カテゴリー: 秘密の薬 (page 22 of 24)

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(10)

ここで、我にかえった。で、矢野流の捜査法をいったん、しまうことに。

そのとき、のどの渇きをおぼえた。藍出がいれてくれていた茶で潤すと、

気持ちをいれかえ、こんどは捜査の原点にたちかえり、五つの事件の経緯をすべて掘りおこしながら、アリの一穴を、ためつすがめつ(いろんな角度からみる)しつつ、さがしたのである。

さても、この、ためつすがめつのときこそは、さらにだった。どれほどの時間が、経過したであろうか。

それをしる手立てならある。ふだんは身ぎれいにしている矢野の、無精ひげがめだっていたからだ。

それでもだった、ちいさな穴すらも、やつはのこしてはいないようだと。

――ダメだ!先がみえてこない――何としてでも見つけるのだとあがいた、というより、抗った、イヤ、闘ったというほどだったのに。

で、今もだが、頭が混乱しているわけではないのに、矢野の思索は、またもや横道へとそれていったのである。わるい性癖といわれれば、たしかにそうだ。

――それにしても、復讐が動機のすべてだったのだろうか?――ふと、そんな気が。

復讐、だけだったにしては、犯行にしろ、そのやり口や被害の結果にしろ、大仰にすぎやしまいか。

また、こうも考えた。やつは、復讐をはたしたあと、どうするつもりでいるのか。

命がけで取りくんだにちがいない復讐の数々。だからこそというべきか、大げさではなく、けっか、全世界を震撼させたのである。まさに世紀の超ド級一大テロ事件として。

じじつ、近隣の国々のみならず、欧米の各国までもがトップニュースで連日取りあげつづけたほどだった。元首相などの国会議員や元議長たちをふくむ十一人が殺害されたのだから、格好のネタになったとして、なんのふしぎもない。

東はある意味、そんなデカイことを完遂(連続殺人はもう起きていない、だからといって安心を、矢野たちはしてはいない)したあとだけに、茫然自失といおうか、今後の人生における目標を見失い、抜け殻となって、ただ生きているだけの存在になってしまっていたとしても、それこそふしぎではない。

むしろそうなるのが、ひととして、いわば普通ではないだろうか。

すこし違うがそのむかし、一世を風靡した女優原節子が引退したあと、二度と復帰しなかったように。やり終えた感がつよければ、肩の荷がおりたとして、べつの荷を担ごうなどの気にはならないこともあろう。

むろん、現状、東がどうなっているのかは、まだ知るべくもないが。もし腑抜けになっていたとしてだが、事前に、報復後において、じぶんが空蝉(うつせみ)(セミの抜けがら)のようになることに想いがいたらなかったのだろうかと。

老婆心ではある。不要な忖度だとも。いずれにしろ、東の心裡(心のうら)を斟酌するためには、やつを知らなすぎる、ということだ。

まあ、これにかんしてもだが、自白をまつしかなかった、むろん、逮捕できてからのはなしではあるが。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(9)

ぎゃくに、犯人にとってはアリの一穴だ。それに端をはっするところの破綻だが。まず、その一穴は、いったいどこにあるというのか、である。

それがあると信じ、なんとか探しだす!全精力をそこに集中させるしかないと。

ほころびを見つけるその手がかりを探るべく、矢野は再度、犯人の立場になってみた。

大学を断念して陸自の隊員になり、特殊部隊に配属されるまでにがんばったのは、父親の仇を討たんがためだ。普通の生活を、いな、だれもが希求する幸せな人生をあきらめて人殺しになったのは、そうしなければ、どうにも納得がいかないからだ。

殺される理由などまったくなかった父親の無念を、なぐさめる手段。それを、高校生最後の一年間強、息子として考えぬいたけっかが、復讐であった。

そう、復讐、これしかない!

父親は、凶弾によって尊い命をうばわれたのだ。ならば、まずは、法の成立および施行させた主要人物ふたりも、銃弾によって殺害されなければ、不公平だ。で東は最初に、場壁を狙撃したのだろう。

《目には目を歯には歯を》的報復でこそ、溜まりにたまった溜飲をさげられると。

つぎに、岩見を爆発物でほうむったのは、犯行の手口などから、その連続性をみきわめる警察の、警戒の、網の目のそとで復讐をしやすくするためだった。それには、捜査員の眼をあざむかねばならない。

簡単にいえば、手口をかえることで、同一犯の犯行に疑問をもたせたかったのだ。でもって、つぎ以降の犯行をしやすくできる。

こうして、第三、さらにその先の犯行というふうに、東は、凶悪犯罪を重ねていったのだ、復讐心は、異状心理なのだと気づくことなく。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(8)

ではほかに?と、試行錯誤(いろいろ試しつつ、成功にちかづける)のための思考をつづけた。それこそ、マッターホルン東壁(ひとを拒絶する、東の絶壁として有名)に爪をつきたてんとする懸命さで。

まさにだ、必死でかんがえぬいてはくびを傾げ、思索をかさねてはため息をついたその果て、やがていきついた結論。

くやしいが、もはや、これしかないと苦しまぎれにつぶやいた「それでも人間は、どこかでミスをする。完全犯罪なんて、ありえない!」は、しかし、どこか負け惜しみにきこえる。やつのチョンボ頼みというのは情けないはなしだし、だいいち、ミスをしたとはかぎらない。

それを自覚しつつもいっぽうで、トロイアの木馬の例もあると矢野。外敵をはね返しつづけた無敵のトロイア。ではあったが、敗残国のおき土産としての巨大な木馬に欺(あざむ)かれ、鉄壁の都市国家も、存外かんたんに、滅ぼされたではないか!

たしかに、犯人の計画はみごとというほかない。で、じぶんたちは後塵を拝し(後れをとる)つづけたのである。切歯扼腕(歯噛みするほどにくやしい)のきわみだが、みとめざるをえない。

しかしながらも、いずれは、なんとか絶妙なる一手をと。そのきわみだが、決定的な証拠の入手である。

そのためには、闘志だけでも横溢(あふれさせること)させねば!気持ちでもまけてしまえば、完敗でおわってしまう。

意気ごみだけでも充溢させ、でもって、活路を見いだすしかない。

客観的には、万策尽きたかにみえるいま、いい意味で、もはや開き直るしかない。そのうえで、しゃにむに大逆転をねらう、それに尽きるということだ。

問題はただひとつ、具体的にはどんな妙手があるか、である。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 /  第四章  犯人逮捕 (7)

さて、矢野が頭のなかでえがく包囲網だが、いまのところ狭まりつつあった。

しかしながら、油断は大敵である。四方八方どころか、上下にまでも包囲網をもうけ、ぬかることなく細心の注意をもってのぞまねば、大魚をとり逃がすことになると。

大胆さもあわせもつ東は、並大抵ではない知能犯だからだ。

矢野たちがめざすところ、それはやつをたんなる被疑者として拘置することでは、もちろんない。被告人として出廷させ、裁判で有罪との審判をくだしてもらうことである。

しかしだ、それを可能にするだけの証拠が、いまだにまだない!のだった。

警察官は、“犯人当てゲーム”のように、「こいつが犯人だ」と指で指ししめせばそれですむ世界に棲息しているわけではない。デカの職責の大半は、証拠の確保である。

そこでだ、刑事として証拠を確保するにおいて、犯行の手口など、そこにつけいるスキはないだろうかと熟考した。

東が陸自に入隊し、特殊部隊に配置されるようがんばったのは、父親を殺した悪法に、そしてそれを無理やり施行させたやつらに、報復するためだった。

やつの口から発せられるまでは、たしかに推測にすぎないが。

そんな、人生をかけた復讐完遂のために綿密にねられた、連続殺害計画だったのである。

それでも矢野はおもう。緻密な犯行といえどもあるであろう、見えぬほころび。

それをいかにして見つけ、さらに光がとどくよう、どうこじ開けるか?でもって、東が観念せざるとえないほどに完璧な証拠を、どうやって手にいれるか?を

ひとつだけ、一見よさそうな案が、あるにはある。

たとえば目撃者に、コンピュータに取りこんだ東の写真をみせ、それにホクロをつけ出っ歯にして、偽名西ではないかとたずねてみたとする。と、首肯するであろう。

しかしだからといって、東が変装した偽名西、とは断定できない、ということだ。

さらに、任意での事情聴取時に録音しておいた東の声を目撃者に聞かせる手もあるが、こちらも、同一人物だとの証明にはならない。時間的にみて、三カ月ちかくまえと経過しすぎており、客観的にみて、記憶に疑問符がつく、となろう。

くわえて、似た人物にすぎない!と反論されれば、所詮、それまでなのだ。

また、特殊工作員だったであろうやつを、別件で逮捕したうえで、取調べと称し、かりにきびしく責めたてたとしてもだ、訓練のたまものというやつで、ゲロはしないであろう。

西と東の指紋が一致をすれば、これは、確実な証拠だといえる。だが、西と名乗ったおとこは、指紋をのこすドジをしていない。だから、指紋照合ができないのである。

いい線までは追いこめたとしても、結局、ほころびを見いだせたとはいえないのだ。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 /  第四章  犯人逮捕 (6)

ところでやつの住所を突きとめるにあたり、じつはのこる二カ所、財務省の国税局と、東京都を統括する警視庁、以外のデータ、たとえば神奈川県警や千葉県警などの情報ももっている警察庁が、それを掌握しているかもしれないと矢野はかんがえ、藤浪にそちらもあたらせていたのだった。

だが、東は運転免許証の現住所の書きかえはしていなかった。目につきやすいぶん、用心したからかもしれない。

また、国税局のデータは、陸自在籍時のもので、退職以降のはなかった。アルバイトなどでの収入はなかったと、矢野はぎゃくに類推したのである。マイナンバー制度はこのころ、小さな脱税も見のがさなくなっていたことによる。

 

あとは、動かぬ証拠である。

現在は、正確にはまだ憶測でしかない動機と、状況証拠だけでしかない。

動かぬ証拠に匹敵する自供。それをえるに、強引に、任意で引っぱってきて自白させる手法も…。

なるほど、完全犯罪に自信があるから、東は任意にはおうじるかもしれない。

だが、投了へと追いこむほどの証拠がないから、否認されたらそれでおしまいなのだ。

追いつめるどころか、警察の手のうちをさらすのみならず、別件逮捕しようにもその証拠も手にしていない警察としては、身柄の拘束も、当然ながらできようはずもない。公務執行妨害をやつに仕掛ける、なんて手、通用するともおもえない。

で、ヘタをすれば、日をおかずして、高跳びされてしまうであろう。

たしかに、目撃者もいるにはいる。が、偽名だった西を、東だといいきれるひとはひとりもいない。

裁判となったばあい、有能な弁護士なら、こんなふじゅうぶんな証言を粉砕するなど、造作もないであろう。そうなったら一事不再理で、無罪が確定してしまう。

だからこそ矢野は、なんとしても物的証拠を入手したいと。

その手段として短慮にも、家宅捜索をしたとしよう。

ライフル銃以下、弾丸やのこりの爆発物、変装用グッズ等々、そんな証拠品が、でてくるはずもない。

処分しているにちがいないと当然かんがえた。じぶんならばそうするからだ。

と、ここで爆発物という言辞から、それを製造する東のすがたが、映像となって閃いたのである。テレビドラマやハリウッド映画でみた、そんな映像が閃きのベースになっていた。

東を追いつめる、ひとつの材料になればとねがった。というのも、製造の時期は冬だったはずだし、だとすればそんな些細が、じぶんたちに味方するのではとおもえる閃きだったのだ。もし春や秋なら、証拠の回収はまずムリだろうと。

だとして、なるほど、証拠にはなりうるだろうと、そうはかんがえた。だが、有罪を勝ちとるには、それでもまだふじゅうぶんなのだ。爆発物を製造したとは認定されても、それを使った証拠にはならないからだ。

いや待てよ、あわてるなと自戒した。自宅で爆発物を製造したとはかぎらないと気づいたのだ。

爆発物製造の熟練者、東の立場ならば…ミスによる誤爆は想定していないであろう。でもって安心して製造できる場所、つまり拠所を、たとえばちいさな爆音でうしなう、なんて失敗をするはずないとはおもっていたはずだ。

しかしながら怪しげなものだけに、製造するには、だれも来ない密閉されたへやが必要だった。問題は、それをどう確保するか、だが。

で、そこが自宅以外となると、材料や機材を購入したホームセンターなどからはこびこみ、できた爆発物を安全に保管し、不要となった材料などをこんどは撤去しなければならず、その間において、以前はみかけなかった人間(このばあい東自身)の出入りが頻繁であれば、近隣から目撃される危険性にぶつかる。

ところで、あやしまれるのを、ほとんどの犯罪者はきらうのだ。

しかもである、そのスペースを借りるのに、よぶんな費用もかかる。東に、それだけの資金があっただろうか。陸自における給与から計算すると、最大限にみつもって年百万円強の貯蓄をしていたとして、それでもせいぜい七・八百万。

で退職後、場壁の尾行など標的への接近方法の模索、殺害法の綿密な立案と実施のくりかえし、必需品の購入ふくむ爆発物の製造全般、単独犯だけに、とてもとても仕事をしている時間などなかったはず。だから、収入はゼロ。

その間約半年の衣食住の生活費や活動費、免許証の偽造などをふくむ機材費や材料費などの諸々を考慮すると、住居以外で、秘密をたもてる空間の確保は、出費の面で、むずかしかったのではないかとふんだのだ。

緻密な計画をねった犯人ならば、つぎの就職先が見つかるまでの生活費のことも、とうぜん思慮したにちがいない。スッカンピンになる愚は、おそらく避けたいはずだ。

となると、別口の家賃をはらわないですます、そっちを選択しただろうと。共済年金の件での憶測からして、いわゆる倹約家のすがたも考慮にいれた、それがとりあえずの帰結である。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 /  第四章  犯人逮捕 (5)

それと並行しての憶測。やつはクルマを所持していないのではないか、だ。むろん、防犯カメラに撮られないように、所有のクルマはつかわなかった、も、じゅうぶんにありうることだが。

それはそれとして、上記の推測をおしすすめると、おなじ理由で、つぎに盗んだクルマもボロい軽トラだった可能性がたかい。

というのも、毎日のように自宅と河川敷とのあいだを往復していたはずだから、散歩中のだれかに目撃(たいがいは、同一時間、同一コースである)されたばあい、ナンバーを見られてもいいようにと。

盗難車ならば、用済みになっただんかいで処分しても、足がつかないからだ。犯人につながるもの、たとえば指紋をのこしていなければだが。

そこで矢野は、じぶんならばとかんがえた。

鉄道の駅にできるだけ近い、とある農家が所有する、数台のうちのいちばんボロい軽トラを盗むであろうと。駅にちかければ徒歩でその農家まで行けるし、だいいちたとえば休耕田を、買い手がつきやすい住宅地へと転用しやすいぶん、農家は地所を高く買ってもらえるし、で、経済的に潤っていたかもしれない。

さらに廃車寸前であれば、盗難届だが、めんどうがって、あとまわしにするかもしれないのだ。

あとは東だが、万が一にもオンボロ車を、所有者が見かけることのないよう、河川敷公園からは、あるていど離れている農家をねらったはずと。

範囲はかなりひろいが、見つけだすことで、希望的観測ではあるが、犯人の遺留品をあるいはゲットできるかもしれないと。

盗難車の捜索一切は、ベテランの和田にまかせた。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(4)

ところで、今しがた藤浪にかかってきた厚生労働省からの電話、国民年金加入者のなかから探しだしたけっか、東浩造の現住所がわかったとの連絡であった。本名と生年月日とおおまかな住所というデータを手掛かりにしたのだが。

ほかの省庁のがヒットしなかったのは、住所、氏名、年齢ともに事実でないもので登録していたからで、いうところの免許証などは、偽造だったということだ。

で、国民年金のデータだけが事実だったのは、厚遇の共済年金(公務員が加入する公的年金)を六年半もかけてきたからではないか。そう、矢野はにらんだ。

“消えた年金問題”をおこした、いいかげんな役所を東が信用していなかったぶん、個人情報にウソがあれば、じぶんのデータが埋もれて取りだせなくなるかも、それを恐れたのだろうと。

東をかいま見たおもいの矢野は、可能性がゼロではない方面のすべてを当たらせたのだった。で、おなじく厚労省の国民健康保険のデータをもだったが、国民年金のほうがはやかったというわけだ。

それにしても、老後の心配をし、年金をあてにするなんて、厚遇されているゆえの公務員根性まるだし(矢野も公務員だが、共済年金制度にほとんど関心がない)だ。

むろん東は、逮捕されるはずがないとの計算があってのことだろう。

指紋をのこすドジはしておらず、変装するなどして、一度も素顔をさらしていない。さらには、人間の記憶がいいかげんだということを、特殊部隊での訓練や講義で、かれは知悉していた。

よって、被疑者として、万が一にも捜査線上に浮上するはずない、そうたかをくくっていたのである。

住所を、国民年金の登録においてのみ、事実のにしていたのは、警察など知れたものと嘲笑っていたことにもよる。じじつ、警視庁は後塵を拝する(後れをとる、あいてに連敗)のみであった。

それはさておき、矢野が朝一で、“大まかな住所“として藤浪にしめしたのは、ドローン操作の練習をしていた江戸川河川敷公園(江戸川区北小岩四丁目あたり)から、東の住まいはそう遠くないはずとふんだからだった。

あえて、居住区域からとおいところをえらぶ必要はないのだから。

とここで、「おれはなんてバカなんだ」とちいさく叫んだのである。バカ田どころではないと。殺人事件が五つ連続でおき、それの捜査と追及、各事件の洗いなおしに没頭の毎日であった、だからではないが生身の心身、見おとしや失念もいたしかたないかもしれない。

だが以前、女装した東(と、矢野は断定している)は、ドローンを盗みだした直後クルマをつかったはずと、藍出の推理をあとできいていたのに、こんかいはそのことに頭がまわらなかった。うっかりにもほどがある。

しかしいまは、クルマをどうやって調達したかに頭をつかうべきで、自責しているばあいではない。

参考になるのは、場壁を尾行するためごとに、車種をかえていたこと。しかも、レンタカーのナンバーだったとの証言(証言者の記憶ちがいもありうるが)もあった。毎回、レンタカーだったかは不明だが。

さて、そのレンタカーだが、見つけだす役目はべつの捜査員たちにまかせた。特定できたとしても、指紋もだが、遺留品などもないだろうから。レンタカー会社が掃除しているはずだし、それ以降の使用者も複数いたであろうから。

そんなことより、ドローン操作のための練習の往復に使用したクルマを特定することこそ、肝要だとした。

ちなみに、ドローン窃盗直後につかったクルマは盗難車、しかも盗難防止センサーのつけていないボロい軽トラであった。ならば、これはあくまでも矢野の推測だが、こんかいも盗難車だったのではないか。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 / 第四章  犯人逮捕(3)

しばらくそこで待つと、住人がエレベータでおりてきた。玄関をでていく住人とすれ違うようにして、オートロックのドアを通過したのである。

隣の501の住人が在宅しており、しかもおばさんだったのはラッキーだった。

で警察手帳をしめすと、ドアが開いた。

藍出はまず、くちびるのまえに人さし指をたてた。それからおもむろに、ダメ元とおもいつつ東浩造の写真をみせ、となりに住んでいるかを小声で問うた。付けヒゲやメガネをつかった、かんたんな変装くらいは、ここでもしているかと案じながら。

意外にも、「はい」との返事だった。おばさんといえども独身だったこともあり、となりに住む若いイケメンに、かなりの興味をもっているようすだ。

万歳したくなった。変装していないということは、東は油断している!ということだ。

素顔のままで暮らしている。つまり、じぶんは捜査線上にあがっていない、だけでなく、警察から逃げおおせた。換言すれば、そう、やつは確信している、ということだ。よぶんな引越しなどする必要がないとも。

どころか、完璧な工作のおかげで捜査は暗礁にのりあげ、迷宮入り寸前なのだ、ならばこれからも、変装をする必要もない、そうおもったからこその、堂々ぶりにちがいない。

たしかに警察は、やつに翻弄されつづけてきた。いちばんブザマだったのは、変装したやつの似顔絵を、しかも訂正ぶんをふくめ、二度も発表したことだ。原刑事部長のせいで。

それをやつは、してやったりと、腹をかかえて笑ったことだろう。

「お隣さんを見かけた直近の日にち、おしえてください」大事な質問である。

「きのうの晩方、近くのスーパーで。ちゃんと挨拶してくれましたよ」

犯人はとなりで高枕(安心しきっている)だとしり、藍出はこの答えに満足すると、おばさんには、警察官がおとなりの件でたずねてきたことを、「本人にもほかのどなたにも、くれぐれも、口外無用で」とおねがいし、退去したのだった。

むろんのこと、警察の手がせまっていることを、犯人にさとられると逃亡されるからだ。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 /  第四章  犯人逮捕 (2)

翌朝、矢野は藤浪に手まねきし、耳うちした。数分を要した。

だまってうなずいた藤浪は手配すべく、しっかりした足どりでデカ部屋をあとにした。その眸は凛として、手はずに自信ありと、闘志すらみなぎらせていた。

昼まえにもどってきた藤浪の表情は、輝いてみえた。人事をつくしたのだ、あとは天命をまつしかないのだからと。

「警部がおっしゃった省庁を三か所まわってきました。事件解決とこれいじょうの犠牲者をださせないために、すすんで協力すると異口同音でした」

あとは、《果報はねて待て》となった。

そして三時間がたち、藤浪の携帯がなった。首をながくしてまっていた国家公務員総合職試験合格者仲間からであった。

すぐさま藤浪は、眼くばせで同期からの連絡ですとの合図を、矢野におくった。

しかし、依頼した件だが、不調であった。

そのつぎのも、同様だった。警察庁などの情報から、犯人の住所をみつけることは、できなかったのである。

それから一時間後に最後の一件が。

「えっ!わかった!それはありがたい。で…」こうしてスマフォのスピーカーから、東の住所がながれたのである。

ついに、であった。朗報をうけとった矢野、まちがいない情報かを確認させるべく、「藍出」とだけ。

よばれた藍出はすぐさま、具体的指示をうけることなく、まずはその住所へむけ車を走らせたのである。

車中で、警察庁が管轄するデータのなかから藍出のスマフォに、矢野の手配により、東の最新顔写真が転送されてきたのだった。

あっ、ここで、矢野の名誉のために蛇足の加筆をするが、免許証の写真のほうをチョイスしたのは、防衛省からのものはおそらく数年まえのだろうと。陸自の特殊部隊に編入された瞬間から、写真の撮影はご法度となったにちがいない。そう、推測したのだ。

で矢野は、東の年齢と入隊から、18歳時において免許を取得し、でもって、つぎのつぎの免許の更新は二十四歳になった一昨年だろうと推し、免許証の写真のほうのが現況に近いはずとふんだのだった。

住所や名前を偽造したとしても、そのことで偽造自体が露見することは、まずない。

しかし、写真はそうはいかない。本人のでなければ、免許証の提示を警察官にいわれたとき、当然だが、ただではすまないことになる。

だから、顔写真は本人のであるはずと、そう矢野は断定したのである。

それできょうの朝一で、免許証の写真をとりよせる段取りをととのえておいたのだった。

藍出はまず、東が住むワンルームマンションを見つけると、一階の、おとこの部屋番号502の郵便受けのまえに立った。無記名だった。

~秘密の薬~  第一部 悪法への復讐 /  第四章  犯人逮捕 (1)

さっそく、警視総監にまでもたらされた矢野係による情報……東浩造、二十五歳、男性、陸自退職者は、かれひとりしかいなかったのである。

退職日だが、昨年の九月二十日であった。最初の犯行日まで約三か月。週刊誌からえた場壁のよるのお忍びを尾行するには、じゅうぶんである。

こうしてあらたに、星野管理官のもとに情報が集積しだした。

以下もそのひとつである。

163センチと、むろん陸自でなくても、男性の平均身長以下だった。

がそれ以外、メンタルの面でもフィジカル的にも、優秀な成績をおさめた浩造は、特殊部隊(選りすぐりの精鋭集団)に三年まえに配属となり、射撃では首都圏随一、爆発物の知識や製造のノウハウでも、他の追随をゆるさない存在となっていたのである。

肉体的な、いわゆるパワー不足は、敏捷性や対応の正確さでおぎなってあまりあったというのだ。

さらにそのほかの技能、たとえば施錠されたドアの、キーをつかわないで行なう開錠法と盗みや変装、スパイ映画でよくある、エージェントが身につけている技、ことに変装はそのために、俗にいうところののど仏(喉頭隆起)の切除手術をうけたくらいであった。

その理由だが、まずは小柄であること、そしてなにより肝心なその容貌だが、女性が垂涎のイケメンというやつだからだ。女装だと見破らせないためには、優男のほうが都合がいいからであろう。

じじつ、犯人が女装してドローンを盗むにあたり、被害者は見破れなかった。

身近でみていたのに?の疑問だが、おとこがまだ素面で相対したときは、夜道でくらかった、犯人はずっとサングラスをしていた、レストラにはいるまでは横を歩いていた、レストランで向かいあったからといってジロジロみたら嫌われるととがめた、あわよくばの淫らな下心があった、などの理由がかんがえられる。

ちなみに、手術やうけた訓練の情報入手は、藤浪だからできたのだった。国家公務員総合職試験合格者(キャリア)であるかれは、防衛省へ入省した同試験合格者の親友にたのみ、ウラから入手したのだった。

親友も、正義感の塊のような藤浪ならば情報のリークはないと判断し、機密情報を独り言のかたちでおしえてくれたのだ。特別国家秘密保護法に、完全に抵触していることは承知のうえでだった。

藤浪の人格的信頼と執念の追跡調査のおかげで、東浩造こそが、今連続殺害事件に必要な要件をすべて満たしているとわかった。

動機としては、遺族だからこその言い分なのだが、父親の命をうばう原因となった邪悪な法案をつくり、可決成立させた場壁内閣の主体者と、国会において強行採決をみとめた両議長がゆるせなかったからであろう。

矢野からの報告をうけた星野は、「ご苦労だった」といつものねぎらいの辞に心をこめたあと、逮捕状の請求手続きをいそいだ。

裁判官が逮捕状を発付した直後、原刑事部長は完敗に歯噛みしつつ、だがこれで責任論は立ち消えになったと安堵したのだった。それからおっとり刀(急ぐさま)で、全国指名手配(正式名称、警察庁指定被疑者特別指名手配)の手続きをとったのである。

とはいっても、指名手配は警察内部での内緒ばなしみたいなもので、名前や年齢・性別などの情報や顔写真などが津々浦々の警察署、および所属の警察官ひとりひとりにまでいきわたることを指すだけで、法的義務や根拠があるわけではない。

あえていえば、警察官への注意喚起にすぎないのである。あとは、はり紙に全国指名手配と印刷されるだけなのだ。

それでも犯人にすれば、身のかくしどころに窮することにはなる。全国に六千ちかくある交番や各警察署・警察関連施設に写真がはりだされるわけだから。

しかし、たったそれだけともいえる。事実、旧オウム真理教逃亡犯がながいあいだ捕まらなかった例でもわかるように、逃げおおせないわけではないということだ。

そんなこんなで、世上(世のなか)の騒擾(そうじょう)(この場合は、大事件による騒ぎ)をさけるためにとの事由で、現時点での公開捜査を刑事部長はかれなりの判断で見おくった。

なるほど世間は、さらにつぎの犠牲者がでるとみている。

ただパニックにならないのは、被害者が、与党の国会議員とその関係者に限定、とわかっているからだ。

ちなみに、犯人を特定できた今、冷静に思考できる状況となり、原は八年まえの場壁政権の面々をおもいだしつつ、つぎのターゲットとされそうな政治家を、もはや思いえがけなかったのである。

というのも、特別国家秘密保護法成立のために突出した行動をとった政治家は、おおむね殺害されていたからだ。

そしてもうひとつの理由。

犯人に、身への危機感をあたえてしまって隠遁されるより、ふだんの顔のままで生活させるほうが逮捕しやすいとかんがえたことによる。旧オウム真理教逃亡犯の顔写真を大々的に公表したにもかかわらず、効果がなかった実態をおそれたのである。

いずれにしろ特定が、完了形では、むろんない。あくまでも包囲網を整えたにすぎないのだから。

あえていえば全警察官がいまは、定置網を仕かけた漁師でしかない。ねらっている魚を獲らえられる、なんて保証はないのである。いまだに、現住所がわかっていないのだから。

さて、それをいかにして探りあてるか、矢野はそのことに腐心して、東雲(しののめ)(東の空が明るくなること、夜明け)に気づかなかったほどだった。

さて、腐心の内容だが、

東京都内および近郊の電話帳でしらべるというのは、徒労におわるとまずは捨てた。固定電話をすえる必要性が、東にはないからだ。

各市町村における住民の名前を記載している、住宅地図というのがある。それをつかって、住居をみつけるという方法について頭をかすめた。が、足下に却下した。

部下たちがついやすことになるたいへんな労力と時間、しかしながら、それを要するわりには疲弊させるだけで、東浩造をそこに見いだすことはできないだろうと。

なぜなら、昨年九月二十日に陸自を退職した時点では、現在発行されている住宅地図はすでに出来上がっているはずだ。深夜だったため、出版元に確認したわけではないが。

ではと、各区役所や市役所等の市民課に名前と生年月日から探してもらう手もかんがえた。だが、いかにも大仰だ。

だいいち、本名で登録しているとはかぎらない。むしろ偽造のマイナンバーカードをつくり、それで住民登録をしているかもしれない。いわゆる特殊工作員の手練を習得していただろうから、証明書偽造などは、お手のもののはずだ。

ということで、そのあともいろいろ模索したけっか、まずはこの手でいこうときめた。

で、もしそれがだめだったら、各市町村の市民課にお願いし、いっぽう、じぶんたちは住宅地図に、ダメ元でとりくもうと。

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