ゆえにとうぜんのこと、矢野は逆恨みも泣きごとも、さきほどまでのようには許さなかった。しょせんは、じぶん勝手な動機にすぎないとわからせたかったのだ。
いっぽうの連続殺人犯、東、“銃でころしたやから以下”そういわれて、やっと気づいたのである。
たしかにそうだと歯を食いしばった。事実、じぶんこそが、おおくの“八年前のじぶん”をつくってしまったのだと。
つくらずにすんだ被害者家族を、はたしてぼくは何人うみだしてしまったのか。独りよがりの世界に囚われていたせいで見えていなかった罪のおおきさ。今それをしり、自責の念で息ぐるしくなった。もはや、あごが胸につくほどに、うな垂れるしかなかったのである。
そんなようすを見ながらも、それでも血へどがでるほどに猛省させ、いまは亡きひとたちへ衷心からの謝罪をさせたかったのだ。
矢野は静かにつづけた。
「いかなる理由があれ、ひとの命をうばっていいはずがない。ひとは、殺されるために生まれてきたのではない。蹂躙されるために生きているわけでもない。人生を苦しみながらもそれでも良くなりたくて、もがきながらも幸せになりたくて、みんな懸命なんだ。ちがうか」
矢野の、こころからの叫びであった。十歳で両親をころされ、そのあとは姉と二人で、そうして懸命に生きてきたからである。
当時医学生一年生だった姉の幸みゆきは、八歳離れたおとうと一彦が精神性疾患(たとえばパニック障害や全般性不安障害あるいは社会不安障害等々)を発症したときの対処法をしるために、精神科医をめざしたのだった。
幸い一彦は、気丈にも恐慌的状況をのり越えることができたのである。惨殺された両親の第一発見者となり、そのとき、血の海によこたわる最愛の二人を眼にしたにもかかわらず、トラウマにはならなかった。
精神を患わずにすんだのだ。天恵というべきか。ともかくも、すぐに気絶したからよかったのだろう。さらには自己防衛本能が、そのときの記憶をおぼろげにしたがゆえに、精神的後遺症になやまされずに、刑事をつづけてゆけるのだ。
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