さて、矢野のことに戻すとしよう。

で、それた脇道を修正し、試行錯誤的思考を、いまだつづけていたのである。

やつといえども、どこかでミスをしていたのでは、と再度。だがどこをどう足掻いても、“ここをつつけばあるいは?”すらも、ひねりだせないでいた。

そうなるとおもう。やつはそもそも、ミスなどしなかったのではないかと、また。

こうして思索はやがて、堂々めぐりの陥穽(かんせい)(落とし穴)におちいってしまった。矢野がかかえる欠点なのだが、先がみえてこないと、いつしか弱気の虫が頭をもたげてくるのである。

……というのも、概略、既述したことだが、

血だまりのなかで息絶えた無残な両親の姿を、気絶するまでの二・三秒間見てしまった小学校五年生の矢野一彦少年。

そんなおそろしい光景が、心裡において尾をひかないはずなかった。

悪影響として…難問や、とくに捜査の難関にぶつかるたび、悲観がふくらみ、自身をへこますのだった、ここが限界かと。

そんなふうに、弱気の底なし沼に精神がうちひしがれると、矢も楯もたまらず、心のふるさとにかえりたくなるのだ、ケガをした小鳥が親鳥をもとめるように。

矢野は星野管理官に概略をつたえ、許可をとった。

そのあたりの事情にもあかるい星野は、笑顔で帳場からおくりだした。

不思議と帰巣後には、矢野が事件を解決してみせることを、経験でしっていたからだ。