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こいつが秀吉?=太閤記を読んで(小学生最後の夏休み読書感想文)/ 読書に徹する(7)

そのボクはというと、生つばを飲みくだしポワ~ンとちいさく口をあけて、母が発するつぎの言葉をまっていた。

聞くだけだから、口を開けるひつようはなかったのだが。ヒナが、エサを欲してくちばしを開けているふうに見えたらしい(とは、後日談)。そんなボクに母は満足した。

わが家のカレーにつきものの牛乳をのみ干すと、上唇のうえに細くうすい白ひげをつくったまま、「しだいに残虐さを剥きだしにする秀吉を、描きたくなかったからや、きっと」そう発したのである。

「ざっというと、天下をとるまでとあととでは、人格が百八十度逆転する。命を愛(め)で、おおよそ、ひとをできるだけ殺さずに敵とたたかってきた木下藤吉郎(から羽柴秀吉まで)が」

さて、“おおよそ”をしたのは、見せしめにと、女子どもまでも虐殺した過去があるからだろう。具体的には、天正五年(1577年)十二月の第一次上月城の合戦における大虐殺をさしている。ほかにも羽柴性の時代に、惨殺行為をしたかもしれない。

四百年以上もまえの合戦の詳細を網羅する史料はのこっていないのだから、否定も肯定もできない。しかし、

「天下統一をなしとげ、豊臣秀吉と姓をあらためるころには、これが同一人物かとうたがわずにはおれないほどに、冷酷無慈悲で血塗られた人間になりさがってしまっていた」ことを説明したあと、

「おそらく大量殺戮行為が、大作家ですら筆をにぶらせた、いや、これが執筆の意欲を喪失させた理由とちがうやろか」

この説明に「なるほど…」と、いったんは納得した。

しかしすぐに「けどそんなことは、執筆するまえから知っていたんと違(ちゃ)うの?」と、素朴なギモンを投げかけたのである。

「もちろんそうや。けど、羽柴秀吉となのっていたころまでのこの武将は、比類なき忠誠心と一族や仲間への情にみちており、おとことしても人間としても魅力が横溢していた。そやから、人格の逆転を承知で、天下人寸前の秀吉を書いたんとちがうやろか」

たしかに、人間味ゆたかではあった羽柴筑前。しかしながら、小牧長久手の戦い(秀吉と家康両雄のジャブの応酬的戦闘)を経たあと、関白任官のあたりでおわるという終末のあっけない理由が、そうなのかどうなのかは半信半疑であった。

だからといって、文豪に真相をじかにきくこともできない。

「それが証拠に、あんたもわたしも魅了されて読みきったやないか。文豪の力もさりながら、秀吉に魅力があったからやろ」

ボクは黙って、ただうなずいたのだった。理由にかんして、全面同意したわけではなかったが、否定するに、材料がないのもじじつであった。

こいつが秀吉?=太閤記を読んで(小学生最後の夏休み読書感想文)/ 読書に徹する(6)

画竜点睛(がりょうてんせい、晴は瞳のことと母)を欠く、というやつだ。が、だからといって、いだいている疑問とは、まったく結びつかなかった。

母は、大作家の失態ではないことを説明したあと、「精魂こめて執筆したはずなのに、なんで、急に筆をおるにひとしい印象をあたえてしまう終わりかた、したんやろ?唐突にすぎるんちゃうやろか?」

母は、まさに代弁者であった。

「吉川作品が大すきな読者は、こんな終わりかたをだれも望んではいなかったとおもうで。天下をとった秀吉の、関白から太閤(関白職を甥の秀次にゆずったことで、そう呼ばれた)へと立場をかえながらの治世をえがき」

だからこその“太閤記”なのだ。

「ついに、『…難波のことも夢のまた夢』との辞世をのこし、まだおさない秀頼のゆく末を、気も狂わんばかりに案じつつ、一代の英傑は最期をむかえる。そんな人間くさい一代記をよみたかったんとちがうやろか」

なるほどそうだと賛同しつつ、はなしに引きこまれてしまっていた。

「栄耀栄華を手にした人間のもろさと儚さ・おろか・哀れを、文豪がどう描ききるかを」

拍手をせずにはおれないほど、お説ごもっとも、であった。

「ところでやけど、考えるべきはここからやで…。つまり、吉川英治ほどの大作家が、それがわからんはずないやろ」

さらなる、あらたな転回的展開に、すっかり魅入られてしまった。で、黙って、ただうなずいたのである。

「なのに何で?と、わたしはそう思た」肺ガンで、すでに鬼籍にいった(死んだ)祖父が大河ドラマのファンで、母妙子もその影響から、中学生のときに読んだとつげたあと、「あんたはどう思た?」眼が怖いくらいに、真剣な顔つきでたずねた。

「…」おもわず身をのけぞらせた。それから、「そのとおりやとは思うけど、どういう理由かまではわからん」正直にいった。ただ、ここにきてようやく、この問いと“血塗られた“太閤秀吉が関連しているのだろうと、なんとなく想像できたのだった。

「わたしもあんたと同(お)んなじやった。それで欲求不満みたいに、胸のなかがモヤモヤしたんや。けど、いくら考えてもわからんかった。ならばと、ちゅうことで秀吉の晩年を調べたわけや。なんらかのヒントをつかめるんとちゃうか、そう思てな」

まだ中学生だった母の当時の真剣さを、みてとることができた。

「おかげで、なるほどと合点(がてん)がいった。まるで絶筆でもしたように、吉川英治が筆をおいた理由を推測できたわけや」とここで、すこし間をおいた。じっくりと、ボクの反応を見さだめたかったのだろう。

こいつが秀吉?=太閤記を読んで(小学生最後の夏休み読書感想文)/ 読書に徹する(5)

出張中の父がいないふたりだけの食卓。

カレーを食べおえ、まさに口をひらこうとしたボクを制し「さてと」と、母が口火をきった。

「わるいけど先にきかせて。吉川英治の太閤記、どうやった?昨日もやけど、あんだけ、いろんなことを覚えてたんやさかい、おもしろかったみたいやね」

ボクはペコリ肯いた。あれほどの長編小説を一気によんだのだから、それは否定できない。だとしてもだ。それでおもわず、「けど…」と言いかけた。しかしだった、

饒舌の母が、「ちなみに聞くけど、すべてに満足した?」まじまじと、ボクの顔を覗きこんだのだ。忌憚のない(おもったことをズバリの意)感想をしりたいからだろうか。

_いやいや_こっちは、ずいぶんな犠牲をはらったのだ。かんたんに妥協できるはずもなかった。それなのについ、「うん」と。母の威厳か、母への敬意のあらわれか。

そんなつもりじゃないのにだ。だからこそ、いっぽうで、不満が内心でジワリと。もとはといえば、かの文豪にたいしてであり。むろん、母にもだ。

それにしても、意外な質問だった。意図をよみかねていると、つぎの質問をぶつけられた。

気圧されているいまの状況から、「約束がちがう」とは言えなくなっていた。それでも_さきに質問したんはこのボクやのに_と心中、さらにくすぶってはいた。

「物語の完結のしかたに不満、ない?」

じつはそのとおりであった。たしかに、得心のいかない終わりかただ。ところで、それはそれとして、この質問の意図を理解できないでいた。

「つまりやね。えっと思うような、なんか、変な終わりかたやろ」

たしかにそうだ。尻切れトンボと、ボクはおもった。

「“太閤記”って、かんたんにいえば出世物語やろ。だからピークは、天下人となるところであり、さらに筆をすすめて、死去で完結させる。名のある作家ならだれでもそう書くだろうに、吉川英治ほどが、天下をとる(北条家小田原平定や奥羽諸大名の臣従)、その寸前で終わらせてしまってる、まるで絶筆したみたいに。不思議やろ?けど言(ゆ)うとくよ、遺作やないからね(氏の死去は1962年九月七日、著作は1949年に完成)」

いわれてみれば、たしかに不可思議だ。完結のしかたへの不満という質問の意味、これで得心がいった。

それはまさしくボクが、文豪にたいして、くすぶっていた言いしれぬ不満とも一致していた。

こいつが秀吉?=太閤記を読んで(小学生最後の夏休み読書感想文)/ 読書に徹する(4)

 母がさえぎった理由。豊臣秀吉は、ほんとうにひとの命を大切にしたのか?それにまちがいないか、だった。

それには、血塗られてると告げたその理由をしらねばならず、そ必要条件として、“羽柴”ではなく、“豊臣”秀吉についてくわしく調べるようにと、ややつよい口調で母はいった。

息子の性格にかんがみ、積極性の発露として、がんばって調べあげるはずだ。そうすれば、血塗られた天下人だったとわかるにちがいないと、そう。

今になってみれば、みごとなまでに術中にハマったことになる。

というのも、翌日、図書館にいき、館員におしえてもらった本でもって、けっか、一日かけて調べあげたからだ。

 その足で帰宅すると、習っていない漢字はひらがな表記にし、で、年表ふうにかきあげた、秀吉の行状をみせたのだった、どうだと言わんばかりに。

「ほんま嬉しいわ。がんばって、そこまでちゃんと読んだうえにしらべあげてくれて。ありがとう」母は心底からよろこび、そして、あえて感謝の言をつけくわえたのだった。

「…」ボクは気勢を削がれた。_そういうことやないねん、だいいち、質問に答えてくれてないし…_約束がちがうとの不満顔のままあきれてしまい、二の句がつげられなかった。

かわりに、おおきなため息が洩れた。母には、まだまだ勝てないでいるじぶんが、きっと、不甲斐なかったからであろう。

ところで、息子の不完全燃焼をかんじとった母は、「わかった。あんたのすきなカレーつくってるさかい、ナゾの解明は晩ご飯のあとに(パクリ、です)。で、ええやろ?」そうやさしく提案したのである。

以前アニメでみた、孫悟空を仏が諭すときの、包みこむような声音で、だった。

「否」とつっぱねる理由は、なくなっていた。

こいつが秀吉?=太閤記を読んで(小学生最後の夏休み読書感想文)/ 読書に徹する(3)

「『秀吉は血塗られてる』との、先日のおぼし召し。なれど、さほどではござらなんだ」

言葉づかいがおかしくなったのは、文豪、吉川英治の文章力の影響なのか。たんにかぶれやすい質なのだろうか。

すぐ異状に気づき修正して候。「たしかに、多くのひとの命をうばったよ。けど、戦国時代の武将やからしゃあないやん。天下をとるまでには、明智光秀とも柴田勝家とも戦わな、生きのこられへんねんさかい」

ボクは戦の場面をおもいだしながら、ほかにも殺されたり切腹させられたりしたひとがたくさんいた史実を告げた。

_けど…、まさか…_だった。母なら、戦国武将の宿命くらい理解しているとおもっていたのに、それでもそのことをあげつらって“血塗られてる”と非難するのはおかしいと、そうつづけたのである。

「…」母は、手をうごかしながら黙ってきいていた。

 返答がないので、無視されたと腹だちまぎれ、追加でいった。声は幾分、おおきくなっていたかもしれない。

「天下をねらった信長は、延暦寺で大虐殺したり浅井長政の首をさらしもんにしたやんか。血塗られてるっていうんなら、信長のほうがよっぽどやで」

疑義がさらにふくれあがったのは、黙殺されたせいでもあった。

アガサ・クリスティ創作の名探偵ポアロが“灰色の脳細胞”と称した、思考や推理などをつかさどる大脳皮質を、母への疑問符が占拠してしまったのである。

これを晴らさなければ、とてもじゃないが納得できない。「天下布武をとなえて武力で制圧していった、そんな織田信長にくらべたら…、いや比較にならんほどひとの命を大事にしてたと」

だが、ここで遮られたのだった。

こいつが秀吉?=太閤記を読んで(小学生最後の夏休み読書感想文)/ 読書に徹する(2)

初日、さすがに眠くなったので時計をみると、午後十時半をすぎていた。どれだけ読んだのかとその端をみると、七十九ページ目だった。一日に百ページをよむのは大変だろうと覚悟していたが、このぶんだと、それほどでもなさそうだと。

きょうは出だしがおそかったが、明日からは、ラジオ体操のあと、すぐに取りかかればいいとかんがえながら横になり、ほどなく眠りについた。

 こうして順調によみ進んだ。その間、学校のプールでクラスメイトから、「この頃つきあいがわるい」と非難されたので、正直にじじつを告げた。八月下旬には遊べるようになることもついでにくわえた。

みな、同情しながらも、予測したとおり、半分あきれ顔であった。

いたしかたないが、友だちの顰蹙ひんしゅくにも似たちいさな不興は一時のものと、あきらめるしかなかった。

その甲斐もあって、当初の計算どおりお盆まえに完読できたのである。じぶんを褒めてやりたくなるくらいうれしかった。満足感にひたりながら、二階でひとりはしゃいだのだった。達成感に酔ったのである。

しかし…、読破したことでえた知識や秀吉にたいする納得にまじり、頭をもたげだした疑問が、それらと錯綜しはじめ、ついには疑義が頭脳を占拠してしまった。

一階におりながら、_お父んが、秀吉をすきな理由はわかった。ボクもますますすきになった、けど……_につづく根源的な疑惑。

血塗られてる、か?だ、秀吉のどこが?

ボクは夕食をつくっている母の背中にむけ、まずは、よみ終えたことを高らかに宣言した。

「やればできる子やねえ…」背中ごしの、みじかすぎる褒めことばだった。「それで、どやった?」機先を制したわけではないのだろうが、いきなり感想をもとめてきたのである。

いくらなんでも、それでは約束がちがうとばかりに問いを無視し、ききたかったことを性急にぶつけることにした。

こいつが秀吉?=太閤記を読んで(小学生最後の夏休み読書感想文)/ 読書に徹する(1)

 よみだしてすぐ、昔のひとがかいた文章との印象を強くもった。今だとほとんどつかわれない表現やあまりみかけない漢字、難しいことばに戸惑ったからだ。

それでも、内容そのものはおもしろく、次第にひきこまれていったのだった。

昨年の夏休みのこと。お父とんといっしょに、というより無理やりだったが、レンタルビデオ屋で借りてきた黒澤映画からうけた印象に似ているとおもった。

はじめて存在をしったのだが、”七人の侍”“椿三十郎””天国と地獄”の三本であった。上映時間をきいたらやたらと長い。”七人の侍”はとくに。

それはともかく、あまりに勧めるので、まずは”天国と地獄”から、しかたなく並んで観ることにしたのである。

おもったとおり時代背景は古く、セリフのなかに混じる、きいたことのない言葉にもとまどった。だが観だして十数分後には、奇想天外の、クロサワワールドにはまってしまったのである。

ビデオ屋に並んでいた各パッケージは、とも白黒だったので古くさいとかんじていたのだが、”天国と地獄”では後半において、重要な役割をする煙が映しだされるのだが、なんと、ピンクになっていた。これには正直おどろいた。

パートカラーと称するもので、印象づけをねらった映像効果だとあとでしった。

数日後、べつのがあったら、借りてきてとたのんだほどだ。

 ボクは「はなしが横道にそれることが多い」と、担任の教師からよくしかられた。

けど、黒澤映画に、前年の夏ハマった良きおもいでが、“古い”というイメージの連想でよみがえったのだから、しようがない。

太閤記にはなしをもどす。

借りてきたその日から、昼の食前食後、おやつの前と後、夕食まえと飽くことなくよみ進んだ。その間は、夏休みに放映する子どもむけのテレビ番組をみなかった。

夕食時にはさすがにテレビを見、九時すこしまえ、風呂にはいった。あがると、眠くなるまで太閤記にいどんだ。

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