もともとは文盲の秀吉だったから、誤字や当て字もおおいと、この専門書には。

小六(蜂須賀小六、のちの秀吉の家臣、ではない)のボクには、どれが当て字かもわからなかったくらいだから、手紙の内容をほとんど理解できず、その意味では影響はなかったといえる。ちなみに四冊目の書籍にも数通あったが、こちらはわかりやすい解説を記載していた。

ところが、五冊目の専門書はそれがおざなりだ。わからない奴はついてこなくてよい、という筆者のおごりをどこかかんじた。それに腹がたち、なにくそと、食らいつくようにしていどんだ。

ここまできて退くのは、まるでたたかいを放棄したようでくやしいからだ。つよい相手に怯(ひる)んで尻尾をまいてにげる様(さま)は、まさに無様である。見苦しい有様をさらして、夏休みをおえたくなかった。

とはいえ、辞書で調べてもわからないところは正直やりすごし、とにかく、秀吉の最期を看取ったのである。

 よみ終わったとき、目はショボショボ、肩はゴリゴリ、腰はガクガク、尻はヒリヒリ。それでも達成感に満足した。ところで、まわりにいた勤勉家たちは、いつのまにか半減していた。時計をみると、閉館間際の午後六時五十分。外はくれかけていた。

_お母んが心配してるやろ_と、館外の公衆電話で、母を安心させた。