画竜点睛(がりょうてんせい、晴は瞳のことと母)を欠く、というやつだ。が、だからといって、いだいている疑問とは、まったく結びつかなかった。

母は、大作家の失態ではないことを説明したあと、「精魂こめて執筆したはずなのに、なんで、急に筆をおるにひとしい印象をあたえてしまう終わりかた、したんやろ?唐突にすぎるんちゃうやろか?」

母は、まさに代弁者であった。

「吉川作品が大すきな読者は、こんな終わりかたをだれも望んではいなかったとおもうで。天下をとった秀吉の、関白から太閤(関白職を甥の秀次にゆずったことで、そう呼ばれた)へと立場をかえながらの治世をえがき」

だからこその“太閤記”なのだ。

「ついに、『…難波のことも夢のまた夢』との辞世をのこし、まだおさない秀頼のゆく末を、気も狂わんばかりに案じつつ、一代の英傑は最期をむかえる。そんな人間くさい一代記をよみたかったんとちがうやろか」

なるほどそうだと賛同しつつ、はなしに引きこまれてしまっていた。

「栄耀栄華を手にした人間のもろさと儚さ・おろか・哀れを、文豪がどう描ききるかを」

拍手をせずにはおれないほど、お説ごもっとも、であった。

「ところでやけど、考えるべきはここからやで…。つまり、吉川英治ほどの大作家が、それがわからんはずないやろ」

さらなる、あらたな転回的展開に、すっかり魅入られてしまった。で、黙って、ただうなずいたのである。

「なのに何で?と、わたしはそう思た」肺ガンで、すでに鬼籍にいった(死んだ)祖父が大河ドラマのファンで、母妙子もその影響から、中学生のときに読んだとつげたあと、「あんたはどう思た?」眼が怖いくらいに、真剣な顔つきでたずねた。

「…」おもわず身をのけぞらせた。それから、「そのとおりやとは思うけど、どういう理由かまではわからん」正直にいった。ただ、ここにきてようやく、この問いと“血塗られた“太閤秀吉が関連しているのだろうと、なんとなく想像できたのだった。

「わたしもあんたと同(お)んなじやった。それで欲求不満みたいに、胸のなかがモヤモヤしたんや。けど、いくら考えてもわからんかった。ならばと、ちゅうことで秀吉の晩年を調べたわけや。なんらかのヒントをつかめるんとちゃうか、そう思てな」

まだ中学生だった母の当時の真剣さを、みてとることができた。

「おかげで、なるほどと合点(がてん)がいった。まるで絶筆でもしたように、吉川英治が筆をおいた理由を推測できたわけや」とここで、すこし間をおいた。じっくりと、ボクの反応を見さだめたかったのだろう。