あけて、十二月二十日水曜日午前八時。快晴だが、高地であるため外気温は4℃。かれは、当時のバンタイプの中型トラックに姿をかえた小型乗用飛行車を運転している。
コードネームで”プロジェクトY“とよばれたロスアラモス国立研究所の検問所手前にとめると、わかい警備兵に偽造の身分証と入所許可証を提示した。それは、あと七時間半後に実験用具や資材をはこんでくる予定の、ゼネラル・エレクトリック社の社員にれいによってなりすましてのことだった。
同社はデュポン社などと同様、同計画の参画企業である。
「いつものやつでも車でもない。社名もはいっとらん!」しろい息とともに大声で文句をはいたのは、検問所のバラックからのっそり現れた2メートルはあろうかという大男。その体型、そしていかつい顔までがゴリラににた四十手前の黒人軍曹である。疑いの眼でジロリみた。
「もし、わが社にかかってきた電話を盗聴されていて、ナチのスパイに襲われでもしたら大変です。だから予定よりも七時間半はやく、しかもそのことを連絡せずにきたのです。また、いつもの人間が運転していたら、頭のいいスパイなら、社名がペイントされてなくてもわが社の車と見ぬきかねません。それでこれからもですが、運転手も時間帯も車もかえて参上します」不審がられたときのためにと用意していた、呼息もしろいセリフだった。
そとで警備していたわかい兵をさがらせたゴリラ似軍曹は、「それはよい心がけだ」あっさり疑いをとくと、それでも車体を凝視しながらうしろの荷室のほうへゆっくりと歩をすすめた。
「ま、待ってください」彦原はあわてた。外見はごまかせても、触感まではダマせない。軍曹が外見はゴリラそっくりでも事実はそうではないように、この車も外面だけである。荷室のドアをあけようと手をのばせば、疑似映像のなかに疑似ゴリラのくろい指がはいりこんでしまうことになる。…そうなれば、軍曹は躊躇なく銃をぬくにちがいない。
雄大なロッキー山脈の東40~50Kmに位置するサングレ・デ・クリスト山脈。
その稜線からでてすっかり成長した十二月の朝日。寒光を浴びてつめたく輝くくろい銃口が火を噴く、そんなおぞましい光景が3D映像で、彦原の脳裡にて形成された。背筋を冷汗がつたった。
「か、鍵がかかっています!軍におさめる品々ですから」
「それもそうだな。なら、鍵あずかろうか」緩慢なうごきの軍曹はふりむくと足をとめた。
「いえ、ぼ、僕があけますから」
ゴリラ然は首をかしげると、不審げに眉をしかめた。
「…鍵のぐあいが悪いんで慣れないひとだとイライラするだけですから。少々お待ちを」想定外の危機に、正直あせった。彦原にとっては、まさかの足どめというだけではなかったからだ。身分証と許可証の提示で簡単に通過できると、迂闊にもそう軽くかんがえていたのである。
なぜなら、シカゴ・パイル1号などの施設で、先日まではかんたんに通過できたとの事由によった。もっともそのときは、准将というおおきな肩書がものをいっていたわけだが。
くわえての経験。2095年のX社副所長として毎日の入所時においては、IDカードの提示すらしなかった。研究所前無人のチェックゲート通過時、センサーに連動したコンピュータが指紋認証と虹彩認証で、瞬時に本人確認をしていたからだ。
X社の社員以外の入所においても、事前登録しておけば指紋と顔面と静脈位置によって、瞬時に人物認証をするのである。ただしそれには、入所の三日前にきびしい身分照会をうけたうえでの事前登録が絶対条件なのだが。
ぎゃくからいえば、事前登録のないものはゲートのむこうへは一歩たりともすすめない、ということだ。銃器や爆発物所持なら、なおさらだった。
そのきびしさは、パスポートを提示する出入国時の比ではない。それでも絶対、はなかった。厳重にしていたはずの研究所にもスパイが数人もぐりこんでいたからだ。
ただ、強行突破などは絶対にさせないシステムとなっていた。たとえばゲートを破壊し警告を無視して侵入しようとすれば、とたんに麻酔注射が首筋の動脈や大腿部などの静脈に命中するしくみだ。もし防御用の装備をしていれば、スタンガンを応用したシステムが機能する。高電圧の静電気を対象者にむけて放電し気絶させるのだ。ロボットや車などにたいしては、感電によるシステム障害でうごきをとめる仕掛けとなっている。
十重ニ十重との表現は過剰だが、それでも、たとえば戦車やロケット砲などにたいしても、防衛専用静止衛星から電磁光線を照射し機能不全にするという完全防備をしいているのである。
もっともいまだかつて、映画のようなそんな場面は一度もなかったが。
というわけで彦原は、一度も足どめをくうことなくかんたんに検問を通過してきた。いわば、それに慣れっこになっていたのだ。
そんなこんなで、IQ161超(推定200)、頭脳明晰と自他ともにみとめる彦原でも、こんな凡ミスをおかしてしまったのだろう。かんがえてみれば、MCがてつだったとはいえ、基本的には立案・準備・実行をひとりでこなしてきたのだ。無理からぬともいえた。また、どれほどの天才でも人間であるいじょう、ミスをおかさないことなどありえないのだ。
入念だったつもりだが、計画はしょせん頭でかんがえただけの、そして二進法がつくりだした架空にすぎなかったのか。しかし実態は、彦原が本来のかれではなくなっていたからでもある。
過誤なき企画だったはずとおもわず息がもれた。嘆息だったようだ。==一瞬やったけど、正直あせった。それにしても咄嗟にしてはうまい言いわけをおもいついた==ものだった。
そんなわけで、これいじょうはムリという早業で、天才は荷室のドアをあけた。
とうぜん、荷室をみせること自体、想定外の危機…、のはずだった。だが、所内にてつかう事態がおこるかもと、ポケットにしのばせておいた疑似3D映像発生装置のリモコンを左手に隠しもち、入力したのだった。ドア開放も荷物のセッティングも、頭でおもいえがいたイメージを具現化できるので、瞬時で疑似3D映像をつくりだせたのだ。
18㎡ほどの荷室、一瞥しただけで、あついクッションのうえに固定した荷物がどんなものかわかりやすいようにした。つまり、固定した機材類を箱にはいれず剥きだしになるよう、また、荷物の前後左右の間隔をあけておいた。瞥見で見とおせるよう、リモコンでそのように入力したのである。むろん、触らせないためにだ。ぎゃくに、宇宙船からもってきた大量のあるもの(後述)は目視できなくしてある。
剥きだしの荷物に大男はおどろき、「なぜか?」との質問をあびせた。いちいちのチェックの煩わしい手間をはぶくためですとのこたえに軍曹は鷹揚にうなずくと、荷室に隠れひそんでいる人間や武器・爆弾などの不審物がないことを視覚で確認し、念のため助手席側も確認しようと足をむけた。相変らず、図体がデカイぶんうごきは鈍い。
彦原はおかげでたすかった。疑似3D映像発生装置のリモコンをつかってドアをしめ、慌てて軍曹のまえへとダッシュし、いそいで助手席のドアをあけると、要求されるまえにダッシュボードのポケットのなかもみせた。外気温4℃というのに、ひたいにも背中にも汗が噴きでている。が、外見ではわからない。
「O・K」とゴリラ然は小さくうなずいた。これでけりがついたと安心した彦原は、むこう側にまわって乗りこむと発進させようとした。と、
「待った!」軍曹が大声で制止した。そして直後「降りてこい」と命令した。
予想外の制止をくらった彦原。しかも大声で「降りてこい」との否応なしの命令。なにか重大なミスをおかしたのか、と戦慄がはしり、鳥肌がたった。同時に、またもや冷や汗が背筋をつたったのである。だが、命令には従うしかなかった。
これいじょう怪しまれると、二十一年強費やした計画は破綻しかねないからだ。このときもありがたいことに、スーツが威力を発揮した。ひたいの汗も動揺している目のうごきも、そとからは目視できないつくりのおかげだ。
動揺をもし見すかされていれば、ホールドアップ直後に身体検査されていただろう。《一巻のおわり》である。
ところで軍曹がとったさきほどまでの行動。実体どころか、コードネームもむろんこの下士官のしるところではない”マンハッタン計画“の機密漏洩防止のため、上官から厳命されたものだった。とくに業者などの入所者は、その不審な言動や怪しいそぶりを見きわめろとの厳しいお達しをうけていたからだ。
そのためにいったんは安心させ、そのあとで動揺させるという手口をもちいたにすぎなかった。うえからの命令に従っていただけだった。
しかし彦原は、二度も想定外なことがつづいたので戦々恐々である。最悪のばあいは、飛行車を活用して強硬手段にうったえようと腹をくくるしかなかった。
それにしても隣のゲートでは、顔と身分証と車内部のかんたんなチェックだけでひとと車がつぎつぎ通過していた。研究所の従事者たちだろうか。うらやむのは詮なきことだとはわかっていたが、それでもいまいましく憎たらしかった。
そんな彦原にむかって、巨漢は先端に直径20cmくらいの黒い円板をつけた装置で、服のうえからスキャンしだした。
両手をあげさせられたり股をひらかされたりしたが、天才はそれが金属探知機であることをしらない。かれがうまれる十五年ほどまえに、この形状のものは地球上から消滅していたからだ。
それで彦原には、ゴリラ似軍曹が実施した身体検査の内容まではわからなかった。
ちなみに金属探知機の活用は銃を隠しもっていないかしらべるためで、軍曹のアイディアだった。身勝手な理由によるのだが、巨体なために、たんに身を屈めたりするのが億劫なのと、男の体にさわるのもイヤだったからにすぎない。
このてんでも、彦原は幸運だった。もし、触角による身体検査をされていたら…。未来からきた天才科学者は、まちがいなくスパイとして銃殺され、二十世紀中期の露と消えていたにちがいない。
X社研究所でもチェックゲートをとおるときはとうぜん、金属探知装置の精査もうけている。だけでなく、透視スキャンする身体検査装置で、衣服や体表皮はおろか筋肉ごと、いっきに身ぐるみ剥がされている。体内にしこんだ武器や爆発物などもだが、おもに盗聴盗撮機器の有無を精査するためだ。
同時に、同様の荷物等検査装置で、カバンやリュックなどに携帯不許可物(防毒マスクなども)をしこんでいたとしても、事前摘発してしまう。
ただし、なにも問題のない被験者が、スキャンされたとかんじることはまったくない。
ときに彦原は、つくったばかりのハイテクスーツを着て本人になりすましチェックゲートを通過した。本人になりすまし、はへんな表現だが事実そうしたのだ。
過去の地球における必需品として、まずは研究所内に持ちこむためである。想定したとおりうまくいった。彦原本人だったからである。
チェックゲートでは同時に人物の認証もしている、と先述した。だが、厳重な検査であるにもかかわらず入所者は無造作にゲートをとおるだけですむ。痛くも痒くもない。帰りも機密情報を持ちだしていないか、ゲートが瞬時に精査してしまう。
この厳重チェックは貨物類の搬出入時もおなじだった。透視できない鉛製の箱などにいれた精査できない状態のものはもち込めない。ということは、もち出しもできないことになる。
ところで、これほどの検査をしていたにもかかわらず、それでも盗聴盗撮機器をもち込んではもち帰るスパイのやり口とは一体どんなものだったのか?と。一瞬首をひねった彦原だったが、専門外の知識には正直なところ、うとかった。
しかし、いまはそんなことを考えているばあいでは、まったくない。なんとしても、目のまえでとうせんぼをしている憎きこの門番のよろしきをえなければ、目的を達成できないのだ。それはじゅうぶんにわかっているのだが、毎朝の出勤時のような平常心ではふるまえなかった。
疑わしい眼をむけてくる監視員も未経験なら、このように大仰な検査をうけた経験もなかったからだ。まごつくな!というほうがムリなのである。
ただし金属探知機によるこんかいの検査は、銃をもってなかったのでかんたんにパスできた。ハイテクスーツやさきほどつかったリモコンていどの少量金属に反応するほどの、精巧な探知機ではなかったからだ。
やっと解放されたと、細くちいさいため息をもらしながら車に乗りこもうとした。
「ドントゥムーブ!」巨漢が、さきほどよりさらに大きな声で怒鳴った。
こんなときは、指一本うごかしてもいけない。即座に、寒気のせいではない鳥肌がたった。
ドギマギして、おもわず立ちすくむ。ポケットに隠したリモコンがバレたのかと、刹那に善後策をめぐらせた。だが、どこにも隠すところはない。米国における最終目的地にはいる寸前で、文字どおり立ち往生するのか。
天才科学者の心臓は経験したことのないはげしさで拍動し、のどは大砂漠を彷徨う冒険家のように乾ききっていた。まさに、進退ここにきわまったのである。
ところがゴリ軍曹は、ビビらせたことで楽しませてもらったといわんばかりにウインクしながら、「入所者名簿への記載、わすれとるぞ」と左手の人さし指でバラックをしめし、そのあとつきだした右手の親指だけをニュッと立てた。
気ぬけがさき立ち、いっぽう腹は立たなかった。が、生涯初のとてつもない緊張感からどうにかこうにか解放された彦原はきゅうに力がぬけ、へなへなと腰が砕けおれそうになったのである。ただただ、米国人特有のちゃめっ気顔が小憎らしかった。
彦原はなんとかバラックまで小走りし、社名はもちろん、偽造許可証とおなじ人物名をしるした。
おかげでスッとゲートがひらき、かれはやっと胸を撫でおろせたのである。
「すまんかったなぁ、これも役目と理解しゆるしてくれ」そういうと、目のまえをいく彦原にちいさく敬礼したのだった。
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