さて、今回のようにアリバイ捜査にたいし通常の期待をもてないばあいでも、捜査上有力な手がかりとなる別口がある。
それは世間周知のとおり、動機である。
殺人事件においてはとくに、犯行動機の特定も捜査するうえでの力のいれどころとなる。かんがえずともわかることだが、ひとを殺すほどの強烈な動機をいだく人間など、そうはいない。
ただ、飲酒や薬物やわかれ話などが原因でいざこざや精神錯乱などをおこし、頭に血がのぼってその場で殺害するなどの短絡型をばのぞいてだが。むろん、こんなばあいでも動機特定の捜査はするが。
さらには審判の場でも、動機はとわれる。
ゆえに、動機を重要視するのである。
ただしだ、近ごろはとみに、動機の稀薄すぎる「だれでもいいからひとを殺したかった」とか「ひとを殺したら死刑にしてもらえる」などと放言する犯人や被疑者がマスコミをにぎわせている。
しんじられないことだが、動機なき犯行の時代になりつつあるのか。だとすれば嘆かわしいかぎりだ。ここは、例外的事例だとしんじたい。そうでないと、すくいのない不健全な社会に、現代日本人はすんでいることになるからだ。
ところで…、さもありなんとおもえる強い動機。たとえば、肉親、ことにわが子を殺された被害者家族の、犯人への憎悪において。
だが、強烈な殺意をいだいたからとて、じっさいに凶行におよぶケースはごく稀である。いわゆる、復讐や意趣がえしが動機というようなかなしい殺人は、現実にはほとんどおきていないということだ。
被害者家族がいだく恨みがどれほどに甚大でも、だからといって報復殺人を、ひとは、まずしない。
かりに一線をこえたとして、世間は同情するだろうが、それでもとうぜん、法の裁きをうけるハメになる。さらにきびしいことをいえば、わかりきったことだが、報復後に被害者が生きかえってくれるはずもない。
ただまちがいなくおとずれるのは、“殺人者”との汚名のもと仕事をうしない、じんせいを一変させるという抗しがたくきびしい現実だけである。
ゆえに復讐を、被害者はよろこばないし、のぞみもしない。報復はしょせんおろかな負の連鎖でしかなく、だれの幸せにもつうじはしない。だからであろう、報復殺人はまれなのだ。
むろんそれでいい、健全なのだから。
脇道にそれたので、思考を“動機”にもどすとしよう。
今回の事件においてはその特定はむずかしいだろうと。
超大物政治家だけに、政敵をはじめ首相時代の施策により潰れさった企業や団体・個人が数多(あまた)存在したからだ。さらにこれとはまったくべつのプライベートでだが、すてられた女性等々、つまり、なかされた人間を数えあげたらきりがないのである。
捜査陣のおおくが、長引くぞとおもったのもとうぜんだった。
「動機をもつ人間など枚挙にいとまがないよ」とだれかが洩らしたとして、言いすぎだろうか。週刊誌などによると、公私ともに力にものをいわせた政治(性事もかもしれない)でなにかと物議をかもしてきた人物のゆえんだ。
刑事部長の原が頭をなやませている根源も、べつの意味でじつはそれであった。通常なら、犯人特定のために動機の詮索をどうどうとするのだが、今回は、そのあたりまえに二の足を踏まざるをえないと内心おもっている。
正直、こわいのだ。さけることのできなくもない、やらずもがなの虎の尾を思慮なしにふんで…、もっとはっきりいえば、政府・与党内に土足でふみこんであとでとり返しのつかない事態をまねきでもしたら…始末書程度で、すむはずがない。
また、こうも。元首相の力まかせの所業(政策)のせいで、あるいは経済的被害をこうむった(としんじる)人物の心に形成された動機。
しらずにその暗部を洗いだしてしまったせいで、抜けだすことのできない地雷原に足をふみいれるハメに?…杞憂(無用な心配)というべきか、ついつい、そう考えてしまった。
あるいは、ある意味もっとおそろしい青天の霹靂とでもいうべきか、動機が国家機密とかかわっていたばあい、捜査の指揮をとっていた責任者として、2015年に施行した“特別国家機密保護法”違反として処罰される事態もありえるのでは…だ。
なぜなら、この法律の欠陥中の欠陥である、なにを国家機密とするかの具体や詳細を、主権者たる国民にすこしも周知させていないために、どこに陥穽(かんせい)(落とし穴)があるのかまったく見当すらつかない点である。
漆黒に塗りかためられたような闇夜の行路、手さぐり足さぐりであるいているうちに見しらぬほうへ。やがて、まさかの断崖絶壁の地面をふみはずし、奈落のそこに陥ってしまうににた事態。仕事をしていただけなのに、そんな悲劇が現実におこりうるからだ。
じつはこれが、この小説のテーマなのである。
たしかに…、とくにソフト面において外国の攻撃から、安全保障という意味において国家をまもるための特別国家機密保護法ではある。
それを全否定する、おろかを主張するものではない。が、もんだいは、国民のしる権利という基本的人権をおびやかしてしまう、だけではすまない点だ。
かといってここで、マスコミや日本弁護士会などによってすくなからず指摘されてきている問題点を羅列するつもりはない。
ただ、民主主義の根幹である基本的人権の維持や保障を主眼目のひとつとして重要視する現日本国憲法こそ、国家権力が基本的人権を侵害することのないよう、足枷(あしかせ)の役割を担っている。これが、憲法学者のほとんどが提唱する一般的解釈だ。
ならば、違反した人間が、どんな国家機密にせまったのかすらしらず、由(よ)って逮捕理由の詳細もわからず、したがってつみの意識もないまま裁判にかけられ、特別国家機密保護法の、どのぶぶんに抵触したかもわからない状況のなかで刑が確定する、なんて、そんな無体があっていいのか、ということにとうぜんながらなる。
なるほど、違法行為にも、大量殺戮から公道などへのタバコのポイ捨てまで、大なり小なりいろいろあるが、たいがいは違法行為だと知りえるものか、すくなくとも、察しがつくていどのばあいが九分九厘だ。それに軽微なものは、注意や警告などの処置ですみ、いきなりの逮捕や送検の事実を、まずきいたことがない。
たとえば、自転車の夜間無灯火走行は道交法違反だが、いきなり逮捕されることは、まずない。あるとすれば、警察からめをつけられている執行猶予中の犯罪者が、シートベルト非着用などの軽微な違法行為で逮捕拘留されるようなばあいだけだ。
それはともかく、善良なる一市民がいつものとおりの日常生活をおくっていて、たとえば、知らずなにげになした、友人の官僚への酒席での誘導聴取や、あるいはネット検索などの行為が違法だとしてとつぜん逮捕され、国家の保全や国益の名のもとに人生を蹂躙される、そんな可能性を有する未完成きわまりない法律なのである。
しかも法をおかしたという罪の意識がないうえ、裁判においても違法行為のないようが明示されないまま裁かれ、刑に服さなければならないということにもなりかねない。
とどのつまり、悪法のせいでそのひとと家族の人生は、慙愧(心にふかく恥じる)の念すらもつ状況下になく、にもかかわらず、完膚なきまでに破壊されてしまうのだ。
とまれ、最高刑は懲役十年である。家計をささえる人間が刑に服したばあい、家族は離散し、のちにおける本人の社会復帰もままならないであろう。
さらにわるいことには、有罪のりゆうがわからないから再犯のおそれをともなうこととなる。もし再犯により起訴されれば、さらにきびしい量刑をうけることになろう。これでは、≪踏んだり蹴ったり≫ではないか。
以上は一例にすぎないが、よって、特別国家機密保護法こそは、あらゆる法律の基本法である日本国憲法にまちがいなく違反する悪法だと断ずるものである。
==閑話休題==
しかも原のような立場のばあい、特別国家機密保護法違反によるタイホは最悪の事態をうむことになる。
まずは、悲願である出世が頓挫することになるが、それだけですもうはずがない。
絶句するしかない社会的立場の自滅、どころか身の破滅もかくじつなのだ。最高刑が懲役十年の特別国家機密保護法違反のばあい、よほどに軽微な違法行為だけである、執行猶予がつくのは。
あるいは、一般市民ならば犯罪行為に無知だったとのりゆうで情状酌量されるかもしれないが、法にあかるいキャリア警察官僚の原のばあい、初犯だったとしても情状を酌量されないこともじゅうぶんにありうる。
となれば、問答無用で刑務所に収監されることにもなろう。
いやいや…、おそろしいのは、じつはここからなのだ。刑務所で辛酸を骨の髄であじわうハメになるだろうから。元警察官という身分のゆえにだ。
だれいうでもなく、ずいぶんな目にあうとのこと。なにしろ、刑務所内においておおくが警察官にウラみをもつ連中なのだ。
刑務官の眼のとどかぬところで半死半生の目にあうこともじゅうぶんに。ヘタをしたら殺されるかもしれない。
そこに思考がおよぶと小胆(小心者)の原にはたえられず、おもわず身ぶるいがでた。
かといって、任務を投げだすこともできやしない。敵前逃亡者に未来などない!だから――どうか、動機と国家機密が無関係であってください――秘かに、そう天にむかっていのるしかなかったのである。
せめて、個人的ウラみであってほしいと。しかしながらもしそうであっても、この事件を詳細に暴いて、ほんとうにだいじょうぶだろうか。じぶんに累がおよぶのではないかとの心配はつきない。じつに厄介な事件を背負わされたものだと、ながい嘆息がつい洩れたのだった。
それでもつづけるしかなかった。警視庁の刑事部長といえばそうとうな立場である。が、それでもいやも応もない、警察機構の一歯車でしかないのだ、キャリア組とはいえ、しょせんは。
「つぎ。狙撃現場の特定の件、どこまですすんでいる」心を反映したこえ、しだいに翳(かげ)りをおびはじめたのである。会議がすすむうち、これという情報がなく、いっぽうでかんがえる時間をえたせいで、早期解決が夢想だったとおもいしらされたからにちがいない。
募るあせりにおし潰れそうになった。かれは順風満帆な人生をあたりまえのようにすすみ、逆境をしらなかったのだ。
それにしてもと、先刻この件にかんする報告をうけ、予想くらいできるだろうにと、色があせつつある原の表情と声音にかんがみ、捜査員のおおくが、動揺のほどをうかがいしった。
「射入角度や発射弾丸の飛来方向からばしょの特定をいそいでいます」藍出がしかたなく、しかしもちまえの生真面目さでこたえた。ただしすわったままだった。
刹那、ばしょが特定できれば、その周辺から有力な目撃者を捜しだせる可能性もあり、そうなれば、防犯カメラや監視カメラの映像もチェックできるであろうと。
――それに犯人がうつっていれば…――かすかだが、早期解決への期待を原部長はあらためてもったのだった。
これほどのみっともないぶれよう。現場での捜査経験の些少と、けっして無関係ではない。しかも腹のすわらない小胆者らしい心のうごきだ。
そんな原、人生における苦難にはじめて直面したわけだが、解決にてこずれば無能の誹りをうけ、それはそれで出世をはばむ大問題となってしまう。それをあらためておそれたのだった。
「狙撃した位置にもよるが」現場をみていない原は、街なみもしらずただ漠然と片道二車線の道路を隔てた斜めむかいのビルからとしか、頭のなかでえがけないのである。
だからそれなりのことしかいえない。「過小評価したとしても、あるていど以上の腕前とみてまちがいないだろう」これが精いっぱいだった。
たしかに銃弾は、元首相の頭部を撃ちぬいた一発だけだったからだ。路面やビルの壁などに着弾した痕跡がない、つまり撃ちそんじた形跡がないことに由来する発言であった。
「その方面の捜査もたのんだぞ」自衛官や警察官(とくに射撃を任務とする警視庁特殊部隊)の現役と退職者などはもちろんのこと、いわゆるヒットマンや日本人にはすくないが外人部隊経験者にたいする捜査も、…である。
となるととうぜん、対象者が百人や二百人ではとうていすまない話となる。原は「その方面」と一言ですませたが、捜査にあたるほうはたいへんな労作業となった。
対象者を絞りこむだけでも並たいていではない。上記のほか、猟の熟練者やクレー射撃大会優勝者等々、ライフルの射撃に熟練している人間を探しだし、そのなかから被疑者にせまっていくのはなまなかではない作業だ。
担当部署の連中はかんがえただけでも気がとおくなりそうになった。そしてかれらが予想したとおり、やはり遅々としてすすまなかったのである。まして外人部隊経験者となると、見つけだすことじたいが困難の二字となった。
さて、そんな指示をだした原は現場をみていなかった。
で、既述のとおり、矢野は現場をみていた。片道三車線の道路をへだてた斜めむかいのビルから狙撃したと仮定し、射程はあってせいぜい40メートルとかれはふんだ。
りゆうだが、20度前後という入射角度にあった。
高いビルから射撃したなら30度とか45度とか、もっと角度がつくはずだし、とおくのビルからだったばあい、水平からの角度が20度ていどなら、現場道路にめんするビルが邪魔をし、狙撃ができなくなるからだ。
矢野がなしたかんたんな見たてでは、狙撃現場は、現場歩道にめんする片道三車線の車道とせっする、反対側となる歩道にめんする五・六階建てビルの屋上だろうと。
記憶にのこしておいた現場周辺の情景をおもいおこしたのち、二十四時間体制の民間の気象会社に確認の電話をいれることになるのだが、そのけっかは以下のとおり。
狙撃時間とうじの現場は、とくべつ凩(こがらし)がきつかったわけではなかった。また、いわゆるつよいビル風が吹いていたともかんがえにくいそうだ。以上、さほどでもない射程といい、さらに風の影響をほぼムシできる状況だったことにかんがみ、狙撃の名手といえるほどの腕前ではなくても射殺は可能かもしれないと、矢野は進言するのだった。
むろん犯人は、銃のあつかいになれている人間であることにまちがいはないとの同意もそえて。
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