ここで、我にかえった。で、矢野流の捜査法をいったん、しまうことに。

そのとき、のどの渇きをおぼえた。藍出がいれてくれていた茶で潤すと、

気持ちをいれかえ、こんどは捜査の原点にたちかえり、五つの事件の経緯をすべて掘りおこしながら、アリの一穴を、ためつすがめつ(いろんな角度からみる)しつつ、さがしたのである。

さても、この、ためつすがめつのときこそは、さらにだった。どれほどの時間が、経過したであろうか。

それをしる手立てならある。ふだんは身ぎれいにしている矢野の、無精ひげがめだっていたからだ。

それでもだった、ちいさな穴すらも、やつはのこしてはいないようだと。

――ダメだ!先がみえてこない――何としてでも見つけるのだとあがいた、というより、抗った、イヤ、闘ったというほどだったのに。

で、今もだが、頭が混乱しているわけではないのに、矢野の思索は、またもや横道へとそれていったのである。わるい性癖といわれれば、たしかにそうだ。

――それにしても、復讐が動機のすべてだったのだろうか?――ふと、そんな気が。

復讐、だけだったにしては、犯行にしろ、そのやり口や被害の結果にしろ、大仰にすぎやしまいか。

また、こうも考えた。やつは、復讐をはたしたあと、どうするつもりでいるのか。

命がけで取りくんだにちがいない復讐の数々。だからこそというべきか、大げさではなく、けっか、全世界を震撼させたのである。まさに世紀の超ド級一大テロ事件として。

じじつ、近隣の国々のみならず、欧米の各国までもがトップニュースで連日取りあげつづけたほどだった。元首相などの国会議員や元議長たちをふくむ十一人が殺害されたのだから、格好のネタになったとして、なんのふしぎもない。

東はある意味、そんなデカイことを完遂(連続殺人はもう起きていない、だからといって安心を、矢野たちはしてはいない)したあとだけに、茫然自失といおうか、今後の人生における目標を見失い、抜け殻となって、ただ生きているだけの存在になってしまっていたとしても、それこそふしぎではない。

むしろそうなるのが、ひととして、いわば普通ではないだろうか。

すこし違うがそのむかし、一世を風靡した女優原節子が引退したあと、二度と復帰しなかったように。やり終えた感がつよければ、肩の荷がおりたとして、べつの荷を担ごうなどの気にはならないこともあろう。

むろん、現状、東がどうなっているのかは、まだ知るべくもないが。もし腑抜けになっていたとしてだが、事前に、報復後において、じぶんが空蝉(うつせみ)(セミの抜けがら)のようになることに想いがいたらなかったのだろうかと。

老婆心ではある。不要な忖度だとも。いずれにしろ、東の心裡(心のうら)を斟酌するためには、やつを知らなすぎる、ということだ。

まあ、これにかんしてもだが、自白をまつしかなかった、むろん、逮捕できてからのはなしではあるが。