さて予定していた行事、マスコミ発表や晴れやかな完成披露式典ならびに祝賀パーティ等を挙行できなくした驚天動地の大事件。CEOの一安心を完膚なきまでに粉砕した大事件…。
それは、発射予定日ニ日と約六時間前の2095年十一月十八日午前三時五十一分、彦原茂樹が宇宙船を、単身で発進させたことだった。
ドリーム号(命名が陳腐と笑うなかれ。思いがストレートなだけで、発想力が貧困だからではない。くわえて、子どもでもわかる名前を採用したのである)と名づけられた実験用ステーション型宇宙船に深夜、万全の準備のうえで、秘かに乗りこんだのだった。
ところでその準備のひとつは、発射十日前にすませた。シミュレーション試運転にも成功し、あとは本番をむかえるだけとなった日の深夜である。工場に単身やってきた彦原は、全ロボットをフルにつかい数時間かけて、船腹に車の出入りが可能なハッチをつくった。そのうえで、外見、そうとはわからないよう工夫しておいた。
もっとも、部下たちが入船することは、発射前日以外はもうないはずだ。よって、ハッチの存在に気づく心配はなかった。
残るおもな仕事は、クルーたちが生活するに必要な機材等を運びこみ、設置するだけだ。最長、五日を見こんでいる。
さて、彦原がつぎになした万全の準備は、数種類のセキュリティ解除だった。
手はじめに指紋認証をしたかれは、つくっておいた自分の分身ロボットに使役させ、手順どおりほぼおわらせた。
そのうえで、残ったふたつのうち肝心なのは、ドリーム号のセキュリティ解除である。ラス前の作業ときめていた。
船のこの、あらかじめの規程にそった解除だが、じつは、これがいちばん大変だった。適確かつ迅速、しかも軽微なミスすら犯せないからだ。解除後、十秒以内で船のメインコンピュータ(MC)の始動準備をおわらせないと、何重にも組みこまれた船の起動妨害機能が作動し、完全なるロックアウト状態となってしまう。
最高企業秘密ゆえに詳細ははぶくが、ここでのロックアウトとは、船の完全なる機能遮断をさす。いったん発令されると、全システムの復旧にまる五日はかかってしまう。
侵入者にとっては、厄介な機能遮断となる。船自体を盗みだすことはおろか、装置を取りはずすことも、装置の機能をコピーすることもできない事態に陥るというメカニズムだ。
これほど厳重なシステムは当然、社運をかけたプロジェクトを守りぬくためである。
では、破壊工作にたいする備えはどうなっているのか?くわしくは後述するが、研究所の入り口より先へは、爆発物や銃器類等を持ちこむことなどさせない仕組みとなっている。
ところで船のMCを起動させるにはまず、CEOか専務か彦原、このだれかの虹彩認証が必要となる。いっぽうで、船のセキュリティ解除用ボタンはメイン工場のメインゲート横壁面に設置された操作盤にある。それからドリーム号までは、瞬間移動でもしないかぎり十秒では行けない。つまり、単独ではMCを起動させられないのだ。
しかしセキュリティ上、十秒とした本当の理由は、侵入者が複数人いようと、防御システムをクリアさせないためである。
まず不可能だが、たとえ、三人のうち一人の虹彩のコピーを入手できたとしても、始動準備させるには、つぎに、七桁の暗唱番号をうちこまなければならない。知らなければ、正規の手つづきを十秒以内でふむことなどできない相談だ。
だいいち、部外者が、このメイン工場に一分以上いること自体むずかしい。警備ロボット包囲網がただちに敷かれるシステムのせいだ。
あるいは、何か特別な手段をもちいてこれらをクリアしたからといっても、すぐには発進できない。準備を完了しMCが起動後、船の全システム稼働までに三分はかかるからだ。
この三分間を利用したセキュリティシステムに、じつは、彦原以下の専従チームを活用する形で、かれらが組みこまれていた。
上記三人のうちのだれかが脅迫され侵入者に協力させられたときの防御システムとしてだ。
それは、MCが起動したとの通告をかれら全員のスマフォに送るという方式である。
計画にそった船の正常なMC起動ならば、その事前において専従チームは、すでに各自持ち場で仕事にいそしんでおり、当然ながらだれもその間、起動に不審を懐くはずもない。
逆に、事前の知らせのない唐突な通告がとどいた場合、それ自体が異状ということになる。
そんなときのための防御システムなのだ。通告受信に最初に気づいた研究員が、すぐに船をフリーズ状態にするであろう。やり方なら簡単だ。
研究員各自専用のスマフォ(指紋による個人認証をしなかった場合、機能しない)で、船の全システムを稼働できなくする信号を送信できるようにしてある。実行すれば、たちまちロックアウト状態に陥る。こうなると部外者はむろんのこと、立ち往生するしかない。
とはいっても、どんな場合でもロックできるというわけではない。いったんMCが起動し船の全システムも起働完了すると、遠隔操作ではもはや機能停止できないようにも組まれている。船の正常な発進を、ハッカー等に妨害させないためだ。
ついでに、さらなる追加で、万が一のべつのセキュリティシステムも組んだのだった。
社機密情報におおむねつうじた侵入者が出現したとして、それでも、船のセキュリティ解除を失敗させる工夫である。じつに単純で、手順どおりの操作のあとにMC用制御盤の解除ボタンを押せば、解除完了との表示がでるのだ。ただし、あくまでも見せかけの、である。
実際の正規の解除には、専従者しかしらない極秘のコードがあり、それを入力しなければ、そのじつMCのロックはかかったままなのだ。
いっぽう、侵入者は、解除完了の偽装ともしらずフェイクに安心する。
直後、研究所内に強力な催眠ガスが散布される。つぎの刹那、手ちがいに気づくも手おくれで、手近にある工具類をもって手あたりしだいで船を破壊しようにもできず、全員が後ろ手でお縄となるのである。
かれらには気の毒だが、爆発物持ち込み不可と同様のセキュリティが組まれているから、持ち込めなかった防毒マスクをつかうことも、当然できない。
これは、CEOと専務と彦原たち研究員しかしらないセキュリティなのである。
ところで既述したように、ラストふたつ、これら別々のセキュリティ解除法を知悉した人間が複数いて、十秒以内にどちらもクリアしてはじめて、ようやく三分後に船が発進可能となる。
しかしMC起動直後に、その通告が全研究員のスマフォに送られるという防御システムもクリアしなければならない。MC稼働停止の信号をひとつも漏れなく防ぐことが、はたして可能だろうか。
このような、デジタルとアナログ両面のセキュリティシステムを張りめぐらせたのだ。
完璧とも思えたセキュリティシステム。にもかかわらず彦原が出しぬけたのは、研究所内のすべてのノウハウをしり尽した副所長だからこそだった。
ただし、手口は後述となる。
まさかの、独断でのドリーム号の発射は、いうまでもなく立場を悪用した、震天動地の暴挙であった。
さらには、恩人である専務への、そして長きにわたり労苦をともにした部下たちへのまごうことなき背信行為だったのである。
信義や信頼をうらぎった彦原は、飛びたった船内にあって、掌(たなごころ)をあわせ全霊で陳謝していた。十一年のあいだに、紆余曲折や試行錯誤をともにした部下たちと専務にたいし、衷心よりのだ。だから毛筆にて認(したた)めひとりひとりへ宛てた手紙は、かれの涙色に染まっていた。
辛労のすえにだした結論、それがたとえどんなに大きな目的を達成するためとはいえ……、許されざる背信行動と、ふかく頭(こうべ)を垂れるしかなかった。
刹那、想いでが蘇った。
専務がまだ所長だったとき、入社翌日の彦原に声をかけたのだ。「君は発明で、僕はそんな君を実務でバックアップするから。なっ、ふたりで人類の未来にむけた貢献をしようやないか!彦原君、たのんだで」誠意に満ちた笑顔でだった。
「はい」とちいさく固まった儀礼的あいさつのあと、「社にとっても日本にとっても必要な資源の確保に、まずは貢献していきます。そのうえで僕は、ご承知のとおり、悲願であるタイムトラベルをなし遂げてみせます。どうか宜しくおねがいします」二十歳の青年は未来を見さだめた瞳で、姿は神々しくさえあった。そして、自信に満ちあふれていたのである。
ふたり、ともに誠実であった。所長から専務に昇進する過程で毎年、必要な予算をつけ、最大限の便宜をはかってくれた。入社九年目で副所長に昇格した彦原も、理論構築に骨身を惜しまなかった、ただの一日も。だから互いのはたらきに満足し認めあう仲となった。
母親ほどの夫人も可愛がり、健康にも気づかっていた。また、邸での月一の手料理は美味だった。親子のように固い信頼で結ばれていったのである。
部下との想いでは、もっと濃密だった。
「彦原さん!」当時はまだ特別主任研究員だったが、肩書ではよばないようたのんでいた。「工場で爆発事故が発生しました!」報告しにきた若手の顔は蒼ざめ引きつっていた。
入社八年目で、任意のワームホールが出現する時間とその宇宙域(正確には宇宙座標)を予測する理論構築に成功し、予測装置を製作しているときに事故はおきたのだ。
「それで怪我人は?」死者がでたという不吉な想定はしないようにし、もうひとつの心配事を最初に問うた。装置や工場が壊れたくらいなら、いくらでも取りかえしはつくからだった。
「三人が負傷」
「状態は?」“三人とも意識はしっかりしています”との即答にまずは胸を撫でおろした。三人とも、可愛い部下たちだったからだ。自費で救急車を呼び(2069年の法改正で有料になっていた。料金は年収の二百分の一と条例できまっていた)、大事な仕事を中断までして精密検査につきあった。脳波にもMRI検査でも異常はみられなかったことではじめて安堵したのだった。
遅れたぶんの仕事は、休日を返上してこなしたのである。
この、自分のことのように心配しつき添った姿が感銘をよび、チームの結束はいっそう堅固となった。そして、社内での彦原への信頼や評価はさらにあがったのである。
またべつの思いで。こちらは最近であり、軽かった。思いだしたのは、かれも恋に憧れる男だったからだ、三十一歳になったばかりの今年五月のことだった。
「彦原さんは、いつもこうしてチョコレートやキャンディー、休憩時には和菓子などをふるまってくれてます。おかげで一息つけるってありがたがってますよ、みんな」彦原の瞳をみるのが恥ずかしいのか、テーブルにおかれた栗ようかんからじぶんの湯飲みに目を移しながらいったのは、三年目のわかい女性研究員だった、清楚で可愛らしい顔だちが印象的な。
そこへ無粋にも、「それよりもっとありがたいのは、良好な睡眠がとれる寝具類を全研究員におくっていただいていることです。女房によると、けっこう高価なものだそうで。余分な出費をさせてもうしわけありません」と。“けっこう”も“余分”も、余分な修飾語だった。IQ百五十超の秀英なのに言葉づかいにいささか問題があるのは、学者バカのせいである。
「なにも感謝にはおよばないですよ。糖分だけが脳のエネルギーとなることは常識ですし、研究開発という仕事には、良好な睡眠も不可欠ですから。いわば、チームのためです」
おかげで、銀行口座は軽くなった。たしかに相当な出費だったが、こともなげにいったのである。
…ああ…ほかにも蘇った種々様々の想いではすべて、感慨ぶかいものだった。
研究が挫折し、絶望的な壁にぶち当たったことも十指をおるくらいではたりない。それを乗りこえられたのはみなの団結力があったればこそだった。ひとの失敗を責めるのではなく、失敗をみんなの糧としてきたのである。そんな仲間だったから、「ベストなチームワーク」との吐露は本音だった。知識や知恵・経験など不足したぶんをお互いが補い励ましあいながらがんばってきたおかげで、歴史的大事業達成前夜にまでこぎつけることができたのだ。
万感が心を圧し、たどった想いでからこみあげてくるのは、ただただ感謝の念だった。
ところでじつはもうひとつ、この件でもちいさな謝罪をしなければならなかった。
前日の昼、みなにふるまったケーキのなかに、十二時間後から効きはじめる睡眠薬を混入していたことをだ。かれらから、重要な仕事のひとつ(スマフォによるセキュリティ発動)を奪ったからである。
それでもと、涙をグイとぬぐった。かれがもつ美徳である誠実や思いやりよりも、みずから決した使命感が勝(まさ)ったからだ。
むかう先は、社が予定しているワームホール、ではない。そこにむかえば、2号機であるホープ号があとを追ってくるだろう。
だいいち、実験でむかう予定のワームホールでは目的を達成できないのである。
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