では、もういっぽうの過去についてはどうか。

まごうことなく不変不動なわけで。だから、切実とはならないし身におよぶこともむろんない。

そのぶん、ゲーム感覚でおもしろさをバーチャルとして、楽しめるのである。

歴史に興味を持てない、あるいは知識が希薄なひとでも、織田信長や坂本龍馬が横死したことは有名だから、知らないということはないであろう。

だが、1582年六月一日夜半から二日未明にかけて、その信長が本能寺にはおらず、よそで饗宴をひらいていたとしたら…。

また、1867年十一月十五日の夜、カゼ気味ではなく体調良好な竜馬が好物の軍鶏(しゃも)鍋を欲せず、密議をかわした中岡慎太郎と屋台のうどんでも食べにでかけていたならば…。

エトセトラ、エトセトラ。命拾いをしたそのあとを想像するだけでも、興味はつきないではないか。

しかしながら、所詮は意味をなさない虚構だというのも事実。ゆえに、これでおく。

ところでさらに、たびかさなる閑話にお許しをねがいつつ、“歴史”について考察してみたいとおもう。

そののっけから、「わかりきったこと」をあえて言わせてもらう。歴史は、過去においてでしか存在しえないと。

でこの当たりまえをふまえつつ…、さて、ある事実が因となり、驚愕の事件がひき起こされたとしよう。

それをその直後に知ったひとが、規模やそのあとの社会的影響にもよるが、歴史的大事件と表現することもありうるであろう。