日米両国関係者の悲願がすべて叶うかたち、つまり、2092年春の帰還から翌年秋にかけて、宇宙における生物実験が最終テストである種(しゅ)の同系交配においても、ノープロブレムというもっとものぞましい結果でコンプリートし、さらに、地球への帰還が可能なワームホール発現を予測する理論も構築されたと、そう既述した。
となると、つぎに必要となるのは、適宜なワームホールの発生予兆をもっと早く探知することである。
くわえて、誕生以来46億年生きているそのうちの、どの瞬間の地球(を含む同時刻に存在する宇宙空間としての銀河)に通じているワームホールなのか、適宜とは書いてみたが、その正確な年月日を、便宜上とはいえ、なんとしてでも知らねばならなくなる。
以上を噛みくだくと、説明はこうだ。極端なはなし、地球が誕生する以前(宇宙誕生が通説を採用して138億年前だとすると、138億マイナス46億イコール約92億年、この間、地球はまだ存在していないわけだ)の宇宙空間に通じるワームホールを利用してトラベルしても、なんの価値もなく、だからだれも行きたいとは思わないだろう。
なにごとも、地球あっての話なのである。
考えてみるがいい。タイムトラベルに参加する一般的な観光客は当然、多額の旅費を払うことになるのだ。せっかく行ったのに、地球はまだ誕生してなかった、「それで見る価値のものはなにもなかった」、では、洒落にもならないではないか。宇宙地学者ならちがう考えをもつだろうが。
そうならないようにするには、既述した適宜の中身こそ問題となる。
端的にいうと、いつをチョイスするか、だ。観光価値のある地球の年代、たとえば闊歩する恐竜を間近で俯瞰できるとか、歴史的大事件をリアルタイムで目撃可能だとか、がそうであろう。
この条件を満たすためのその一。適宜だといえるワームホールをそれが発現する前に、あらかじめ探知するしかない。そのためには、最短で発現を予知しなければならない。
でないと、せっかく適宜なそれが発生してもムダになってしまうという、そんな残念もありうるからだ。三十分強しか発現していないとの観測のとおりである。光速航法で向かったのに、到着前にそのワームホールは消えていた、では困る。まさに、お金をドブに捨てる愚だ。
逆に、時間とお金の浪費を防ぎつつ安全も考慮するなら、ベストは、客をあらかじめ、ワームホールから一万キロていどの近場で待機させておけばいい、となる。
それにはやはり、正確な発現時間とそれの場所を事前に知っておくしかない。
くわえてのその二。ぜいたくだが、ワームホール通過後の地球がどの時代(例1、ジュラ紀や白亜紀=恐竜の全盛期、という区分けもあるが例2、古代エジプトや日本の戦国時代、という考え方も)か?も、知っておきたいものだ。
いやそれでは、まだ不充分だ。もし可能ならば、地球到着日の正確な年月日が詳細であるにこしたことはない。ことに、歴史上のできごとを目の当たりにするためには。
というわけで、その理論の構築こそが次のステップとなった。
さらには、ステップをなし遂げたうえで最高最良のタイムトラベルに必要な最後のミッションがある。それは、最適の年月日につながるワームホールを自在に作り出すための理論構築であり、それを駆使して創りあげる試作機の実験成功である。
ここが、時間旅行を完璧なものにするロードマップの終着点だ。行きたい時刻に、ピンポイントで行けるシステムができれば、帰着時間も任意にチョイスできるわけで、往復するだけで四光年分の所要時間イコール四年を、つまりはゼロにできることになる。出発した直後に帰還すれば、タイムトラベルの所要時間だが、結局、数分ですむからだ。
こんな、夢のような時間旅行ならばこそと、世界の名だたる宇宙物理学者が栄誉と巨大な利益を求めて臨んだのはいうまでもない。
が、壁にことごとく跳ね返され続けたのである。
そんななかご多分にもれず、天才の名はかれにこそふさわしいとされた彦原も、時間旅行のための理論構築における最終目標は同じであった。がその前段階として、まずは発生予兆の最短探知理論の構築を目標としてかかげた。
おかげでかれは、まさに<寝ても覚めても>となった。じじつ、X社の研究室に寝泊まりすることが、二十歳代前半の月・水・金の日常となったのである。
そしてついに、理論を完成させたのだった。
あっ、誤解がおきないよう、そのまえに記せばならないことがある。
まずは基本中の基本なのだが、彦原理論のごときワームホールを使ったタイムトラベルでは、過去の時代は選択できるが未来にはいけない。そこが、SFのタイムマシンとは異なる点だということ。
さて…、上記理論の構築成功もだが、じつはその前段階で彼が成し遂げたことに、世界は驚いたのだった。それを境に世界は、彦原を天才と称するようになったのである。
地上にいる状況のままで、発生を予測できたワームホールの向こう側の時(地球歴でいつの時代か?おおまかだがカンブリア紀だとか、それよりずっと以前の太陽系誕生の前だとか)と場所(宇宙座標で何光年先だとか)を知る理論を構築し、それを立証したからだ。
例の日米の一大PJTが組まれた、まちがいなく下地のひとつである。
この理論完成の年、すでに京都に昔からある国立大の大学院博士課程を飛び級で卒業し、彼はそのままドクターとして研究室に残っていたのだった。
しかし理論完成した日の夜にヘッドハンティングされ、二十歳でX社と契約した。
株式会社の形式をとるX社ではあるが、政府機関が出資し、34%を所有する筆頭株主となっている。
ところで、彼は知る人ぞ知る、現代のハインリッヒ・シュリーマンとなった。
さて?…突如のH・シュリーマンだが、ドイツ系のかれは大実業家にして著名な考古学者でもある。1865年の夏、来日もしていた。そのかれだが、子どものときに知った“トロイの木馬伝説”を、歴史上の事跡と信じたのだ。成人するとやがてクリミア戦争時に武器の密輸などで巨万の富を得、その私財を投じてトルコに居を構え、ついに“トロイ”の発掘をなし遂げたのである。つまり、ギリシャ神話における伝説のトロイを、史実だったと証明した人物なのだ。
子どものときに懐いたロマンを成就させたという意味において、彦原も同類であろう。
脱線してしまってごめんなさい。X社が社運を賭けた一大PJTの話題に戻すことにします。
彦原が二十歳のときから十一年かけた、タイムトラベルを可能にするPJTだ。
時間旅行するうえでまず必須となったのが、行きたい時代(その年月日。たとえば龍馬暗殺の犯人たちを知りたければ1867年十一月十五日に照準を当てる)の地球(に限定する必要はない。たとえば1969年七月二十日二十時十七分四十秒<世界協定時>の月面…そう、アポロ11号による人類初の月面着陸時間にすることだって可能なのだ)につながるワームホールが、いつ、どこで発現するかを探知するための理論構築であった。
で、つぎに必要となるのが、ワームホール発現のごく微かな予兆を測定する装置だが、こちらも心血を注ぎこんで完成させたのである。
これでようやく、まさにその、人類史的革命前夜にまでこぎつけたのだ。
あとは実験が成功し、おかげで…旅先となるワームホールの向こう側の過去、それが、その時間旅行者自身にとってはまさに現在であり現実そのものとなるのだが。
“なるであろう”と仮定しないのは、天才彦原にたいして失礼だからで、当然かれもまわりも、成功に揺るぎない確信をもっているからだ。
そして一大PJTは、このあとの話だが、みごと成功をおさめるのである、X社の想定とは時代もだが、目的そのものが、経営トップにとっても寝耳に水のまったくちがったしろものとして。
それこそ天地雲泥と称すべき内容だが、実体はあとの楽しみとさせていただく。
で、宇宙船に乗りこんだタイムトラベラーは、ワームホールを通じ別時代の地球へ帰着(150年前の地球なので、帰還ではない)するのだ。ちなみにかれは、たとえば火星とか他の銀河などの別宇宙域という空間移動を欲してはいなかった。
では彦原の望みは?
現時点十一月十七日からみて三日後の2095年十一月二十日午前十一時(タイムトラベラーが地球を出発した二十分後)の地球に無事帰還可能なワームホールの発生を探知する小型装置、それが必要となった。単なる帰着ではない、帰還用ワームホールが発生する正確な時間と、宇宙座標が示すその位置を探知できる小型装置の開発だ。
じつは一年半前、若き天才が労苦を重ねたのち、すでに装置は結実していた。ときに、小型化する必要性だが、当然、宇宙船に搭載するためである。
あとは本格的実験の成功を祈るのみ。
関係者たちは、その日が来るのを首を長くして待っていた。その日とは、X社CEOたち首脳が希望した過去の地球に通じるワームホールが生まれる、三日後の十一月二十日午前十前二十八分のことである。
天才には無礼を承知で、理論が正しければそのワームホールは、一億四千五百万年前の地球(中生代ジュラ紀後期)に通じている、はずだ。巨大恐竜がのし歩いていた地球に、である。
余談だがスーパー量子コンピュータ京は、おおまかに一億四千五百万年前に遡(さかのぼ)る、ではなく、行き着く先の正確な時間まで当然計算している。しかしそれが正しいかどうかも、本当のところ実証できたわけではない。彦原とチームの結実を信じるにしても、それを実証する必要があった。
現在時刻が十一月十七日午前零時三十一分過ぎだから、あと三日と九時間五十六分四十四秒後。そのワームホール発生場所は、地球から恒星ベガ方向へ二光年先の宇宙空間。宇宙座標でいうと、…表記は意味がないから止めておく。宇宙船の発進まで、三日と九時間五十六分、ええと、九秒進んだから、同五十六分と三十五秒待たねばならない。
ただし実験成功後も、このPJTには、既述したように最終といえる課題が残っていた。それが具現化してはじめて、かれのPJTは一分の隙もなく完成したといえるのだ。
その課題とは、現在という時・空点から、好みでチョイスした、平たくいえば行きたい時間・空間へと通じるワームホールを人工で作り出す装置、を完成させることである。
この装置がない現段階では、任意の時間・空間にいつでも自在に往来できる、わけではない。都合よく発生するワームホール頼み、はっきりいうと、ワームホールの思し召し次第、だからだ。
要はワームホール自在作出装置の完成によって、過去への自在な、つまりは彦原方式の完璧なタイムトラベルが可能となるのである。
もちろん、このPJTの中心者も、彦原茂樹であった。ワームホール自在作出理論の構築および同装置の設計と完成という重大な社命を担っていたのである。いやすでに取り組んで一年半が経過していた。
だから当然、三日後に出発させる、社が今回選んだ十一人のタイムトラベラーは彼以外となった。
それでも彦原は、「宇宙における情報収集のため」と十五カ月前、タイムトラベラーに志願してみたのである。だが、かれの主張に理解を示した専務ですら了承はしなかった。
だが、この志願のウラには、だれも知りえない別の理由があった。彦原の、三年越しの懊悩、良心の呵責、連夜の悪夢、それらの真因である核兵器完全廃絶を自流で敢行すべきか、それを、重大にすぎるがゆえに、いまだ決心できないでいるのだ。
社運をかけた最大のPJTの中心者だと自他ともに認める彦原の、長期にわたるタイムトラベルを上が仮に了承したら結果どうなるか?上記の、自在作出装置の完成に、“めどがまったく立たない”となる。
神は人間の空想の産物でしかないとして、かれはまったく信じていないし運命論にも興味をしめしてこなかった。
だが==彦原自発の核兵器完全廃絶という大義を天は許すだろうか==と、考えぬ日は、皆無だ。悩み迷いつつ、そしてあえぎながら、それでもなお結論をだせていない。
敢行がひきおこす犠牲の甚大が、ひととして、かれを混乱させるからだ。このままだと気が変になってしまうかもと。じじつ、懊悩から、胃液をもが逆流するほどのおう吐をしたこともすくなからずあった。
いっそ、別段による判断、そう、古代、科学に無知ゆえ頼った神託(=神のおぼし召し)ではないが、そんな、不完全で不確実に任せてみようか。
天の願うところではない、彦原のわがままが受けいれられたならば、そう判断できるのではないかと。
思い起せば、十五カ月前のことであった。
大願にたいし、自分で自分をきっと制御できなくなるだろうから、それで、ひとの力を超えた存在に“奇跡の星”の未来を託そうとかんがえたのである。
社のトップが彦原の志願を承認した場合、…それはとりもなおさず重大な社命を彦原に託さないということになる。
なれば、天の意志(それが存在するとしてのことだが)は、彦原の大義の達成を望んでいないと断定していいのではないか。
まるで中世中国の故事に由来するようだが、そして科学者らしくもないが、神を相手にしていないかれは一方で天命という不可思議を、存在として否定できないと思っている。
全身全霊でことに挑めば、いい換えると、人事をはたし尽した場合にのみ、真理として天の命じるがごとく事の成否がきまると、そう信じたのだ。
物理学者らしからぬ、まるで運命論者がごとき牽強(けんきょう)付会(ふかい)(=道理にあわないの意味)であろう。だが散々に考え、悩み苦しんだすえに最終結論を出せないでいる現状ならば、いっそ運を天に任せてみようと、科学者らしからぬ行動に出たのだ。つまり、《人事を尽くして天命を待つ》の心境であった。
その心裡の奥底に、自らの行為がもたらす凄惨を止めたいとの良心が、それを自覚してはいないのだが、隠れひそんでいたからであろう。
それで、抑止力を、自分以外に求めたのである。かりに天が求めていないなら、いくら万全な手を打っていたとしても、試みは必ずや失敗するはずだと。
たとえは悪いが、名探偵ホームズやポアロほどの人智をもってしても犯人をあばけず、よって発覚などありえないはずの、つまり一分の隙もない完全犯罪を計画し実行したとしても、天が許さなければ、計画にわずかな狂いがしょうじ、やがては露見し逮捕されるだろう。いわゆる、天網恢恢(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず、である。
くわえての、ニュアンスもあった。凶悪にたいする、人事ではおよばない抑止力としてである。凶悪犯がその犯行を悪逆だと自覚しつつも理性では自制できないでいるとき、あえて警察に犯行予告することで制御、さらには抑止させようとする心理に、どこか似ていた。
少し違うか、あるいは例としてはピッタリではないかもしれないが、覚醒剤をやめられない中毒者がじぶんの実態をさらけ出すことで、極端な場合、警察署に自首することで覚醒剤を断とうとするようなことである。
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