母がさえぎった理由。豊臣秀吉は、ほんとうにひとの命を大切にしたのか?それにまちがいないか、だった。
それには、血塗られてると告げたその理由をしらねばならず、そ必要条件として、“羽柴”ではなく、“豊臣”秀吉についてくわしく調べるようにと、ややつよい口調で母はいった。
息子の性格にかんがみ、積極性の発露として、がんばって調べあげるはずだ。そうすれば、血塗られた天下人だったとわかるにちがいないと、そう。
今になってみれば、みごとなまでに術中にハマったことになる。
というのも、翌日、図書館にいき、館員におしえてもらった本でもって、けっか、一日かけて調べあげたからだ。
その足で帰宅すると、習っていない漢字はひらがな表記にし、で、年表ふうにかきあげた、秀吉の行状をみせたのだった、どうだと言わんばかりに。
「ほんま嬉しいわ。がんばって、そこまでちゃんと読んだうえにしらべあげてくれて。ありがとう」母は心底からよろこび、そして、あえて感謝の言をつけくわえたのだった。
「…」ボクは気勢を削がれた。_そういうことやないねん、だいいち、質問に答えてくれてないし…_約束がちがうとの不満顔のままあきれてしまい、二の句がつげられなかった。
かわりに、おおきなため息が洩れた。母には、まだまだ勝てないでいるじぶんが、きっと、不甲斐なかったからであろう。
ところで、息子の不完全燃焼をかんじとった母は、「わかった。あんたのすきなカレーつくってるさかい、ナゾの解明は晩ご飯のあとに(パクリ、です)。で、ええやろ?」そうやさしく提案したのである。
以前アニメでみた、孫悟空を仏が諭すときの、包みこむような声音で、だった。
「否」とつっぱねる理由は、なくなっていた。