藤浪以下四人で、その建物をぐるり固めていた。逃亡させないためだ。夜も九時半をまわると少し寒く感じられた。空が晴れ渡っているせいかもしれない。無風でよかったと皆思った。そこは、古びたワンルームマンションの角部屋に当たる201号室であった。
しかし目指した名前と表札は違っていた。それで念のために、和田は居住者に当たってみることにした。町会からのお知らせとウソの来訪目的を告げた。出てきたのは冴えない中年男性だった。警部補は適当なことを言いながら三和土(たたき)をみる。男性用だけで、女性用の靴はなかった。それでも、女性が住んでいないか、それとなく部屋の様子を窺い、香水の残り香などがしないか鼻を利かせてもみた。しかし気配は全くなかったのである。
こうなるともう、訊くにしくはない。「じつは人を捜しているのですが」柔和な笑顔を作った。「この部屋に以前、菅野という名前の若い女性が住んでおられたはずですが、ご存じないですか」ここはウソをつかずズバリ。反応を見るためだった。隠し事をしていれば、表情、特に目の動きに表れる。正面から男に視線を注いだ。
「ここに移ってきて三カ月ほどですが、そんな名前の女性は知りません。若い女性ですか…」近ごろはとんと縁がありません、そう言って小さな自虐笑いをした。
ウソをついているふうには見えなかった。
辞すると、同マンションの一軒一軒、和田と藍出は念のために表札を確認した。ダメ元と割り切っていたが、案の定、該当者名はなかったのである。
同刻、星野と矢野はデカ部屋にて、報告を待っていた。
その住所に、ホテルからのファックスにあった名前の女性は住んでいないとの報告を聞いても、被疑者となった人物のその後に起きた出来事を、星野も矢野もまだ思い出せないでいた。ただ、聞いた微かな記憶が二人ともに、あった。そこで二人はともに頭の中で、菅野拓(ひろ)子という名前を繰り返し呟いてみた。だがどうしても思い出せなかったのである。
ところでこの二人、掛け値なしで優秀に違いない。だが、さすがの彼らとて失念していた、菅野拓子自身に起こった件自体を、である。というより失念していたのは、転落死した女性の名前だけだったのだが。もっと正確にいえば、この時点においてもまだ、転落死した女性と菅野拓子という名前が結びつかなかったのである。
というのも、いくら優秀とはいえ、常に別件を担当している身だ。日々忙しかったのだから仕方がない、いや、ピンと来なくて何の不思議もないのかもしれない。
しかしこのあと、矢野は自分の甘さを心密かに責めることになる。愚鈍だったと自身の不明を、隠れて恥じた。車中で、親父さんがヒントを与えてくれていたのである。にもかかわらず、だ。いくら今日が、先妻貴美子の祥月命日で感傷的になっていたとはいえ。さらには夭折の人生、幸少なかったのではないかと胸を痛めていたとはいえ。彼は自分に厳しい質で、感傷のために、平常心や冷徹さを失ってはならなかったと、きつく戒めた。
それはそれとして、彼とて生身の人間だ。いつもの警部でなかったとしても致し方ない。
とりあえず、撤収を和田に指示した。「その前に、入居者募集のチラシが貼ってあれば…」
「ベタベタと壁に。そこに書いてある連絡先、ですね」つうと言えばかあ、さすがである。
個人名だった。すぐその番号に掛けたところ、出たのは同マンションの大家であった。
矢野は身分を名乗り、用件を伝えたのである。
ものぐさな老人(さもあらん。マンションの廊下や階段に綿埃が溜まっていたのである)だったおかげで、入居者ファイルに菅野拓子のものがまだ残っているとのこと。
帰省先は空欄だったが、保証人・緊急の連絡先は同一人物で、菅野拓造とあった。
大家は、名前から父親だろうと推し、故人の荷物引き取りを依頼したと矢野に告げた。今流行りの遺物整理のプロを使わなかったのは、その代金を大家として支払わなければならないと思ったからだった。だがそんな経緯、むろん矢野に言うはずなかった。
ちなみに転落死翌早朝に一度だけ訪ねてきた刑事は、両親の存在を教えなかったようだ。
そんな裏事情などに関係のない矢野は、故人と聞きやっと思い出した、一年ほど前、階段から転落死した女性の名前を、である。墓参帰りの車中で元義理の両親に話して聞かせた、その件の女性であった。
ところで、矢野が関わった難事件と親父さんの無作(むさ)の一言に接近遭遇があったのはこれが初めてではない。さらには、事件解決のヒントをもらったことも、二度や三度ではない。
それはさておき、大家である老人は父親の連絡先を教えると、入居者募集中なので皆さまにもお伝えくださいと告げ、電話を切った。
執務室の壁に掛けられた時計は午後十時少し前だったが、矢野は菅野拓造宅に電話を入れた。夜分の非礼を詫び、ある事件に関し重要な証拠品あるいは手掛かりを見つけられるかもしれないので、お嬢さんの遺品を調べさせて頂きたい云々、率直に願い出たのだ。
しかしまさか、拓子を犯人として立証するためだとはさすがに言えなかった。
後ろめたさを感じる矢野に、予期しておくべきだった言葉が帰ってきた。
「どちらの娘の遺品でしょうか」悲痛を押し殺した呟きであった。じつは、拓子には妹がおり、がしかし、その俊子も死亡していたのである。親父さんの勘は当たっていたのだ。
にもかかわらず「えっ…」瞬間、「どちらの」の意味を理解できなかった。不明であった。
凍るような沈黙が、遠く離れたそれぞれの空間を支配した。
ようやくだった、元義父の言を思い出したのは。ナイヤガラで事故死した女性と拓子が姉妹ではないか、をだ。直後、この父親は娘二人を亡くしていたと同情したのだった。
同時に、父親の落胆、いや絶望を忖度してしまった。それでかえって、悔みの言葉が喉につかえなかなか出てこなかった。それでもどうにか、心からの哀悼を伝えたのである。
それさえ空しく聞く父親。妻は絶望から身体を壊し、入院していた。この夫婦は、暗黒の世界で心を痛めながら生をただ虚しく長らえていた。哀れ、地獄に生きていたのである。
「できれば拓子さんの物を見せて頂ければありがたいのです」遺品という二文字を避けた。父親の心情を慮(おもんばか)るとあまりに気の毒で、それが、矢野の心に無数の針をつきたてた。
父親は少し迷った。「わかりました。その代わり、線香の一本でもあげてやってください」できればそっとしておいてほしかったのだ。絞り出したようなしわがれ声が痛々しかった。
先方の都合を聞き、「この私がお伺いいたします」と伝えた。
翌晩、藤浪と岡田・藤川を連れて、菅野家の前に車を横付けした。百五十坪ほどの敷地にある築二十年くらいの一戸建てだった。
そのころ、自宅にて晩飯を終えた和田警部補は、ガムテープに犯人が指紋を付けなかった手方を探りだすため、実験を始めるところであった。
小一時間後、紙製だったからこそ付けずに済むことを体得したのである。
ロール状態の紙製は、布製とは比較にならないほど剥がしやすい。そこが味噌であった。手袋のまま、ほぼ未使用状態のガムテープの切り残り部(巻き状態のガムテープの先端)から約二十センチのところにカッタ―ナイフで切り目を入れておく。つぎに、そのカッタ―ナイフを切り残り部に差し込み、ロール側から、そのガムテープを剥がしつつ、犯人はそのまま、仰向けで眠っている警部の口にあてがった。口中にはすでに、本人のトランクスをかまされている。口辺に強く貼り付けるには、カッタ―ナイフのお尻でも使って上から押さえつければよかった。
午後八時。チャイムに応え、仕事を終えたその足で見舞いに寄った病院から帰宅して間もない、スーツ姿の家の主人が玄関ドアを開けてくれた。かの左手には,悲しげな数珠が。
矢野たちが顔に感じた室内からの空気は重かった。そして線香をほの香りとった。ドアの向こう側は閑散としている。一階部だけで三十坪はありそうな家宅にもかかわらず他に人はいないのか、テレビがオフなのか、洩れてくる音声は一切なかった。明かりも、来訪のチャイムを鳴らした直後に点けられた玄関とずっと奥の一室にしか灯されていなかった。
矢野が提示した身分証型の警察手帳を一瞥するでもなく、見るからに疲れた容姿の父親、虚ろな眼が「どうぞ」と招じ入れた。生きる気力がないのか、あるいは賊が突然来襲してき、理不尽このうえなく殺されても構わないとでも思っているのか、異相の岡田を警戒する風でもない。娘二人のところに早く行きたいと本気で願っているのかもしれなかった。
主人が黙って先導した先は点灯されていた仏間で、二人の娘の遺影が飾られていた。やはり、線香が焚かれていたのだった。そして、経本が開かれていたところをみると、帰宅早々に読経し愛娘たちの冥福を祈っていたのだろう。
矢野は、並んだ遺影の、もうひとりの顔にどことなく見覚えがあった。週刊誌か何かで見掛けたように思う。うろ覚えだが、親父さんが言っていたように、ナイヤガラの地で落命した女性ではなかったかと。やはり、親父さんの勘は当たっていた。
他の二人も並んで正座すると、前に座った矢野がまず父親に改めて悔やみを述べた。
岡田と藤川の二人は倣った。
「こちらへ」消え入りそうな声で矢野に、仏壇前に据えられた経机の手前へと座を勧めた。
持参した菊の花束だったが、父親の手によって同様の菊がすでに花瓶に活けられていたので、経机の上にそっと置いた。それから線香立てに火をつけた線香をさし、合掌すると遺影に深く頭(こうべ)を下げたまま黙祷した。二人も続いた。
それを、表情をどこかに忘れた顔のまま眺め、「ありがとうございます。わざわざ、誠に恐れ入ります」と畳に両手をつき、深々と頭を下げた父親。しかし心は虚ろにみえた。
彼らも、神妙で硬い面のまま無言で再度頭を下げた。
それで一連の儀式を終えたかのように父親が、「では」とだけ、あとは立ち上がり二階へ、黙しつつ導いたのである。
開けられたドアの向こうが拓子の部屋だった。
「ここで失礼します。この部屋に入ると辛くなりますので、私は娘たちが待っているさきほどの部屋にてお待ちしております」精気のないかすれ声に変化はなかった。
矢野と岡田は、日記帳の類いを入念に捜した。遺品は整理されていたので探しやすかったが、それでも結局、書棚も机の引出しからも目当てのものを見つけ出せなかった。
藤川は、パソコンへ直ちに足を運び電源を入れた。ブログを捜すためだ。
一年ほど前の、転落死のあった翌日未明、拓子が住んでいた部屋の捜査をしたとき、女性捜査員がすでに読んでいたことは既述したとおりである。
藤川が目にしたのも当然同じ内容であった。そして彼も、ブログに意味を掴みかねる含みが多すぎると感じた。誰にも見せるつもりのない文章なら、もっとあけすけに意図を開陳してもいいはずだ。自分の想いを隠す必要がどこにあろうかと、そう。
一年半ほど前に遡る日記から、藤川が気になった個所を抜粋し要約するとこうだ。【私には資格がない】【値しない】(おそらく、“幸せになる”という言葉を抜いての記述だろう)さらには、【身も心も血で汚れた私だから、一生かけて贖(あがな)わなければならない】とも。
見目麗しい二十九歳の女性が、人生これからというのに、幸福を放棄するばかりか贖罪の人生に徹すると、そう記しているのだ。
それにしても、と思う。若い人だけに全くもって似つかわしくない。あまりにネガティブではないか。にもかかわらず、その理由を具体的には記していない。だが考えてみると当然で、人を殺したからとは、さすがに書き残しにくかったのだろう。
ところで感想を懐くことが仕事ではないとさらに読み進み、そして終えた藤川。矢野に声を掛けた。抜粋したブログを見せ、違和感を持ったと告げた。加えて憶測を披露した、”好意を寄せられること自体迷惑。たとえ社会的地位や経済力があったとしても”が象徴する記述に対してだ。これは事実に対するものか、これからを予測しての作文か、が、はっきりしない。さらに、他にも似た記述がある。しかも全部で四度、最後は十一月一日。転落死はその翌日であった。「転落死と無関係として見過すことができないのですが」
矢野も同感し、すぐに命じた。「藤川の直感に従うとして、秘密のブログ、つまりパスワードでガードされたブログや書き込みがないか、確認してくれへんか」本音を表に出していないとすれば、本心を記述したものをどこかに隠しているのではないかというのだ。
藤川は肯くと、矢野が指摘したような書き込みがあるか調べだした。だが、なかった。それで、USBメモリーか何かに保存している可能性を述べた。
ありうることだが、もしそうならば見つけやすいところにはないだろうと矢野。万が一にも、ひとの目にさらすわけにはいかないからだ。それが親であればこそ、よけいに。
三人は手分けして、書棚の本を一冊ずつ、あるいは机の抽斗の裏側、ハンドバッグやカバンなど、手当たり次第に調べだした。が四半刻ののち、草臥れ儲けとなった。
ただし、予期していなかったものを岡田が見つけたのである。小さいながらも手柄だと、秘かにそんな自分で褒めた。抽斗の裏側に両面テープで貼ってあったからだ
「見てください、この名刺。殺された警部のやないですか」
“大阪府警察本部生活安全部係長”との肩書と故人の名前。疑う余地なく当人の名刺であることが、翌日の指紋鑑定で証明された。
二人が会っていたのは、もはや間違いない、となる。なぜなら、簡単に手渡した名刺の悪用横行が問題視されるようになって、最近では、特に刑事による名刺手渡し濫発禁止の御触れが出、今や、よほどでないと手渡さないからだ。ゆえに、誰かから譲り受けたりあるいはもらったり、の可能性はまず無いとみていい。
手渡した場所は、ステーキハウスかそこへ行く直前であったろう。矢野はそうみた。
ところで岡田君、別の大事な名刺を見落とした、というよりもその名前にピンとこなかったので、眼には止めたがスル―してしまったのだった。“バカ田”と叔父から呼ばれるゆえんだ。が、あえて弁護すると、CDやメモリーの発見に全神経を集中させていたのであって、名刺探しにではなかった。よって、余儀にまで頭が回ろうはずもない、バカだから。
さて、今は見過ごされた名刺だったがしかし、日の目を見る日は遠くなかった。
十五分、三十分と経過し皆が諦めかけたとき、ふと、矢野の眼にとまったものがあった。
妹とのツーショットを飾った写真立てに、である。注視すると、違和を感じた。古い写真だが、収められているのが一枚だけとしたら不自然だと。写真に接するガラス窓の外面(そとづら)からプラスチック製の背の外面(そとめん)まで1センチ以上あり、どうみても分厚すぎるのだ。――何かを挟みこんでるんかも――観察力も大事だ、シャーロック・ホームズの科白ではないが。
徐(おもむろ)に手を伸ばすと、写真たての背の部分を枠から取り外した。やはり、というべきか、さすがと感心すべきか。
中からUSBメモリーが出てきたのである。アイコンタクトをとりながら藤川に渡した。
二人が固唾を呑んでいるのを、藤川は背中に感じている。
一方、その背中が期待で疼いているのを、二人はおかしみを噛み殺しつつみていた。
さてもさても、保存されていたのは、まごうことなき、探し求めていた隠しブログであった。それも英文であった。
読んで矢野は、やはりと。両親には特に見せられない内容だったからだ。
また、妹とのツーショット写真の裏に潜ませるようにした気持ちも察せれた。二人だけの、あまりに悲しすぎる秘密を、今は亡き妹とだけで共有したかった、矢野には、そう思えてならないのだ。妹の死の真相について、両親は知らないほうが、まだ救いがある、そう、苦汁をひとり呑む思いで、見せまいと決断したのではないか。
三人はお礼とお願いをするために、仏間でぽつねんと佇んでいる父親の前に足を運んだ。
父親は放心していたようだった。
名刺一枚とUSBメモリーを預からせてほしいとの願いに、父親は「お返し戴けるのですね」と尋ねただけで、拒みはしなかった。任意だから、拒否することはできたのだが。
「最後に、ひとつお尋ねしたいのですが」と矢野。
涙がにじむ眼をおもむろにあげ、「何でしょうか」と。先刻よりは力があった。もはやこの世にはいないとはいえ、それでも子を、その人格や名誉を含む存在の全てを、警察から守ってやれるのは自分だけとの想いが本能的に働いたからかもしれない、彼らの来訪の本当の目的を知ろうはずはないのだが。それにしても刑事たちの来訪が、どうにも辛かった。
矢野は、うらぶれた父親の痛みも自分たちに対する警戒心もわかっていた。それでも「拓子さんですが、お仕事は何を?」と、訊かないわけにはいかなかった。
ややあって、「日本での、ですか、それともアメリカでの仕事ですか」と問い返した。
――やはりアメリカで仕事をしていた。しかも、映像製作に関する仕事だったのではないか――犯人の特殊技能から、すでに見当をつけていたのである。しかし、口には出さなかった。「そうですか、アメリカでも。ちなみに、どんなお仕事を?」ととぼけたのである。
父親はまたも力なく、「特殊映像の製作に携わっていました。そっちの専門学校を卒業し、渡米したのです」と答えた。
しかしそれだけでは不充分だった。具体的な内容を知らねばならない。「できれば両方を。日本に関しては、就職先の所在地もお願いします」調書を見ればわかる就職先の所在地を問うたのは、父親が娘のことをどこまで知っているか確認するためだった。大家に提出した賃貸契約書の帰省先を、拓子はなぜか空欄にしていた。その理由を知る手立てになるかもしれないとも考えたからだ。拓子に何ろかの拘泥があったからこそ、空欄にしていたに違いない。彼女の心理状態を知ることができれば、殺害動機を明らかにできるのでは?少なくともその糸口にはなるかと思ったのである。
徐に立ち上がった父親は、自分の手帳を持って帰ってきた。日本での仕事先を述べ、アメリカでの仕事についても知るかぎりを話した。それで拓子の名誉が傷つくとは考えられず、いや、むしろ、並はずれた才能とそれを糧に十年来の夢を叶えたことを知ってほしかったからかもしれない。拓子がこの世を生ききった、何よりの証しだからだ。
その、アメリカでの仕事だが、矢野の推察したとおりであった。
別れ際、「ここは田舎やさかい、大阪に比べたら仕事は少ない…、けど、あんな事故に遭うことはなかった」堪らず泣き声で愚痴を、刑事たちに言っても詮無いとはわかっていてもつい洩らしてしまったのである。そのあとは、もう言葉にならなかった。
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