その一、村まつりに参加していた農民の皆殺し。

その二、悪政への不満による反乱ののち投降した捕虜数百人を、蕫卓は、みずから主催する大宴会において一人ずつ、文字どおり血祭りにしながら、その地獄絵に満悦したのである。

その三、遷都するにあたり洛陽を火の海にし、おびただしい焼死者をだした。燃えさかる火は、数日間消えなかったという。

快楽犯罪というおぞましい用語があるが、このおとこは快楽大量虐殺をなした、最悪の暴君であった。ここまで酷いと、ネロはもはやその比ではない。

 肝心の対比だが、秀吉との共通点は見いだせなかった。

秀吉とちがい、蕫卓は、権力奪取のまえから残虐・凶暴であった。奪取後も、悪逆無比にちがいはない。

このおとこはたんなる欲望の塊であって、英雄性のかすかな一面すら持ちあわせていない。けっかとして、蕫卓からも、秀吉変貌の参考資料を得ることはできなかった。

 ところでその秀吉だが、全権力を手にいれたこと、それ自体が原因で人格が破綻し豹変した、とはかんがえづらいのである。

というのも史観的に、権力掌握をさかいに、いわば天使から悪魔へ、両極端の人格を表面化させた、ようにみえる人物は、ほかに例がないからだ。以下は、その検証となるのだが、いずれにしろ、人類史上唯一の存在、なんて論理的ではないではないか。

ちなみにいったんは、これをあえて否定してみようとおもう。

権力奪取が、極悪な人格転換をさせた可能性のある事例について、だ。前漢の高祖劉邦の皇后呂(りょ)雉(ち)がそうかもしれない云々、そうみてとろうと。

あまり有名ではない呂雉だが、かのじょは“中国三大悪女”のひとりとして、知るひとぞしる存在なのだ。

で、ほかの二人は、唐代高宗(三代皇帝)の皇后則天武后(中国での呼称では武則天)と、清朝末期の西太后である。かのじょらも、教えてもらったなかに入っていた。

その則天武后だが、権力掌握前から非道比類なき魔物であった。

いっぽう、西太后のばあいは、伝承や俗説には偽説もすくなくない。むしろ虚像だったとの説が、最近では有力になりつつある。死後、辛亥革命以降において、人物像をゆがめられた可能性のほうがたかいようだ。

秀吉とはパターンがちがうゆえに、呂雉以外は参考にはならないとかんがえた。