また、自慢げの哲の眸には明朗さがくっきりと現れ、さらには煌めきまでもくわわっての。
それでそのとき妙は、友人を掛け値なしでほめる息子を、ぎゃくに好ましくおもったものだった。
そんな在りし日々の記憶が、出来(しゅったい)したのである。
また、自慢げの哲の眸には明朗さがくっきりと現れ、さらには煌めきまでもくわわっての。
それでそのとき妙は、友人を掛け値なしでほめる息子を、ぎゃくに好ましくおもったものだった。
そんな在りし日々の記憶が、出来(しゅったい)したのである。
それらの際の、哲の一連の相貌が、つよく印象としてのこっていたのである。
母が子を、ことに息子を思いやる愛情が、半端であろうはずない。だから、大脳皮質に消え去らざる記憶としてのこっていたのだ。
それにたいし、「ああ、たしかにあの男の子ならおまえのいっていること、わかる気がする」と答えたのだった。
さらに、「いい友人こそ人生の宝なのよ。だから、誠意をもってつきあいなさい」とつづけていたことも。
これには、屈託ないさわやかな笑顔が返事となった。
それにしてもと、じぶんでも不思議におもった、刹那、なぜあの子のことを唐突に。
だが、起因ならばじつはあったのである。
ことあるごとに「あいつは優秀で、しかも信頼にたる男なんだ。もし、手に負えないことにでくわしたら、気軽に相談するといいよ」と、
まるで親兄弟のことを自慢でもするかのように話していたからだ。
歩いたせいで血の巡りがよくなり、またほそい首筋を冷たい風が刺激したことで、それで脳が活性化したからかもしれない。
そういえばあの子はいま、社会派あるいは人権派と、まだ一部ではあったが、そう呼ばれはじめつつある弁護士となっていたのだと。
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