近ごろ(2003年現在)では、インターネットが全世界を網羅し、ブログや写メなどを駆使して、リアルタイムで発信や配信ができるようになった。とりもなおさず受信側も、即座に情報をえられるわけで。

とはいうもののわずかだが、そこにはとうぜん、時間にズレが生じているのである。

前述のくだり、場所がたとえばテレビ局の本社もしくは大使館だったとしよう。でもって、そこでたてこもり事件がおき、しかも長期化したばあいは、歴史的との表現に違和感はない。

ついでの仮定でもうしわけないが、数日間のその発端を、つまり事件発生の瞬間を近隣が目撃しつつパソコンなどをつかって発信したとして、でもって歴史とはなにかを考えるうえで問題にしたいのは、事件発生直後であろうともすでに“過去”だということだ。

あたり前である、だがそのいっぽう、現実に大事件を現在進行形でひきおこしている犯人は、一般的には異常な精神状態にあるため、その後の影響などを、せいかくに把握していない愚もありうる。

また被害者や目撃者も、原因や背景・規模・影響など、事件の全容を掌握できていない当事者にすぎず、過去という客体的視野の広がりうる範疇にはいない。

ひとは、突然の身近なできごとにドギマギしうろたえ、冷静さを欠いてしまうが通例だ。平常心と時間的ズレ、また冷静と空間的距離感とは相関関係にある。

当事者はまさに歴史のなかにいながら、その時空ともがたんなる現実でしかなく、そのひとたちにとっては現代そのものなのである。つまり過去ではないと。

たとえるならば、桜田門外の変(1860年)がわかりやすい。犠牲者は、過去のひとだから対象外だとして、

大事件の張本人である浪士たちも、そして大老井伊直弼暗殺の目撃者も、歴史的現場のなかには.たしかにいた。がその時点では、極論…、まだ“歴史”として、つまり事件がなにを招くか、その意義を認識できてはいなかったはずだ。

具体的にのべると、大老直弼は、実質的に幕府そのものですらあった。

というのは、水戸家徳川斉昭の子息、一橋慶喜(のちの十五代将軍)を排斥しつつ、将軍にすえた紀伊の家茂を傀儡化し、全権力を握っていたからだ。

そのひとを“暗殺”…。

この驚愕の大事件により、江戸幕府の衰退が急速化するという史実。および幕末から明治維新へとの大変転。まさに歴史的意義が発生したわけだが、それが具現化するのはしばらくあととなるからだ。

現代ならばマスコミが社力のかぎりを尽くすほどの一大事件、なのだが。それでも社会が一転する、ましてや明治維新の惹起、まではだれびとも洞察できなかったであろう。

さてこのあたりをできるかぎり簡略にしつつ、経緯をのべよう。