矢野の家に、藍出と藤浪が泊まることになった。酔ったからではない。もっと、矢野と話をしたかったからだ。特に藍出は今宵も、婚約者より警部を選んだことになる。
「今回の一連の事件ですが、何と言えばいいんでしょう」矢野の愛妻が用意してくれた酒肴を挟んで、「因縁というのか、因果応報と言えばいいのか、とにかくそのようなものを感じます」藤浪は小難しいことを言った。そういえば矢野係において、彼だけが特別な存在であった。渡辺直人死亡の件に当初から関わってきたからだ。それだけに事件解決は感慨深くもあり、何かと思うところも少なくなかったのである。
「自業自得というやつか。たしかにそうやな」矢野は長くデカをやっていて、自業自得は現実にあると感じれるようになった。ただ、それを科学的に立証できるのか?と問われると困ってしまう。だから、滅多なことで、これを口にすることはない。しかし今夜は語りたくなった。酒が入っているせいもあるが、前に座るのが、最も信頼できる警部補三人のうちの二人だったからでもある。「今回の一連は、極端を承知の上で例にあげるが、動機のいかんを問わず、人をあやめたために、今度は自分が命を奪われてしまった。拓子の転落死は例外やろうけどな」

菅野拓子は事故死(裁判による審理を経ていないので、矢野は事故と断定はしなかった)であり、犯人はいない。当然のこととて、殺害動機もない。だから例外ではあろうと。
「動機ですが、出世欲や財産目当て、それに復讐と、まあたしかにいろいろありました」
「けど結局は、自分に所業を償わされる破目に」藍出の言葉を引きついで言ったあと、間をおくためか、家でのいつもの芋焼酎を少し口に含んだ。「まあ、犯罪とはそういうもんや。だから犯罪は、人生を賭けるに見合う行為や、決してない、そう僕は想う」これが、結論だった。詳しい説明をしなかったのは、これで充分趣旨が伝わるとわかっていたからだ。
「犯罪は犠牲者を生む。こんな当たり前に難癖をつけ、公金横領に犠牲者はいないと主張する天邪鬼もままいますが、そんな奴にはこう説破します。公金の損失という犠牲はあるし、納税者は不特定であっても、犠牲者に変わりはないと」生(き)真面(まじ)メンの藍出は、ここで冷茶でのどを潤した。アルコール量はどうやら危険水域に達しているらしい。「とにかく善良な第三者が犠牲になっていいはずないし、被害者たちの泣き寝入りで事態が完結したならば、こんな不条理はない。だから因果応報であってほしい。いや、でなければ社会はすさんだ荒野になってしまう。特に弱者の人生においては、虚無が支配者として君臨することとなる、違いますか、警部」藍出は元から熱いが、それは青春を文学の中で埋もれんばかりに過ごしてきたことと無縁ではない。デカ顔に染まった今となっては想像できないが。

藤浪の眼も充血してきた、「当然、犯罪を見過ごしにはできません!」もっと実入りの良い中央官庁の官僚職を蹴ってデカになった彼のこと。当然、自説を持す。「ですが、犯罪者にとっても結局は不利益の方が多いはず。なぜなら、一度でも有罪判決を受ければ、いや、起訴猶予であっても、婚姻等の家族関係や交友などの人間関係も破綻します。職を失ったり、居住地でも白眼視され転宅を余儀なくされます。職業選択の権利にも制限が加わるでしょう。つまり、想像以上に厳しい社会的制裁を受けるわけです。また、犯罪者のうちの多数の良心が悲鳴を上げているはずです。加えて、彼らの両親だって悲嘆もし、苦しみもするでしょう。ゆえに、まずは再犯させないことです、皆が苦しむだけだと悟らせて」
社会的制裁が犯罪の抑止力になればとの理念、二人にはよく理解できた。彼らとて理想を捨てていないからだ。ただ、矢野のは少し揺らぎ始めていた。少年以上に純だからだ。
性善を基とする、そういう理想を自分たちの中心に据えたい彼ら。しかしながら、甘くない現実の過酷をば知悉する立場でもある。彼らこそ、最前線で現実と向き合う戦士だからだ。過酷を目の当たりにし、悲惨に接し続ける社会的役割を担っているのである。
それだけに、それだからこそ、天網恢恢疎にして漏らさず”であれかしと彼らは祈る。
ちなみに、天網恢恢云々の意は…天が張り巡らせている網のその目は粗いようだけれども、悪事を行った者をば余すことなく捕え、もって罰しうるのである、だ。
しかし、実際には天網が粗すぎるのか、悪者が多すぎて追っ付かないのか、魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)がごとき輩が跳梁(ちょうりょう)跋扈(ばっこ)している。ゆえに、本来受けるべき制裁を奴らは課されていない。それどころか、罰を受けるべき人間が恥知らずにも、陽の下を堂々と闊歩している。
これは永遠に続く悲劇なのか、それともあまりにできの悪い喜劇なのか。
ただ、こんな事実を彼らが面白がるはずもなく、ゆえにおうおうとして楽しまず、だ。ならば魍魎の跋扈は、単にできが悪いだけであって、喜劇なんかであろうはずもない。
黒澤明監督ではないが、所詮“悪い奴ほどよく眠る“…これが悲しきかな現世、なのだ。窓外の、冬を誘(いざな)う冷たい秋風の声を聞きながら、虚しさに矢野の心は凍えた。――人間は、業にはやはり抗(あらが)えないのか、煩悩に対しても僕たちは葦(あし)のごとく無力なのか――誰と比するでなく、ただ、純にすぎるのだ。それで、自信を喪失した心はちぢこまり、めげ、うちひしがれた。そして慨嘆(がいたん)のあまり、拙くも投了しかけたのだ。理想が頽(くずお)れかけたのだった。

社会に溢れんばかりの悪の多さ、その芽を摘んでも退治してもはびこる諸悪の執拗さに、それはとりもなおさず人間の卑しさが原因なのだが、心根が蚕食されつつあったのである。

たしかに、事件群を解明し終えたその日に相応しくない、そして部下には言えない士気の欠損であった。
人間矢野にとって、業や煩悩がこれほどまで浮き彫りになった事件群はたしかに初経験であった。十年有余のデカ人生だ。いろんな事件にまみれ、さまざまな犯罪者と対峙してきた。が、渡辺卓に代表される人非人、冷酷な、まさに鬼畜どものせいで、ひとの善良を信じる矢野の心は危機に瀕してしまったのだ。突き詰めれば、徒手空拳の生身では抗しえない悪業や煩悩に、打ちのめされかけたのである。これからも、自身の理想を推し進める自信を、無くしつつあったのだ。……しかし、
しかし彼の、だった、生きている間は消し去れるはずのない、少年時のおぞましい光景を、脳は、否、五体は刻み込んでいたのである、あまりに酷いその時の光景を。
朱の海の中で仰向けのまま絶命した両親の、凄絶な姿だった。逃げゆく命を捉まえんとするがごとく、必死の両手が宙に伸びていた。命尽きたあとも、執念がそれをなしたのだ。
後年になり、残る子らが不憫ゆえ、どうしても死にたくなかったのだと確信している。
うだる夏の日曜の夕、遊び疲れて帰宅した小学校五年生は、賊に刺殺された最愛の父母の無念を直感した。だが直後のことは、いまだ記憶を呼びさませないでいる。一時間余後、八歳離れた、クラブ練習帰りの姉によって昏倒していた少年は救急搬送されたのだった。

以来、少年は犯罪を心底より憎んだ。その強い想いは長じるにしたがい、やがて警察官を志すようになったのである。親や兄弟を失う孤独な子供は、もういらない!犯罪が生む悲劇を、なんとか終わらせたい!これこそ、自分が自分で決めた使命の道ではなかったか!
姉に、「僕たちみたいな子供はもういい、僕らで最後にしたい…」そうむしゃぶりつきながら泣いた記憶。今日の自分を創ったその原点が、刹那、鮮烈に蘇ったのである。

だから何があっても
――負けん絶対に!めげるわけにはいかんのや!――
直後、強烈な光をたたえた眸の、本来の矢野がむっくと頭をもたげたのであった。