ところで、話題にのぼった新井巡査。大阪府警察本部の鑑識課に配属されて二年目になる。
ただし正確な年齢は不詳ということで悪しからず。

「いつ見ても別嬪さんや」とは、あるベテラン。「女優の北川景子には及ぶべくもないが、そうはいってもたしかにキュートや」との評は藤川。本部所属の二百人近い女性警察官。なかでもひときわ光彩を放っているという意味において“紅一点”と称して問題ない。むくつけき男社会の警察機構にあってイヤでも目を引く存在、いや数少ない美形なのである。
その新井巡査。矢野に、本人は心秘かに想いを寄せている。そのつもりだが、捜査一課で気づいていない者はいない。たいした検査結果もないのに、矢野警部にいちいち報告に来れば…。皆が彼女を温かく見守っているのは、不倫など起こりえないからである。
矢野一彦にとっての女性とは唯一、現夫人の真弓だけだと知れわたっているためだ。その真弓夫人のことも、現矢野係のうちの四人はよく知っている。元同僚だったのだから。
「バカ田!しょうもないこと言うてんと、この間の事件の報告書、はよ、提出せいや。事件に駆り出されたら、時間がないと、また泣きごとを言うはめになるぞ」叔父にあたる和田警部補が、少し気の緩んでいる第二強行犯矢野捜査一係全体に喝を入れるべく、きつい一言を発した。一番の年長者としての貫録でもあった。

和田は、岡田の母親の弟にあたる。小さいころからよく叱られたせいで、正直、今でも苦手にしている。素直に従ってしまうゆえんだ。ただ、公然の“バカ田”呼ばわりには閉口している。何度か抗議したが改めてくれないので、聞き流すことに決めたのだった。抵抗や反抗をすれば、さらなる砲火を浴びせかけられることを経験から知っているのだ。

藤川も徒然なるままの安穏に浸ってはいられないと背筋を伸ばしパソコンを起動させた。
「それにしても、わけのわからん事件がまたもや起きてしまいましたね」藍出が紙面から、先輩警部補に視線を移しながら言った。
視線を受けた和田、曲ったことが大嫌いという武骨な古武士を連想させる風貌であり、そんな人格でもあった。太い眉と一重の眼、眸の奥からギロリ放たれる鋭い眼光、締まった口許と銃弾をも撥ねかえしそうな頑丈そのものの顎などは、戦国時代の侍大将のようだ。加えての低い団子っ鼻、隆起した頬骨。甥の岡田とは違う意味で恐い異相である。という和田だが、今年末で定年のゆえに、有終の美でスッキリした退職を願っている。そんな彼のカサカサの黒っぽい唇が、第一報が昨夕になって報道された事件のことかと、問うた。
藍出は肯くかわりに「いくら訓導するためとはいえ、人ひとりの命を奪いますかね、それもあろうことか、自分の娘の命をです!しかも、人を救う宗教に携わる人間が」悲しみと憤りがまじった溜め息を洩らしたが、気を取り直すとおもむろに、記事を概説しだした。

ところでこの事件を引き起こす原因ともなった別の殺人事件が、じつはすでに起こっており、後日、矢野係が捜査することになろうとは…。それを総力戦で解明したり、おかげで強烈な関連性を持つ別の事件へ、そしてさらに別の事件捜査へつながりゆくことになろうとは、この時点では知りえるはずもなく。

いやそれどころか、今朝の無聊は嵐の前の静けさでしかなく、数時間後、迷宮入りしそうな難事件を皮切りに、次々と担当する破目になろうことも。
ましてそれが、不連続でありながら、ある共通点において不思議な連続性を持ち、しかし各事件はやはり独立していて不連続、そんな、暗夜を手さぐりで進むような一連の捜査に発展しようとは、むろん知ること能(あた)わず、であった。