ところでこの成果の報告だが、星野管理官により、トップにまで十数分でとどいた。

警視総監はそれをうけるやいな、黙考したのである。そして、犯人と断定しても差しつかえない偽名西は、特殊部隊隊員ではないかと推理したのだった。

すぐさまかれはほかの誰でもない、星野管理官と矢野警部を70平米ほどの執務室によんだ。そのさい、原刑事部長がついてくるのを止めはしなかったが、差出口は止(や)めさせた。

「現場としての、最善の一手は?」指紋や人相から犯人をわりだせない以上、べつの手だてがあればとて、忌憚のない意見をもとめたのだ。ちなみに総監の腹蔵(本心を隠しているさま)だが、ふたりの、デカとしての力量をさぐる、にあった。

「なんの確証もありません。それで具申いたしませんでしたが」と星野が前おきし、「特殊部隊出身にしぼろうかと」そう、同意をもとめた。

場壁狙撃直後と、美女?とされている、防犯カメラがとらえたふたりの、歩行時のすがた(歩容認証)だが、おのおのでそれを変えられたのは、変装術カリキュラムにおけるきびしい訓練のたまものではないかとの憶測を、矢野がつづけた。

特殊部隊出身との進言に総監が納得すれば、とうぜん、ふたりのこれからの捜査方針にも同意するだろうとかんがえたのだ。

レクチャーのけっか、「そうしてくれ」総監は、優秀さを確認できて、内心満足したのである。

「では退職者の件、防衛省へよろしくおねがいします」星野たちは低頭し、退出していった。

星野が退職者とかぎったのは、現役だとできない犯行とし、理由をふたつあげたのだった。

訓練をこなす忙しい日々のなか、時間的にも、訓練地と犯行現場との距離空間的にみても、まずは不可能。それに現役だと、日本国に迷惑を、よりいっそうかけてしまう。そんな不知恩のきわみはすこしでも避けたい、はずだと。

動機はまだわからないが、不知恩と犯行動機をてんびんにかけたけっか、動機のほうが重いとかんじたのではと、最後につけ加えたのだった。

星野の推測をきいた直後、陸自出身の特殊部隊と限定した退職者のなかで、推定年齢とおおよその退職時期と訓練内容が一致するものの名簿をつくっていただきたいと、警視総監(警視庁のトップ)みずからが、防衛省に電話したのである。

それにたいし、要望内容の詳細から犯人の可能性がたかいと判断した防衛省の事務次官は陸自幕僚長に、できる範囲での懇請にのみ沿うよう指示したのだった、ただし、眉間にしわを深く刻みながら。

というのも(省の事務方トップである)事務次官たるもの、たんなる照会ていどであったならば、内部情報をおしえなかったであろう。(功罪両面において)一国の安全保障全般にたずさわっているとの自負心が、かれの言動の基盤だからだ。

キャリアのなかでも特殊な組織である防衛省官僚は、まさに、太平洋戦争時の軍閥がそうであったように、内部にかんする情報を徹底して機密にすることこそ、国家存立の基本と、七十数年“洗脳”されつづけてきたのである。

ということで、警視庁に手わたした名簿の退職者数は、三百人をゆうにこえていた。

しかし、帳場の想定をこえる退職者数の理由すら、市ヶ谷(防衛省の中枢の所在地ゆえに、隠語でそう呼称する。同省最高幹部たちをしめすばあいもおおい)は、あかさなかった。

だが、それは、特殊部隊にかんする情報は防衛省のトップシークレット、のゆえである。また、庁よりも省のほうが格上との縄張り意識も根づよくあった。

だから、特殊部隊が公然の秘密であろうとなかろうとそんなことに関係なく、対外的には存在をみとめないわけで、とうぜんその名簿に、所属部署など記載されていなかったのである。

ホンネをいえば、特殊部隊所属隊員の情報が外部にもれることを、市ヶ谷は極端におそれているのだ。

万が一にも外部へ、それがたとえ警視庁であったとしても名簿がリークしたら、訓練内容どころか、最先端兵器の装備などにかんする機密事項や、その保管場所等の情報までもが、やがては仮想敵国の、狡知で、手段をえらばない情報機関にうばわれると、危惧するゆえにだ。

それこそが、政治家の命などとは比すまでもない国家の大損失と、かれらは信じてうたがわないのである。

星野が予想するまでもなく、以上の事情により、犯人特定作業は遅々としてすすまなくなってしまった。

 

五度におよんだ殺人事件のせいで、すでに面目まるつぶれとなってしまっていた。とはいえ、それでも警視庁とすれば、なにがなんでも次回こそを未然にふせがねばと。

つぎがあるとの犯人からの予告が、読者も知ってのとおり、あったわけではないのだが、さらなる事件が起きるとして、もはや関係者のだれもが想定している。

ゆえに、たとえばそう、焦燥の、やけた鉄板のうえにあって、犯人の足音すら聞きつけられない、そんな最悪の実状の真っただなかに、まさにいるのだ。

だからなのだが、確実にできる手だて、それは…防御である。

とは、つまり、攻めとなる逮捕は次善、が情けないはなし、外部、ことにマスコミにはあかせないホンネとなった。とくに上層部の大多数にとっては、もはやそれしかなかった。

実体は、“背に腹はかえられぬ”という、官僚ならではの保身だったのだ。

さて、要人警護を第一義とする空気だが、原刑事部長が音頭をとった犯人特定が失敗つづきとなったけっか、ともいえた。

まあそれはともかく、対象者として、例の三法案成立をはかった当時の場壁政権の元担当大臣や政務次官、事務次官(官僚のトップ)を中心に、護衛をさらに強化したのである。警視庁総体として、総力戦でのぞんだのだった。

上記のような最悪の状況ゆえに、展望のみえぬ事件解決に人員をさくよりはと、捜査それ自体に、慎重の度合いをつよめてはばからない上層部。

ということはすなわち、単独犯と想定するどころか、その方向での捜査にすらも、すでに腰がひけている、そんな現状となった。

せめて、単独犯と見こめるだけの手がかりらしきものでもあれば、話はちがってくるという者が、上層部のなかにもいないわけでもないが。

やはり上のほとんどには、目撃者たちの証言により、年齢や性別などがバラバラだったことから、単独犯だとすることなど、網から魚を逃がすにひとしい暴挙にうつるのだった。

もし複数犯だったなら、捜査本部全体がとんでもないブラックホールにのみこまれてしまい、またもやたんなる未解決事件、としてだけでなく、見当はずれの捜査で、総理経験者などを殺害した凶悪犯を野放しにしたままだと、マスコミなどから糾弾されることとなる。

 

さて、保身にキュウキュウの上層部を尻目に、防御のための、もっとも有効な手段は、いわずもがな、犯人逮捕であると。

それこそが肝要だとしているのは星野を筆頭に、矢野や和田たちだけであった、それで、頭がいっぱいになるほどに。

とはいえ悔しいかな、防衛省提出のおざなり的名簿から犯人へせまる以外に手段はなく、それゆえいまは、ファイルの写真をふくむ乏しい情報からの絞りこみに、全精力をそそぐしかなかった。

…そうはいっても、問題は三百超という数のおおさだ。

退職者の現状と実態、つまりは現住所や家族構成・勤務先など、これらはそれほどでもないだろうが、警視庁がその強大な組織力をもってしても、肝心の各犯行時のアリバイを三百人超ぶん調べあげるということが、いったいどれほどなのか。

くわえての動機をさぐる捜査、労作業ていどではとても表わしきれない、たいへんにすぎる仕事量となるなあ、と。

ちなみに、“…そうはいっても”のくだりからは、三百人有余の名簿をみた瞬間の、頭をつかわない岡田く~んの感想である。さすがに、かれらしい。

いっぽう、単独犯として捜査すると決断した矢野警部は、とうぜんながら、身長は160センチ台でしかも大柄ではなく、年齢は三十代後半まで、性別をば男性、で絞りこんだのだった。それでも、四十二人の被疑者がのこったのである。

なぜ四十二人も?

というのも、目撃証言を、あまりあてにはしなかった。変装している可能性にかんがみ、名簿の写真を観察しつつも、出っ歯や鼻の横のホクロに、あえて注目はしなかったからだ。

とはいっても、なんらかのかたちで犯人と接触した人たちに、四十二人の顔写真をみせはしたのだが、かれらは一様に首をかしげただけ。自信をもって、一葉の写真をゆびさす人はいなかったのである。

ところで、単独犯説は結局のところ、なにをいまさらだが、一種の背水の陣なのである。正論だとする確実性は、まだないのだから。

だからこそ、躍起にならざるをえなかった。同時にまちがっていればその分、じぶんたちを追いつめる諸刃の剣にもなる。

人間、順調であれば“好事、魔おおし“のポカもあるが、ふつうなら一心不乱にもなれよう。だがいまは正直、雑念というか、“ああでもないこうでもない”に左右されていた。

市ヶ谷の非協力に落胆したおもいがつよく、思慮熟考しようにも、精神的余裕がなかったからである。欲した名簿であってくれればと。

矢野たちが、優秀さにおいて比類ないメンバーたちであることにまちがいない。さりとてかれらも、ときにミスをおかす、人間なのだ。相棒のワトスンによれば、かの、シャーロック・ホームズでさえ失敗を数度も。

よって、捜査に見こみすらえられず、時間ばかりが経過する焦燥が、見すごしや目にみえないミスを誘発させてしまっていたのだった。冷静さや余裕があれば気づいたであろうことを、じつは見逃していたのである。

で、こんなときにボワーっと登場するのが、バカ田君である。

さて、班の切迫感の空気にもかかわらずなにをおもったか、鼻のあなをほじくりながらの、でもって、もはや、デカの顔ではない岡田が唐突に。「八年前かぁ。俺はいくつだったっけ」

かんたんな暗算ができないわけでもなかろうに、バカ田は指をおりながら「二十五歳、交番勤務三年目かぁ…。いまとちがって楽な勤務体系だったなあ」ほんらい、事件解決に集中していなければならない立場ながら、そんなことより八年前を懐かしげにおもいだしたのだった。岡田らしいといえば、それまでだが。

他人事のように八年前とつぶやいたわけだったが、場壁内閣による、大きな影響を国民生活におよぼすことになる法令の施行から連続殺害事件までの年数であることは、論をまたない。

そんな能天気を、おじの和田がしかりつけようとした刹那、

「今なんていった!」ちいさいが鋭く叫んだ矢野。

だが、「二十五歳、交番勤務三年目かぁ…」こちらはのんびりと復唱した。

「二十五歳、二十五歳」もう、バカ田のことなど眼中にない矢野は、二度つぶやいた。なにかが閃いたにちがいない。

杳(よう)としてすがたを晦(くら)ましたままの岩見殺害犯、後援会事務所のおばさんたちの証言によるとかれは三十代だった。しかしドローン窃盗犯は、被害者によると、当てにならないとはいえ、二十代と証言していた。それを思い出したのである。

そういえば、目撃された人物のなかに、二十代の女性がいた。場壁邸付近にて、かれらは同一時間帯に複数人数が目撃されてはいないことから、同一人とも仮定できる!と。

だとすれば、後援会事務所で数日間顔を曝(さら)した偽名西が、おばさんたちには印象の薄い寡黙な三十代男にみえたわけだが、それは、意図的にそういう変装やふるまいをしていたからではないか。

ホクロや出っ歯で素顔をごまかしただけでなく、化粧のたぐいで、年齢をも錯覚させていたとしたら…。というような憶測を、さらにすすめたのである。

これは実験してみなければなんともいえないが、小じわなどがでてくる三十代を若くみせるのは、特殊メイクを施したとしても、身近の眼をだますのは、むずかしいのではないか。

だが逆のばあい、七・八歳年上にみせるのはさほどでもないだろうと。たとえば目の下にクマを粧(よそお)えば若さをごまかせるのではと想像し、ベテラン婦警に依頼、二十五歳の藤浪でさっそく実験してみたのだった。

けっか……三十代にみえたのである。この事実だけでじゅうぶんであった。否、こんどは、バカ田のつぶやきと藤浪の年齢、二十五歳がつぎの憶測をよびこんだのだった、「犯人も二十五歳だったとしたら……」という。

――俺っておとこは、なんてバカなんだ!――いまにして思えばではあるが、犯人は八年前、まだ子供だったのだ。

かりに犯人が現在二十五歳だとすると、八年前は十七歳でしかない。これほどの犯罪をたくらみ、そして実行するにはまだ若すぎたのである。むろん、銃などさわったこともなかったであろう。

うかつだった。同時に、それにしても、まさかであった。高校生が政治にたいしこれほどの義憤をもって、しかも八年間もそれを退色させることなく、執念のなかでいきてきたなんて。

しかしながら、連続殺人を強行した、そんなつよすぎる動機の理由づけとしては、じつは、これでは不充分だともおもっていた。

それを充分にしたきっかけも、このあと、バカ田がになうことに。

それはさておき、おおきかった疑念も、これにより払拭ができるとしたのである。大人になるまで、さらにいえば知識と経験をつむまで八年という年月を必要としたのだろうと。

ここまでの推量において、辻褄があわないというような不具合はなかった。

つまり、高校を卒業するまでに約一年、陸自なかんずく特殊部隊でこんかいの犯罪に必要な訓練を完了するのに七年、計八年。

射撃技能や爆発物製造の知識があれば、八年もかける必要などなかったわけで、犯行までにかかりすぎた年数への、矢野がいだきつづけた“おおきすぎる疑念”も、おかげで霧消するではないか。

そのうえで、さらなるおかげがあった。

歯牙にもかけないですむ愚説だとして、しかしそれを否定するまでにはいたらなかった複数犯の可能性。証言などから上層部がしたこの主張を、そうではないと否定できたことだ。

なぜなら、「実行犯の成長と熟練のためとはいえ、ほかの犯人がとてもとても、八年もまちはしないだろう」である。それほどに、八年というのは長すぎるのだ。ほかの犯人が手分けして技能を向上させれば、長くとも二・三年で、犯行の準備を整えられたはずである。

矢野ならばこその憶測は、ここに帰着したのである。ただし、いつもの俊敏さや切れ味と冴えはなかったが。

それにしてもと、このていどのことに気がつかなかった己を、矢野は心中で叱責した。

しかしながら、いかな、かれとて人の子である。犠牲者のあまりのおおさと進展のみられない長い捜査に、心身ともに疲労困憊だったのだ。

ところで、そんな上司の苦悶などに頓着しない天真爛漫岡田君は他人事の感想をくちにした。「こんなだいそれた犯罪を実行する西という若造、そいつをそだてた親の顔、じっくりみてみたいものですね」

矢野係のみなは矢野をのぞき、あんぐり、あきれて開いたままのくちになってしまった、

全員が、犯人逮捕に躍起になっているときに、なんとのんきなことをと。

これが平時なら、藍出あたりが「いつもトンチンカンな言動野郎のおまえがいうな。ふだん、わしらこそ、おまえの親の顔みてみたいとおもってるんだから」とこぼしたかもしれない。

また、情けなそうな表情のおじにいたっては、兄の顔をおもいだしつつ、バカな甥のくちをガムテープでふさぎたくなった。しかし、

「……」矢野の開かれた眉は、思考回路のスイッチが全開したことをしめしていた。さらに閃いたということなのだ。「でかしたぞ、バ、いや岡田!」

さきほどの発言が貴重な同点打ならば、いまのは値千金の逆転満塁ホームランとなるかもしれないと。ただし確信するには、裏づけが必要であった。

「藤浪!特別国家秘密保護法案で世間が騒然となった時期があったなあ、八年くらいまえ。たしか、そのときひとりだけ犠牲者がでたと記憶している。そのひとのこと、詳しくしらべてみてくれ」

一をきいて十をしるタイプの藤浪は、犠牲者には当時高校生くらいの息子がいたのではないかをしらべてほしいのだと、そう忖度した。

さっそく、ネットで往時の新聞記事を検索した。およその時期を記憶していたのでそれほどの作業ではなかった。

やはりというべきか、矢野の記憶も読みも中(あた)っていたということだ。

犠牲者の名は東浩、弁護士で、享年五十一歳だった。当時、マスコミが大々的にとりあげ、世間の耳目をあつめた殺人事件の記事とニュース映像をみつけたのである。

講義デモに参加していたその、銃で撃ち殺された被害者には、当時十七歳になるひとり息子がいた。父親の突然の死に号泣する被害者家族として、新聞で紹介されていた。

ただし、それだけであった。年齢以外、顔はむろんのこと、名前すらも紹介されていなかったのである。

しかし、これではっきりした、まだ未成年だったと。そして、犯行動機は、復讐だと。

法案により、殺害の原因をつくった政治家たちこそ元凶と、真犯人にたいしては手をだせないぶん、いっそう、憎んだのだろう、矢野はそうみた。

それにしても、である。

ドローン盗難被害者は二十代と証言していた。が、当てになりそうになかった。いっぽう、接触期間が長く、しかも下心のない三人による、三十代との目撃証言。ならばどちらを信じるか、だった。

いまにして、犯人がそう見えるようにしむけたからだと。恥ずかしいことだが、そのせいで、矢野たちも幻惑されていたのだ。

なにも疑うことなく、三十代マイナス待機期間八年と計算してしまった。つまり、犯人が殺意をいだいたとき、すでに成人だったと、勝手に思いこんだのである。

これが、それなりに見こむこと(ただし見込み捜査ではない)で犯人に近づくに、見えざるバリアーとなってしまっていたとは。

八年ごしの犯行だが、当時、複数人数に復讐をはたすための技量がなかったからにすぎず、よって八年は、技量をつちかうためだった。とは、まさかだ。

だが動機がわかり、例のおざなりの名簿のおかげもあって、東浩造とすぐに判明した。西となのったことも、東が本名ならば、偽名にありがちだとして納得できた。

問題は、自衛隊離職後にすむ予定の住所と連絡先電話番号、であった。

ところで、かれの不惑八年は、政治にたいするふかい関心のゆえではなく、復讐をはたさんとの誓いが心底にあったからだと。

動機などほとんどのナゾは、矢野(とバカ田)のおかげでとけたのだった。

しかしながら、ナゾや不明点はまだのこっていた。

ひとつは当時の浩造をつつんでいた背景、そして肝心の、犯人の行方である。

なぜかならば、自衛隊離職時に東が記入した書類の住所には、十五年まえからまったくの別人が住んでいたからだ。後援会事務所においてそうだったように。で、電話番号もデタラメだった。もちろん、足がつかないようにだ。

入隊は、復讐殺人の手練(てだ)れ(熟練者・プロの技量)を手中におさめるための手段であった。だから退職時に、住所や連絡のつく電話番号をのこしておくはずなかったのである。

 

では、犯人である東の居所をしる手だては?

そこで藤浪は指示されるまえに、浩造の八年間の経歴調査に取りかかったわけだが、こちらは簡単ではなかった。東浩の死亡当時の住所はすぐにわかったが、現在、そこに遺族がすんではいなかった。

あとでわかったことだが、浩の両親(犯人浩造の祖父母)は、息子の非業の死の三年まえに亡くなっており、一人っ子の浩には浩造以外に子供がいなかったのだ。

だけでなく、十二年まえに離婚しすでに独身の身となっており、その浩の殺害後の経緯もあり、八年まえから住まいは、あき家になっていたのである。

離婚の理由だが、週刊誌によると世俗的であった。かいつまむとこうだ。庶民派弁護士として弱者擁護のスタンスをとり、仕事優先で家庭をかえりみない浩に不満を爆発させた妻が不倫し、その露見により離婚が成立。これが、浩造の現住所不明の遠因である。

離婚していなければ、退職後の浩造は、母親と同居していた可能性だってあるからだ。たとえ復讐後に累(るい)がおよばないよう、母親とは別居していたとしても、すくなくとも連絡くらいは取りあっていたのではないかと。

ともかくも両親の離婚後、中二の浩造は父親とくらしていた。しかしながら浩の死後、再婚していた母親に引きとられたのだった。だが浩造にとっては、本意ではなかったらしい。

かれは母親だけでなく、あらたな家族、とは義理の父親と異父の娘のことだが、そりがあわなかった。

それもあり、高校卒業後、母親の財布から全額を盗みだすと、家出したまま行方知れずとなってしまったのである。(これは後日の、母親の証言による。くわえて、探偵社に居所をしらべさせたのだが、空振りにおわっていたとのこと)

父を裏切った母親をゆるせなかったのも出奔の理由だろう、とは、経緯をしった直後の矢野の推測である。

さて、事件には関係ないことだが、陸自入隊審査の保証人には、高校三年時の担任教諭になってもらったのだった。

教諭は、優秀な生徒であるかれの進路に協力するのは当然とおもった。浩造の性格もこのましいとしつつ、家庭の事情にたいしては同情していたからだ、正義感のつよい浩造なら、教師という立場のじぶんに迷惑をかけまいとも。

この教諭への事情聴取を担当したのは和田だった。

ちなみに、高校教諭にたいし、陸自時代の前半は年賀状を毎年おくってきていたが、ここ三年はこなかったとも寂しそうにかたっていた。

居場所を特定させないがいちばんの理由だったとしても、それだけとは、人生にもまれすぎた和田には、おもえなかった。恩師に、できるならば迷惑をかけないよう、さらには恩義にそむくこともできればしたくなかったからではないか。

ところで母親の証言。逐電以来、音信不通になって今日にいたっていると、追跡調査でその住所と連絡先がわかった母親にたいし訪ねて問うたけっか、不安顔で藍出にこたえたのである。

それから母親は、おそるおそる尋ねたのだった。「浩造がなにか仕出かしたのでしょうか?」

「ある事件の捜査のためにお訊きしたいことがありまして」とだけでお茶をにごした。

このようにして八方手をつくした、これもそのひとつ。2016年一月に施行された法制度の、マイナンバー(通称)に登録されていた住所は、くだんの教諭のそれであった。