。
 つまりかれの部下といえども、工場外からだとアクセスはできないというわけだ。
 まして部外者がAIから情報を盗みだすなんて、天地をひっくり返すほどのパワーをもってしてもできない相談であった。彦原理論のデリケートな計算式の一部をコードに組みこんだために、かれ以外は入力できなくなっている。もっとも工場内にいるかぎり操作は可能だから、研究開発に支障はまったくなかった。
 しかしそれでも彦原は、気を緩めないよう部下たちに指示したのである。

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