再帰宅の翌日、三者でじっくり話し合った。親たちは辛抱強く説得に説得を重ねた。
しかし伊沙子は納得しなかった。当然、荒行を受け入れるはずはなかった。ついには反抗的言動を残し、自室に引きこもってしまったのである。
決裂したその日の深夜、夫婦は密談をした。黒い結論へと夫が妻を誘導する形となり、母親として渋々承諾した。娘の出奔を機に、夫婦いっしょに診察を受けた精神科医に処方してもらっていた睡眠薬を朝食時のスープに混入し、娘に飲ませるというものだった。
既述した“滝行”。愛娘の悪魔祓いのための“滝行”。…とはいっても寒稽古などと同様の、冬の風物詩として年末年始のテレビ番組が紹介しているようなものではない。
有り体にいえば、まがいものだ。本殿横に作らせた、道場と称している修行場がある。広さは三十坪ほどだ。その奥の壁に、七メートルの高さへ設備した直径二十ミリの塩化ビニルのパイプ。その配管から、スイッチ一つで水道水がほとばしり落ちてくるという代物だった。子供だましのようなものだが、パイプは石造りの壁の中に埋め込まれ、そのまわりに榊(さかき)や注連縄(しめなわ)など、さも霊験あらたかにみえる装飾が施されている。本殿裏の権現山の水脈から引いた聖水と樫木夫妻に騙され、滝行によって雑念を祓えると教えられた信者は、水道水とも知らずありがたく身に受けるのである。(一回につき五千円だった)
初日。睡眠薬に支配された伊沙子をイスに座らせ、肢体を痛くないようにタオルでくくって固定し、頭頂を中心に水を浴びせた。
おぼろげな意識の中、伊沙子は何度かむせた。だが、それでもなされるがままであった。
夫婦は二分で切りあげ、期待しつつその後の様子を見た。が、効果は認められなかった。
というのも、二時間後、はっきりと意識が戻った伊沙子だったが、昔の従順さや健気さを取り戻してはいなかったからだ。むしろ、人生への失望による自暴自棄からやや乱暴ともいえる口をきき、両親の悲願に逆らう結果となったのだった。
これをしかし、反抗期の子供がするDVの初期段階(たとえば部屋の壁を正拳突きでへこます等)の、その正体である家族への救難信号とは見抜けなかったのである。思春期の伊沙子に顕著な反抗期がなかったから、見抜けなかったのかもしれない。
初日の結果から夫婦は、ただ、事は簡単でないと思い知ることとなる。
二日目・三日目そして四日目と、次第に睡眠薬と放水の量や時間を増やした。が、願うような好結果は得られなかった。
一方、伊沙子にとっての四日間。不鮮明な意識のまま、日を重ねるに従い、ただただ苦しみのみを強いられたのである。そのぶん、手足を固定されたままで落下水に喘(あえ)ぎ、低く唸(うな)り、体をよじる等々、当然だがこちらも次第に強く抵抗するようになっていった。
ところで精神的にはある意味、伊沙子以上に両親は苦しみそして悩み、ついには焦燥と変じ、自分たちが勝手に作った破滅に通じる淵へと追い詰められていったのである。こうなると三日目より四日目と、冷静な判断は徐々にできなくなっていったのだった。
「あの、うとましく忌わしい事件が伊沙子を変えた。否!魔が呼び込まれ、憑依した」ただただ、悪魔憎し!悪魔を追い出すためならと変に力み、意気込み、そして蘇生という本来の目的からは遠いところへ逸脱し始めたのである。夫婦共の精神の崩壊が、日を追って確実に進んでいたのだった。夫婦で話し合った四日目の夕刻、信者の中にいる薬局の店主に頼み込みクロロホルムを調達してもらい、その際安全な使用法も教示されたのである。
ちなみに伊沙子だが、苦しいのが嫌で滝行には微かな意識ながらも首をひねる等の抵抗をした。しかし、そこで気力と体力を消滅させてしまうのだろうか、滝行以外のときは、こちらも日を追うごとに、まるで生きる気力を失った没落者のように、腑抜けの様相を呈し始めていた。まだ二十八歳なのに、まるで卒寿の老婆のように影が薄くなっていったのである。まずは家を出、そのあと自立するというような気力もなさげにしか見えなかった。
じつは、出奔中に為すべしと決めていたことをやり遂げ、もはや気概を使い果たしていた。だからある意味、すでに生きるよすがのない抜け殻状態だったのだ。
にもかかわらず夫婦は、明日以降の心配事として居座る魔の手強さに警戒を強め、同時に恐れもしたのである。とりもなおさず伊沙子は、苦痛から意識を取り戻し罵倒等のもっと強い抵抗をしてくるだろうと想定し、眠る娘に数分間クロロホルムを嗅がせたのだった。それが功を奏し、滝行の最中(さなか)、身体が反応する程度の弱い抵抗はあったものの、昨日までほどの呻(うめ)きや唸り声はなくなっていた。両親は、悪魔が弱り魔力が減じたからではないかと、少しく希望を持ち始めたのである。今が勝負時と一気呵成に責めることに決した。
しかし…、本懐である愛娘の生来の回復という意味において、滝行が功を奏するはずなど冷静に考えればなかったのである。不幸だったのは、すでに常軌を逸していたことだ。
そして迎えた七日目の、最後となる早朝。――今日こそは!――と、思い切って前日までの約1.5倍の十五分、しかも前日までは躊躇していた、口にガムテープを貼るという所業、さらに顔を左右に振らせないよう、父親が頭を押さえつける行為にでたのである。
精神の崩れた父親による、これはどうみても拷問であり狂気のリンチであった。だが、――絶対に悪魔祓いを完遂する――と強く決めた今、己が冥界に潜んでいた恐ろしい魔物が頭をもたげ、じつは父親こそが魅入られ、ついにはとりこまれてしまっていたのである。
そうとも気づかず準備を整え、水を頭頂に浴びせ続けたのだ。ガムテープ使用に、当然ながら他意も悪意もなかった。あまつさえ殺意などは。ただ、憑き物を娘から引き離すには悪魔が苦しむギリギリの行が必要と、ある意味純粋に、つまりは単純に考えたからだ。
必ずや成功し、娘も自分たちも元の幸せな家族に戻れると信じたゆえだった。「代々の神主である自分と家族を、何があっても権現様が守ってくださる!」そう、妻に何度も言った言葉に、いつか当人も酔ってしまっていたのである。
その狂った酔いは、愛娘の心肺停止で醒めた。
窒息による過失致死での逮捕後、両親とも落涙しながら正直に、そして悄然と一切を吐露した。その心裡にあったのはただ一つ、憑き物をなんとしてでも退散させたいとの、強い願いであったと。ただ哀れなのは願望を、できるという確信と勘違いしたことだった。
そこに、彼らを不幸の真底、悔いても救われない無間地獄へと誘う因が潜んでいたのだ。
成人するまでは健気で純真だった愛娘。その子が理由のいかんを問わず、人を殺した。
あまりの様変わりに、両親はともに心を痛め切っていた。ゆえに、二人の、生活の中心に座っている権現に縋(すが)りつく思いが変じて、苦行を完遂すれば必ず魔を祓い出せると心中に幻想を映じたのか?…その実体はともかく、狂うほどに追い込まれていたのであろう。
だから救いがたい勘違いとはいえ、確信を持っての所業だったのだ。しかしこれこそが、そのじつ、傍からみれば狂っているとしかみえない悪魔の所業であった。
事実、夫婦は狂気の中にあった。
悲惨だったのは、この正論に気づかないばかりか、滝行を正道だと思い込んだことだ。悪魔が取り憑いていたとすればそれは両親、特に父親にであったことはいうまでもない。
とここで、見るもおぞましいが、七日目の道場を覗くしかないであろう。
イスに据えられた伊沙子は、息苦しさのあまりクロロホルムからも醒めた。迫りくる断末魔、自分の最期を身で直感したのである。刹那、涙が流れた。が、口を塞がれていたため、うん!うん!という“助けて!”を、鼻から可能な限り必死で洩らし続けるしかなかった。目の前の死に慄きながら、涙とともに母親に悲しい眼でただただ訴えた、本当に決死で。それが精いっぱいだった。頭を押さえられ四肢をイスに縛られた状態なのだ、抵抗には限界があったのである。
しかも無情なれ、ニセの滝からの水が、決死の哀訴を覆い隠しつつそして遮っていた。
伊沙子は死の淵ギリギリのところにまさにあり、焦った。いやそんなものではない。地獄がパックリ口を開けているのを全身で感じ、一層大きく鼻で唸りに唸り続けたのだった。
狂気にどっぷり浸かったなか、ようやく救難信号ともいえる懸命の呻きを耳にした二人。
それなのに、父親は手を緩めなかった。母親も止めに入らなかった。以前から何度も聞いており、それでも特に不具合は起きなかったからだ。
ところですでに生きるよすがを失くしていた伊沙子。たしかに、ではあったが、そうはいっても死にたいわけではない。当然、自分を呑み込もうとしている死の淵からなんとしてでも逃れようと力いっぱい顔を下に向け、水が鼻に入らないようにして息継ぎを試みた。
だがそのたびに父親は、地獄の獄卒か邪鬼のような力を出して彼女の意図を阻んだのである。悪魔退治のためには、どんな犠牲も厭わない、とでもいわんがごとくに。
もしこの模様が撮影されていれば、全てが狂気。まさにそう、第三者は感じとるはずだ。
ところで心裡において実際は“どんな犠牲も…”ほどではなく、狂気の父親すらも、――悪魔から救い出すために――必要な出血ならいたしかたないくらいの覚悟だったのだが。
あまりに浅慮だったのは、傍らに家族以外の人間を据えていなかったことだ。誰かがいれば当然、すぐに止めに入っていたであろう。不幸が起こるのは、えてしてこういう場合だ。ほんの少しの配慮により、最悪を未然にて防げたものを…。
「あっ!」父親が、抵抗しなくなった娘の異状に気づき我に返った時、また、母親が伊沙子の唸りを聞かなくなった瞬間、引き返し可能な境界線をすでに越えてしまっていた。
あってはならない異変だと感知した二親。父親はまず伊沙子を椅子ごとずらしつつ叫んで水を止めさせた。直後、彼はガムテープを剥がし、四肢を開放すると娘を床に横たえた。その最中、心中、必死に奇跡の蘇生を祈ったのだった。
しかし時遅く、すでに心肺停止していることに愕然とした。それでもなんとか、うろたえる妻に救急車を要請させた。同時に、見よう見まねの心肺蘇生法を施したのである。
だが、もはや全ては虚しかった。対価できるなにものもこの世にはない愛娘の尊い命は、もう、この世のものではなかったのである。
こうして十数分前に始まった地獄は、まさに無間地獄と化したのだった。
これが、あまりに愚かな、事件の顛末であった。
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