それにしてもと安堵しつつ彦原。検問所の鉄製のごつい門をとおる、たったそれだけなのに、おもったいじょうに時間をくってしまった。しかしながら…、
たいへんなのは、じつはこれからである。玩具としてゴリラ似軍曹に玩ばれた二十分弱をとり返さなければならなかった。かれが所内に持ちこんだ三百五十ものカードタイプのプラスティック爆弾、2095年の科学技術を駆使したおおきな威力の爆弾を、要所要所にセットするための貴重な時間を大幅に浪費させられたからだ。
ところで、コンポジションB改造型プラスティック爆弾にしたのは、強大な破壊力にもかかわらずきわめて軽量で、しかも不測の事故がおこることはまずない、との理由によった。
分離薬液混合方式爆弾(隔離したふたつの薬液を混合させると化学反応をおこし爆発する)タイプもある。このほうが破壊力はさらにおおきい。
だが、つくる数がおおいぶん構造上不良品ができやすく、となると不発弾や不慮の事故も想定される。それにくわえ、液体は量がかさむとけっこうなおもさとなり、機動面で足を引っぱりかねないとのさらなる負の側面も。
プラスティック爆弾のほうが無難だったのだ。
いずれにしろ、時間との戦いである。あくまでも、たてた予定ではあるが、午後二時四十四分までに検問所をでなければ大爆発に巻きこまれる可能性もでてくると。
検問所から施設まで車と徒歩で三分かかった。予定している離陸までののこり時間は、六時間と三十九分だ。研究所から宇宙船までの所要時間、往路は十八分だった。復路の同所要時間、プラス、最大六時間三十分かかるとの全作業完了想定時間を考慮すると、約二十分の浪費は死活問題に直結する。彦原はあせった。
かれのはげしい鼓動を嘲笑うがごとく、腕時計の秒針がチッチと急きたてるように時を刻んでいた。
ではなぜ、多少なりとも余裕をもてる工夫をしなかったのか?
かれとて、むろんそうしたかった。が下調べで、検問所は業者にたいし特別な事情や予約でもないかぎり午前八時以前の開門はしないとしった。といって、退去の時間を遅らせるのも困難と判断したのだ。
その、大爆発圏外に身をおくための、彦原の退去の時間とは。さらには、遅らせられない理由とは?
これには、多少の説明が必要となろう。
かれは、マンハッタン計画にたずさわっている全科学者にたいし、それぞれに来集の時間厳守を命じた。それは、下院議員への説明に必須だからと理由づけするためにだ。
そのさいの、所長ならではの返答を斟酌(相手の事情や心情をくみとる)してみた。
所長オッペンハイマーはドイツ系の堅物ゆえに、核兵器の一から十までズブの素人の下院議員(政治家といえども、1944年当時、まだまだ核兵器には無知であった)を納得させるには二時間いじょうは必要だと、准将にそう主張するにちがいない。
なぜか?疑問だらけのままの素人にたいし、時間がきたから説明会を打ちきる、なんて、所長はとてもしそうにない。一流科学者としてのプライドがゆるさないはずだから。
そこでもんだいとなるのが、説明会の開催時刻だ。午後三時半以降では、所長は了承しないだろうと。かんたんな計算だ、最短の終了時刻でも、午後五時半をすぎるだろうからだ。
よって、所長がギリギリ譲歩するとしても、三時開催であろう。
先刻の電話でのやりとりの最後にて、案の定だった。
結局、午前八時も午後三時も、どちらもうごかしがたい、とあきらめたのだ。
よって彦原の、工作や移動をふくめた最長の持ち時間は七時間となったのである。
あ、老婆心ながらここで読者にもうしあげる。下院議員は、ただのひとりもやって来ることはない。あくまでも、科学者たちを来集させるためのフェイクだからだ。むろん、読者をだます意図はない。
さて、いますぐにでも工作にとりかかりたいのだが、これからのこととして、ほかの心配事、あげたらきりがないが、そのじつ、だらけなのである。
高地でしかも広大な研究所ゆえに、移動や爆弾の設置だけでも並大抵ではない。さらに別の不安も。
じゅうぶんにありうる、作業中の不測の事態だ。研究員や職員から仕事をたのまれる、あるいはおかしなうごきを見咎められる、などだ。最悪の事態も想定し、そのときどきの対処法もあらかじめ決めてはおいたが。
なかでも、かんがえたくもない最悪の対処。それは爆弾セッティングの途中で犯行を見咎められたときのことだ。さほど捗っていないうちに封じこめられたばあい、自爆できる起爆用リモコンも持ってはいる。
もんだいは、それでも広大な研究所全体を、木っ端微塵に爆破・消滅させられるかどうかだ。小型とはいえ、お手製のこのプラスティック爆弾はたしかにおそろしい威力ではあるのだが、目的の完遂ができるかどうかまではわかりようがない。
==かんがえたらきりがない==心配してもはじまらないということだ。
もはや、天恵を信じて実行するしかない。憂慮は作業の支障にしかならないとそうきめ、無理やり不安を断ちきったのだった。
もとより、最終的には命を惜しむつもりはない。完遂できれば、自爆テロでも莞爾(笑顔になる)として受けいれてもよいと。しかし、こんかいの工作で目的を完璧にはたせるわけではない。
ソ連側の開発事業を粉砕できなければ、禍根をのこす可能性もわずかながらあるからだ。ともかく、あせってヘタをうたないようにと自身に言いきかせた。困難をともなうことは覚悟のうえなのだ。
ところでこれから取りつけるプラスティック爆弾は、かれが各所に数日かけて仕かけてきた物品とおなじだった。時間節約のため、八百枚すべて、きょうの午後三時三分にタイマーセットをしておいた。時限装置の成否においては実験ずみで、故障などの心配はまったくない。
彦原は、ダンボールにいれておいた時限装置つき爆弾三百五十枚を、それごと台車にうつした。ちなみに1944年製の台車をつくるのはもちろん初めてのこと。押すのもここ数日の経験であった。
標高2200Kmの高所で動きまわらねばならないため軽量にしたかったが、当時の仕様だと、みた目からして頑丈になってしまう。そのぶん、意に反しすこしおもくなった。
いよいよ作業開始だが、そのまえに怪しまれないため、トイレで所員に変装することに。他の所員から雑用やてつだいをたのまれる可能性は、業者にくらべ、すくなくなるだろうし、行動範囲の制限もほとんどないはずである。それに会議室などで見咎められることもないからだ。
ただ、個室のドアはアメリカ式、つまり下部が開口しているため、便座にのって変装しなければならなかった。だれかにみられないための用心だ。二種類ある所員の制服を先刻、ハイテクスーツに仕こませたカメラで撮ると映像化し、データとしてインプットしておいた。
あとはどちらの制服にするかを映像でえらびエンターキーを押すだけでよかった。十秒後にはマイコンが作りだしたバーチャル映像に切りかわる、という仕組みだ。変装はすぐにすんだ。もはやだれがみても、ロスアラモス国立研究所の所員である。
爆弾を、まずはけっこう広いトイレにひとつ設置した。21世紀末の科学力をもってすれば、小も大をかねる、となる。ちなみに、大小とトイレをかけるような品のなさは持ちあわせていない。さて、
いよいよ、これからが時間との勝負だ。広大な研究所の図面はすべて記憶している。これも事前調査ですでにわかっていたが、入室を避けるべき部屋はおおい。所長室をはじめ、各保管室・倉庫・資料室、だ。すべてに監視員が配置されている。入室理由をとわれたり入室時にうしろからついてこられたりすれば面倒だからだ。
それらの場所は、出入り口とは反対の壁におおめに埋めこむことにした。各工場にも監視員はついているが、こちらはさすがに中までついてくるとはかんがえられない。入場者ひとりひとりにつけていたら、それだけで数百人の監視員が必要となるからだ。
だいいち、通常作業の邪魔になり、従事者たちの就労効率を低下させるだろうと。
さらには、以下のことも当初からの計画のうちにはいっていた。MCにつくらせておいたマスターキーは保管室など以外の他の場所では役立つはずだし、移動時は走りまわらなければならないからと、強化プラスティック製にしておいた。
すこしでも軽くて、しかも金属音を発しないものにしたのだが、おかげでさきほどの金属探知機をパスできたのだ。もっとも彦原は、それをしらない。ただ経験に依らない閃きにより、結果的に危難を回避できただけである。
事前に彦原が直感したように、はたして、天啓なのだろうか。いや、どうもそれは…。
ともかく、トイレをでると経路にしたがい、各休憩室兼食堂、各工場・保管室、会議室、各実験研究室・資料室・倉庫、所長室、各トイレ等々へ、状況に応じ、片っぱしからセットしていった。
このなかには、とくに肝心の個所が数種ふくまれている。ひとつは会議室で、ほかは各工場・保管室・実験研究室・資料室である。
保管室とは、プルトニウムとウラン235、およびこの十二月中旬に完成したばかりの爆縮レンズなどを格納している施設である。
ところで爆縮レンズとは、原爆において核分裂反応を発生させるための、欠くことのできないアイテムである。
それゆえ、1944年十二月十五日の地球に帰着できることに、彦原が随喜の涙をながし天の計らいとかんじたのだが、それは、完成直後の爆縮レンズがロスアラモス研究所にて試験されるとしっていたからでもあった。
ちなみに、帰着がはやすぎてもおそくても天啓をかんじることはなかったろう。はやすぎると、科学者たちをロスアラモス研究所にあつめることはできなかった。おそすぎると、ソ連に情報が渡りすぎてしまったにちがいないし、そうなれば手間がふえ、破壊工作の範囲もひろがり死者の数もおのずとふえることとなる。
帰着日が翌年の八月六日以降なら論外だった。
ところで科学者たちには、資料持参で会議室にくるように指示をだしたが、すべての資料を持ってくるとはかぎらない。それで資料室についても、彦原はあらかじめきめていた、跡形もなく破壊してしまわねばと。
また個別に作業をすすめている実験研究室にも、膨大なデータがあるだろうし。
しかしどこよりも肝心なのが、集合完了時間を午後三時とした会議室である。
マスターキーで入室すると、入念にそしておおめに設置した。
厳命をうけた科学者たち、指定時間までには全員が揃うにちがいない。
ときに、まだ空室だった会議室での作業をおえた時刻は、十一時六分だった。
彦原がそうであるようにみなも急きたてられるようにして、忙しくじぶんの持ち場にて仕事に没頭していた。だれも、他人の行動に気をまわす人間はいない。
おかげで、見咎めるどころか不審におもうものすらいなかった。いっぽうこの中に、ソ連のスパイ、デビッド・グリーングラスが勤務している。それを途中、人事課にて適当な理由をつけ確認もした。
第一工場から第二工場へさらにつぎへなど、はなれた場所への移動は研究所内のトラックを利用するしかないと、べつのマスターキーでエンジンを起動させた。もんだいは運転だ。スマフォ内蔵のマイコンが音声でおしえるとおりに操作した。
が、当初はギヤチェンジのさい、なんどもエンストさせてしまった。百五十年まえの車など、さわるどころか、みたことすらなかったからだ。すぐにあたりを見まわした。
さいわい、人影はなかった。おかげで研究所の従事者に、そんなドジを見られずにすんだ。やはり天恵か。なんといってもここは、戦時下における最高軍事機密の国家プロジェクト研究所内である。もし目撃されていれば、すぐに怪しまれたであろう。
なにはともあれ、六時間あまりのフル稼働だった。高地で重労働をこなせたのは、三年三カ月余、船内の酸素量をわざと三分の二強に設定して作業などをしてきたおかげであった。
なにがなんでも検問所でのロス時間をとり返そうと、体力と気力にまかせ駆けずりまわるようにして、三百五十枚をすべて所定の場所に配置しおえた。
で現時刻、十四時三十五分。爆発まであと二十八分。
なんや!その時刻表示は。余裕ジャンと読者は云々。ハリウッドアクション映画なら、0.1秒まえのギリギリで、やっと危機脱出、があったりまえのパターンなのに、と。
だがそのじつ、まだ越えねばならない山がかれにはあった。だから、いまだ、おおいなる危険と背中あわせの状況なのだ。間にあってくれよと、おもわず祈ったのである。
先刻のトイレにて、ハイテクスーツを活用しての、復元に要すると想定した時間は四分。多少のこみ具合を計算にいれ、その時間を差しひいて、のこりを二十ニ分とみた。
もんだいの、復路の時間も短縮できれば、なんとかなるかもしれない。
ガンバッた甲斐あって、計画時の想定より、十六分はちぢめられたと彦原。そのかわり、十二月の寒冷のした、汗まみれになっていた。
ただ検問所での冷や汗とちがい、その汗には、達成感があった。
だが意外だったのは、ちいさかったことだ、ありえぬほどに。過小すぎる達成感よりもむしろ、彦原の…
心をほぼおおったのは、みるまに膨張してしまった自己嫌悪であった。
なんの前触れもなく大挙あらわれた暗雲、驚くまもなく天空を墨色で蔽いつくし陽光をかんぜんにさえぎる雷雲のごとき、自己嫌悪はまさに…心の黒い穴であった。
急をつげた風雲ははたして、凶事たる雷や竜巻、そして破壊的豪雨を呼びおこしてしまうのか。
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