とめどなくながれる涙に、夫はハンカチを手わたすと、悲しみと慈愛の眼差しでより添ってくれたのだ。うち震える肩には、さりげなく情愛の手が背をさすったのだった。さらにやさしい声が、哀惜や辛酸でみちた心をなぐさめてくれる日々であった。
とめどなくながれる涙に、夫はハンカチを手わたすと、悲しみと慈愛の眼差しでより添ってくれたのだ。うち震える肩には、さりげなく情愛の手が背をさすったのだった。さらにやさしい声が、哀惜や辛酸でみちた心をなぐさめてくれる日々であった。
それでもこのときはまだ、救いはあった。創薬に忙しいさなかも、夫が支えきってくれたという真実。
こういう事実、だからだけではないが当然のこと、愛息の死のときも精神の錯乱は(比較できないが)ひどく、また長くつづいたのである。
だからこそ支えあっていた夫婦の絆は、いっそう強固になったともいえるが。 いっぽうで、家族という視点からすると、寂しいかぎりの三人きりでしかなかった。
だが、夫婦ともにそういう存在はいなかった。こんなとき身近での頼れるひとがいないというのは、残念なことである。不幸ですらある。
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