いままででいちばんで最高の勉学。それでもナゾは、まだ解けなかった。しらなかった情報を可能なかぎり収集したにすぎない状態だからだ。これから取りかかる分析によって、解明できるかもしれない。そこに期待した。
午後九時半、メモを読みかえしながらあらためてかんじた。
_世に名をのこすほどの人物、どころか、天下を手中におさめた超大物や。変心には、よほどの理由があったとしかおもえん_と、ブツブツ。
_かといって、どうしようもない小早川秀秋(節操のない変節漢の代名詞。秀吉恩顧という以前に正室ねねの兄の子で、しかも秀吉の養子となったまさに身内である。にもかかわらず、関ヶ原の合戦で敵方に寝返った)や、義経をだまし討ちした奴(藤原泰衡のこと。平安末期の1189年、父秀衡の意にはんし、頼朝の機嫌をとるために源義経を討ち、かえって、奥州藤原家を滅亡させることとなる)とは、おなじ変心でも、内容(実体と表現すべきだった)はまったくちがうし…_
子どものころ(小六もまちがいなく子どもだが)は、虫を、それこそ虫けらのように踏みつけて殺したなど、…ふだんは虫も殺さないボクにでも残虐性はあるし、酷いこともし、イヤごとを言ってもきた。だからといって、人格が逆転したわけではない。
これくらいの変化(へんげ)なら、だれしもあろう。
それとは根本的にちがう、豹変の真相や原因がなにか?だが、メモを片手に、皆目見当がつかなかった。
やがて、ふとんの上でまどろみはじめた。で、そのまま、疲れから寝入ってしまった、ようだ。
目覚めは、ラジオ体操二十分前だった。照明は消されており、タオルケットにくるまっていたのだ。母のやさしさ、だろう。