ところで彦原の希望や想いはさておくとして、2チームで構成されていたのである。
 2チームとしたのは、ワームホール通過直後、一億四千五百万年前の地球が存在している宇宙空間で、別々の実験をさせるためにだ。当然、宇宙船も別、持ち場を別ということになる。
 ひとつは、全員が若い社員で構成する、特別な宇宙飛行士チームだった。
 どんな仕事なのかを詳細に説明したうえで志願者を募集し、精神力、特に忍耐力を試す難関なテストに合格した健康体の八人(男女各四人づつ)を、専務が選抜したのだった。
 また、三人からなるもう1チームは通過直後も留まることなく、ワープ航法をつかって地球へいき、太陽や太陽系の惑星もふくむ他の星との位置を計り地球と月の正確な距離も計測、同時に地上800メートルから百台のフライング高感度カメラでズーム映像を音声とあわせて3Dで撮る。
 同時に探査機を駆使し、植物の種子・胞子と地表の土や空気のサンプル等を採取し、ワームホールが消える前(地球との往復時間は当然のこと、上記の全目的を達成させる時間を、ワームホール通過に要する往復時間三分強をさし引いた三十分弱で収めなければならない)に、二(光)年先となる時刻の地球に無事帰還する使命をおびていた。
 つまり太古からの帰還は、2095年の地球出発から四年後となるであろう。実験経過報告と成果持参が、三人のヒーローの役目なのである。
 その彼らが持ち帰るのは、一億四千五百万年前の地球の事実である。化石や出土時の全情報から想像するしかなかった太古、その、だれも見ることのできなかった純然たる真実の地球を手にするのだ。
 たとえば始祖鳥の生態。どのようにして飛翔していたのか、なにを食しどこに巣をつくっていたのか、鳴き声は?など。また、体重四十トン以上とも推定される地上最大草食竜ブラキオサウルス。どんな声で鳴き、表皮はどんな色だったのか、あるく姿やながい首をつかっての食事の模様もつぶさに知ることができる。あるいは、圧倒的な体格差の肉食竜はかれらをどうやって捕獲したのか。真実のほんの一例だが、考えただけでも胸躍るというのが、上層部の感想なのだ。
 ただし、名がどおり人気も高いティラノサウルスはまだ、この時代には棲息していない。それを残念がった。子どもにもだが、成人男性にも断然の人気をほこるからだ。
 それにしても3D映像や音響はもちろん、種子・胞子や地表の土と空気(気温や湿度も測定)も貴重な資料となる。しかも資料だけに留まらない。音響・映像と帰還後に地上で発芽・生長させた古代植物、それに土と空気の四点セットで博覧会をひらけば莫大な収益も見こめると、X社の首脳は目論んでいる。
 もはや歴史上のエクスポ‘70の別称で知られる大阪万博が大成功したのは、アメリカ館の“月の石”の展示もあったからだ。人々は秒単位の見学しかできなかったのに、それでも千客万来だった。それに比べてというのが首脳部の腹だ。
 常設の博覧会場で、ほんとうに生きていた恐竜を間近で見る、というより立体映像だけに、体験に近い十数種類のアトラクションを設けるのである。なんといっても、一億四千五百万年前の地球の実写映像はすべて本物なのだ。まさに、生き証人である。見たことのない生き物や植物の生態をとらえた映像と音響等、…圧巻に違いない。つまり、“月の石”展示ごときの比ではないと、算盤を弾いたのだった。
 しかしそんなこと、彦原チームにはどうでもよかった。かれらの関心は、もう1チームがいつ戻ってくるかだ。八人全員の無事帰還は当然だが、実験の成否こそが最大の関心事である。正直いって、一秒でも早く結果を知りたいのだ。
 むろん、帰還用ワームホールがそう都合のよく発生するとは考えていない。運任せなのだから。それでも可能性は、ゼロではないと。
 またPJTを科学者としてとらえた場合でも、こちらの方がはるかに重要なのだ。
 そのために、志願した八人は目的宇宙点に残って、帰還用ワームホールが宇宙のどこかにて生まれるまで待つ。そしてそのワームホールのなかを潜(くぐ)って、発射日だった2095年十一月二十日よりも後日の地球に無事帰還する予定となっている。
 宇宙船に搭載した、予定日以降の地球につうじるワームホールを探査する小型装置が、それで設計どおり機能したと知ることもできるのだ。
 しかしながら彦原のチーム二十五人と専務には、もっとべつの、最大の関心事があった。
 それは次への期待である。いや、究極の到達点といい換えたほうが正確だ。
 彦原がすでに取りかかっているワームホール自在作出装置の完成、である。むろん、あと半年や一年で完成できる話ではないとはわかっているのだが。
 現在は、理論構築の段階にすぎない。
「完成すれば、問題のほとんどが解決しますね」彦原を心から尊敬し、兄のように慕う若手の宇宙物理学者が、食事休憩時、憧れの上司にむかっていった。
「えっ、ほとんどって何でですか?すべてではないのですか?」質問したのは入社三年目の、酔っぱらいとあだ名される赤ら顔の男性研究員だった。
 親切心が服を着て仕事しているとの表現がピッタリの主任がその理由を教えようとするのを、彦原が「宿題やな、自分でかんがえるから進歩があるんや」ととめた。「切磋琢磨も必要やしな。ま、いずれにしろ装置ができてからや。それまでおたがい頑張ろうな!」と励ましの言葉とともに立ちあがった。「みんなには、ほんま期待してるで。ひとりひとりもベストやが、チームワークもベストや」左右の部下の肩に手をおき、すこし力をこめながらいった。
 直後、かれのベストチームワーク発言に、彦原の人徳こそがその源だと研究員全員が思ったのだ。だから全員が即応し、「おう!」一斉に雄叫びをあげたあと、うなずきあった。
 どの顔も屈託のない笑顔ばかり。またおたがいの漲(みなぎ)るヤル気も感じあった。最高の上司のもと、やりがいのある仕事に、充実の日々を送っているからだ。
 しかし天才科学者だけが、じつは吐いた言の葉とは裏腹であった。顔にこそださなかったが、心はひき裂かれんばかりに痛かった。そして辛かったのだ。「装置ができてから」というウソをついたから、だけではない。いかように謝罪しようとも許されざる罪をかれは犯すのだ、十数時間後、日付がかわったあとに。かれらを裏切るからである。
 ところで、一年半前に完成させた装置は小型であるぶん出力が弱い。しかし宇宙空間においてなら、研究所設置の大型装置と能力的に遜色はさほどないはずである。だが彦原としては、最大、どれほどの宇宙域にまで全方位式レーダーが機能(=感知)し、ワームホール出現百六十七時間前から発生する、光の直進の百万分の一というごく微妙な変化、つまり直進の微小な歪(ひず)みをどこまで正確に探査できたか、そのデータも収集しておきたかったのだ。ただし自在作出装置が完成すれば、必要性はまったくなくなるのだが。
 というわけで、宇宙に滞在しつつ帰還用ワームホールを待つ八人乗り宇宙船は、当然ながら大きい。十六人ていど(ひと組のカップルで二人の子どもをもうける計算)なら暮らせる宇宙ステーションの機能も備えていなければならないからだ。それでもできるだけコンパクトな設計にはしてある。地球からの発射時に要するエネルギーをすこしでも押さえるためにだ。
 蛇足ながら、ワームホールは巨大だから通過不可という心配はない。
 そのエナジーだが、大半を大気圏内では大気中の水分を取りこみつつ電気分解してできた水素および太陽光の併用でまかない、圏外では太陽(別宇宙では恒星)光と熱(赤外線等)から得る。当然ながら過剰分は蓄電・蓄熱しておく。
 ときにワープ航法だが、光速にいたるまではエナジーを大量に消費する。だが航行時は微少ですむという利点も、ワープ航法にはある。
 水は備蓄分と循環再生で得、万が一不足すれば、名もない最寄りの惑星の大気から水素と酸素だけをもらってくればいいわけだ。
 食糧は自給自足。一例だが、半年前から水耕栽培(受粉は人工風と蜂に媒介させる)で穀物・野菜・果実等をつくっている。発進後は、キノコ類もふくめ植えつけから取りいれまでの一切を、ロボットがつかさどることに。
 光合成のおかげで、酸素も新鮮だ。また羊や豚・鶏の飼育、鰯や鯵などの養殖も船内ですでになされている。豆腐類や牛乳・調味料などは化学合成でつくる。栄養素も味も遜色ないできだ。料理もだが、スイーツ類ならびに酒類や嗜好の飲みものなどの供給はシェフマシーンが腕を揮(ふる)う。
 アパレル関係を担当するマシーンは、食用植物の繊維を布地に加工することからはじめる。
 というように船内での生活が快適そのものなのは、2083年に完成した船底設置型重力発生装置により地上と同じような活動ができるおかげでもある。
 そのうえでの快適性。数十種類のバーチャル体験可能な娯楽設備と脳内での仮想遊戯(夢想的享楽や快楽)および体力維持のためのジムも完備。医療装置を兼ねたドクターコンピュータは、ロボットを操作し手術もする。治療薬を含む医薬品製造装置も搭載している。
 このように、地上と同様の生活ができるよう、できるだけの配慮がなされているのだ。
 また小規模の宇宙ステーション型には、世代交代もかんがえて、カップリングされた男女各四組が乗りこむこととした。前記の最終テストに合格したメンバーだ。生殖能力の事前チェックもすんでいる。
 つまり、この宇宙船内でなら世代をこえた永住が可能なのだ。
 しかし、世代交代は最悪のケースを想定してのことである。
 自信の裏打ちがあって眸を輝かせる彦原が専務に告げた予測では、五年以内でワームホール自在作出装置を作りあげられるだろうと。おおよそのイメージならすでにできあがっているとのことだ。
 彦原の予測に、専務は満足げに笑顔でうなずいた。彦原の予測ならまちがいないと確信しているからだ。それほどに信頼している。
 そしてワームホールトラベルに革命をおこす装置の完成と同時に、それを搭載した宇宙船でクルー八人(増えているかもしれない)が待つ宇宙ステーションを迎えにいくことができるわけだ。これにて一件落着、二機とも、無事に帰還とあいなるのである。
 ただし、宇宙ステーションを迎えにいくためには、一億四千五百万年前の中生代ジュラ紀後期というだけでは駄目で、帰着した年代の正確な時間の特定が必要となる。ワームホール発生を予測したときにコンピュータが計算した秒単位以下までの時間が正確だった…という保証はないからだ。
 1チーム三人の方の帰還船が太陽や他の星との位置を計り地球と月との正確な距離を計測したのは、それでもって、遠い過去に行った宇宙ステーションの現存年代どころか、その千分の一秒までを正確に知ることができるからだ。これなら、宇宙ステーションと遭遇するにじゅうぶんな条件を満たせられる。
 ちなみに各星間の距離と過去の正確な時間との関係だが、簡単な説明をすると、方法は以下のとおり。
 約四十六億年前、誕生したばかりの地球に、火星ほどの大きさの天体が約100000km/h(推定)の速度で衝突した衝撃によりできた月(以上は、月の起源として有力な巨大衝突説である。ほかに概略して親子説・兄弟説・他人説などもある)だが、四十六億年という時間の経過とともに徐々に離れていっていることを利用し、2095年現在の地球と月との正確な距離との差で、帰着した正確な時間の特定をする、というわけだ。もちろん、太陽や他の惑星との位置(地球は太陽の周りを楕円軌道で公転している。ゆえに、太陽との距離も一定ではない)等も年代計算に活用する。
 月・地球間の距離についても、簡単にいえば、今世紀においては年平均で約3.8㎝広がっている計算(人類を月におくったアポロ計画による成果のひとつ。距離計算は、月面に設置してきた反射鏡を活用)だ。
 これもよもやま話だが、その距離、たとえば四十六億年前は、約20000kmであった。赤道上の地球一周が約40000kmだから、もしタイムトラベラーが臨場すれば、当然、巨大な月影に、「手が届きそう」との感想を持つだろう。
 さて、日没後のその月光だが、眩いほどだったのだろうか?それともドロドロの溶岩に覆われた月面に太陽光が乱反射して、月明りは距離のほどには強烈ではなかったのか?は、ともかく、その距離が2095年現在だと約384400kmだから、十八倍強離れたことになる。
 また一カ月周期で、日にちによってすこしずつ近づいたり遠のいたりしながらこの二つの惑星は距離を保っているのだが、日々のその微妙な距離の数値をコンピュータは簡単に弾きだすことができるのだ。

 ところで…、
 ここニ年ほどのことだが、科学省(2051年に分離独立した省)からの天下りで常務にあぐらをかいている役人根性の権化のようなのが、タイムトラベル中の事故を危惧する呈で、ときに強硬な意見をはっしている。
「有人で、もし事故がおこったら取りかえしがつかない。だから安全策をとって、無人でいこう。コンピュータとロボットだけでも、このPJTの達成は可能なんだろう」
 人命尊重によらずとも、正当な意見である。
 ただし本音は「責任を、とくに法的責任を取らされたくない」だった。事なかれ主義で出世してきた癖が身に沁みついている、自己保身のためのアドバルーンなのだ。
 だが、現場の彦原たちと専務、そしてなによりCEOが強硬に反対したのだった。
 彦原たちと専務は、「計画は万全で、不備など一切ない」「失敗はあり得ない!まして、人命を危険にさらす事故などおこるはずがない!」「人命尊重は当然としたうえでの計画だ」「副所長みずからが宇宙に滞在したいと願っている。つまりそれくらい安全ということだ」等と主張した。
 その科学的理由も列記し、正式な手続きを経て役員会に意見書を提出したのである。概要は左記のとおりだった。①ワームホ-ル自体は、なんの問題もなく往復できること。②十年ほど前に実施した生物実験では、すべての生物がその後なんの問題もなく生存しつづけた。種の保存にも問題は生じなかった。ゆえに、人間の生存や次世代の誕生に支障をきたすとはかんがえにくい。もちろん理論上ではあるが。③通過後の宇宙は過去に存在した宇宙空間だから、生存に支障などありえない。等々。
 詳細なデータも添付した文面は平明で論調は平静だった。が、若い研究員のなかには、天下り組のへっぴり腰にたいし怒りをぶちまけるものもいた。
 いっぽう、CEOは、無人航行ならば実験という意味で安全性を確認できないどころか、逆に、問題発生時のリスク回避の証明が困難になるとした。「すこし違うが…、アポロ13号がその危機的トラブルを克服し生還できたのは、有人宇宙飛行だったから」と、歴史的事実を強調した。つづけて、「万が一想定外のトラブルがおこった場合、いくらAIが日進日歩で進化しているとはいえ、機械では対応できない!」と語意強硬に。AI(人工知能)を過小評価していること、むろん承知のうえで。
 想定外云々とは過去の事例をふまえ、あらかじめプログラムされたこと以外のトラブル発生をさしている。その場合でも、機械が処理してくれれば問題はないが、コンピュータとロボットのどちらかがオーバーロードで機能不全となる可能性を否定できない。
「機械は所詮、機械だ」と。さらに、「無人だったせいでPJTが失敗した…、では済まされない!」と主張。なんといっても、すでに巨費を投じているとの背景がそこにはあった。
 倫理性や論理性にやや問題のある意見を披歴したかれの、最高責任者の本音…計画の遅れがもたらす損失をもっとも恐れているのだ。しかし損失云々は口にせず、専務らに同調した。
 政財界につよい影響力をもつCEOの主張に押される形で結局、PJTの素人は黙るしかなかった。その本音だが、打算で黙したのだった、無人飛行を主張した自体が議事録に残されたことで法的責任を回避できる、との。呆れはてる役人根性だ。
 たしかに、想定外のトラブルがおこらなければ、元官僚が主張したとおり無人航行も可能だ。実際、離着陸時をふくむ操縦の一切を原則、コンピュータがするのだから。
 自動操縦ゆえに、目的の時・空間を宇宙座標等でインプットしさえすればよい。宇宙に存在する恒星や惑星、および彗星をふくむ天体などあらゆる障害物を避けながら、安全に航行してくれるのだ。
 しかしながらワープ航行だと、センサーではとらえ切れない百ミリ四方以下の極小の宇宙ゴミや氷などは避けられない。それらの衝突から船体を守るため、バリヤーとしてシールドで覆われ保護されてもいる。
 くわえてクルーの健康保全のため、シールドはまた、宇宙線(超新星爆発により生じた、宇宙空間を飛び交う高エネルギーの放射線)から生命体を守る役目も果たしているのだ。
 同時に、半導体素子の誤作動や破損防止にも役だっている。つまり、メカも守っているのだ。
 そんなシールドの強度を数倍高めたのは別のチームだった。
 でもってさらに脱線するが、安全航行のほかにもいろいろとあるコンピュータの仕事のひとつ。たとえば、言語・電波・光・音などかんがえ得るかぎりの、地球外生物からのコミュニケーション法にも対応できる最新機能を、さらに別のチームが開発していた。
 また、船体面には最新鋭のステルス機能を施している。通常のレーダーはいうにおよばず、電波音波変換式ソナーや音波電波変換式レーダーでも感知させないためだ。さらに肉眼不可視機能も付帯しており、おかげで向こう側が透けて見えるようになっている。
 技術的詳細はぬきにして、原理だけいうと簡単だ。
 光が船体に当たるまえに、その光の進路をかえるというか船体の上下左右を通過するようズラし(物体の存在を肉眼が可視できるのは、恒星やLED等の光源は当然として、それ以外の場合、光が物体に当たって反射するがゆえで、もし反射しなければ、視覚は物体の存在に気づかない。たとえば、真正面に位置する無色透明なガラス板に光が垂直に入射したならばほぼ反射しないから、肉眼はガラス板をまず認識できないことに。で、そのまま歩を進めた結果、ガラス戸におでこをぶつけ結構な痛さと自分のバカさがげんにへこんでしまう、といったらわかりやすいか)、通過直後に光を、進んできた本来の進行方向へと戻すことで船体を可視できなくしている。
“光は直進する”という“エウクレイデス(ユークリド)光の直進の法則”と、重力の干渉により進行方向を曲げることができるという両方の性質をうまく活用した一種のマジックだ。
 いっぽうで、人工ではない不可視な存在もある。太陽質量の百万倍超の巨大恒星が超新星爆発後、自己重力により凝縮し太陽の十倍超の天体となったブラックホールがそれだ。だがこれはあくまでも特殊な存在であって、とは、光までも吸収してしまうという理由による。
 ところで、上記の研究チームの責任者と彦原とは大学の同級生で、昨年、実用化に成功したのだった。
…閑話休題。