ふだんの父は、母の手料理をほおばりながら、美味そうにアサヒビールを飲みほしている。「大阪の人間なら、やっぱ、麦酒(びーる)はアサヒやで」だそうな。

ことに今年は満面の笑みで、「タイガース、強すぎやで。相手投手を粉砕しての勝利に乾杯!」と、母を尻目に、ことのほか美味とのこと。

あまりに美味しそうなので、せがんで一度飲ませてもらった。おおきかった期待は、「うえっ」とて、すぐに裏切られた。_苦っ!こんなもんがなんでウマいねん!_口にふくんだまま後悔しつつトイレにはしった。

そして吐きだしながらおもった、お父んの味覚は狂ってると。_冷えた麦茶のほうが美味いにきまっとるやんけ_

そういえばあの夜。前日の勝利につづき宿敵に勝利した翌夜の、バース・掛布・岡田のバックスクリーンへの三連発(三者連続ホームランのこと)。

父は、のみ干したその手でグラスに注いでは「プッハ―」、ご満悦だった。1985年四月十七日、甲子園球場での歴史的快挙のことだ。

 

それはさておき、二年ほどまえからだが、勝った翌日の夕飯前、嬉々として宿題にのぞんだボク。

それを母は、うしろからギュッと抱きしめたりした。家族三人だけの、しかも家のなかだから、父以外にみられる心配はないが、それでも恥ずかしいからやめてほしかったのだった。

日曜日のデイゲームに勝った日には、母も機嫌がよかった。その日の午後五時台から、月曜日、火曜日の夕飯前まで、ボクが机にむかう時間が長くなるからだ。自然、おやつの量がふえたり、果物を奮発してくれたり、となった。

「勉強に集中しているときの横顔、ほんま、ステキやで。惚れてもええか」と宣う。

_さすが、大阪のオバちゃんや、ただ褒めるだけではすまさへん_

というわけで母は、いかにも幸せにみちた顔になった。

「けどほんまのこと言(ゆ)うたら、たかが野球ごときで一喜一憂してほしゅうないねん、お父ちゃんみたいに。あのひとはもう言(ゆ)うても治らんさかい諦めてるけど、おとこはどしっとして、ちっちゃなことで、気持ちがふらついたらあかん!」

まだまだ子どものボクに、こんな叱咤をすることもあり、そのあとは決まって、

「あんたも、すきな秀吉みたいに大成したいやろ」と、ひとりっ子のボクに多大な期待をよせる、過分な言でしめくくるのだった。