和田が星野の執務室にいたころ、一台の車が大阪市内へ向かっていた。
運転しているのは矢野警部で、死別した妻の両親と、祥月命日の墓参りの帰り行程にいた。もっとも今は警部ではなく、プライベートな一個人の立場であったが。
「お疲れさまでした」俳優の阿部寛の若いころに似て眉目秀麗の矢野は、後部席に座る二人に、犯罪者には掛けることのまず無い温和な声でひとこと言った。
短かったが、心がこもっていたことは二人に通じた。
「いや…、一彦君の方こそ」車内のバックミラーの中の元義理の息子に、眼で謝意を伝えた。愛娘の貴美子から初めて紹介されたとき以来、“一彦君”と呼んでいる。息子もほしかった夫婦にとってはそのとき、本当の愛息を授かった、そんな想いが心を満たした。特に、長い居酒屋経営で人を見る眼には自信のある親父は、一発で気に入ったのだった。

矢野も、優しかった両親にどこか似ている二人に、心の底から甘えることができた。
その辺りの事情も含め理解してくれる現在の妻の真弓。寛容な質で、前の家族との付き合いを許してくれてもいる。矢野は心底から感謝しつつ、できた女房の真弓にも甘えているのだ。その代わりといってはなんだが、精一杯の優しさで抱擁しているつもりである。

貴美子の母親は目を閉じ深く頭を下げた、かけがえのない存在の矢野に対し。
「それにしてもあれから丸四年、早いもんやな」親父(矢野はどこか甘えるようにいつも“親父さん“と呼んでいる、貴美子の死後も変わることなく)のこの言葉、毎年のことだが感慨深い。永久(とわ)の別れから何百回も吐(つ)いてきた大きく静かなため息が三人を包みこんだ。一人っ子の、短い闘病の末のあっという間の死であった。諦め切れなくて当然だった。

ちなみに、夫婦は三十年以上、大阪市内で居酒屋を営んでいる。
接客をする仕事中とは違い、私生活では物静かな母親があらためて礼を言った。「お忙しい身なのにわざわざ…。本当にありがとうございます。あの子はほんとうに幸せ者です」
「たしかに…そうやな。毎年こうやってあの子に会いに行ってもらって」
「何をおっしゃいます」とだけ言った矢野は、あとを呑み込んだ。――こんな僕に連れ添ってくれ支えてくれた貴美子に、せめてもできることです。でもできることならもう少し、いやもっともっと生きていてほしかった――と。だが、日頃の想いを口にすれば、二人は喜びもするだろうが、死の悼みからかえって苦しませることにもなると知っていたからだ。
「それもこれも、今の奥様のおかげやし。ほんま、感謝しないと」
「そのとおりやな。前妻の墓参りを許してくれる女性ってなかなかいてないやろうし」

現夫人の真弓に対しても謝辞を忘れない夫婦であった。

高速を安全運転で走行する矢野は、時折バックミラーに視線を向けながら黙って聞いている。安全運転は警察官としてだけでなく、この大切な、矢野が少年期に殺された、優しかった両親を髣髴させる人たちを事故に遭わせるわけにはいかないからでもあった。万が一があれば貴美子を悲しませることになる。それだけは避けなければならなかった。
「ところで一彦君」できれば養子縁組をし、法的に息子になってほしいとの念願を心に潜ませているが、いまだ切り出せないでいる親父であった。仕方なく別の話になった。
「事故や殺人などで若い女性が亡くなると、娘を失った身としてはことのほか胸が痛くなる。例えば二年近う前のことやが、ナイヤガラの滝での転落死。それと一年ほど前には、別のお嬢さんが自宅マンションの階段を転げ落ちて…」搾り出すような言の葉はここで千切れた。苦しいのである。しかしある思いから気を立て直すと続けた。「これはわしの勘やけど、二人は姉妹やなかったかと思うねん。どちらもええと…それほど多くない苗字やったんや、確か。なんちゅう苗字やったかなぁ…。あかん、思い出せん」結局、記憶は蘇ってこなかった。「それにどちらも二十代で年も近かったからな…、ああ…」溜め息をついたのは、憐憫が心を支配したからだ。「もし姉妹やったら親御さんの嘆きや悲しみは如何ばかりやろか」切歯しながら、「それを思うと、こっちの心も千々に乱れて息苦しゅうなる」子供に先立たれた親の悲痛が、表情にも声色にも滲んでいた。
普段、ニュースを見ない元義母は「えっ!またそんなことが…」あとは言葉を呑んだ。が、こちらもいかにも辛そうに沈んだ声であった。

仕事柄、詳細を知っていた。が、「話を変えませんか」とても話す気にはなれなかったのだ、せめても祥月命日のこの日だけはと。それで不明にも、いい加減に聞き流していたのだった。本部に戻ればイヤでも“死”と向き合わなければならない立場である。
なんとなれば、凶悪犯罪と立ち向かう仕事を選んだからだ。それは、無惨に殺された、忘れがたき両親への供養のためであり、否、今はこの世から悲劇を失くすためであった。むろん理想にすぎず実現困難だと、いや不可能に近いと頭ではわかっているのだが、それでも無為では生きていけないのだ。また、生きている意味さえ貧弱になるではないかと。
星野も藍出も知っていることだが、未だに憎い犯人は捕まっていない。
それどころかとうに時効成立で、もはや罰することもできなくなっていた。そういうわけで、両親殺しの犯人を見つけ出すために、仕事に邁進しているわけではなかった。
もっとも、警察官に成り立てのころはそうではなかったが。
「僕らに気を掛けてくれるんは嬉しいけど、あの子も、この世から不祥な死を無くしたいと望んでいるやろう。そやからといおうか、これは僕の勘やけど」刑事にしたいくらい、親父の勘はたしかに的中率が高かった。「一年前のがもし事件なら、犯人を捕まえてやってほしいんや」これが、さきほどの“ある思い”であった。「こんなことをいうのも、この世に想いを残したまま逝ったあの子への供養にもなると信じてるからや」親父は懇願の相で首を伸ばすとバックミラーの中の顔を、元義母も運転する矢野の斜め後ろ顔を見つめた。

これほどの切ない想いと自分への信頼を心奥から吐露されれば、人として心が動かないはずなかった。民間人には明かさずとのデカの矜持(きょうじ)を忘れたことはないが、両親を殺された彼の、凶悪犯罪をば許さじとの使命感はそれより強い。矢野警部の頭に、今の件が鮮明に蘇っていた。ただ、担当事件に日々忙殺されており、女性の名前は忘却の彼方に消えてしまっていたが。当時、報道された事実から、デカの勘が、事故死とした警察発表に“違和感あり”と告げたゆえに、数年前まで部下だった平田警部補が所属する署の事件だったこともあり、詳細を聞いたのである。それで、違和感が疑惑へと変わった。転落を誘発した可能性の人影がほの見えたからだ。しかし、見立てに異を唱えられる立場にはなかった。
二人に向かい徐(おもむろ)に口を開いた。ちなみに、明かす内容だが、報道機関が披歴した情報の範囲内にとどめおくことにした。職務規定に違反することはさすがにできないと。
(ところで便宜上、以下のとおり、矢野の口述以上の詳細を記述させてもらう)
約一年前の十一月二日夜、二十八歳の独身女性が頚椎を折って死んだ。
検視の結果、死亡推定時刻は午後十時四十分から同十一時。
あるいは死亡直前の声かもしれない叫びを聞いたマンションの住人はいたが、家賃の安い古いワンルームだけに、隣の部屋からのテレビの音声だろうと思ったという。その時間は午後十時四十分ごろ。十時に始まったテレビ番組から推測したのである。
築二十四年。一階部は貸し店舗が入る四階建て。エレベーターは設備されていなかった。バブル期の建設だから、高騰していた人件費や機材費等で建築費用は思いのほか高くついた。それで、減価償却するまでは手を入れる気のない大家。防犯カメラも当然なかった。
現場は、二階にある女性の部屋を仰ぎ見るかたちの長めの階段。一階が天井の高い賃貸店舗だから、二階住宅部から上より五段ぶん段数が多いのだ。長かったぶん、女性にとっては不運だった、死を招く魔の階段となってしまったからだ。しかもその階段、いつ剥がれたのか、滑り止めがところどころ無くなっていたのである。そんな、ないない尽くしの古マンション。住民も“ないない”でその数は減ってきており、帰宅してきた彼女を見かけた、いわゆる目撃者はいなかったのである。