ここでちょっと逸れて、一般論を。
いわく、ほしいものを入手した手合いは、つぎなる手として、おもいつく手法をつかいつつ手放すまじと、場合によっては手荒な手段にもでる。
でもって、手練(だ)れの家康なればこそ、この方程式の例外ではなかったと。
つまるところ、自家継続のための手立てとして、いかにも乱世的でしかも疑惑をのこそうとも、より良さげな手堅い策をとったのである。
戦という最悪にはしないための安全策として、だから家康にとってはそのやり口、必然だったといえるのではないか。
そうとなれば事後についても、一手先を思慮しなければならない。むろんのこと、浅野家や池田家らがどう出るかである。
だが家康が見立てたけっか、結論はすぐにでたのだった。
あとを継ぐ者たちだが、徳川の色に染まりきっているから心配はないと。そのへんの計算も、けっかとして思惑どおりとなるから、手練にぬかりはなかったということだ。
ならばこそ一層である、これらの変死についてだが、たんなる偶然だとして、看過していいのだろうか?となる。くどいが家康は、漢方薬に精通しているのだ。
これは家康の死後ではあるが、福島正則も改易となり、かれ自身は出家し、福島家は五十万石から最後には三千石の旗本に格下げされた。ほか、豊臣恩顧でありながらも家康に与した最上義光と田中吉政の家も、大坂夏の陣ののち、改易されている。
ともかくも徳川家としては、豊臣家との縁(えにし)がとくにつよかったこれらの不穏分子(徳川にとって禍となる可能性のある連中)の排除こそが、幕府安泰の早道とかんがえた。
そんな憶測、あくまでも憶測にすぎないが、これが事実だったのではないか。
で、このような歴史の、その正体だが、それこそ虚と実、権力者が都合にあわせて添削したそのあとの残り、極論をいえば残滓だと、ボクはそうみている。
これももしのはなしで恐縮だが、ヒトラーの世界征服が実現していれば、ホロコーストなど存在しなかったことになる。
極悪独裁者が、改ざん、いな捏造をしないはずなかったからだ。
たしかにそうなのだが、だからといって歴史をうのみにできないからと、憶測をこえての自分手前勝手で軽々な断定、上記のばあいでいえばすべては事実で、しかも徳川幕府の利のためだった、とまでするには、確証がない以上、やはりむずかしい、となる。
後世の水戸家の自供的文献(既述)があるとはいえ、これを確証だとするのは相当にムリがあり、ほかにそれらしい史料のない状況下での断定は、いくらなんでも、だ。
じじつ、各自の変死やそれぞれの改易を、史家のあいだでは基本、個別のできごととしてとらえられており、おおむね関連づけようとはしていないし、まあ、これが実態である。
そんななか、だとしても心証的にはやはり、クロにちかいとする疑惑は、これを消し去ることなどできないであろうとボクは。
いささか一貫性にかける主張のようではあるが、客観的視点にたてば、やはり疑惑でしかなく、どうあがこうとも、断定にまでもっていけるはずもない。
それでもおもうに負け惜しみではなく、家康の暗躍があったとの見たて、あえて、見当ちがいとはいえないであろうと。
清正と幸長の暗殺云々…すくなくともこの二件はあっただろうし、改易ともふかい関連があったとおもえる、…のだが。