それにたいし、「ああ、たしかにあの男の子ならおまえのいっていること、わかる気がする」と答えたのだった。
さらに、「いい友人こそ人生の宝なのよ。だから、誠意をもってつきあいなさい」とつづけていたことも。
これには、屈託ないさわやかな笑顔が返事となった。
それにたいし、「ああ、たしかにあの男の子ならおまえのいっていること、わかる気がする」と答えたのだった。
さらに、「いい友人こそ人生の宝なのよ。だから、誠意をもってつきあいなさい」とつづけていたことも。
これには、屈託ないさわやかな笑顔が返事となった。
それにしてもと、じぶんでも不思議におもった、刹那、なぜあの子のことを唐突に。
だが、起因ならばじつはあったのである。
ことあるごとに「あいつは優秀で、しかも信頼にたる男なんだ。もし、手に負えないことにでくわしたら、気軽に相談するといいよ」と、
まるで親兄弟のことを自慢でもするかのように話していたからだ。
歩いたせいで血の巡りがよくなり、またほそい首筋を冷たい風が刺激したことで、それで脳が活性化したからかもしれない。
そういえばあの子はいま、社会派あるいは人権派と、まだ一部ではあったが、そう呼ばれはじめつつある弁護士となっていたのだと。
伝うそのほほを俯きかげんにしたまま、ただとぼとぼと歩いたのだ。
どれほどの時間が経過したであろうか。
そうするうちに、おおよそ二年まえに事故死した愛息・哲の学友だった人物、なぜかその存在をふと思い出したのである。
そんな失望と激憤にゆれる妙は、あてなく歩いていた。
ひとりになり、やがて流れでたもの。それは夫の無念を斟酌した、悔し涙だった。念願を果たせなかった申しわけなさ、その慙愧の涙であった。
実像として、浮かんでこなかったのである。
たしかにこの時点での平静度は低かった、からなのか?それともたんなる経験不足だからか。
いずれにしろいまはまだ致しかたないことなのだが、霧のなかをさまよっているさながらの心境、でしかなかったのである。
いまだ混乱する頭ながらに、ことここに至ったいま、懇請の拒絶という現実をうけ容れざるをえず、そのうえでの対応をせねばならないと。
そうでないと、夫の無念をはらすことなどできないからだ。
そのためにはまったく別の、しかも納得をうみだす方途をさがしだすしかないのだが。
ただ、こうおもい定めてはみたものの、しかし…だった。
概念として、方途らしきものを茫々描いてはみた。が、いざ具体となると皆無であった。
この、玄関までのみじかい途次(みちすがら)だったが、つづけて呪いでもするかのように反論していたのだった。
「泥酔するほどに、外で飲んだことなんてない!」と、実際にくちから漏らして。
しかしながら、人間心理というやつは複雑だ。落胆が心を支配していても、だからといってあれほどの憤怒、それがいつのまにかどこかへ消えさる、はずなかった。
どころか、おさまらない沸騰した怒り。「二度と来ないぞ!こんなとこ」とちいさく叫びつつ震える憤怒の足で、一歩また一歩と蹴みつけるようにして署をでたのである。いや正確には、でるしかなかったのだが。
ところでじつは判ってはいたのだ、悔しいけれど負け惜しみだと。
ただただ絶望の眉間のまんまで、だれもいない家へすごすご帰るなんて、できようはずなかった。いまのこんな気持ちのままでは、あまりに惨めすぎるではないか。
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