ところで色好みの秀吉だが、男色の気はすこしもない。それゆえ、小姓のなかに肌身を許したものはいなかった。ふたりの智将がいだいた側女にむけた不安だが、かれらにたいしては持つ必要など、なかったのである。

それでも官兵衛は、近習をもふくめ、側女ほどにはそう簡単にはいくまいとかんがえていた。

「さようにございます。さらに近習も勘定にいるれば、十数名に相成りまするが、とりあえずは小姓をいかに処するべきか、でありましょう」

うなずくと、「して、その策は?」いらん先入主をもたせないためにじぶんの見解をのべず、あいての言に真摯に耳をかたむける。それが、欠陥や欠落のない意見を陳述させるコツだと、兄のやりかたをみて学んでいたのだった。

人誑しにはまず、おもいの丈をあいてに吐きださせることからはじまると、知悉していたのである。

「国許(くにもと)にかえすものと配置がえ。この両方を使いわけるがよろしいかと」全員を国許にかえすのは唐突すぎて、へんな疑惑をまねくといいたいのだ。

「年かさの五人は国許にかえし、かわりの子息を預かりうけ、のこりは配置がえとします。さらには、あらたに帰属した大名からの子息を小姓か近習にすえれば、それなりの粉飾、いや、体裁をつくろえるのではありますまいか」

小姓が秀吉にたいし、“もしや影武者なのでは?”との疑いをもち、しかもそれを自領国の実父にもらしたとなれば、とりかえしのつかない事態に陥る。だから用心がうえの用心こそ肝要、との主旨なのだ。

「その名目ですが、大戦での勝利を契機としての、人心一新との触れをだされてみてはどうでしょう」

 うなずくと、「ただ、先刻の案、かわりの子息がいない場合をどうするかじゃが、……そうよな、息女を側女としてもらい受ける、これでどうじゃろう」念のためにと、そう提案したのだった。まだ幼くてもいいし、大名の愛妾でもかまわないとの意もふくんでいた。

首肯のかわりに、「ではそれらへの手配は、小一郎様におまかせしたいと」ちいさく頭をさげた。「でもって、子飼いではない近習をふくめた配置がえでござりまするが、影武者からできるだけひき離すが賢明かと」

 秀長は、官兵衛のこの案もすべて、受けいれることにした。つまり、馬廻(うままわり)もかえる必要があるとかんがえたのだ。馬廻とは、主君の警護にあたったり家臣からの取次ぎなどをする役回りのことである。

「具体的には、徒士組頭に据えるもの、秀長殿やわたくしめとほかの家臣、あるいは家臣間の伝令役がよろしいのではないかと」

すこしかんがえたあと、立場がさがることで不満をいだくものもいるだろうが、さほどの人数ではないこともあり、いたしかたないとして秀長はうなずいた。

「ついでながら、こたびのことは、戦勝を寿ぐ佳節ゆえと、それなりの褒美をつけてやれば、疑念をもつものまでは出ますまい」

織田家を、実質的にうけつぐ立場となったのだ。大勝利を契機の配置がえ、そう喧伝するさきほどの案といい、仔細にまでの配慮がなされている。

_さすがに、智者の名に恥じない_秀長は感心した。短時間にこれだけの謀(はかりごと)をおもいついたからだ。