頑(かたく)なに、まるで牡蠣のようだった。
それでもあきらめきれず、日時や状況をかえ、そのたびに訊いてみたのだが結果はおなじで、頑として、打ち明けることはなかったのである。
ならばと、「その要請、断れないの?」とも問うてみた。
それにも一度は首を横にふった。だが、やがてちいさく逡巡の表情をしつつ、おもむろに口をひらこうと唇をすこし動かした。しかしながら、 「ああ」とのおもい溜め息をついたあと、「それができたら、いいのにね」と、結局は、微苦笑してしまっただけであった。
頑(かたく)なに、まるで牡蠣のようだった。
それでもあきらめきれず、日時や状況をかえ、そのたびに訊いてみたのだが結果はおなじで、頑として、打ち明けることはなかったのである。
ならばと、「その要請、断れないの?」とも問うてみた。
それにも一度は首を横にふった。だが、やがてちいさく逡巡の表情をしつつ、おもむろに口をひらこうと唇をすこし動かした。しかしながら、 「ああ」とのおもい溜め息をついたあと、「それができたら、いいのにね」と、結局は、微苦笑してしまっただけであった。
そんな強要をしたときの夫の形相と声のすごみ、幼稚園児から知っているが、はじめてみせる別人であったと。
企業生き残りをかけ株式公開買付等のM&Aののちは世界第五位、日本最大の製薬会社となったその新薬開発部の部長兼平取締役をつとめている夫は、むかし人間で会社に忠誠をつくす、サラリーマンの鏡のような男だった、ようだ。
しかも、合流会議の冒頭で誓約書をしたためさせられたこともあり、プロという名の仕事人としてはさすがに、議題についての具体までを漏らすことはしなかったのである。
「わかった、決して口外しない。約束するわ。だからお願い。もっとわかるように言って!」
初めてじぶんに見せた形相のウラにひそむ原因を知りたかったのだ。いな、知らずにはおれない心境の妻であった。「霞が関の役人に、なにを言われたの」
「……」興味本位では無論ないことくらい、わかってはいたのだが。
「まるで、悪霊か死神にでも憑りつかれたみたいな顔色よ、あなた…。悪質な違法行為って何がなの、誰にもいわない、約束する。だから私にだけは正直にうち明けて、ね、このとおりだから」
だが無言のままであった、やはり。
「黙っていてはわからないわ、なにがあったというの…。お願い、お願いだから」と、真剣の光をたたえた目のまま手を合わせたのだった。
しかしいくら懇願されようとも、ただただ首を横にふるのみ。額から噴きでている汗をぬぐうことも放置したままに。
そしてようやく、
「すまないが、内容は、口が裂けてもいえない。恃(たの)む、会社での立場をわかってくれ」とただそれだけ。あとは首(こうべ)をさげたまま、口を開こうとはしなかったのである。
人というのは、こんなふうな脆さをもっているのであろう。ふだんは沈着冷静な人物であっても、激しすぎる動揺のせいで、おもわず漏らしてしまったのだ。いやはや、そうにちがいない。
ところでこのあとのことだが、まるで“二枚貝”のように急に閉じた口となるのだった。
それにしてもこの暴露、別の角度からみれば、どこかにそれなりの計算があったのかもしれない。
だとしてもそれは、当人にもわからない深層心理であった。
いずれにしろ、それでも直後には“しまった、つい口走った…”と自戒し、合流会議があったという事実、いや、それすらも闇の底に葬りさらねばならないと、おそらく自身につぶやいたのだった。…今更ではあるが。
つづけて「だからおまえも、絶対に口外するな!」と、今度は強く命じたのである。
かれの妻がそばにいたにもかかわらず、だ。むろん、心をゆるしているから洩らしたのだろう。
さらなる忖度のついでだ。穿ってのはなしだが、生きる気力をうしなうような苦衷をだれかに聞いてもらいたかったからではないかと。
相手がほかならぬ愛妻であって、なにか不都合があるだろうかと、後日の夫は。
そんな底のない苦衷だったとして、それにより、
悪魔に脅されてでもいるかのように恐怖にひきつった顔が、隣家どうしで幼いころから愛をはぐくんできたその妻の眸の奥に、焼きついたのである。
つづけて夫は、日本国とほとんどの国民には利をもたらすという一面はたしかにあると。
しかしながらそのためには誰人にも、しかもこんな要請のほんの一部でも知られてはならない、秘事中の秘事なのだとポツリ、独り言のように。
国家的緘口(かんこう)結舌、スーパートップシークレットという意味で。
にもかかわらず違法性の高さのゆえ、胸に収めきれなかったのだろう、ついつぶやいてしまったのである。
アリの一穴の正体、実はこれであった。
ちなみに局長クラスからの命令ともなれば、部下は唯々諾々とその命を実行するだけで、異論をはさむやつなどいるはずがない、とかれらは高をくくって生きてきた。
それが茶飯事であり、だから習慣化しており、異をとなえる人間がいるかもしれないなどは、思考の外であったろう。
結果的にはそんな慢心が、“面従腹背”というほころびを生んだのである…。だが、顕在化するのはさきの話しだけに、今はおく。
でもって、高級官僚たちからの要望で合流会議に参加した部外者はふたり。
その内のひとりが会議の早々、六人からの依頼を、“脅迫めいた要請”とそう肌でかんじたのだった。
というのも依頼を受諾しなければ、社の、まだ発覚していない社会通念上の企業倫理にもとった過去の事実、だけでなく、企業イメージをダウンさせる不祥事までも、「それがリークされねばよいが」と、一種の恫喝をこれ見よがしにしたからだ。
さらには要請の内容においても寝耳に水で、しかも強要にちかいその事柄自体の法律違反(この部外者による契約違反という違法性よりも、極秘会議での議題の違法性こそが、重大すぎると数年後にはそれが大問題に)に、かれは堪えきれず、
「恐ろしいことに巻きこまれてしまった。霞が関の中枢がこれほどの悪質な違法行為をしてもいいのか…」と、白髪まじりの頭を掻きむしりつつおもわず、自宅リビングで漏らしてしまったのである。
他方の日本に話をとばすと、清須会議という史実がある。信長死後の、秀吉による日本統一の端(山崎に戦いでの勝利があってのこと、ではある)となった、それを裏面からみると血みどろの会議であった。
例を挙げればきりがない。が、歴史をひっくり返す、会議がその端となったという史実は、歴史的にめずらしくはないということだ。
本筋にもどそう。
反動の最大の因(民衆の覚醒)と推進力。それは、やがての進化していく産業(工業)革命であった。
技術革新、そして資本主義の近代性的な成立などにより世界的波及(日本の近代化も)として、ギリシャ独立、イタリア統一運動、ドイツ統一などを経て、各国が国力を競いつつ強大化させていったのだ。
けっかとして、各国の総力戦としての第一次大戦を勃発させるその土壌のひとつは、ことばを換えれば大きな国力をもったからで、導火線に火をつけたサラエボ事件(オーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者のセルビア国での暗殺)が契機となり、世界的大爆発をおこしたのである。
それまでのウイーン体制下では、所詮は小国どうしでしかなかったのだ。それらがいくら合従し、あるいは連衡しようとも、世界大戦には至らなかったであろう。
すこし違うが、“蟷螂(かまきり)の斧”ていどの破壊力では、どれほどに合体しようとも、あえていえば、地球規模の大量殺りく兵器のようにはなりえなかったということだ。
具体例をあげて説明しよう。
まずは多大な人命をうばったとされる毒ガス。これの開発と製造にも、戦車や潜水艦さらには戦闘機などの進化などにも多大な費用がかかる。
経済的国力がちいさければ、以上はできなかったであろう。
(第一次大戦において数千万人の犠牲者をだした最大の因が、スペイン風邪であったことは論をまたないが、それは置いておく)
で以下が私説なのだが、同会議がある意味、約百年後の第一次世界大戦の遠因となった、と。さらには、約20年後の第二次大戦へとつながっていった云々。
じつはナポレオン戦争の前後、ヨーロッパはいまだ多くが小国乱立し、現在のようではなかった。群雄割拠や内紛をしていたのである、ことにドイツ、イタリア、スペインなどがだ。
さらにわかりやすい話、それが英国。今でも、イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドの集合国家である。国旗ユニオンジャックは、その象徴といえよう。
でもってウイーン体制とは、アンシャン・レジーム(古い体制)の維持にほかならなかった。
つまり、各勢力が互いをけん制しつつ自勢力を保持していた。それはとりもなおさず、各自がさほどの国力を持つにはいたらなかったことを示している。どんぐりの背比べ状態だったのだ。
しかしこういう、フランス革命からの歴史の流れをはばむ無理、いわゆるウイーン体制は、前記のようにさらなるおおきな反動を生んでいった。
くだんの極秘会議における決議の二日後(だったらしいのだが)、固定の六人以外の、部外者をまじえた合流会議が、こちらも秘密裡にひらかれたのだった。
ところが、というよりも案に大いに反してというべきだろうが、端を発した(ほころびが生じた)のは、じつはこの合流会議のすぐあとにおいてである。
そういえば、と続けたいのだがここですこし横道にそれ、会議について、私説をのべたい。
トラファルガーの海戦での敗退やロシア遠征における歴史的大敗走(トルストイは“戦争と平和”を執筆す)などが因となってのナポレオンのエルバ島流刑。
そののちの“鬼のいぬまに洗濯”ではないが、欧州各国ではそれぞれが利害をあらわにしつつ、それでもウイーン会議をまずはひらいたのである。
だが喧々囂々(けんけんごうごう)、混乱に混迷をかさね、そんななか悶着のすえ “ウイーン体制”をつくりだしたのだった。ちなみに、ナポレオンの島脱出を知ったがゆえにだが。
ところでウイーン体制とは、フランスも含む絶対君主による王政復古、いわばごく一部の特権階級のための制度のことだ。
いっぽうで、民衆が絶対的権力にたいし抵抗を旨とする自由主義運動などを、結果まねいたのである。
まずはドイツで。ついでイタリア、スペインと。さらにはベルギーやギリシャの独立などと激化拡大し、やがてこの体制は崩壊していったのだ。 また、中南米においても独立運動が惹起。1810年代以降、アルゼンチン、チリ、コロンビアと次々に国家独立をうんでいったのである。
まずはあることわざの意を、このあと用いるとしよう。
そう、キャリア六人組が常日頃から自信をもっていた目論見。ではあったが、残念なことに完ぺきではなかったという事実だ。
なにを隠そう、“アリの一穴”がじつは存在したから、なのである。
で、名探偵のホームズやポアロほどではなくとも鋭いひとならば、“一穴とはほころびを指し、いわく情報漏洩のことである”と想像できたであろう。
ただし一穴だが、実際には“極小”、でしかなかったのだが。
極小としたように、“流出”という事実は、たしかに一片にすぎなかったのである。
しかしながら、だからといってそれではすまされない、契約違反という違法性を否定できない事態、なんとも、そんなきびしい側面すらじつはあったのだ。
いやいや、これではわかりにくい。 で、そのあたりをまず、大まかに記すとしよう。
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