出張中の父がいないふたりだけの食卓。

カレーを食べおえ、まさに口をひらこうとしたボクを制し「さてと」と、母が口火をきった。

「わるいけど先にきかせて。吉川英治の太閤記、どうやった?昨日もやけど、あんだけ、いろんなことを覚えてたんやさかい、おもしろかったみたいやね」

ボクはペコリ肯いた。あれほどの長編小説を一気によんだのだから、それは否定できない。だとしてもだ。それでおもわず、「けど…」と言いかけた。しかしだった、

饒舌の母が、「ちなみに聞くけど、すべてに満足した?」まじまじと、ボクの顔を覗きこんだのだ。忌憚のない(おもったことをズバリの意)感想をしりたいからだろうか。

_いやいや_こっちは、ずいぶんな犠牲をはらったのだ。かんたんに妥協できるはずもなかった。それなのについ、「うん」と。母の威厳か、母への敬意のあらわれか。

そんなつもりじゃないのにだ。だからこそ、いっぽうで、不満が内心でジワリと。もとはといえば、かの文豪にたいしてであり。むろん、母にもだ。

それにしても、意外な質問だった。意図をよみかねていると、つぎの質問をぶつけられた。

気圧されているいまの状況から、「約束がちがう」とは言えなくなっていた。それでも_さきに質問したんはこのボクやのに_と心中、さらにくすぶってはいた。

「物語の完結のしかたに不満、ない?」

じつはそのとおりであった。たしかに、得心のいかない終わりかただ。ところで、それはそれとして、この質問の意図を理解できないでいた。

「つまりやね。えっと思うような、なんか、変な終わりかたやろ」

たしかにそうだ。尻切れトンボと、ボクはおもった。

「“太閤記”って、かんたんにいえば出世物語やろ。だからピークは、天下人となるところであり、さらに筆をすすめて、死去で完結させる。名のある作家ならだれでもそう書くだろうに、吉川英治ほどが、天下をとる(北条家小田原平定や奥羽諸大名の臣従)、その寸前で終わらせてしまってる、まるで絶筆したみたいに。不思議やろ?けど言(ゆ)うとくよ、遺作やないからね(氏の死去は1962年九月七日、著作は1949年に完成)」

いわれてみれば、たしかに不可思議だ。完結のしかたへの不満という質問の意味、これで得心がいった。

それはまさしくボクが、文豪にたいして、くすぶっていた言いしれぬ不満とも一致していた。