――なるほど、世の中には得体の知れん不可思議な連中もおるもんやな――ここまでは他人事だった。しかし、和田もひとの親である。「本気で信じてたかどうかまではわからんが、“悪魔祓い”と称して我が子を殺してしもたやなんて…、わしにはわからん。何をどう考えてもあり得へん」反抗期に入った中二の息子のことを思い描きつつも、藍出の概説を聞いて、そんな感慨を持った。「わからんちゅうたら、一年半かそれ以上前やったと思うけど、これも、不可思議な事故で若い女性が死んだなあ」和田は、自流で想念した“不可思議”、並びに一年半(人間の記憶などいうものはあまり当てにならないものだ。じつは二年近く前だった)がキーワードとなり、さらに別の殺人事件を思い出しつつそう呟(つぶや)いたのだった。
ただし呟いてはみたものの、“若い女性の不可思議な事故死”に対しては、デカの嗅覚は反応しなかった。ある種の興味を、凶悪事件にしかそそられないのは刑事の習性であり、その意味でも逆に、和田は根っからのデカなのだ。
好奇心もデカの習性の一つである。ゆえに、好奇心からパソコンの電源を入れると、星野管理官が教えてくれた秘密のパスワードを入力し、極秘ファイルを立ちあげたのだった。

ちなみに星野管理官とは矢野警部の上司に当たる人物で、刑事部では切れ者で通っている。部署的には、矢野係をも統括する立場にある。その敏腕管理官は、特別に配置された部下に凶悪事件の現場の状況と捜査の経過を、常々、可能な範囲でファイルさせていた。
今それを開く作業を完了したということだ。すぐさま、ある項目をクリックした。やがて、画面にその事件の情報が浮かび上がった。
同時に、大阪府警に同期採用で今は同事件に関わっている同階級の警部補から半年前に教えてもらった情報も、脳内部位で記憶もつかさどる“海馬”から浮かび上がったのだ。
ちなみに海馬とはタツノオトシゴのこと。形状が似ていることから、その脳内部位を海馬と呼称するようになった、らしい。閑話休題。

画面に引き出した情報は、二十五歳エリート警部殺人事件についてであった。

ところで和田が呟いた件はこの殺人事件とは別の、しかも全く無関係な「若い女性の不可思議な事故死……」であった。それはそれとして、担当してもいない事件に和田がご執心なのは、なぜか?自分でも気づいていないことだが、定年退職間近とじつは深く関わっていた。つまり有終の美として、未解決事件を一つでも減らしスッキリしていきたいのだ。
そんな執念にも似た心理に気づく道理もなく、ただ、先輩の呟きを耳にした藍出は、頻りにその件の記憶をたどってみた。だがやはり特定できず、首を傾げてしまったのだった。

ここで、一応“無関係な”とはしたのだが、それはこの二人が、二つの件の間に深い関係、いや深く繋がっていることをこの時点ではまだ知らないから、そう記したのである。

しかしながら実際には、切っても切り離せない相関関係にあったのだ、“因と果”の。

少し回りくどい言い回しになるが、一人ずつが死亡した、この二つの件とは全く無関係な人であっても、二件を繋ぐ因果の真実を知ったならば、その人は悲しみの烈風にさらされたように五体を震わせ、降り止まない氷雨に心までが凍るように身につまされるであろう。そしてそんな善良な第三者は、ほほを涙で濡らすに違いない。
くどいが、和田に特別な意識や意図があったわけではないが、彼が呟いた件とエリート警部殺害事件とには、じつは因と果という、切っても切れない相関関係が存在したのだ。

和田は「藍出」と声を掛け、後輩警部補の思案顔を見た。「ニュースで報道してた程度の知識やが、ナイヤガラの滝を見てる時に落ちて死んだ若い女性がいたやろ(註…先年起こった事故ではなく、小説上の架空の出来事)。たしか二十五歳やったと思うけど。それにしても、滅多に起きん死亡事故らしい。最近では年間で千百万人の観光客が訪れるちゅうが、これも受け売りなんやが、百年以上も前からすでに有名な観光スポットなんやと、ナイヤガラの滝は。にもかかわらず、それでも通算で死亡事故は七・八件やそうな」新聞などから得た知識だったが、印象深かったので覚えていた。「それにしても愚かに過ぎるなぁ。死んだ女の子に鞭打つわけやないけど」
「思い出しました。観光客がデジカメか何かで録画してて、その映像を見た地元警察が事件性を否定し事故と判断した件ですね。なんでも、“乗り越え禁止!”の注意書の掲示板を無視してナイヤガラの滝絶景ポイントで柵をまたいでいてバランスを崩し、そのまま」藍出は、自身の性格を反映した正確な情報で応えた。「ナイヤガラ川に落ちて激流に呑みこまれ行方不明になった。一時間後に捜索隊が始動したが、結局発見できなかった。大河だし、まして急流ですからねえ。遺体で発見されたのは翌日だった。そんな不幸な事故でした」
和田は藍出の言葉にごつごつしたあごで首肯すると、「二十五歳といえば成人して五年、もう立派な大人や。注意書を見るまでもなく、“危険や”くらいわかると思うんやが…、無謀なんか、それとも何も考えてなかったんか」腕を組んだまま、つい溜め息が洩れた。

ちなみに死亡した女性だが、彼らが思ったほどには無謀でも無思慮でもなかったことが、矢野係の捜査により後日明らかとなる。
しかし捜査する事態になるとは夢思わないこの時点での和田は、若い人が無謀なマネをしたせいで、本当の意味で始まってまだ十数年しか経っていない人生を、意味のない死で終わらせてしまったこと、そして家族の悲嘆や痛恨までを想うと、何ともはや表現のできない虚しさを感じ、子を持つ身としてあらためて心奥で涙ぐんだのである。
「そうですね。それにしても親御さんにすれば堪らんですよ」人生これからという子に死なれた親をいやというほど見てきただけに、刑事である前の一人の人間として胸が痛んだ。

嗚呼、さても。

悲嘆や痛恨、くらいの表現では万分の一も親の心情を言い表せるはずがない。あえていえば絶望、生きるよすがの消滅である。今までの人生の、そして向後の総てに対する全否定だ。何のために生きてきたのか、これから何をよるすべにして生きていけばよいのか。
心の底から笑い楽しむ、そんな誰もがする日常のありふれた所作すら二度とできなくなった人々が、ただ重いだけ、心を圧し続けるそんな荷物に、眠るときだにも覆いかぶさられて過ごさねばならない。そのうえで覚醒(めざめ)のあとは、頭頂や肩に重荷を載せ、これからの、人生の長い上り坂を黙々と歩き続けねばならない、生きていかねばならないのである。
そんな哀れに眉を曇らせつつ、「記憶が正しければ、安全柵を乗り越える人間があとを絶たんとの談話も併せて地元警察が発表していました。おそらくは、圧する迫力満点の光景に平常心が呑みこまれてしまい、それで愚かな行動に出るんでしょう…。テレビ映像で見ただけですけどそれでももの凄い威圧を感じましたから」現地でだと羽根をのばしたくなるだろうと思った。「それこそ大自然そのものを目の当たりにすれば、パノラマと掛かる水しぶきと轟音に、おそらく五体が圧倒されるんでしょうね」同情や感傷など人としての想いは想いとして、藍出はプロ意識をもって思考を、天職のデカに戻した。
少し飛躍するが、感情と犯罪の関係性についてだ。環境や状況、立場の変化等、その時々にて感情に支配されやすい人間の性(さが)が、現実世界で犯罪をつい冒してしまい、結果、犯罪被害者やその家族を生むのだと藍出は知り過ぎていた。刑事を生業(なりわい)としたればこその、悲しい宿命のゆえである。それにしても、如何ともしがたい感情。それを制御できないとき、まさに理性は敗退している状態だが、そんな現実や実体こそが、刑事の立場からみた普遍的人間観だ、とまでは思わない。いや、思いたくない。そこまで人間というものに悲観してはいないということだ。だが所詮、やはり人間は感情の生き物だと。いろいろな意味での、一時の欲望や嫉妬、地位ならびに立場の保全、あるいは理性を喪失したまま感情に任せての、…忌むべき犯罪行為をなしてしまうのである。
間違いなくそれが世相であり、今、人間社会を悩ませているのだ。
おそらく、敬愛する矢野も同意見であろう。そんな犯罪に対し、社会的役割分担業務としてデカである自分らは、その事後処理に当たっている。ということは、デカという宿命のせいで、絶望に苛まれ続ける悲劇に遭遇しすぎたということなのだろう。
それにしてもこうして犯罪の多くが、被害者、だけでなくその家族をも巻き込み、その人たちは社会の陽かげにあって、癒されることはむろん、消え去ることもない悲嘆や苦痛に煩悶させられ続けているのだ。
また、犯罪が生む悲劇に対し、世間はそれの直後だけに目が行きがちである。そのときは被害者たちに同情するが、いずれ忘れ去ってしまう。
しかし被害者と家族たちは、死ぬその時まで決して忘れることはない。
だから犯罪は二重、三重の悪逆なのである。それでもつい冒してしまう人間の愚かさ…。
藍出のそんな思考の一方での、和田による悪逆なる犯罪についての連想。犯罪多発をくい止められない人間の愚昧という悲しい現実に目を向けつつも、「立派な大人の二十五歳」と「愚かに過ぎる」の共通のキーワードをもつ、和田の脳裏にさきほど思い浮んだ事件。
二十五歳の警部(ということはキャリアである)が、上半身どころか下半身も丸出しという、恥辱的な格好のまま窒息死していた殺人事件であった。全裸を際立たせるためなのか、それとも犯人には別の意図があったのか、顔だけを白いハンカチで覆っていたのだ。しかも左腕には、薄い刃物による深さ2センチ程度(検視での数値)の刺し傷まであった。
約一年半前の事件である。現場は大阪市北区梅田一丁目という関西一の一等地に聳え立つ、超一流と世間が冠したXXホテル22階、地上遥か百メートルに広がる一室だった。
問題の犯人だが、複数の証言からも防犯カメラの映像からも、若い女性とみてほぼ間違いなかった。そして、この破廉恥な現場を見て誰もが想像することだが、おそらくは性的欲望を制御できなかったせいの犯罪だろうと。ために、死後に被害者は、拭うことのできない恥をさらす結果となったのだ。しかも、新婚三カ月だったにもかかわらず。
しかし和田自身は、別の感慨にデカとして戸惑った。恥態のままの死出の旅の瞬間に、当人は、断末魔の苦痛のほかに一体何を思ったであろうか。つい、こんな忖度(そんたく)をする和田警部補ゆえに、思いやり豊かと他人(ひと)から慕われるのだが、これは余談。

ちなみに、死体発見現場は一泊約十万円のスイートだった。状況から殺害現場も同所と断定。それにしても、ホテルにとってこれほどの迷惑はない。まさに営業妨害である。
それはさておき、犯行時間帯のスイート。室内のインテリアは当然、窓外の眺望も高い料金に見合う申し分なさであったろう。そんな夜景を見はるかせる天空のしとねで、惨殺事件が展開されたとは。(と、このくだりは和田の想像だ。が、実際もそうであった)
ときに二十五歳の警部と既述したが、それはすぐに身元がわれたからだ。脱衣のポケットに免許証が入っていたためだった。おかげで初動捜査に当たった捜査員の面(おもて)に、えもいわれぬ複雑な相が走った。また機動捜査隊の班長である警部補にとってもたしかに見覚えのある顔であった。府警察本部の、単なるエリート警部というだけではなかったのだから。
小説や映画の世界では、警察官を標的にした殺人や誘拐などの凶悪犯罪の場合、事前の脅迫状や事後の犯行声明文などが送られてくる、という設定も少なからずある。が、これは現実の殺人だ。事前の脅迫状などなく、犯行声明文という形でも送られてこなかった。
…ただ、別の手法といおうか、思わぬ手口での情報の公開が、後日なされたのである。
ところで大事な初動捜査の段階では、警察機構への挑戦が動機ではないとの意見が府警本部の大勢となった。だからというべきか、適確な方針がとられず、間違った方向に捜査の舵を切ってしまったのだ。だが今にして思えば、最大の誤謬(ごびゅう)は指揮担当者人事であった。
というのもこのあと、矢野係が短期間少数精鋭でこの事件を解決するからだ。
それはともかくこのときはまだ、警察への挑戦であってほしくないという希望的な憶測が本部全体を覆い、初動捜査は、それが反映したものであった。
もしも挑戦でないなら、警察にとっては、まだしも唯一の小さな救いとはなるのだ、と。
なぜなら警察自体に、それでなくとも組織ぐるみの不正経理や汚職、証拠品紛失や証拠の捏造、警察官の覚醒剤所持や使用、暴行や傷害、さらには殺人などなど、あってはならない事件が多発していたからである。“法の番人”の一端を担う警察組織の中に犯罪者が潜んでいて、“犯人の正体見たり枯れ警官”と指摘されたのでは、洒落で済むはずないからだ。
客観的、さらには庶民感覚として、警察に対する威信などもはやないのではと、内側で働く和田でさえも正直、秘かに危惧している。また一警察官として、同僚たちの不正や犯罪の茶飯事化を否定できないのも、口惜しいかぎりなのだ。
警察本体としても、だから、目を覆いたくなるこれ以上のスキャンダルなどあってほしくない、というのが本音だった。それゆえに今回の事件はむしろ個人的な動機、つまり物取りや怨恨というありきたりの動機で、何とか決着してもらいたいのである。
ところがだ。そんな、事件発見直後の捜査に当たった機動捜査隊等の願いは、やがて虚しいものとなった。死体の詳細な状況などをできるだけマスコミ発表しないように計ったのだが、意に反し、警察が無傷で済む能わず、となったのだ。
小さくも大きな願いだが、儚くも、情報共有社会の象徴であるインターネットのソーシャル・メディアという媒体を活用し、犯人とおぼしき輩が粉々に砕いてしまったからだ。
衝撃的な映像を警察本体にではなく…、卑劣にも一般向けに配信したのである。
なにせ、被害に遭ったエリート警部の下半身露出という恥態が、死体発見の五日後、顔のアップ映像も身分も含め、投稿サイトに掲示されたのである。ご丁寧に、“この変態露出狂野郎は大阪府警の警部”だとのスーパーインポーズ法でテロップまで付けて。
しかも悪いことに、実態よりもサイトの映像の方が、いかにもSMプレーめいていた。
全裸で四肢をベッドの四本の脚にロープでくくられたうえ、ムチやロウソクを含むプレー用道具をこれみょうがしにカメラが捉え、紙製のガムテープで口を塞がれていたからだ。
ただこの時の世間の反応は、被害者に同情的だった。死者を悼む気持ちが支配的で、好奇な目はむしろ、少数派であった。世論に敏感なマスコミは週刊誌なども含め、それゆえ、あまり大騒ぎはしなかったのである、猟奇そのものであったにもかかわらず。
ただガムテープがせめても布製でなかった点、スイートルームでのSMプレーにしては経費削減しすぎと和田には思えた。SMプレー専用の道具もあるくらいなのに。
だが、じつはそうではなかった。犯人には紙製こそが好都合だったのだ。
浅慮のためについ見落としてしまった些細。しかし“瑣末にも意味がある”、あるいは細かいことにこそ意味があると、ある実験ののち思い知らされ、和田は反省することとなる。
しかし、今はさておこう。
それよりも、死体は口を塞がれただけでなく、加えて、男もののパンツを口に咥えさせられていたのだ。その、口の中の状況は、検視担当官の手によりわかったことだったが。
それとは別に、サイトの映像を覗くとわかることだが、発見された死体との違いが二つあった。顔をハンカチで覆っていない点と左腕に刺創がなかった点だ。これは司法解剖で断定された未公開情報だが、映像を撮られた段階では被害者は瞑目はしていたが、確かに生きていたのである。
撮影された時間が映っていれば死亡推定時刻を狭めることも可能だったが、残念ながら表示されてなかった。恥態を公表する目的で、犯人が殺害前に撮ったものであることは相当高い確率で推定できるが、犯人にとって不利になる時間までは教えたくなかったようだ。
さて、ここでひとつ気を付けねばならないことがある。サイトに投稿した人間を、殺人犯と断定できない点だ。掲載したこと自体が殺人の決定的証拠にはならない、がその理由である。犯人に頼まれた、あるいは特別なルートで映像を入手した可能性も今のところ否定できないからだ。が、深く関係していることは、投稿のタイミングだけでなく、直近の被害者の生前を撮った映像という点からも間違いない、と断定できる。
しかし、和田はもう一歩踏み込んだ。百%に近い確率で撮影も犯人の仕業であろうと。映像にテロップを用い、それでもって、“変態露出狂は大阪府警の警部”だと明かした以上、警察を侮辱し嘲笑する意図があるとみて間違いない。ただし、挑戦の意図までは感じなかった。これみようがしに警察の無能ぶりを指摘したり自分の有能を披歴している、というような片鱗を、映像も犯行そのものも、うかがわせていなかったからだ。
挑戦するつもりなら、せめて、“無能なふけいさん江”くらいの書き込みはしたであろう、グリコ・森永事件の犯人、かいじん21面相のように。
それはそれとして、上記の猿ぐつわに違和感をもった。現場検証の結果、他にパンツは見つかっておらず、被害者のものと類推できるからだ。いくら変態チックなプレーとはいえ、自分の使用中のパンツを口中に入れるだろうか。しかし、違う見方もできる。パンツは犯人が用意した新品で、使用中のは犯人が持ち去った、とも。理由はわからないが。
いずれにしろ、帳場(当該事件のために立ち上げられた捜査本部)としてこの点を問題視した気配はなかった。些細すぎるゆえに、意味がないと判断しているようだ。
が、和田警部補として迂闊には指摘できなかった。まずは自身、事件担当ではない。しかしそんなことよりも、十年に一度もないほどに珍しく、お歴々の刑事部長(階級は警視長、全国三十万人近い巨大な警察機構の中の41番目タイの階級。ちなみに地方の警察署長などは、この階級社会では彼の足元にも及ばない)が捜査の総指揮をとったからだ。
特例的なのはそればかりではなかった。刑事部捜査一課の組織半分が投入された。だけでなく、特別応援部隊として生活安全部の一部も、刑事部長である長野の下に直接配置され指揮系統に組み込まれたことである、むろんこの事件に限ってだが。
つまり大阪府警察本部をあげての大がかりな態勢となったわけだ。が、それも当然といえた。未決である時間が長いほど恥の上塗りとなり、世間に醜態をさらし続けるからである。ゆえに警察全体にとっても汚名を全てにおいて雪(すす)ぐ、これが何よりの急務だったのだ。
ただし雪辱などは、心奥において牙を剥き出しにした一人のただれた野心家にとっては無価値だった。マキャベリスト長野の僻目(ひがめ)には、この事件は絶好の機会に映った。殺された警部の背後の存在を崩壊させる好機であり、天の配剤にさえ思えたからだった。
生き甲斐であり、よすがでもある野望。権勢を掌中に収めたい長野刑事部長は、実働部隊となる府警本部や所轄の捜査員たちに、まず二つの指示を与えた。どちらもが、捜査経験の少ないいわば素人が、彼なりに殺害現場と死体の現状を重視した結果の指令であった。
まず、死体の顔にハンカチを被せていた点を考慮し、顔見知りの犯行との線から、被害者の身辺調査を徹底させた。死に顔を見るに忍びないと、面識のある犯人が何かで覆った例は過去に数多く報告されているからだ。また、白いハンカチを異性に渡すことが、長野の世代にとっては、“男女の別離”を暗示させたのである。
並行して、大阪市内及び近郊のSM専門の娼婦全員の調書を作ることだった。性取引きの一旦の合意をみた娼婦と被害者との間で、何らかのトラブルが発生したために殺されたとも見てとれるからだ。しかも検視報告に依ると、死体は射精していたという。この事実から、性交渉後のトラブル発生と長野はみた。この方面、生活安全部の出番なのだ。
また、財布の中身のうち、現金だけが全て抜き取られていたので金銭トラブルだろうとも。キャッシュカードやクレジットカードに手をつけなかったのは、使えば足がつくことを知っていたからで、そうだとすると、窃盗などの前歴のある可能性が高い、とも考えた。
長野の指令により、犯歴者リストの指紋と現場の指紋の照合が早速なされたのだ。
だが現場経験豊富な猛者の多くは心中、見当違いのゆえに不発に終わるとみていた。そして猛者連の見立てどおり、刑事部長の期待に反し、合致する指紋はひとつもなかった。
一方で、彼の指示の影響をあまり受けない鑑識による初動捜査も、当然だが滞りなく進められていたのである。(その詳細はもう少しあとになる)
ときに長野執心の片方の方針には消極的な、つまり被害者の身辺調査には気を遣う向きも存在していた。理由は、保身であった。組織としては普通によくある現象ともいえた。
組織(組織のトップを指す)防衛を至上とする慣例的で、上に迎合する俗物の発想から出た消極性の根は、しかしやがて、秘事を嗅ぎつけた低俗週刊誌によって明らかとなる。
ところでこの刑事部長。目障りな上の存在を一人でも多く排除したいとの、政治屋的発想のドス黒い企みを心底深くに抱えていたのだった。人間の、出世に対するブラックホールのような貪婪(どんらん)は、警察組織のみ例外とするものではないということだ。
しかしながら、直属の部下という身内にすらも気取られてはマズい下卑た目論見であった。この貪欲、常軌を逸した出世欲。つまるところ、警察トップの座を射止める、という野心である。邪魔な上席者の排除は、だから必須であった。下剋上は、戦国時代に限らない人間の相なのだ。いつの時代どの世界にも存在する、野望に囚われた、いわば“マクベス”である。
シェークスピアが描いたように、小我という、ある意味いちばん人間臭い図式といえる。
長野の具体的願望をいえば、上席者排除のため被害者には是非、もっともっと汚泥にまみれていてほしい、だ。が、残念ながら捕らぬ狸の皮算用に終わってしまうのだった。
それどころか一年後、彼は奈落に堕ちる破目に。しかしそれは後述のこととなる。
さて、詳述をあえて避けた、大手マスコミと府警察本部内の幹部は知っているある特別な事情。それを悪用することで可能となる、捜査の素人長野が思い描いた野心的皮算用。
それが不発のまま推移したひとつの因…被害者との体の関係が捜査により明らかとなった若い女性全員の動機の不在およびアリバイを、捜査本部として一応認めざるを得ないとなったことだ。だがそれより重要な、長野はこちらであれかしと願っていた被害者汚泥路線も一向、目途が立たなかったことに由り、暗中模索状態に陥ってしまったからだ。
最初の事情聴取は当然、被害者の新妻からであった。ところで、長野としては関心が薄かった。犯人の可能性が低く、まして、被害者が汚辱まみれにはならないからだ。
が、長野の本音はさておき、彼女は被害者の両親と二世帯住宅で同居していた。死亡推定時刻三十分前の午後九時半、彼女は遅い夕食の後片付けをしていた。また、死亡推定時刻の中ほどにあたる午後十時半ごろには義父の入浴中に脱衣場へバスタオルを持っていき、意匠ガラス戸越しに言葉を交わしていた。自宅から殺害現場のホテルまで車で三十分以上掛かるので、瞬間移動でもしない限り殺害前の工作(概略は既述)をする時間すらない。
そこで妻以外の、過去の異性関係となったのだが、風俗云々は計算に入れないとしてもかなり派手だったようだ。大学入学直後からの実質七年間において、濃密な交際をしていたとわかった女性が五人いた。好みだったのか、全て年上であった。
その報告を受けた刑事部長は、じつは秘かにしかも少しく期待した。
長野自身の青春は、国家公務員上級試験合格のためにもっと禁欲的であった。試験に受かるまでは、遊びどころではなかった。だから、学生時代に放埓な異性関係に浮かれた不埒を許せないと思った。死んだ今こそそれを暴露し、死者に鞭を打ちたくなったのである。
そのためには、彼女たちの誰かが被疑者として浮上しなければならない。
しかし捜査が進むにつれ、思惑ははずれていった。
現在の彼女ら全員が結婚しており、すでに子供をもうけているか妊娠中か、だった。今の幸せを守るためなのか、別れ際の悪さで丸害は憎まれていたのか、訪問した刑事に対し、過去の男の死を悼んだ女性は一人もいなかった。彼女らにとって被害者は、少なくとも自身の人生からとっくの昔に切り捨て終わらせた男なのだ。そういう理由で、過去の男のことで現在の幸せを壊されるのは迷惑だといわんばかりの露骨な顔をされた。なかには、再訪問を断ると言外に示すために、大音響を立てて自宅のドアを閉めた女性もいたくらいだ。
あらかじめ刑事たちが想像していたとおり、被害者はやはり、かなり女癖が悪かった。いずれも二股や風俗通いに愛想を尽かし、女性の方から手を切ったというパターンだった。
五人の女性による「とっくに切れてるし、あんな奴、思い出したくもない!」との異口同音。よって、捜査の場数を踏んだデカの印象は、全員がシロだった。うしろめたさがあれば、警察の心証を悪くしないために若い死を憐れむ程度の演技をするだろうからだ。
全ての報告を受けた長野は迷ったすえに、今は、女性遍歴の暴露は得策でないと判断した。不要な暴露だと世間はそう取り、情報をリークした人物として逆に糾弾されかねないからだ。それに、罪のない女性たちの幸せを潰すことは、さすがに忍びなかった。
強欲にすぎるこの男にも、赤い血は流れているのである。
ところでそんな浮気常習男だったにもかかわらず、結婚後に特定のお相手はいなかった。
岳父が警察機構を管轄している総務省の局長だから、睨まれたら最後、出世に響く、もちろん婚姻も解消させられる、と、それを恐れたのか。愛人を持つとあとあと面倒と考えたからか。風俗やナンパも含めいささか遊びすぎたので、しばらく休むつもりだったのか。

少なくとも両親としては、女遊びを控えさせるためもありの政略結婚だった。二世帯住宅も同様の理由からだ。むろん、成った政略結婚により、前途洋々と両親も期待していた。
一方、被害者は幼少期より、実父にも頭が上がらなかった。それで見合い結婚も同居も拒否できなかったのである。
さて、捜査に話を戻すとしよう。仕事関係で泥沼化した男女交際を調べたが、職場で女性に手を出した形跡は当然というべきか、なかった。いくら女好きでも馬鹿はしなかったということだ。一般人と違い、軽いセクハラでも報道の対象者となってしまう地歩なのだ。

ところで被害者は、生活安全部総務課に在籍していた。もちろん警察官である以上、人から恨みをかいやすい立場ではあったが、若い女性を検挙したことは一度もなかった。
つまりは被疑者だが、仕事関係者の中にはいないだろうということだ。
ちなみに犯人とおぼしき女性の顔下半分の特徴(なぜ下半分かの理由だが、和田は同僚から聞いてすでに知っていた。殺害前、被害者と同伴した女性は大きなつばの帽子を被り、しかも大きな黒いサングラスで顔を隠していたことを、ホテルの防犯カメラが捉えていたからだ。追加で、白いレースの手袋をしていたことも教えられていた)、例えば鼻や唇の形状、目立つ黒子(ほくろ)の有無などだが、新妻を含む六人の中に、一致した者はいなかった。
また、事情聴取された五人の女性について、誰ひとりアリバイのない人間はいなかった。何の事件かは伏せてそれぞれの夫に尋ねた。通常なら身内のアリバイ証言は黙殺されるが、今回に限り、上記の理由や誰ひとり動機がない等に鑑み、信じられると判断したからだ。

結句、顔見知りの中に殺したいほどの恨みを持つ女性だが、見出せなかったのである。
それに長野としては、被害者の名誉を徹底的に落とし込めるほどの犯人像ではないと困る。――(黒い)目的を達成できないではないか!――では、彼が理想とする犯人像とは?
それはもう一方の捜査対象者で…現場の状況から導き出したSM専門の娼婦たちだった。
長野の最上級願望は、――そいつらの中から犯人を見つけ出してくれ!――であった。
被害者は全裸で、しかも射精していたのだ。性交渉があったとイメージしない方が不自然と長野は主張し、SM専門の娼婦たちを彼の思惑どおり、捜査線上に乗せたのである。
(投稿サイトの高画質映像から判断した)スマフォかデジタル一眼レフカメラ、ロープやガムテープ、ムチにロウソク、白ハンカチ、そして左腕に刺創をつくったカッターナイフ等を、被害者ではなく犯人が用意したとの見方では、上層部も現場も同じだった。
被害者本人が持ち運べる状況には無かったからだ。なぜなら…(だがこれものちほど)。
そうはいうものの、現場のデカたちの間では、SM専門の娼婦に対象者を絞りこむのは短絡に過ぎないかとの意見が占めた。フェイクではないかというのだ。
しかし下っ端の発言など、刑事部長は歯牙にもかけない。彼は、自分の捜査方針にとって都合のいい証拠・証言や遺留品等には注目したが、不都合なものは黙殺したのである。
たとえば、カメラやロープ、ムチ等はプレーのためにいつも持参していると、また、カッターナイフは悪質な客から身を守るための常備品と、長野はそう見解を述べたのである。
たしかに任意同行?させられた娼婦たちのほとんどが、業務上、手錠・ムチ・ロウソク・浣腸用具やアイマスクと孔雀の羽根等も併せて常備していると口述した。だとすると着目点があながち見当違いともいえないようだ。倒錯した性の世界の必需品であり商売道具だ、と開き直って毒づくような口調の娼婦もいた。ヤクの影響が残っていたからだろうが。
そんな彼女らに対し、「もし拒否したり、事後において不当と訴えたりすれば、商売できんようにしたる」との強烈な警察権をちらつかせ、しかも理由は教えず、全員から全指指紋と口内粘膜の採取を強制的に実施したのである。
むろん違法行為だが、たった一人で立ち向かうには脛に傷持つ彼女たちは、やはり弱かった。それに、彼女たちが例えばマスコミや弁護士に事実を訴えても、腰の引けた応対しかしないと肌で感じ取っていた。社会的見地から、信用度が低すぎると知悉しているのだ。
さて、この程度の違法行為。長野にとっては微細な問題としてすら捉えなかった。
そんなことより大問題は、彼の期待が完全なる不発に終わったことだ。遺留指紋と、娼婦たちの全指指紋のたったひとつの、しかも部分合致すらも認められず、ベッドとその周辺から採取した全ての体毛からのDNAも、ひとりとして合致しなかったからである。
ただし指紋の不合致は、後述するように、必然と思える理由もあったのだが。
長野はそれでも、この方針に執拗だった。専門分野である生活安全部の保安課長(売春などを担当)に指示し、課長に直接の指揮をとらせた今回の捜査であった。そのうえで、「もぐりのSM嬢が仕事をするケースはないのか?」と課長に問いただしたのだった。
さすがに詳しかった。「あいつらにはあいつらなりのしきたりや仁義があって、HIV等の命に及ぶ疾病に冒されないよう、そして広げさせないため、また病気による客離れを防止するために、そういうもぐりは潰すか組み込むようにしています。古株のやり手婆がリーダーとなって、自分たちの身と商売を守るために、コンドームの着用義務化と定期的に公共の無料検診を受けさせ、診断書のコピーを保管していると何度か聞いたことがあります。西成には怪しいのもたしかにいますが、そんな連中は、キタやミナミ(梅田と難波、大阪の二大繁華街)では商売させてもらえません。ましてもぐりが、高級なXXホテルに出張ったとはとうてい考えられません」そう断言したのである。
どうやら長野が希求した犯人像は、見当はずれのようだった。またたとえSM嬢の中に犯人がいるとしても、現状では立件不能だと。これはという目撃証言でも出れば別だが。
ともかく、今は別の犯人像を探るにしくはない。刑事部長は、仕方なくSM嬢に対する捜査を保留扱いとしたのである。
それでも懲りず、娼婦全般に捜査対象を拡大した。指令するにあたり、反対意見を封じ込めるため長野なりの思慮を直属の部下に提示したのだった。「ホテルが撮っていた映像からも地取りの証言からも、犯人が女性であることは間違いない。そこでだ。深慮するまでもなく、素人の女性がロープやガムテープなどを用意していたとは、とても考えられない。ならばSEXを商売にする玄人か、あらかじめ殺意を持っていた素人とみて間違いないだろう。ところが、殺意を懐いている素人女性はひとりとして出てこなかった。したがって、商売女を今後のターゲットとする。この線で、今度こそ犯人を見つけ出してくれたまえ」
もちろん上司に対し、あえて異議を唱える者はいなかった。ただし責任忌避すべく、いかにもエリート官吏らしい深謀を自己保身に傾けたのである。まさに官僚の本能的発想だ。
実際の実働部隊にも、長野は捜査会議において同様の指令を出した、自分の野心に満ちた思惑はひた隠しにして。
長野の野望のせいで、捜査の裾野が広がったため労力も経費も相当なものとなった。にもかかわらず、参考人程度の存在すらも浮かんでこなかった。それなりの成果でもあれば違ったろうが、捜査員の脱力感は日増しに募っていった。士気など上がろうはずなかった。
定例の捜査会議に漂う閉塞感。そして会議室の外は、今にも泣きだしそうな鬱陶しい梅雨空だった。事件発生から、はや四カ月がたとうとしているのだ。
見当がはずれた長野は捜査本部の空気を変えようと、信じられないことだが、デリバリーヘルス・出会い系サイトやエロ系サイト、男娼等にも捜査の輪を広げさせたのである。
しかしながら、つまるところはどの方面も難航した。どの系統も、まるで有象無象状態であった。世の中は乱れに乱れていて、雨後のタケノコどころかまるで梅雨時のカビのごとし、それぞれその存在において、並大抵の数ではなかったからだ。
小説“白鯨”を借りての下手な譬えとなるが、極夜(白夜の反対で約二カ月間続く、北極圏・南極圏での陽の昇らない夜…見当違いのために光明を見出せない捜査本部の状況を指す)、広く果てない南極洋(とりとめなき茫洋の例え。捜査対象すら絞れない有象無象状態)に、(犯人である)白鯨【原作者メルビルは “白鯨”を悪の象徴とした。一艘の捕鯨船が大西洋から太平洋へと白鯨モビーデッィクを追い求め続けて数年、人間たちと巨鯨の死闘の末、イシュメルという青年以外ついには船体ごと海中に没するなどして、原作では全滅】を求めて、人海戦術で挑みつつ、取り舵か、面舵を取るべきか全速前進か、その往くてで惑(まど)う捕鯨船(捜査本部)は、雲を掴むに似て、白鯨の姿を見かけることすらできず、ついには難船(閉塞状態)してしまったのである。
徒(むだ)に日を重ねるばかり。上層部としても次第に焦燥をみせ始めたのだが、それでも方針維持に、特に長野は拘泥した。長野以外もキャリア組として、一度決めた捜査方針に対する意地とプライドが邪魔をし、捜査を熟知する現場捜査陣の無言の抵抗を無視してしまったのである。