「みんな集まってくれ」矢野が、五人の部下に声をかけた。「欠員の補充が決まった。入ってきたまえ」矢野はせっかちな質で、「えっ」とのリアクションをする間を皆に与えなかった。ただ、彼らはそんなやりかたに慣れていた。
警部補へと昇進した部下平野の突然の異動(同じ捜査一課の別の係で定年退職した警部補の補充要員として乞われた)で出来た欠員の補充に、ふた月近く掛かったのである。
一斉に、ドアに視線が注がれた。
「藤浪と申します」入ってくるなり敬礼した。階級では下の岡田・藤川・西岡の三人に対しても、年少者として礼を払ったのである。きびきびした口調で簡潔な自己紹介をし、「よろしくお願いします」で完結させた。
部下の三人は、キャリア組でなりたて警部補という存在を珍しい生き物でも観察するように、じっくりと検分の眼で見つめていた。なにせ、キャリア組の警部補と身近で接するのは初めてなのだ。むろん彼らとて無礼は承知の上なのだが、それでもつい。
ちなみに和田だけが、自己紹介を聞いておやっという顔をした。渡辺直人溺死を捜査した警部補と同姓で、しかもそう多くない苗字だからだ。訊けば、やはり同一人物であった。
「今から捜査会議を行う」星野の部屋で聞かされた、ある事件を解決するようにと府警トップから指令が下された件について、だった。迷宮入り寸前となったがゆえに、強行犯でも断トツに優秀な矢野係を最後の砦と考え指名してきた、そんな裏事情があったのである。
大阪府警察本部長が吐露した「星野管理官を総括に据えた少数精鋭の矢野係に対し、難事件の解決を期待している」を、そのまま皆に伝えたのだった。
まずは情報だが、地取りでかき集めたものが玉石混淆なれど溢れるくらいにある。
あとは、幾多の難事件を解決してきた星野・矢野の名コンビがそれらを快刀乱麻で選り分けるであろう。そのうえで、彼らとその部下たちならば、闇に閉ざされた真相に強烈な光を当てつつ事件を解決してくれるのではないか、新本部長に就任して半年余りの村山知憲は、二人の高名を知るにつけ期待し始めたのだった。
しかし矢野にとっては、そんな期待はありがたくもなければ嬉しくもなかった。むしろ迷惑なのだ。たしかに、凶悪事件を憎み、その解決のためにデカになったのだったが。
それにしてもと、重く圧しかかる期待には閉口する。が、かといって警察の威信をこれ以上崩壊させるわけにもいかない。石に噛りついてもとの決意が、尋常でない緊張を、矢野の心に隆起させたのだろうか。むろん緊張は、指名された以上は犯人を逃さない、――必ず法の裁きを受けさせたる――との強い覚悟の表れでもあった。
事件の概要を説明する矢野の緊張感が皆にも伝播していった。さもあらん、暗礁に乗り上げた困難な事件を引き継いだのである。事件の名称を聞いた刹那、誰もが嫌がる貧乏くじだと、口には出さないが一人残らず実感した。
その事件、和田が星野から渡された調書の中にもあったものだった。星野の部屋を訪ねたあとで思わずした予測は的中してしまった。ただし、矢野係にまさか数時間後襲来するとはさしもの彼も思惑が外れた。それにしてもと和田、因縁めいたものを感じ背中がゾクっとした。何かに憑かれでもしたかのように、自ら調べ始めた事件だったからだ。

そしてこののち、さらに因縁と因果が連続して続くことになろうなどとはこのとき、さすがに知ること能わざるなり、であった。