で以下が私説なのだが、同会議がある意味、約百年後の第一次世界大戦の遠因となった、と。さらには、約20年後の第二次大戦へとつながっていった云々。
じつはナポレオン戦争の前後、ヨーロッパはいまだ多くが小国乱立し、現在のようではなかった。群雄割拠や内紛をしていたのである、ことにドイツ、イタリア、スペインなどがだ。
さらにわかりやすい話、それが英国。今でも、イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドの集合国家である。国旗ユニオンジャックは、その象徴といえよう。
でもってウイーン体制とは、アンシャン・レジーム(古い体制)の維持にほかならなかった。
つまり、各勢力が互いをけん制しつつ自勢力を保持していた。それはとりもなおさず、各自がさほどの国力を持つにはいたらなかったことを示している。どんぐりの背比べ状態だったのだ。
しかしこういう、フランス革命からの歴史の流れをはばむ無理、いわゆるウイーン体制は、前記のようにさらなるおおきな反動を生んでいった。