はなしがすっかり_またも脱線してしもた、すんまへん_本題は、秀吉についてであった。
_やっぱ_秀吉をすきな理由。
大阪と縁(えにし)がふかい人物であり、一説の、最下層の水呑み百姓から信長の草履とりとなり、努力と奮闘のおかげで城もち大名へと出世し、やがては天下人にまで昇りつめた英雄だからだ。
大阪人のおおくは胸をはって、ジャパニーズ・ドリームの体現者と褒めそやす。_けど秀吉ってじつは、尾張は中村郷(現、名古屋市中村区)出身なんやけど…_としったのも、あの夏だった。
「あんた、小学生最後の夏休みの読書感想文、もうきめたんか?」母は、ボクの顔を覗きこみながら問うた。その眼はボクのこころを射抜き、顔はというときびしいまでにひき締まっていた。
ヘタな答えならばゆるさないという断固とした表情で、まさに羅刹にみえた。このときすでに、母はからだに重大な問題をかかえていたのだが、ボクはまだ教えてもらっていなかった。
「遺言のつもり」だったと、後日きいた。
「終業式はきのうやったし、まだきめてへん」羅刹のごとき存在から、目をそらしながら告げた。みじかい、龍之介の“蜘蛛の糸“なんかを候補にあげようものなら、意図をみすかされて、一大長編小説、しかも大きらいな“徳川家康”を指定されるかもしれない。
そればっかりは御免こうむりたかった。
「あんた、わたしに以前きいたことあったやろ、秀吉が血に染まってるのはなんでかって」
「ちゃう!“血塗られてる”、や」ボクのほうが正確におぼえていた。おぞましく衝撃的な表現であった。しかも大すきな秀吉にたいしてだったからだ。
「そやったかな?…」わずかに小首をかしげた。直後、かすかに微笑んだようにもみえた。だが、どこか寂しげでもあった。
この複雑な表情が錯覚ではなかったことが、後日わかることとなる。