しょっぱなの、例のトイレ。その個室で、ゼネラル・エレクトリック社の運転手に戻らねばならない。でないと、ゴリラもどき軍曹が「ホールドアップ」と命じるであろう。

で、急ぎ飛びこんだのだった。ところが、慮外の光景が眼前にはあった。

復元に、最長で四分との想定をおおきく越えた、混雑ぶりだったのだ。

かれが四分とふんだのには、しかし彦原なりの理由があった。X社におけるトイレでの混みぐあいが経験値として擦りこまれており、2095年においては、一人あたりの所要時間が短かったからだ。

その理由、1944年と二十一世紀末の当世を比較すれば…。

当代においてはまず、便秘そのものが死語となっていた。というのも、2066年には画期的な薬が発明されており、とくに女性の悩みを解決したということで、日本の製薬会社がノーベル医学賞生理学賞を授与されていた。男性にも、その恩恵はあったのである。

 そしてもうひとつ。詳細を書くと下世話になるのではぶくが、トイレにおける時間短縮が当世ではすでになされていたのだ。つい、その生活習慣にまどわされたのだった。

くわえて、混雑をさける工夫として所内に数か所設置した食堂では、昼食時、時間差ももうけていた。

とはいっても、である。五千人超の従事者たちがとる昼食、だ。数か所同時並行でも、なにかのかげんで、計算どおりにはさばききれない日もめずらしくなかった。

かといって、近辺にはレストランなどない。機密保持のため、建設許可をあたえなかったのだ。

それで研究所は、さらに、四十分で食事と休憩をとる時間差交代システムを採用したのである。これでトイレも同様だが、たいした渋滞にはならないだろうとふんだのだ。

食堂やトイレの事情を資料でしっていた彦原も、おなじ感覚をもった。

でもって、いまは午後二時四十分。

ほんらいなら、トイレが混んでいないはずの時刻なのだ。

なのに、食事をすませた人々で予想していたいじょうに混んでいたのである。ほかのトイレもおなじと察せられた。

これでは想定の四分での復元は、とてもできそうにない。

正直、(あせ)りはじめた。()れながら彦原は、刻々とすすむ時計の秒針をうらめしく見すえつつ==どこかほかで…­==と、適した場所をかんがえた。しかしトイレの個室いがいだと、いくらひろい所内とはいえ、だれかに見られる危険性をともなう。

また、倉庫といえどもなかにははいれない。部外者の入室は許可がなければみとめられていないからだ。ドアには監視員が配置されていると先述した。入室したわけではないゼネラル・エレクトリック社の運転手が倉庫からでてきたりすれば、スパイとみなされる。

結果は、史上最大、いや空前絶後の自爆テロだ。

脂汗が、ひたいといい、手のひらといい、背中といい、(にじ)みながれだした。それでも、時計とひとの列を交互ににらみながら個室に入れるのを、いまや遅しと根気よくまつことにしたのだった。

しかしかんがえてみれば、ほかにも方法があるにはあった。だが彦原の実直さというのかまじめな性格が桎梏(しっこく)(=足かせとなり自由をうばうこと)となったのか?

それはともかく、待ついがいの方途のひとつ。

ひとけのない工場の裏手に、まだ復元していない飛行車でゆき、そこでだれか実在の従事者になりすます。さいわい、この時代に監視カメラはない。飛行車も、こんどはありふれたフォード車に変装して従事者専用ゲートから退出する、である。

なるほど、退出自体はむずかしくないだろう。メインゲートの警備兵が、従事者たちの数百台ではすまない乗用車の車種や色等までを コンピュータのないこの時代に登録したり、記憶したりはムリだろうから。

さらにいえば、原爆製造法という、最高軍事機密が外部にもれたことにかんがみ、従事者の研究所などへの入りは厳しく警戒していたとしても、出、つまりチェックがすんだ従事者の帰路にたいしては、さほどではなかったろうと推察できる。

准将は厳格を要求したのだが、原爆製造どころかなにをつくる工場なのか、すら警備兵にはしらせていない現場では、しかも毎日のことでもあり、だれて、いつかおざなりになったとしてもおかしくない。

業者などの、たまにくる部外者ならいざしらず、内勤の、いわば顔見知りが相手なのだ。

いっぽう、彦原の立場からすると、従事者専用ゲートならば、検問所のくだんの軍曹による再度の足どめをくわずにすむ。

警備兵に早退の理由をとわれたら、「親が危篤」でこと足りたはずだ。

学者バカだからおもいつかなかった?あるいは、心身ともに疲れきっていたからか。

もっとも、どれほどの時間短縮ができたかは、不明だ。研究所の見取り図、なかでも工場や保管室、会議室等必要な部屋は当然すべて記憶しているが、彦原もさすがに空き地までは把握していなかった。必要になるとはおもっていなかったのだ。

じつは。学者バカでも疲労困憊でもなく、いったんは上記の手法を選択するかで迷ったあげく、不確実性がネックとなってむずかしいだろうに帰結。

人も車も、遮蔽物のない屋外で変身ぶりをみられたらと、このときはまだ、そっちのほうが不安だったから。

他方、トイレは混んでいるとはいえ、個室の数もゆうに三十はある。案外、スムーズに(さば)けるかもしれない。

それにしてもかれは実直すぎた。とはいえ人間の性格たるもの、一様でも単純でもない。

菩薩の仁の心にも鬼は棲む。殺人鬼もわが子は愛おしむ。仁徳に満ちたひとといえども心底には鬼も住むように、性格に()る心理というのも微妙で不可解なものだ。せいかくには表現しにくいが、こういえばちかいか。

入りと出が同じ事態でないのはなんとなく馴染まない、逆に同じだと落ち着くというのか、納得がいく。そんな律儀にとらわれたからか。あるいは(たが)えることに具合の悪さを感じるというのは多少過剰表現だが、なんとはなしの違和感を、かれはおぼえる(たち)であった。

そんな性格がじゃまをして、自由な発想力のさまたげとなったのか。

…で、危機に瀕してしまったのだが。

ただあせりながらも、必死には、ならざるをえない状況だ。

生まじめが(かせ)となっていることにきづかぬまま、彦原はべつのことをかんがえ、切歯腐心(=ひじょうに残念におもうこと)していた。

腐心の内容とはこうだ。施設から検問所までに39メートルの直線道路があれば飛行車を最高速度にもっていき、飛行にうつれる。いやはやなんとも、せっぱ詰まったすえにでた、背に腹はかえられぬ的“窮余の一策“ではあったが。

21世紀末の科学の粋をもってすれば数瞬のできごと、研究所の人間がポカーンとして理解できないうちに完了してしまうだろう。しかしながら、広大な敷地とはいえ、それほどまっすぐな道路は、残念ながら現実にはない。

たしかに、前庭は広大だ。が、駐車スペースとしてすでに車で埋めつくされていた。しかも、いかにも米人の性格のまま、思い思いに。

数十分まえ、工場から施設へ移動するおり、目にしたのでまちがいない。

つぎに切歯扼腕(=歯ぎしりするほどに悔しがること)した。旧式米軍機オスプレイタイプの垂直離着陸型飛行車も技術的には簡単だった。

だが副所長といえどもさすがに、そのための資材調達はひかえざるをえなかったからだ。==いくらなんでもやりすぎや。それでなくても説明に窮する資材を購入しすぎてるのに==

プロジェクトの必需品としてそれらしくとり(つくろ)うのにさんざん腐心した、飛行車自体やプラスティック爆弾の資材購入をさしている。これ以上よぶんに調達すると、「プロジェクトに不必要な資材だ」との追及をうけたであろう。

経理や資材部いがいも怪しむにちがいない。それで断念したとの経緯があったのだ。しかしいまおもえば、詭弁を弄してでも購入をしいておくべきだったと…。

結局、個室にてもとの姿にもどるまでに九分強かかってしまった。それほどに費やしたというのも、個室に二分ちかくはいなければ、いくらなんでも怪しまれるだろうと。

この二分だが、別人と入れ替わったことを、トイレをまつひとに、「あれ?」とおもわせない時間として必要であった。なにせ、軍需秘密工場のトイレなのだ。警戒心はやはり強い。

で、時刻は二時四十九分十五秒。

なるほど、この間の九分という時間、みじかいに越したことはなかった。

だがかえって、精神的にはちょっぴり有効ですらあったのだ。悔やんでも詮ないことと、六分をすぎたあたりから徐々に気持ちをきり替え、むしろ前向きになれたからだ。

そんななかで、離陸予定時刻はギリギリで午後二時五十七分三十秒。

ドリーム号が被爆しない成層圏にまで上昇させるには、五分は必要なのだ。

作業完了想定時間および、トイレでの変装からの復元用時間など、若干の時間的余裕なら計算にいれていたつもりだった。が、その、予測していた最悪の作業完了時間からも現在、五分おくれなのだ。ということは、である。

核爆発までのタイムリミット、のこり十四分弱。離陸時刻までだと九分弱。往路に十八分かかった。復路所要時間を常識的発想で削減したのではとても間にあわない。

なぜなら、トイレをでて駐車場経由で検問所につくまでの所要時間が五分、それと疑似トラックが検問所をでてドリーム号に乗りこむまでの時間、このふたつを計算すると、逼迫(ひっぱく)、ではすまない状況くらい子供でもわかるからだ。

せっぱ詰まったすえにかんがえた。まずは五分を三分にちぢめるために、台車は放置()ったらかしにして駐車場まで走りに走り、そして車も検問所まで飛ばすことにした。もう、一秒たりともムダにはできないのだ。

このままでは、ヤバいではすまない。まちがいなく核爆発に巻きこまれてしまう。これからの時間短縮が、まさに生死をわけることとなる。

ところでこの前後の事態を冷静にかんがえてみれば、ここにきたことが天佑でも“天啓(­=天の導き)”ではなかったとわかるはずなのだが。

天啓ならばだいいち、なぜ窮地に(あえ)がなければならないのか?と。

どうやら天才はすでに、かれ本来の冷徹さどころか、平常心も損じていたようだ。

ただこのとき念頭には、九十九死の危機から脱し一生をえることしか、もはやなかった。わらをもすがる、溺者のように助かりたいの一心で、平素の我をいわばおしたおしていたのだ。

それはこのあと、旧ソ連の核兵器製造を阻止するために、であった。米ソの計画を粉砕すれば、それ以降の各国も所有できなくなるはずと。

これでようやく、人類滅亡の危機をば、回避できるのだ。

そのためには、やはりいまは死ねない。

たしかに、平静さにかける状態ではある。死の淵にたたされれば、だれでも精神の安定性はぐらつくであろう。だからいって、パニックに陥ってまではいなかった。

ことここにいたって、焦りに翻弄されている事態ではないと、左脳をフルにはたらかせていた。検問所をでた直後どうするかに、頭を切りかえたのだ。

当初の計画では、軍兵からみえなくなるくらいのキョリになるまではふつうの速度で地表を走行しようとかんがえていた。

だが、やめた、さすがに。

来所時は怪しまれるわけにはいかないので地表を走行したが、とにかく切迫しているのだ。もうみられてもかまわない、小型乗用飛行車をぶっ飛ばそうと。

軍兵がそれを発見し、そのあとどんな事態が発生しようとも、時限爆弾をみつけだすことなど時間的にもできるはずがない。

また不審車にむけ発砲した弾丸が、飛行車体を射ぬくこともできやしない。科学技術の格差は雲泥なのだ。軍兵がはっした弾丸よりも高速で飛行車は空を裂き、みる間にその姿をちいさくしているであろう。

しかしながらそのまえに、検問所をなんなく通過しなければならない。

で、できたとして、のこすところ六分弱で船に乗りこまなければならない。

だが検問所では、難な人物が立ちはだかるおそれがあった。出と入りのチェック人員を、午前と午後で入れかえるかもしれないからだ。イヤな予感は的中するとか。

たとえそうでも、短時間で切りぬけねばならない。逼迫しているのだ。どうにか入船したあとも走ってブリッジまでゆき、船を発進させるまでに二十秒、安全な高度にまで急上昇するにしても五分はかかるからだ。

それにしても、飛行車のコンピュータからの指令によってMCを稼動させる改造をしていて==ほんまよかった==

既述したように、本来なら、起動から発進まで三分かかるシステムを採用していたからだ。

最悪を、なんとなく想定していたじぶんに感謝した。MCをゼロから起動させたばあい、発進までに三分かかるシステムだったからだ。

改造がなければ被曝はまぬがれえない、それだけはまちがいなかった。

しかしそれでも、安心できる状況にはほどとおい。検問所通過直後の全速力による飛行、という予定変更でいっても、1944年十二月のアメリカとこれでようやくお別れ、できるかどうか。

いまの状態だと、彦原発の米国一部終焉にじぶんが巻きこまれることは確実だ。

いや、なんとしてでも間に合わせなければならない。

現段階においては、…悪夢のような三分オーバー。

またも検問所で時間を浪費されれば、犠牲となる天才科学者がかくじつに一人増える。

地球規模の視点からだとそれがたんに彦原というだけで、たいした問題ではない。しかしかれにすれば、まだ死ぬわけにはいかないのだ。

==せなあかんことが残っているんや!==

ただ、”マンハッタン計画“自体が、歴史から消えさることだけはまちがいない。これで、のぞみの90%いじょうは叶う。しかしそれでも、完璧とはいいがたい。

いかにも彦原らしい心配事だ。

執拗な記述だが、完璧を期するためには、いまはまず、なんとしても生きのこらねばならない。

そのうえで完遂のためにつぎになすべきは、英国を中心に欧州で暗躍するソ連に雇われたスパイ連中を封じこむことだ。

そのあとソ連にむかう。原水爆を製造した物理学者・化学者の命を奪うためであった。目的遂行上必要な最後の非道である。

ただし、米国においてなす大規模破壊までは、ソ連では必要なしとした。

1943年にスターリンの命で始動した原水爆製造PJTは、1944年十二月二十日現在、米国に比し、全面的に遅れていたはずだからだ。

核兵器開発の中心地であり、のちに閉鎖都市とよばれるサロフに、大々的につくられる予定の工場や施設だが、いまはあったとしても形ばかりにすぎず、破壊の必要性まではないだろうと。

なにせ、ソ連は“鉄のカーテン”(ウィンストン・チャーチル英国元首相の言)などのせいで、当時の情報もふくめ、それらのほとんどが後世にのこされていなかったのである。

だから核開発の進捗状況について、推察するしかなかった。

材料としては、ソ連がいつ原爆実験を成功させたか、につきる。

で、これについては正確な情報がのこっていた。

1949829日、セミパラチンクスの地にて、成功させていたのだ。米国の実験成功から、四年と一カ月いじょう遅れてはいたが。始動してからなら約六年である。

ちなみに米国は二年と十カ月であった。

スパイを駆使したにもかかわらず、ソ連はおおきく遅れをとっていた。ということは、今日の時点では、サロフに建設中の施設だがそのなかみはカラッポだ、となる。

蛇足ながら、彦原悲願の完遂とは、地球上の核兵器の完全消滅である。そのために、米国内において八百枚ものプラスティック爆弾を設置してきたのだ。

だが悲願達成まえのうっとうしい現実。

やはり、不安は的中した。入所まえに二十分ちかくも足どめをくわせた例の軍曹が、検問所のバラックのなかから、さきほどの台帳に出所時間を記入しろと指でしめしたのだ。

すでに、はしってバラックにまで来ていた彦原はいわれるがまま記入、しかける。

と、かれのようすを見つつゆっくりとタバコの煙を吐いた口がムズムズ、なにか言いたげだ。

安物のくさいタバコにむせながら彦原は、つい腕時計をチラ見した。

「随分時間を気にしとるようやが」ゴリラ然は目と口元に卑猥な笑いを(たた)え、「帰宅後はデートか?そんなら一刻も早う帰らんとなぁ、シャワーもあびんといかんし」とからかった。

==また、こいつに時間を浪費されるンか!==バカにつきあっているひまはない。

「そんなところです」ごまかすための歪んだつくり笑いを呈したことで、プライドをおおきく傷つけた。しかしキャラクターにないことをするのも、このさい、いたしかたなかった。「すみませんが急ぎますんで」頭をかいてみせた。

テレ笑いと解した軍曹は「うらやましいねぇ…」とウインクし、「そんな大事な用事が…」下衆(げす)の薄笑いをうかべたあと、「あるのに、納品だけにしちゃあえらく時間がかかったなぁ…」急に真顔になりたずねた。返答しだいでは足どめし、調査すらしかねない色をにじませて、だ。

ゴリラ似下士官の豹変にとまどい、一瞬へんじに窮した。つめたい汗がまたもや背中をドッとつたい、ひたいにも粒となって噴きでた。

「いやぁ、まいりましたよ、偉い学者先生に(つか)まっちゃいまして、あれしろこれしろと雑用をいわれ、弊社としては、お得意さまの要求をことわるわけにもいかず、ほんと、往生しましたよ」

それらしくバーチャル映像の頭をかいた。じっさいの頭は、否そればかりか、もはや全身が冷汗にまみれていた。

それもムリからぬこと。これから起こる、人類創生以後ではおそらく地上初の大惨事に巻きこまれかねない事態、なのだから。

「なるほど。そりゃ災難やったなぁ」といわれ、==災難なんは、お前の存在や==とよほどに返そうかと彦原。しかしそんなことをしている場合では、もちろんない。

ムダな会話でまた、一分五十一秒も浪費した。おかげで、宇宙船に乗りこむまでのこり四分弱となってしまった。

ところで本物の災難、いや人災・厄難の源は彦原である。

爆弾を仕掛けた四カ所合計でニ万をはるかに超える人(シカゴ大学はすでにクリスマス前の冬休みにはいっており、しかも校内は広いので被害者は限定的だろう。だがハンフォードの秘密工場では、一説には一万人以上が就労していたとも。しかも大半がワーキング・プアなため、家族と敷地内の粗末な家屋に住んでいた)からみれば、彦原をこそ“悪魔”とよぶくらいでは手ぬるいと叫ぶだろう。

しかし、軍曹はそんな彦原を目のまえにし、八分半後、本物の大地獄にみまわれることなど露しらず、他人事(ひとごと)のようにヘラヘラ笑いつつ、いじわるにも、(おもむろ)に合図をした。

ひとりじれる彦原を尻目に、やっとゲートが開いたのである。いよいよ三分半のみ。

しかし、もうジャマものはいなくなった。­­==あとはこっちのもんや==

飛行車が、1秒強で全速力に、点を目に、いや、目を点にしたゴリラ顔をのこして。

さて、人事をやりつくしたいま、あとは、天命?を期待したのだが…。結果は、いずれのこととなる。

ところで、自分の所為のせいで云々と。

しかし、いまさらいかんとも…なのだ。もはや、止めようがないのだから。

==この期におよんで、逡巡すべきやない!==なぜならすべては天啓であり、大虐殺がうみだすその帰着は天佑なのだ。

目的達成を手だすけするがごとく、絶好の年月日につうじるワームホールを現出してくれたのだから。

四十六億年(地球誕生から現代まで)の悠久の時間のなかから、まさにピンポイントの時を天が選出してくれたのである。

これはもはや人事をこえた、不可思議のなせる(わざ)としかかんがえられない…。

彦原は、ワームホールの予兆がでたその瞬間、そう確信したのだ。否、それでは正確をかく。

矛盾するのだが、じつは確信しきれなかったのである。だからこそ、宇宙においても、懊悩しつづけたのだった。

おもえば、1944年十二月十五日の地球につうじるワームホールにはいるまえ、計画完遂がひき起こす地獄絵巻についてはもうかんがえないようにしようと。

それはもはや考慮しつくし、“必要悪”と決した、はずだったからだ。千二百日近く、明けても暮れてもの自問の日々に、このまま気がふれてしまうのではないかと危機感をいだいたほどだった。

しかしそこまでおもい詰めたからといって、ゆらぐことのない正しい答えがでたわけではなかった。

それどころか、三年と三カ月余をかけてだした結論は、==万人が納得しうる正解なんてえられへん==だった。

目的達成のための所業、それを「悪魔の所為!」と目のまえで断ずる他者の意見にもし接したならば、彦原は反論する術すら有しえなかっただろうとも。

なぜならその意見こそ、まさに正論だからだ。

それでもなお、人倫において道断の、作戦実行と決したのである、人類のために!

なのに…嗚呼。