そんな被害者家族である矢野一彦の言が、犯人の耳には、焼き鏝ごてを当てられたようにはじめは熱く、やがて痛みとしておそってきたのである。

それでもだった、うなだれつつも、東は矢野の説得力、否、陽だまりのような温もりの人間力に、いつしか涙をこぼれさせたのだった。

そんな東に、寒風のあとの陽光をおもわせる言。

「もしくはだね、かかえている苦悩や呻吟(くるしみうめくこと)を乗りこえようとあがき、歯をくいしばっている、だったり、愛する人の幸せそうな笑顔をみたいからと、がんばって人生のきびしいのぼり坂を汗にまみれながらも、必死で歩きつづけているんとちがうかな、…ひとって」

「……」犯人は、口を真一文字に結んだまま、矢野のおだやかな声にしずかに耳をかたむけていた。さきほどまでは垂れた頭こうべだったが、いつしかその面おもてをあげていたのだ。

 そんなようすに矢野は、いたずらっ子の頭を、よしよしとなでるような口調で語りつづけた。「じぶんの幸せは、家族はもちろんのこと、友人などまわりの幸せがあってこそ、より光り輝くのではないかな」

 ふたりの子供たちを残したままの両親の無念をおもいながら、それでも、いやだからこそ人として、だれかの役にたちたいとねがいつつ日々生きている。

、きっと両親は、そんな自分を、いつも笑顔でみつめているだろうと信じているのだ。

「…逆に、たとえ復讐であろうとも、ひとの不幸のうえにきづいたやり甲斐や満足、キミのばあいはちがうが、幸せなどは、砂上の楼閣のように儚いものだと、すくなくともボクはそう思うよ」

 最初のうち、達成感は、たしかにあった。しかしそのうち、色ざめてゆき、しだいに、達成感をえられなくなっていったじぶんを、不思議だとかんじていた。

 その理由が、わかった気がしたのだ。

「くどいが、あえて言おう。血にそまった息子をみて、お父さんはどう思っているだろうか」

矢野が言わんとしていることを、全くそのとおりだと。

悔いあらためることをはじめた東の面持ちはというと、じぶんのしでかした罪のおおきさに気づき、自責で満ちていたのである。その眸は、罪をつぐなうになにをなすべきか、考えはじめたことをしめす光を放っていた。

そんなすがたを確認し安堵した矢野は、すこしの間だけじぶんに戻ったのである。

死んでもきえないほどの無慚(いたましさ)を、まだ幼かった身でいやというほどにしった。それがどれほどのものか…。経験したものにしか、その苦海の深さも昏くらさもわかるものではない。

無慙に苦しんできたかれであったが、愛にみちた婚姻のおかげで、また敬愛できる上司や信頼できる部下たちのおかげで、みずからの幸福をしみじみと、実感できているのである。

そのことに日々感謝し、今日を、そして未来を、じぶんらしく生きていくのだと。

第一部  完