さっそく、警視総監にまでもたらされた矢野係による情報……東浩造、二十五歳、男性、陸自退職者は、かれひとりしかいなかったのである。
退職日だが、昨年の九月二十日であった。最初の犯行日まで約三か月。週刊誌からえた場壁のよるのお忍びを尾行するには、じゅうぶんである。
こうしてあらたに、星野管理官のもとに情報が集積しだした。
以下もそのひとつである。
163センチと、むろん陸自でなくても、男性の平均身長以下だった。
がそれ以外、メンタルの面でもフィジカル的にも、優秀な成績をおさめた浩造は、特殊部隊(選りすぐりの精鋭集団)に三年まえに配属となり、射撃では首都圏随一、爆発物の知識や製造のノウハウでも、他の追随をゆるさない存在となっていたのである。
肉体的な、いわゆるパワー不足は、敏捷性や対応の正確さでおぎなってあまりあったというのだ。
さらにそのほかの技能、たとえば施錠されたドアの、キーをつかわないで行なう開錠法と盗みや変装、スパイ映画でよくある、エージェントが身につけている技、ことに変装はそのために、俗にいうところののど仏(喉頭隆起)の切除手術をうけたくらいであった。
その理由だが、まずは小柄であること、そしてなにより肝心なその容貌だが、女性が垂涎のイケメンというやつだからだ。女装だと見破らせないためには、優男のほうが都合がいいからであろう。
じじつ、犯人が女装してドローンを盗むにあたり、被害者は見破れなかった。
身近でみていたのに?の疑問だが、おとこがまだ素面で相対したときは、夜道でくらかった、犯人はずっとサングラスをしていた、レストラにはいるまでは横を歩いていた、レストランで向かいあったからといってジロジロみたら嫌われるととがめた、あわよくばの淫らな下心があった、などの理由がかんがえられる。
ちなみに、手術やうけた訓練の情報入手は、藤浪だからできたのだった。国家公務員総合職試験合格者(キャリア)であるかれは、防衛省へ入省した同試験合格者の親友にたのみ、ウラから入手したのだった。
親友も、正義感の塊のような藤浪ならば情報のリークはないと判断し、機密情報を独り言のかたちでおしえてくれたのだ。特別国家秘密保護法に、完全に抵触していることは承知のうえでだった。
藤浪の人格的信頼と執念の追跡調査のおかげで、東浩造こそが、今連続殺害事件に必要な要件をすべて満たしているとわかった。
動機としては、遺族だからこその言い分なのだが、父親の命をうばう原因となった邪悪な法案をつくり、可決成立させた場壁内閣の主体者と、国会において強行採決をみとめた両議長がゆるせなかったからであろう。
矢野からの報告をうけた星野は、「ご苦労だった」といつものねぎらいの辞に心をこめたあと、逮捕状の請求手続きをいそいだ。
裁判官が逮捕状を発付した直後、原刑事部長は完敗に歯噛みしつつ、だがこれで責任論は立ち消えになったと安堵したのだった。それからおっとり刀(急ぐさま)で、全国指名手配(正式名称、警察庁指定被疑者特別指名手配)の手続きをとったのである。
とはいっても、指名手配は警察内部での内緒ばなしみたいなもので、名前や年齢・性別などの情報や顔写真などが津々浦々の警察署、および所属の警察官ひとりひとりにまでいきわたることを指すだけで、法的義務や根拠があるわけではない。
あえていえば、警察官への注意喚起にすぎないのである。あとは、はり紙に全国指名手配と印刷されるだけなのだ。
それでも犯人にすれば、身のかくしどころに窮することにはなる。全国に六千ちかくある交番や各警察署・警察関連施設に写真がはりだされるわけだから。
しかし、たったそれだけともいえる。事実、旧オウム真理教逃亡犯がながいあいだ捕まらなかった例でもわかるように、逃げおおせないわけではないということだ。
そんなこんなで、世上(世のなか)の騒擾(そうじょう)(この場合は、大事件による騒ぎ)をさけるためにとの事由で、現時点での公開捜査を刑事部長はかれなりの判断で見おくった。
なるほど世間は、さらにつぎの犠牲者がでるとみている。
ただパニックにならないのは、被害者が、与党の国会議員とその関係者に限定、とわかっているからだ。
ちなみに、犯人を特定できた今、冷静に思考できる状況となり、原は八年まえの場壁政権の面々をおもいだしつつ、つぎのターゲットとされそうな政治家を、もはや思いえがけなかったのである。
というのも、特別国家秘密保護法成立のために突出した行動をとった政治家は、おおむね殺害されていたからだ。
そしてもうひとつの理由。
犯人に、身への危機感をあたえてしまって隠遁されるより、ふだんの顔のままで生活させるほうが逮捕しやすいとかんがえたことによる。旧オウム真理教逃亡犯の顔写真を大々的に公表したにもかかわらず、効果がなかった実態をおそれたのである。
いずれにしろ特定が、完了形では、むろんない。あくまでも包囲網を整えたにすぎないのだから。
あえていえば全警察官がいまは、定置網を仕かけた漁師でしかない。ねらっている魚を獲らえられる、なんて保証はないのである。いまだに、現住所がわかっていないのだから。
さて、それをいかにして探りあてるか、矢野はそのことに腐心して、東雲(しののめ)(東の空が明るくなること、夜明け)に気づかなかったほどだった。
さて、腐心の内容だが、
東京都内および近郊の電話帳でしらべるというのは、徒労におわるとまずは捨てた。固定電話をすえる必要性が、東にはないからだ。
各市町村における住民の名前を記載している、住宅地図というのがある。それをつかって、住居をみつけるという方法について頭をかすめた。が、足下に却下した。
部下たちがついやすことになるたいへんな労力と時間、しかしながら、それを要するわりには疲弊させるだけで、東浩造をそこに見いだすことはできないだろうと。
なぜなら、昨年九月二十日に陸自を退職した時点では、現在発行されている住宅地図はすでに出来上がっているはずだ。深夜だったため、出版元に確認したわけではないが。
ではと、各区役所や市役所等の市民課に名前と生年月日から探してもらう手もかんがえた。だが、いかにも大仰だ。
だいいち、本名で登録しているとはかぎらない。むしろ偽造のマイナンバーカードをつくり、それで住民登録をしているかもしれない。いわゆる特殊工作員の手練を習得していただろうから、証明書偽造などは、お手のもののはずだ。
ということで、そのあともいろいろ模索したけっか、まずはこの手でいこうときめた。
で、もしそれがだめだったら、各市町村の市民課にお願いし、いっぽう、じぶんたちは住宅地図に、ダメ元でとりくもうと。
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。