たとえば現場は“殺し”だとし、だが上は事故死だと判断すれば収拾がつかなくなる。そんなこと、だれが望みますかとつけくわえたである。
だが、それはお宅らの都合だとして、負けじとかのじょはとことん粘ったのだった。
たとえば現場は“殺し”だとし、だが上は事故死だと判断すれば収拾がつかなくなる。そんなこと、だれが望みますかとつけくわえたである。
だが、それはお宅らの都合だとして、負けじとかのじょはとことん粘ったのだった。
ところがだった、
現場の判断を尊重しそのままを採用する、「それがわが署の方針です」とこのときも断言したのだ。つづけて、あろうことか面会すらも拒絶したのである。
現場と、その報告をうけた上層部、署内で見解が食いちがえば混乱を生じさせるだけだ、といいたかったのだろう。
ついでいった。隣家の幼児によるけたたましい泣き声をほぼ毎日耳にしているひとがいて、「これって虐待でしょう?」との通報があればこれをうけつける、なども警察の役目のはずだと。
市民からの、犯罪の可能性をうたがう声が届いたら、調べるのも警察の仕事だと、当然を発したのである。
いっぽうの担当官は、言葉つきこそ柔和ではあった。
がしかし、ベテランたちの言動にすっかり得心してしまっており、被害者の妻に耳をかたむけるなどは、はなからするつもりなどなく、したがってまさに耳栓をしている状態だったのである。
「もう結構です!」とは被害者の妻。ついに口角泡をとばしたのだった。「あなたでは話しにならない!いちばんの決定権があるのは署長さんなんでしょう」
そのひとに聞いてもらうから「そこへ案内しなさい!これは善良な市民としての権利です」と、睨みつけつつ発したのだった。
いっぽうで、どうしてわかってくれないの…、信用してくれないの…。これが被害者の妻の、真情そのものであった。
ちなみに“若造”と宣(のたま)ったこの猛々しい表現。
ところで普段のかのじょには、まったくもって似つかわしくない。だがそれは、ぶりかえした憤怒のせいでもあった。
これには「なるほど」「さすが」と、全員が納得や賞賛をしたのである。
赤木妙の懇願が受けいれられなかったのは、元刑事のこの発言にもよったのだった。
それにしても若さは、忖度とは無縁なのか。斟酌においてはなおさらか。
「深酒が原因の事故なんて、世間体がわるいですからねえ。あなたの立場としては、よくわかりますよ。ですが」といったあと、
すこし迷いつつも、「これくらいはわかってほしいのですがね…」で一息つき、それからおむむろに口をあけた。眼光はこのとき、鋭くなった。
「映像はウソをつかないのですよ、ちがいますか」こう、きっぱりいい切ったのである。
ところでいまの言動をもふくめ、=この若造が!ただマニュアルに従っているだけのくせに!=厳しくなった眼光に負けまいと、かのじょは心底で息巻いたのだった。
こんな個人的感情やスタンドプレイ、ほかのだれにとっても迷惑な話しではあるが。
それでも、どういうことですかと訊く課員にかれは、スーツ姿、年齢、おおきな紙袋なども推量の糧だとし、事故にあった昨日が定年退職の日だったのだろうと教えたのである。
「しってるだろうけど、送別会に、酒はつきものだから」と、それこそ確信ありげな笑顔でもって。
というのも、被害者が男性の高齢者には似つかわしくない大きな花束、それを所持している姿が映像としてのこっていた事実があり、
ちなみに映像はドライブレコーダーから得たもの、で、
当たりまえだが、それをみた捜査一課の元デカだったベテラン警察官は、
「被害者は千鳥足だったがその理由ならば、“花束”で察せられる」
とまず、謎めいた説明をしてみせた。交通課へ花形の部署(捜査一課)から落とされた惨め、だからかれはじぶんの力量を示すことで、皆の気をひきたかったのだ。
しかしそこまでの言動にもかのじょは、「夫は老後の健康のため、テレビ番組でお医者が推す健康管理法を参考にし、また仕事への支障もなくすため、外での飲酒はとくに控えていたのです」
このように、まこと一途に訴えたのだ、すでにおおむね平常にもどって。
ところがこの発言も、本当だったにもかかわらず、だから?という顔をされただけであった。
運転者(自動運転車だから)はゼロミリグラムだったのにたいし、「ご主人は約200ミリグラムでした」とここは客観的数字で。そして、通常なら泥酔状態となる量だと追加したのである。
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