それを理解したうえで、まいどの横道。まずは未来についてのバーチャル。

たとえば日進月歩で進化する新技術、そのなかにはガン治療など、医療のめざましい進展に寄与するものもあるであろう。

さらには経済への波及。とくに雇用にだが、新技術による消失と逆にあらたなる創出、および画期的な新製品(過去においては電話やロケット・ロボット等それ自体もだが、そこから派生する事物)、これらが未来を劇的に創りだし、あらたな展開をみせていくだろうと想像できるではないか。

ついで、将来的には、民間企業が宇宙開発に着手する可能性も…。

そんなきたるべき未来が、実生活にどころか、もっといえば人生に深くかかわってくるわけで、ということはやがて、まちがいなく切っても切れない切実な現実、具体的には収入の増減、どころか、仕事の存続とふかく繋がっていくのである。

ロボットにかぎってだけでも、単純労働なら、あすにも勤労者を失業させるかもしれない。いやいや、たとえば弁護士という職種だって、とってかわられる日がこないと断言できようか。

それとは逆にしんじられない幸運にめぐまれ、宇宙旅行会社がうみだす巨万の富の海に、満悦しつつ浸っているかも。つかりすぎて、溺れているかも…。

「なんやそれ…、つまらん」仮想のはなしならいらないと。ならば、こういう事実ならどうであろう。

いまや、世界に冠たる任天堂。しかし創業当時は花札やトランプを製造販売する町工場規模であった。それがファミコンの開発・製造・販売で、世界企業へと。平たくいえば、“鯉(コイ)が飛龍へと大変身”をとげ、巨万の富と巨大な雇用(日本以外、欧米の販売拠点は八、中韓には三、研究開発拠点も欧米に四、日本にも四ケ所)などをうみだしたのである。

おかげで潤ったひとも数多(あまた)。また、株で金満家の仲間入りをはたしたひともすくなからず、なのだ。

ただそれが日本人であれば、いうことはないのだが…。との、情実な発言はさておく。

いずれにしてもやがてくる未来、だれもが時空の波に、その影響の多寡はあるにせよ漂い、世事との隔絶をなしとげないかぎり、さらされていくのである。かといって、世捨て人にはなりたくないし。