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~ 秘密の薬 ~  第一部 悪法への復讐 / 第二章 殺人事件が立てつづけに (05)

ところでときをまき戻し、事件発生から三日目の午後十時からの第三回捜査会議にての主たる報告を、星野管理官がぶかに命じまとめたのだが、それに目をとおすとしよう。

  • 狙撃現場を特定できた。(この報告は、前日の第二回会議ですでになされていた)
  • そのしゅうへんを中心に訊きこみを続行中(地取り捜査という)。とくに、犯人は事前に狙撃現場の物色にうごいていた可能性がたかいので、しゅうへんのコンビニや食堂などを中心に“地取り”している。
  • 近辺の防犯カメラの映像を回収し解析にまわしている。なかでも、逃走に車などをもちいたことも考慮し、周辺駐車場の監視カメラに力点をおいているよし。

4 元首相の行動パターンをしっていた人間を洗いだし、そのなかから動機をもつ人間をしぼりこんでいる。

5元首相とかかわった人物のなかに、クレー射撃を得意とするキャリア官僚綾部がうかびあがった。しかも「元首相の指示で閑職においやられた」とそう、本人は報復人事の不服をふだんからまわりにもらしていた(と、ここで会議中にもかかわらずどよめきがおこった)という。こんご、身辺捜査でアリバイの有無、動機の内偵等おしすすめていくとのこと。

1における詳細な説明はこうだった。

銃撃をうけたときの元首相の路上での位置と入射角度、および弾道(弾丸飛来の軌跡)などにより狙撃現場を特定できたと鑑識。

ということで、2と3についてだが、狙撃現場を中心に半径三百メートルの地域において、捜査員を動員しているが、目撃者さがしは不調のままである。たとえば、

不審人物をみたとの情報は相当数えているのだが、時間的に符合しなかったり、手ぶらであったりで。というのは、たとえライフルが組みたて式であったとしても、銃をしまい込めるほどのおおきさのカバン類を所持していなければならないからだ。

裁判時、加害者側に不利をうむ決定的な物的証拠となり、捜査段階でも、犯人特定にもつうじる凶器を、ゆえに、薬莢ですらも現場に放置しなかった慎重居士の実行犯が、逃走とちゅうでそこらに捨てさるはずがない。かくしおおせない、は自明の理なのだから。

えっ、自明の理?大都会がうむ雑多なゴミにまぎれさせればなんとでもなるに…なして?との素朴なぎもんをいかんせん。ならば、説明するいがいにないであろう。

家庭からだろうが飲食店などからであろうが“ゴミは、可視可能な透明のナイロン袋で所定のばしょに廃棄すべし”との主旨の、いわゆるゴミ廃棄法が国会をへて、2017年十一月の施行以降、東京オリンピック・パラリンピックむけテロ対策の一環として、国民に徹底されたことによる。

くわえて、ゴミ収集車には金属探知機とX線スキャナー装置の設置が義務化され、爆発物などもふくむ凶器類をみぜんに察知できるシステムが導入されてはや五年。この法はオールジャパンとして、海外からの観光客にも、治安上の安全をアピールできるとのねらいもあった。

東京オリンピック・パラリンピックは、おかげでテロの標的にならずにすんだと、都知事は自賛していたくらいだ。それはまあ、さておくとして、

こんかいにおいても、じじつ、不審なゴミはひとつもでてこなかった。違反したゴミ袋には、ひとつにつき罰金十万円が科せられているからでもあろう。

ゴミに紛れこませられなかったとなるととうぜんのこと、犯人は銃をもちかえったにちがいない、となる。

ちなみに、狙撃現場ちかくには、銃を沈みこませられるような川も沼や池もないことは、現場をてっていしてしらべた鑑識班にかぎらず、矢野係や他の捜査員もすでに確認していた。

犯人はライフルをもちさったはずとの、そんな結論づけに呼応するかのように、事件から七日後、狙撃現場ビルからの直線距離五十メートルという近場にて、しかも事件直後という時間的にもふごうし、しかもそのおとこは、おおきなリュックをせおっていたとの有力情報を、かれらはついに入手したのである。

もたらしたのは、土日のアルバイト勤務から帰宅とちゅうの、低賃金非正規雇用のせいでねる間をおしまねば生きてゆけないきのどくな青年であり、くわえて、狙撃現場から百メートルほどに設置された防犯カメラの映像でもあった。

ちなみに青年だが、かれがこぐ自転車があやうくおとこにぶつかりかけ、それが夜間のサングラス男だったせいで記憶にのこったのだった。「ほかの特徴ときかれても、…そう、マスクと帽子、それから黒っぽいコート、くらいですか」

ところで、入手に時間がかかったわけだが。捜査員の怠慢のせいではない。

青年が土日のアルバイト勤務だったために平日の訊きこみでは遭遇できなかったこと、また映像だが、画面の中央部にではなく背景的だったせいで、遠映になってしまったこと、さらにこれが唯一の映像であったために、こちらも発見がおくれたのだった。映像の隅にちいさくしかも一瞬だけうつっていたので、看過してしまったのだ。

ただし、手掛かりとなりそうなようやくの情報ではあったが、捜査陣にとってはざんねんなはなし、肝心なぶぶんが欠落していたのである。

目撃者のせいではないのだが、その不審人物は既述したようにサングラスをし帽子をかぶり、ごていねいにおおきなマスクまでしていたからだった。人相秘匿のためであることはいうまでもない。どころか、年齢の推定すらむずかしい。

情報としてはせいぜい逃走方向と、とうやの服装やおおよその身長と体重くらいである。

しかし、カメラがとらえた服やリュックは、すべて処分したであろう。しかも黒っぽいコートやリュックはどちらも、有名量販店でうっているタイプににているとのことだった。

なるほど、よほどのバカでもないかぎり、めだつ格好をするはずないのである。

それでもさっそく、姿絵をできるだけ似せて作成し新聞やニュースで発表してもらった。だが、というよりもやはりか、これといった有力情報をいまのところえられずじまいであった。さらには、これからさきも期待できる状況にもない。

目撃者はひとりだけ、映像もその一カ所のみ。なぜ、ほかに目撃者があらわれないのか、血眼でさがしたが、映像もどうしてこれだけしかないのか、ともかくも不思議であった。

「こういうのはどうでしょう」藍出が矢野に、かんがえに考えぬいた渾身の憶測を披露したのである。

「銃身を二分割にするなど、バラバラにしたライフルを宅配便に依頼し自宅におくらせた」犯人が逃走の最中、しかもそうそうに荷物を業者にあずければ、一メートル以上の手荷物をさがそうと躍起になってもいみがない、そういいたいのだ。

たしかに熟慮の発想ではある。

藤川たちは、なるほど、なぞは解けたとガテンした。

「藍出、あるいみ、おもしろい発想だが、もっと想像力を発揮しないと」矢野は即座にちいさな叱咤をした。とても推理とはよべない、あまい憶測でしかないというのだ。

犯人ならどんな行動をとるか、そのまえにまず、犯人のきもちを忖度(ひとの心をおしはかる)する、そこから事件解決の糸口をつかむ、これが矢野流捜査の基本であり、いま、その訓練をつまそうとしているのだ。

それがわかった藍出は、まず、反省したのだった。そして脳のスクリーンに、そのときの情景を映像としてうつしだしはじめた。

やがて「ぼくがきづいたくらいなら、犯人もでしょう。なるほどそんなことをしたら、じぶんの名前やじたくの住所を宅配業者に記録させることになる。つまりこの手段は姑息ゆえに、危険このうえない」犯人なら、こんな愚策をとるはずないと。藍出もようやく、その場しのぎだった欠点にたどりついたのだ。

だけでなく、深夜に宅配をたのむとすればコンビニであろう。ほかはかんがえにくい。

矢野もいちどは藍出とおなじ発想をした。しかしすぐに排除した。それは、コンビニには防犯カメラが設置されており、いくら変装していても歩き方(歩容認証による鑑定システム)や所作に人それぞれの特徴がでる以上、防犯カメラの映像をニュースで公開されたばあい、知人がみればあるいは気づかれ、身分が露見するかもしれないからだ。

「たとえば岡田。おまえは眉間を右手の人さし指でしばしばかくクセがある。そのせいで、すぐに峻別されるだろう」いくら緻密な計画をたてたとしても、犯人も人間だ。ひとを殺した直後なのに、冷静沈着でいられるはずがない。

「おもわずふだんの所作がでても、なにも不思議はない。ましてあいてはコンビニの防犯カメラだ。来店時の足のはこびも所作も細大もらさず撮影している」そんなばしょにわざわざ足を運ぶだろうかといいたいのだ。

「それだけではない」大都会ゆえに、監視カメラも相当数設置されているとも。

藍出のを推測と評価できるとすれば、それは銃の分割解体だけであった。

藍出はようやく、あまいとの指摘の実体におもいがいたった。監視カメラをも計算にいれて狙撃したのである。ならば、身をかくす算段もしていたにちがいない。

犯行直後、コンビニにはいるなんて姑息というより、もはやまぬけの極みとしかいえない失態をおかすはずがないとわかった。

そうはいっても、犯人が忽然とすがたをけせたそのナゾを矢野とてもといたわけではなかった。いくら秀逸であっても、ナゾをとくきっかけが必要だった。

いっぽう、本部総体としてもクビを傾げるしかなかった。

そんななか、やがて星野と矢野がそのナゾにたいし、合点の推測をすることとなる。

 

~ 秘密の薬 ~  第一部 悪法への復讐 / 第二章 殺人事件が立てつづけに (04)

ところでせっかくだから、すこし脱線して、要人暗殺について。

近代日本といえる明治以降においてひとりの命をうばった、しかも日本国内でおきた事件としては、今回の暗殺がその影響から空前といえるであろう。

などとかけば、不同意とするひともままおられるのではないか。

そんなふうに逸(はや)る御仁ならば、日本史上の一大ターニングポイントとして、大老、井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼暗殺=桜田門外の変をまっさきにあげるであろう。

ペリー提督の黒船来航を因に、燎原の火(防ぎとめられないこと)のように攘夷運動が身分や階級・性別・年齢をこえて日本全土にひろまり、呼応するように、とおく忘れさられていた尊皇思想を覚醒させ、ふたつを政治的にむすびつけていく大事件である。

堰をきったように、桜田門外の変以降、たしかに天下は討幕へ、さらに明治維新へと急激な大転換をとげていった。だが、当該暗殺事件はあくまでも江戸末期の出来事である。

あるいはべつの見解として、110年ちかく前の1909年十月二十六日に暗殺された初代韓国統監伊藤博文(日韓併合にたいしては慎重にとの立場をとっていた)はどうか。だが事件は、現中華人民共和国黒竜江省の、ハルビン駅ホームでおこった。

ただし歴史的にみて、影響としてはおそらくいちばん大きかったのではないだろうか。翌年、日韓併合という出来事(公平にみて、この条約には功罪両面があった)を世界史に刻んでしまい、やがては軍部や戦争肯定派の政治家が提唱した大東亜共栄圏なる幻想の名のもとに、民衆を塗炭のくるしみに陥れた戦争へと突きすすみ、あげく、二千万人以上(各国発表をもとにした推定累計者数)というたっとすぎる命を犠牲にする暴走をうんだ、その甚大すぎる悲惨のひとつの誘因あるいは契機になったとする歴史学者も相当数存在するからだ。

初代韓国統監伊藤博文暗殺とは、のちに続発する重大事態にかんがみ、まさに大事件だったのではないかと。

さて、では、首相の座からしりぞいたいわば“過去”の人物の暗殺、にもかかわらず、当件が空前の大事件だ!などとなぜいえるのか。

推理小説の名探偵がなぞ解きをラストにまでとってじらすに似て、その理由をあかせる状況にはいまはないが、およぼした影響のゆえだとそうおもっていただきたい。

なんの、それでは得心できないと云々。

ならば、補足的説明でおゆるしをこうしかない。

五・一五事件においては犬養毅総理大臣ほか一名が、二・二六事件では高橋是清大蔵大臣や斎藤實内大臣ほかが命をおとしている。

太平洋戦争へとつうじていくこれらこそ、たしかに大事件である。日本国とそれを構成する邦人のみならず、東・東南アジアはむろん世界的にみても、歴史上の一大事件だ。ただいな影響において、否定のしようもない。

しかしながらこんかいの事件には、まだ計りしれない未知の領域があり、それが将来の日本国民にたいし、ただいな影響をおよぼすだろうとは計れるからである。時間とともにジワリとだがかくじつにダメージがあらわれてくる、ボクシングのボディブローのように。

=閑話休題=

 

原はさらに、なやましげな表情になっていた。「きみたちのなかには、というよりほとんどのものがそうだろうが、内部の人間をうたがうのを疎ましいとおもうにちがいない。だが、被害者が超大物だけに世間の注目度もおおきい。よって、内部にたいし手をぬいたことがマスコミなどに露顕したばあい、ただではすまない」

二十一世紀になって早くも二十二年、やんぬるかな(~あああ)警察の不祥事は、へるどころか増加の一途である。それだけに世人の眼がきびしいなかにあって、しかも今事件は海外メディアも大々的に取りあげただけに、捜査責任者であるいじょう、不祥事が発覚すればまっさきになんらかの処分、換言すれば詰め腹をきらされるのがじぶんであると知悉しての発言であった。

「ゆえに私心をはいし、徹底的な捜査をしてもらいたい。あえていう、捜査対象となるひとの数は慮(おもんばか)るまでもなくたいへんではあるが、ここが諸君のデカ魂のみせどころなのである」有効な捜査方針をたてられない原は、会議の途中にもかかわらず、こんなハッパをかけるしかできなかったのだ。

ところで、世間注視のどあいもふくめた事件のおおきさもさりながら、解決の困難さも並たいていではないように、現時点においておもわれた。そして、原の予測は不幸にも的中するのである。

というのも、原刑事部長にとって悲願であり野望でもある早期解決のまだまだ範疇にあった事件発生および第一回捜査会議から三日目。にもかかわらず、はやくも迷宮をさまようような捜査状況へと陥ってしまっていたからだ。

が、それは捜査員の怠惰のせいではなかった。

犯人像すらまったくみえてこないくらい、捜査にひつような材料に欠乏しているせいだ。有力な遺留品や情報がまったくないという事態である、狙撃現場を特定できたにもかかわらず。

いっぽう、原とはちがい、刑事としてただ犯人をとらえたいだけの星野や矢野らが頭をいためている、捜査が進展しない理由。ざんねんながらいくつかあった。

その1 場壁元首相の身内と五人の秘書および個人事務所の各事務員をふくむ周辺人物に、まっさきに事情聴取をした。身内といっても妻とその前夫とのあいだの一人娘だけで、夫婦間に子供はいなかったのだが。

ことし三十歳になった(つまり、たとえば参議院議員の被選挙権取得年齢にたっした)ばかりで政治にはド素人の一人娘以外に跡とりがいないという理由からだろうか、それとも、以前は元首相場壁俊蔵の秘書から入り婿になったのを主(あるじ)側の人間として軽くみていたからなのか

――犯人が逮捕されたところで場壁がいきかえるわけではない――との共通認識が、未亡人や義理の娘を筆頭に事務員にいたるまであった。

もし被害者に実子がいたとして、その人物ならば犯人逮捕こそ最優先でとねがうはずだ。なぜなら、実子ならば愛されて成長したであろうから、そのぶんなにをおいても犯人を憎んだにちがいない、たとえ父親の世評がよくはなかろうとも。

そのてん、帳場には、とくに早期事件解決を希(こいねが)う原部長にとって、実子がいなかったことは不幸であった。

くわえて場壁が、俊蔵亡きあとの主側にたいししだいに暴君ぶりをむき出しにしたせいで、けっか、だれからも愛されなくなっていたのである。だから極端なはなし、かれの死を心底で悼むものはひとりとしていなかったのだ。

ぎゃくに、犯人に感謝している人間だが、あるいはいるのかもしれない。

捜査員がうけた印象は、すくなくともこんな具合であった。

ゆえに、犯人逮捕に協力的ではないのだ。否、真相解明にはしょうじき、あるおもわくから消極的だったのである。

ほんらいなら補欠選挙には同情票があつまり、よって弔い合戦の名のもと、無名の新人候補でも楽々当選するのがつうれいだ。

しかしそのじつ、場壁陣営としてはそんな楽観視はできないでいた。場壁とは直接の血縁でない義理のむすめを擁立させるもくろみなのだが、若すぎるだけでなく政治にはまったくの素人だからである。

それでもまずは後援会を納得させ、全面協力をえねばならない。かれらの支援なくしてはかてるはずないと、最優先課題として陣営はかんがえたのだった、なんどもしるすが犯人逮捕とは比較にならないほどの優先事項として。

さらに、かれらのおもわくをいえば、殺害動機の明瞭化が故人の恥部をさらすことに、最悪のばあいつうじるかもしれず、ひいては場壁家の暗部を喧伝することとなり、補欠選挙で場壁陣営が擁立する未亡人のむすめの当選という大目標に致命的不具合をしょうじさせる、そんな事態をもっともおそれていたのである。

企業が利益をあげることを第一とするように、かれらは選挙にかってはじめて、陣営の存在価値を発揮できるのである。ぎゃくに敗戦によって、どんなバッシングをうけるかわからない。それをいちばんにおそれるのである。

ゆえにできるだけ故人の行状をかくしたい未亡人が中心にすわった、そんな場壁陣営のおもわくが、捜査陣にとっては動機特定の困難さをしょうじさせ、犯人像をまったくうかびあがらせなくしているのではないか。

その2 都内と神奈川県・埼玉・千葉と、数はそうおおくない銃砲店を、矢野係中心にあたったけっか、過去三年のあいだに凶器と同種のライフルを購入したものが二十人いた。該当者があんがいすくないのは、猟銃購入者がほとんどだったからだ。

この二十人すべてにあたったが、凶器であればでるはずの顕著な硝煙反応がどのライフルからもでなかった。ライフル銃は構造上とくに、硝煙反応をけすのが不可能にちかいため、かれらは被疑者からはずされた。このあと首都圏全体へと範囲をひろげ電話にて銃砲店をあたったが、この方面では、犯行につかわれた銃と同種を購入したものはいなかったのである。

そのりゆうをあげるとすれば、銃購入の手つづきがけっこう煩雑だからかもしれない。

銃砲店店頭だけでなく電話やメール・ファックスでも申しこみはできる。

ただし米国とはちがい、ここからの手つづきがたいへんで、並たいていでは許可がおりない。身分証はむろんのこと、銃の講習修了証明書か教習修了証明書などがまずひつようとなる。

そのうえで譲渡承諾書をよういし、銃の購入申請書類一式を購入希望者の所轄警察署に提出し、審査にとおったのち、同警察署が発行した許可証をえなければならない。とうぜんだが日にちもかかる。

そんなことをすべて承知の原部長は、警視庁下にあるすべての警察署に、銃の所有者名簿を作成し提出させた。また、警察庁にたのんで各県警にも同様のリストを提出させたのである。事件が事件だけに、各県警もかんたんに了承したのだった。

リストをもとに、相当数の捜査員を投入し、またもや警察庁をつうじ(じつは警視庁と神奈川県警は仲がわるいゆえだが)各県警にも協力をえて、銃所有者すべての家宅に捜査協力を願いでるというかたちで訪問したのだった。

基本的に、こばむ対象者はいなかった。警察ににらまれたらあらたな銃購入が困難になるだけでなく、いままでの銃所持にも支障をきたしかねないからだ。

しかし、やがてすべてが徒労におわるのだった。大山鳴動してネズミいっぴきもとらえられなかったのである。

同時並行ですすめていた、藤川による裏サイト利用の銃購入しらべも、その見とおしはすでに暗かった。

その3 狙撃現場ちかくに設置された防犯カメラの映像を、人員をさいて精査させている。忘年会には不向きな月曜の午前零時すぎだけに、人どおりもさほどではないにもかかわらず、不審者やうたがわしき人物をいまだ見つけだすことができないでいる。

その4 初動捜査における検問の不発、および訊きこみで有力な目撃者があらわれてこない現実も、こんごの捜査への暗雲を予感させた。それでもとうぜんのこと、狙撃現場ちかくでの訊きこみは続行させている。

そんな大事な訊きこみだが、時間とのあらそいでもあった。事件発生から六十時間以上の経過は記憶をうすれさせるばかりか、べつの記憶と混合させ、事実とことなる記憶へと変化させてしまうこともしばしばなのだ。

そんな誤記憶のせいで、捜査がミスリードされた事例もけっしてすくなくない。

さらに、時間の経過が犯人に証拠隠滅の猶予をあたえるだけでなく、国外への逃亡もいっそう容易にする。

あるいは、すでに高飛びしたかもしれない。

そんな見方もひろがるなか、事件発生から八日後、犯人高飛び説はかんぜんにきえたとおおくの捜査員がおもうにたるたいへんな事態がおきるのである。

そのじつ、星野や矢野たちが懸念していた事態の競起であった。ただし、いまはまだそれをしるす時ではない。

~ 秘密の薬 ~  第一部 悪法への復讐 / 第二章 殺人事件が立てつづけに (03)

さて、今回のようにアリバイ捜査にたいし通常の期待をもてないばあいでも、捜査上有力な手がかりとなる別口がある。

それは世間周知のとおり、動機である。

殺人事件においてはとくに、犯行動機の特定も捜査するうえでの力のいれどころとなる。かんがえずともわかることだが、ひとを殺すほどの強烈な動機をいだく人間など、そうはいない。

ただ、飲酒や薬物やわかれ話などが原因でいざこざや精神錯乱などをおこし、頭に血がのぼってその場で殺害するなどの短絡型をばのぞいてだが。むろん、こんなばあいでも動機特定の捜査はするが。

さらには審判の場でも、動機はとわれる。

ゆえに、動機を重要視するのである。

ただしだ、近ごろはとみに、動機の稀薄すぎる「だれでもいいからひとを殺したかった」とか「ひとを殺したら死刑にしてもらえる」などと放言する犯人や被疑者がマスコミをにぎわせている。

しんじられないことだが、動機なき犯行の時代になりつつあるのか。だとすれば嘆かわしいかぎりだ。ここは、例外的事例だとしんじたい。そうでないと、すくいのない不健全な社会に、現代日本人はすんでいることになるからだ。

ところで…、さもありなんとおもえる強い動機。たとえば、肉親、ことにわが子を殺された被害者家族の、犯人への憎悪において。

だが、強烈な殺意をいだいたからとて、じっさいに凶行におよぶケースはごく稀である。いわゆる、復讐や意趣がえしが動機というようなかなしい殺人は、現実にはほとんどおきていないということだ。

被害者家族がいだく恨みがどれほどに甚大でも、だからといって報復殺人を、ひとは、まずしない。

かりに一線をこえたとして、世間は同情するだろうが、それでもとうぜん、法の裁きをうけるハメになる。さらにきびしいことをいえば、わかりきったことだが、報復後に被害者が生きかえってくれるはずもない。

ただまちがいなくおとずれるのは、“殺人者”との汚名のもと仕事をうしない、じんせいを一変させるという抗しがたくきびしい現実だけである。

ゆえに復讐を、被害者はよろこばないし、のぞみもしない。報復はしょせんおろかな負の連鎖でしかなく、だれの幸せにもつうじはしない。だからであろう、報復殺人はまれなのだ。

むろんそれでいい、健全なのだから。

脇道にそれたので、思考を“動機”にもどすとしよう。

今回の事件においてはその特定はむずかしいだろうと。

超大物政治家だけに、政敵をはじめ首相時代の施策により潰れさった企業や団体・個人が数多(あまた)存在したからだ。さらにこれとはまったくべつのプライベートでだが、すてられた女性等々、つまり、なかされた人間を数えあげたらきりがないのである。

捜査陣のおおくが、長引くぞとおもったのもとうぜんだった。

「動機をもつ人間など枚挙にいとまがないよ」とだれかが洩らしたとして、言いすぎだろうか。週刊誌などによると、公私ともに力にものをいわせた政治(性事もかもしれない)でなにかと物議をかもしてきた人物のゆえんだ。

刑事部長の原が頭をなやませている根源も、べつの意味でじつはそれであった。通常なら、犯人特定のために動機の詮索をどうどうとするのだが、今回は、そのあたりまえに二の足を踏まざるをえないと内心おもっている。

正直、こわいのだ。さけることのできなくもない、やらずもがなの虎の尾を思慮なしにふんで…、もっとはっきりいえば、政府・与党内に土足でふみこんであとでとり返しのつかない事態をまねきでもしたら…始末書程度で、すむはずがない。

また、こうも。元首相の力まかせの所業(政策)のせいで、あるいは経済的被害をこうむった(としんじる)人物の心に形成された動機。

しらずにその暗部を洗いだしてしまったせいで、抜けだすことのできない地雷原に足をふみいれるハメに?…杞憂(無用な心配)というべきか、ついつい、そう考えてしまった。

あるいは、ある意味もっとおそろしい青天の霹靂とでもいうべきか、動機が国家機密とかかわっていたばあい、捜査の指揮をとっていた責任者として、2015年に施行した“特別国家機密保護法”違反として処罰される事態もありえるのでは…だ。

なぜなら、この法律の欠陥中の欠陥である、なにを国家機密とするかの具体や詳細を、主権者たる国民にすこしも周知させていないために、どこに陥穽(かんせい)(落とし穴)があるのかまったく見当すらつかない点である。

漆黒に塗りかためられたような闇夜の行路、手さぐり足さぐりであるいているうちに見しらぬほうへ。やがて、まさかの断崖絶壁の地面をふみはずし、奈落のそこに陥ってしまうににた事態。仕事をしていただけなのに、そんな悲劇が現実におこりうるからだ。

 

じつはこれが、この小説のテーマなのである。

たしかに…、とくにソフト面において外国の攻撃から、安全保障という意味において国家をまもるための特別国家機密保護法ではある。

それを全否定する、おろかを主張するものではない。が、もんだいは、国民のしる権利という基本的人権をおびやかしてしまう、だけではすまない点だ。

かといってここで、マスコミや日本弁護士会などによってすくなからず指摘されてきている問題点を羅列するつもりはない。

ただ、民主主義の根幹である基本的人権の維持や保障を主眼目のひとつとして重要視する現日本国憲法こそ、国家権力が基本的人権を侵害することのないよう、足枷(あしかせ)の役割を担っている。これが、憲法学者のほとんどが提唱する一般的解釈だ。

ならば、違反した人間が、どんな国家機密にせまったのかすらしらず、由(よ)って逮捕理由の詳細もわからず、したがってつみの意識もないまま裁判にかけられ、特別国家機密保護法の、どのぶぶんに抵触したかもわからない状況のなかで刑が確定する、なんて、そんな無体があっていいのか、ということにとうぜんながらなる。

なるほど、違法行為にも、大量殺戮から公道などへのタバコのポイ捨てまで、大なり小なりいろいろあるが、たいがいは違法行為だと知りえるものか、すくなくとも、察しがつくていどのばあいが九分九厘だ。それに軽微なものは、注意や警告などの処置ですみ、いきなりの逮捕や送検の事実を、まずきいたことがない。

たとえば、自転車の夜間無灯火走行は道交法違反だが、いきなり逮捕されることは、まずない。あるとすれば、警察からめをつけられている執行猶予中の犯罪者が、シートベルト非着用などの軽微な違法行為で逮捕拘留されるようなばあいだけだ。

それはともかく、善良なる一市民がいつものとおりの日常生活をおくっていて、たとえば、知らずなにげになした、友人の官僚への酒席での誘導聴取や、あるいはネット検索などの行為が違法だとしてとつぜん逮捕され、国家の保全や国益の名のもとに人生を蹂躙される、そんな可能性を有する未完成きわまりない法律なのである。

しかも法をおかしたという罪の意識がないうえ、裁判においても違法行為のないようが明示されないまま裁かれ、刑に服さなければならないということにもなりかねない。

とどのつまり、悪法のせいでそのひとと家族の人生は、慙愧(心にふかく恥じる)の念すらもつ状況下になく、にもかかわらず、完膚なきまでに破壊されてしまうのだ。

とまれ、最高刑は懲役十年である。家計をささえる人間が刑に服したばあい、家族は離散し、のちにおける本人の社会復帰もままならないであろう。

さらにわるいことには、有罪のりゆうがわからないから再犯のおそれをともなうこととなる。もし再犯により起訴されれば、さらにきびしい量刑をうけることになろう。これでは、≪踏んだり蹴ったり≫ではないか。

以上は一例にすぎないが、よって、特別国家機密保護法こそは、あらゆる法律の基本法である日本国憲法にまちがいなく違反する悪法だと断ずるものである。

==閑話休題==

 

しかも原のような立場のばあい、特別国家機密保護法違反によるタイホは最悪の事態をうむことになる。

まずは、悲願である出世が頓挫することになるが、それだけですもうはずがない。

絶句するしかない社会的立場の自滅、どころか身の破滅もかくじつなのだ。最高刑が懲役十年の特別国家機密保護法違反のばあい、よほどに軽微な違法行為だけである、執行猶予がつくのは。

あるいは、一般市民ならば犯罪行為に無知だったとのりゆうで情状酌量されるかもしれないが、法にあかるいキャリア警察官僚の原のばあい、初犯だったとしても情状を酌量されないこともじゅうぶんにありうる。

となれば、問答無用で刑務所に収監されることにもなろう。

いやいや…、おそろしいのは、じつはここからなのだ。刑務所で辛酸を骨の髄であじわうハメになるだろうから。元警察官という身分のゆえにだ。

だれいうでもなく、ずいぶんな目にあうとのこと。なにしろ、刑務所内においておおくが警察官にウラみをもつ連中なのだ。

刑務官の眼のとどかぬところで半死半生の目にあうこともじゅうぶんに。ヘタをしたら殺されるかもしれない。

そこに思考がおよぶと小胆(小心者)の原にはたえられず、おもわず身ぶるいがでた。

かといって、任務を投げだすこともできやしない。敵前逃亡者に未来などない!だから――どうか、動機と国家機密が無関係であってください――秘かに、そう天にむかっていのるしかなかったのである。

せめて、個人的ウラみであってほしいと。しかしながらもしそうであっても、この事件を詳細に暴いて、ほんとうにだいじょうぶだろうか。じぶんに累がおよぶのではないかとの心配はつきない。じつに厄介な事件を背負わされたものだと、ながい嘆息がつい洩れたのだった。

それでもつづけるしかなかった。警視庁の刑事部長といえばそうとうな立場である。が、それでもいやも応もない、警察機構の一歯車でしかないのだ、キャリア組とはいえ、しょせんは。

「つぎ。狙撃現場の特定の件、どこまですすんでいる」心を反映したこえ、しだいに翳(かげ)りをおびはじめたのである。会議がすすむうち、これという情報がなく、いっぽうでかんがえる時間をえたせいで、早期解決が夢想だったとおもいしらされたからにちがいない。

募るあせりにおし潰れそうになった。かれは順風満帆な人生をあたりまえのようにすすみ、逆境をしらなかったのだ。

それにしてもと、先刻この件にかんする報告をうけ、予想くらいできるだろうにと、色があせつつある原の表情と声音にかんがみ、捜査員のおおくが、動揺のほどをうかがいしった。

「射入角度や発射弾丸の飛来方向からばしょの特定をいそいでいます」藍出がしかたなく、しかしもちまえの生真面目さでこたえた。ただしすわったままだった。

刹那、ばしょが特定できれば、その周辺から有力な目撃者を捜しだせる可能性もあり、そうなれば、防犯カメラや監視カメラの映像もチェックできるであろうと。

――それに犯人がうつっていれば…――かすかだが、早期解決への期待を原部長はあらためてもったのだった。

これほどのみっともないぶれよう。現場での捜査経験の些少と、けっして無関係ではない。しかも腹のすわらない小胆者らしい心のうごきだ。

そんな原、人生における苦難にはじめて直面したわけだが、解決にてこずれば無能の誹りをうけ、それはそれで出世をはばむ大問題となってしまう。それをあらためておそれたのだった。

「狙撃した位置にもよるが」現場をみていない原は、街なみもしらずただ漠然と片道二車線の道路を隔てた斜めむかいのビルからとしか、頭のなかでえがけないのである。

だからそれなりのことしかいえない。「過小評価したとしても、あるていど以上の腕前とみてまちがいないだろう」これが精いっぱいだった。

たしかに銃弾は、元首相の頭部を撃ちぬいた一発だけだったからだ。路面やビルの壁などに着弾した痕跡がない、つまり撃ちそんじた形跡がないことに由来する発言であった。

「その方面の捜査もたのんだぞ」自衛官や警察官(とくに射撃を任務とする警視庁特殊部隊)の現役と退職者などはもちろんのこと、いわゆるヒットマンや日本人にはすくないが外人部隊経験者にたいする捜査も、…である。

となるととうぜん、対象者が百人や二百人ではとうていすまない話となる。原は「その方面」と一言ですませたが、捜査にあたるほうはたいへんな労作業となった。

対象者を絞りこむだけでも並たいていではない。上記のほか、猟の熟練者やクレー射撃大会優勝者等々、ライフルの射撃に熟練している人間を探しだし、そのなかから被疑者にせまっていくのはなまなかではない作業だ。

担当部署の連中はかんがえただけでも気がとおくなりそうになった。そしてかれらが予想したとおり、やはり遅々としてすすまなかったのである。まして外人部隊経験者となると、見つけだすことじたいが困難の二字となった。

さて、そんな指示をだした原は現場をみていなかった。

で、既述のとおり、矢野は現場をみていた。片道三車線の道路をへだてた斜めむかいのビルから狙撃したと仮定し、射程はあってせいぜい40メートルとかれはふんだ。

りゆうだが、20度前後という入射角度にあった。

高いビルから射撃したなら30度とか45度とか、もっと角度がつくはずだし、とおくのビルからだったばあい、水平からの角度が20度ていどなら、現場道路にめんするビルが邪魔をし、狙撃ができなくなるからだ。

矢野がなしたかんたんな見たてでは、狙撃現場は、現場歩道にめんする片道三車線の車道とせっする、反対側となる歩道にめんする五・六階建てビルの屋上だろうと。

記憶にのこしておいた現場周辺の情景をおもいおこしたのち、二十四時間体制の民間の気象会社に確認の電話をいれることになるのだが、そのけっかは以下のとおり。

狙撃時間とうじの現場は、とくべつ凩(こがらし)がきつかったわけではなかった。また、いわゆるつよいビル風が吹いていたともかんがえにくいそうだ。以上、さほどでもない射程といい、さらに風の影響をほぼムシできる状況だったことにかんがみ、狙撃の名手といえるほどの腕前ではなくても射殺は可能かもしれないと、矢野は進言するのだった。

むろん犯人は、銃のあつかいになれている人間であることにまちがいはないとの同意もそえて。

~ 秘密の薬 ~  第一部 悪法への復讐 / 第二章 殺人事件が立てつづけに(02)

さても、各自が急行し事件現場を確認した矢野係の面々も、そしてかれらが尊敬する上司、星野管理官四十五歳の強面(こわもて)の眉もが列席する緊急捜査会議だが、すでにはじまっていた。

いまだおおきな政治力を有する元首相の射殺事件、その第一回会議である。それにしても異例のはやさでひらかれたのだった。

ちなみに、海外での要人暗殺のばあいはとくに、テロ集団が犯行声明をだすこともすくなくないが、事件から五時間後の午前五時十四分、警察にも各報道機関にもそれらしいものはとどいていなかった。

ついでながら犯行声明としては、ついにとどくことはなかったのである。

「丸害が、タクシーをおりて歩道を横断しはじめた瞬間」捜査本部に設置されたスクリーンに映しだされた現場写真や同所概略図をしめしつつ、鑑識の平野係長が説明していた。

「四時の方向から頭部を撃たれました」四時とはこのばあい、射殺直前の被害者からみてその正面を零時に見たてての方角をさしていた。つまり、右ななめ後方120度の方位のことになる。

「うむ、わかった。で、早期逮捕のための手だてだが、具体的にはどんな態勢でのぞんでいる?」道路の火急な非常検問が有効と判断ししじした刑事部長原和博五十二歳の語気だが、“早期逮捕”に力がこもっていた。出世欲の権化の、たんなる願望のこえである。

「事件発生から十九分後、できるところから順次、各種検問をしきました」精いっぱいの迅速さだったことを、原に暗にうったえたのも、現刑事部長がもたらした狭量な結果第一主義が具現化したからだ。なぜその手をうったかや、経過、課程がかろんじられる風潮は、現場をしらない原に因がある。

「が、いまのところ不審者や不審車両の発見にはいたっていません」

このばあいの各種検問とは、犯罪の予防・検挙を目的とする警戒検問と、基本的には犯行直後の犯人逮捕を目的とする緊急配備検問のことをさしている。

しかし五時間たってもあたりがないと交通部を代表して報告したのは、そこのベテラン警部補であった。

ところでかれが想定した不審車両とは、狙撃現場から逃げさる手段としての車やバイクをさしている。

「吉野、目撃者はでたか」矢野係の面々においてはとおり相場となっている小心者…刑事部長の原だったが、早期解決をねがうあまりその声がうわずっていた。ボンボンそだちの童顔(五十面で童顔とは、ウケる~のだが)のせいでまったく似合っていないにもかかわらず、威厳をつけるためにだろう、生(は)やしたコールマンひげがぴくぴくと忙(せわ)しない。

「最初は二人からでしたが、十七分後には、着弾現場周辺の訊きこみに着手しました。現在、所轄の人員もふくめて三十八人態勢でのぞんでいます。ですが、いまのところこれといった目撃証言は」機動捜査隊の吉野警部補(主任)が残念そうにこたえた。

「銃声を聞いた者もいないということか」音のおおきさにもよるが、銃声をきいたものがいれば、すなわち、そのちかくが狙撃の現場となる。

「はい、午前五時半現在ひとりも。あるいは」とのべ、ついでサイレンサ―をつかった可能性に言及したのだった。

渋いかおのままうなずいた原部長。「つぎ!銃にかんする情報は?」すこしもいい情報がないことにイラつきだしたキャリアという立場の、ただし実体はたんに頭でっかちなだけで捜査経験の些少なこのおとこ、まずは、目撃証言と凶器である銃から犯人にせまろうと、そんなおもわくだけで会議にのぞんだといっていい。

換言すれば、ほかの手だてをおもいうかべる知恵も余裕もないという体たらくであった。

「解剖結果から、射入角度は19度から22度(3度の誤差は被弾時の衝撃による。そしてこれが、射撃地点特定の足枷(あしかせ)となっていた)」

この時点ですでに、運びこまれた警察病院(中野区中野四丁目)で死亡が確認され、早速、司法解剖にまわされたのだった。被害者が元総理であったから、原が早期の解剖を命じたのである。

この情報により、右斜め後方120度からの銃撃とあわせ、狙撃現場の特定だが遅くとも今夜中にはと捜査員たちは思った。

「頭部から摘出した弾丸は22口径でした。弾はその一発だけで、うち損じた様子はありません。丸害がたっていた路面やちかくの建物などに着弾した痕跡はなかったと鑑識からきいておりますので。また科捜研のほうですが、ライフルマークを照合し、まえの有無(過去の事件での使用歴)をしらべている段階です」

平野鑑識係長のかわりに発言したのは、矢野係の藍出警部補(結婚間近の三十五歳)であった。

平野は、報告をおえた段階で現場にもどっていったからだ。捜査会議のとちゅうで退席するのは異例なのだが、ほかの鑑識課員が総出で現場にへばりついての鑑識活動中である。ひとりでも人員を割(さ)きたくなかったのだ。

さて、翌日になり、履歴を特定できないライフル銃から発射されたものと判明した。残念ながら、銃から犯人をおうのはむずかしいということだ。

きいたときの原の眉がくもった。

ちなみにライフルマーク(線条痕)をたとえて、“銃の指紋”と表現されることもおおい。

だが十数年ほどまえから量が増え、いまは主流になりつつあるコールド・ハンマーリング(冷間鍛造方式)で大量生産された銃のばあいはやっかいだ。

この大量生産ということばがしめす意味あい、それは線条(銃身内にほられたミゾ)にほとんど差がない、換言すれば個性や特徴のない銃が、相当量でまわっているということだ。

つまり銃を特定するに、指紋だったはずの線条痕がいぜんほどには効力を発揮しなくなったと、残念ながら、なるからである。

警視庁内において英邁でしられる矢野の、一番弟子を自負する藍出はつづけた。「まずはここ三年であらたに銃を入手した人物、各所轄から情報をすいあげて、まずは、東京と神奈川の銃砲店からあたっていくつもりです」

かれは原にではなく、尊敬する星野の眼をみてしめくくった。とはいっても、とくに腹を意識しての無視ではなくごく自然体であった。

「そうしてくれ」きびしげな眉目で腕ぐみしたままだった星野は、それでヒットしなければ関東一円に範囲をひろげるよう、いちおうの指示をした。ただし、さほどには期待していない。

闇サイトによるネットで購入した可能性もあり、否、さらにいうならば、購入時期も数量もふめいだからだ。銃砲店でだったとしても、三年いや五年以上まえに購入した銃かもしれないうえ、一丁だけときまったわけでもない。つまり、あやしい購入者を見つけだすことすら、簡単ではないということだ。

それでも調べないわけにはいかないのだが。

ところで、捜査に不可欠な重要手がかりについて。

現時点にかぎらず、今後を想定するにどうやらすくなそうだと。緻密な計画犯罪により、犯人(あるいは犯人たち)に翻弄されそうな、イヤな予感に鳥肌がたっていた。

一発で仕とめた手腕、最短時間ではった包囲網にひっかからない逃げあしの巧妙などスマートそのものだからだ。そのあたりのこともふくめて、矢野警部ならいわずもがなで、しらべるにちがいないとも星野は察している。

そんな暗黙の期待を違(たが)えるはずのない矢野は捜査会議直後、インターネットの闇やウラにも精通しているぶかの藤川巡査長に銃の購入経路をさぐらせた。五日間で六十時間以上をかけて、闇サイトにアクセスさせた。

だが、案の定中(あた)りはなかった。購入時期も数量もふめいというのがネックとなったきらい、それもあるにはある。

しかしそれ以上のふめいをうんだのが、闇サイトにおける出店者みずからがもうけた有効期限であった。おそいものでも十日、はやいやつだと一週間できれて、消滅してしまっていたからだ。

闇サイトそのものが反社会的存在であるうえに、そこで銃という、違法そのものでしかもおそろしげな品物の闇売買をするとなったら、出店者自身が官憲をおそれてとうぜん警戒してくる。

具体的には、A出店者がZという闇サイトを短期で利用しては姿をけすために出店をやめる。直後に店名をかえ、Y闇サイトに乗りかえて出店する、という手法をとっていた。むろん、摘発や逮捕をまぬがれるためにだ。

そういうわけでいまだ警察組織は、出店者数さえ掌握できないでいる。

しかしながら、需要と供給という経済学上のバランスから想像するに、出店者の数自体は、そうおおくはないであろう。

そんな見当をつけながらの藤川は、コンピュータにかんする知識においては警視庁随一である。それゆえ、裏サイトの生滅事情も情報として有していた。しかもかれは、第一級のハッカー顔まけの技量すらみにつけていたのである。それほどの藤川でも、既述したようにこころみは成功しなかったのだった。

もちろん闇業者は、銃以外も取りあつかっている。店により多少の差はあるが、そんなやからは劇薬や爆弾等のヤバい代物をあつかっているばあいがほとんどで、短期的一定期間がくれば河岸をかえるために消息をいったん絶ち、どうじにべつの市で店をあけ、秘かにキャクをまつのである。

ところで、どこかナマケモノににた風貌の、期待にこたえられなかったことでもうしわけなさげな藤川だった。見ためににあわず責任感が人いちばい強い巡査長なのだ。むろん、かれに責任などないのだが。

…藤川の奮闘はさておくとして、五日前にはなしをもどそう。

矢野は、原を中心にした第一回捜査会議の最中ではあったが、宙を見すえ思考していた。左右の掌を胸のまえあたりでかるくくっつけ、そろいの指どうしのはらを無意識のまま、時折ほんの小さくぶつけてははなして、しかもゆっくりとふかい呼吸をしながらだ。

かれにみえていたのは、事件解決の困難さを予想させる、アリバイ捜査の無意味性についてである。

狙撃犯はしょせん、実行犯でしかないと仮定したのだ。つまり主犯が狙撃者をやとったとの仮説である。

そうであれば、アリバイをとうても意味がない、となる。ゆえに被害者の周辺人物のアリバイを、こんかいにおいては捜査対象からはずすことになるだろうと。

ただし、周辺においてきく必要が唯一でてくるばあいがある。クレー射撃や猟などを趣味とし、それら腕のたつ人間が捜査線上に浮かびあがったときなどにおいてはだ。

~ 秘密の薬 ~  第一部 悪法への復讐 / 第二章 殺人事件が立てつづけに(01)

2018年製、メガネ不要の3D8Kテレビの画面上に突然、“ニュース速報”というテロップがうかびあがった。その右隅には、むかしからテレビ画面にそなわっている機能として2022-12-15(日)0:26の文字が無機質に。

ところで、“ニュース速報”とのテロップに毎度のこととなれ、漠然とみていた世人は、――ああ、またなにか事件でもおきたのかなあ――あるいはせいぜい、地震かなぁ、だとしても、日本各地でよくおきる震度4以下ならさして問題はない、津波発生の可能性は極少で人的被害もほとんどないだろうからとそのていど、さしたる関心もしめさなかったのである。

しかしながらさにあらず、だった。

日本政治史上前代未聞のできごととして、および世界の犯罪史上においても未曾有の連続殺人事件へと展開し、日本のみならず世界をも震撼させるその序章でしかなかったと、やがてしることとなるのである。

だが、さき走るまい。

それよりも、まずはニュース速報の内容だ。

=場壁(ばかべ)光男元首相が狙撃され病院に救急搬送さる。生死は不明=

まさかの、まさに想定外の事件がおきたことをしった矢野真弓三十歳は明眸(澄んだ瞳、から美人のたとえ)をくもらせつつ、寝室でねむる夫三十七歳の伸縮型スマフォが、いまごろは着メロ(交響曲第九番合唱つき)をはっしているだろうとおもった。あるいは、緊急出動の指示をすでにうけているかもしれないとも。

押っ取り刀(急ぐこと)で隣室にいくと、出勤の準備にさっそく取りかかったのである。

ちなみに被害者…場壁光男が総理大臣として辣腕をふるったのは、2012年秋から2014年末までの二年強であった。その間に、物議をかもした法案をふくむ多数のあたらしい法律が可決成立し、それらの多くにたいし、野党とマスコミは弱者切りすてや戦前回帰と声高にさけんだのである。

戦前回帰とされた立法にかんしては、中韓のみならずEUや米国などの海外からも右傾化を危惧する論調が多数よせられ、そのつど、日本中を席巻したのだった。

ただし、ASEAN諸国はむしろ好意的であった。二十年来の中国の海洋進出に脅威を懐いている国々は、信頼できるのは日本だけとたよっていたからであろう。

それはともかく、こんな余談にかまけている余裕など、緊急出動前のこの夫婦にはなかったのである。

六日分の下着や靴下、カッターシャツなどをなれた手つきでカバンにつめている愛妻のもとへ、トイレからでてきた、三十路のころの風間トオルににた秀麗な夫一彦がミニミニロボット型歯ブラシを口にふくみながらやってきた。

そのかれは、NHKの画面を映しだすメガネタイプのウエアラブルコンピュータ(腕時計や帽子のように装着しつつ使用できるコンピュータ)をかけていた、眉目に寸毫(すんごう)の動揺もみせずに。

矢野一彦、警視庁捜査第一課第二強行犯捜査第三係の警部に昇進してはや四年、警視庁刑事部所属のなかで敏腕度№1の最優秀なデカであるかれは、初動段階での捜査をすみやかにすすめるための情報をえようと、すでに天職の面構えになっていたのである。

かれは零時二十八分、星野管理官からの電話をうけながらパジャマを脱ぎすて、靴下を着装しズボンにはきかえた時点で洗面所にむかったのだった。

そこでロボットに命じ、部下の和田警部補に連絡をいれさせた。

ほかの部下には、本部から一斉送信によりすでに連絡がはいっているはず。矢野が和田にもとめたのは、本部からのメールを掌握させることであった。

いっぽう、準備をおえた真弓も、一彦のもとにむかった。

顔をタオルでふく夫のうしろにたった真弓は、ロボットにトーストとカフェオレをつくるようすでに命じており、カッターシャツとネクタイ、上着・ダウンのコートをそのつどわたすべく、両手にかかえていたのである。

その足元でまつ着がえのつまったカバン、一彦がはこんだのだが、かすかに醸しだすふたりのラブラブぶりをじっと見あげていた。

 

ちなみに事件発生から二十分弱のこの時間帯、一日三交代制でパトロールしつつ、凶悪犯罪の現場に急行できる体制をとっている特別機動捜査隊が、すでに現場確保や初動捜査などにあたっていた。

交通部も、不審車両などの検問をはじめたのである。

~ 秘密の薬 ~  第一部 悪法への復讐 / 第一章 若き連続殺人犯

精神が高揚したせいで、はからずも、ほほを紅潮させてしまった東。そのわけだが…?

すくなくともかれが年少だから、ではない。

成人から五年、はや二十五歳になり、“紅顔の美少年”に、その因をもとめるにはムリがあった。たしかに、飛びきりのイケメンではあるが。

まあ、そんなことよりも紅潮のわけだが、練りに練った連続殺害計画が、自画自賛ではけっしてないと確信できるほどの完成度で仕上がったからだ。

――おそらくは、“世紀の完全犯罪”だとして犯罪史にきざまれるであろう――おもわず、東はほくそ笑んだ。

同時に、じぶんには完遂のあとにも、否、そのあとにこそなすべき使命がある、ともかたく信じている。

それがゆえの完全犯罪――逮捕されるわけにはいかない!――のである。

ともかくもいまは、完成した計画の具現化に挺身するのみだと。

……しかしだ、満足するにいたるまでに、星霜をいくつ数えたであろうか。

その間どれほどに身構えしつつ、腐心して、経験と知識を身につけてきたことか。

高校卒業をまち構えるようにして陸自(陸上自衛隊)に入隊し、数年間、きびしい訓練のすえにエリートとして特殊工作員に選抜されたのだった。

ために、世人には想像などできるはずのない、人権などまったく存在しない地獄のような訓練をうけに、うけたのであった。

そんななか、いっぽうで、心理学の専門書をば読み漁ったのだが、この乱読も計画完遂に欠かせなかった。しかも、葛藤に心をよじられながら、である。

本音はこうだ。「一刻もはやく復讐を果たしたい!」

この若さからくる気の逸りが、数えきれぬほどに頭をもたげては、夜ごと、青い心を悩ましつづけたのだった。

だがそのつど――だめだ!あせったら失敗する。完遂するためには、なにがなんでも完璧な計画をたてないと――と、若気をグッと抑えこみ、辛抱をかさねつづけた。それこそ、すり減るほどに切歯しつつ。

そしてやっと、完全犯罪計画の完成に自信をみなぎらせるまでの現況にいたったのだ。

総ては、報復のために。

ところで、既述したように、かれはさらなる想念もいだいていた。

復讐だけにとどまらず、一種の革命、すくなくとも維新を実現せん!との使命にも似た想念であった。

それにしてもと東。青い心をおし殺し、完璧なる連続殺人計画をかならずや練りあげれると自分をしんじていてほんとうによかったと、ようやく安堵のためいきがつい洩れたのだった。

そのために、整形外科手術すらうけたことが頭をよぎった。むろん、後悔はない。

逆にいまは、狂喜乱舞したくなる衝動をどうにか抑えているくらいだ。それどころか、貫徹するまでは封印すべきだと、いまのいま、感情をニュートラルにしたのだった。

さて、腐心のかたわらでえがいてきた想念。

それは世人ならば、良識からは逸脱したとしかおもえない論理(東は自分の使命と断じている)を生んでしまったかれの精神のことだ。それは、八年前におきたある事件で父親が理不尽にも殺害されたときから、じつはそこに狂いが生じはじめていたのである。

ところでこの男、その端正な顔だちは二十代前半時の俳優伊藤英明にどこか似ている。そして冷徹さは諸葛亮孔明のようだ。

古代中国三世紀後漢末から三国時代に活躍したのちの蜀漢初代皇帝劉備玄徳と二代目で暗愚の劉禅につかえた孔明が、“出師表”にて故先帝と蜀漢への愛着をあらわしたことは中国史上有名だが、東というこの男も自己満足とはいえ、憂国の士であるてん、また国家保全のために一命をささげる覚悟、敵の命をうばう完璧な作戦を練りあげためんでも、あえていえば共通している。

ただ決定的にちがうのは、近い将来、東は凶悪犯罪者として悪名をさらすということだ。

その東、十七歳のときにいだいた私怨と公憤は、秋(とき)をへながらもしずまるをしらず、むしろ真冬へむかう荒海の怒濤のようにはげしさを増していったのである。

さらに公憤のほうの増大について。それは父親殺害以前、すでにはじまっていた。具体的には、愛する母国の将来に「災禍をもたらすにちがいない悪法」が国会において可決成立しないことをひたすら祈っていた約八年前のことである。

願いむなしく、衆参両院で強行採決がなされてしまったのだ。祈りは天につうじなかったと、多感な十七歳は直後に悲嘆し、そのあと罵声とともに落涙したのだった。

ところで少年が、どうしてこれほどまでに国政にいれこんだのか。それは、敬愛する父親の口ぐせによった。

「おまえはまだ小六だけれど、いいかい、人生と政治はけっして無関係ではないよ。やがてはおまえも就職をする。そのときの景気が問題となる。不景気だと、いきたいところにゆけずに苦労するだろうし、収入も伸びなやむ。だから、いまのうちから政治に関心をもっておくべきなんだ、となる」

いまとなっては、遺言である。そんなかれなればこそ、そうだと断じた悪法の成立に、おもわず落涙したのだった。

主権者たる国民の耳目に、耳栓とアイマスクを装着させるがごとき世紀の悪法は、施行後やはり、国民への目にみえぬ重圧となって、のしかかってきたのである。

ときに、成立当時の首相や閣僚、与党国民党幹事長などの幹部のしてやったりの厚顔に、父親を殺害されたばかりの十七歳の紅顔は、憤りでうち震えた。

そして誓った、「おやじの死の原因をつくった亡国の徒のこいつらには、かならずや天誅をくわえてやる!」と。

 

それからの八星霜……。

2022年12月15日午前零時二十三分のかれは、狙いをさだめていたライフルの、その引き金を引いたのである。

冬のキーンと引きしまった空気を切りさく弾丸の、刹那の微音の直後、標的にされたおとこの頭部から、紅い鮮血がピュッと噴きだした。

直後、東はごくちいさく「Icarried out! アイ キャリード アウト」(よし)と吠えたのだった。

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