ところで和田からの報告を矢野がうけた三時間後、やってきたべつの警察官がいた。鑑識課員である。指紋採取と、似顔絵作成のためであった。
しかし会長もふたりいる中年の女性事務員も、西の印象には自信なさげになっていった。
なぜなら、鑑識課員から顔のパーツを問われるたびに、眉の太さや鼻の形、唇の厚み…否、それどころか三人が三人、推定年齢までもが三十代前半から三十代後半までと、バラついた印象をもっていたからだ。
短期間とはいえ、身近で見ていたにもかかわらず、最大、十も年齢差があるということだ。
三者同一見解だったのは、短めの頭髪が茶色だったことと出っ歯だったくらい。それと、若いおとこにしては背がひくかったこと。160センチ台の前半だろうと。
背丈は、解析した映像とも、ドローン盗難被害者の証言ともほぼ一致しているということだ。
しかし年齢もだが、肝心の人相のほうがもっとちがっていた。
ドローン盗難被害者の証言によると、犯人は妙齢の美人だったと。はたして西が女装したとして、出っ歯の美人なんているだろうか。とはいえ、蓼(たで)喰う虫も好き好きとか。好みは千差万別なのだから。
こうかんがえるのは、むろん、単独犯説による。いっぽうで、複数犯ならば、男女がいてもなんの不思議もないわけだが。
似顔絵担当の鑑識課員は、ここで矢野からたのまれていた質問をした。「おとこらしくない風貌やしぐさに気づきませんでしたか?」その具体性だが、本来の質問者である矢野にもわかっていない。くやしいが、犯人像がうかんでこないのだ。
でもって、質問の意図を理解できない表情が三つならんだ。
ややあって、「西?だったかな。そいつが女だったかもって?それはないな。なよなよしていたなんてなかったし。それに声だって、どうきいてもおとこだった、うん、まちがいない」との会長の発言。
つられて、事務員たちはゆっくり首肯をしたのだった。
大事なことだからと、具体例をあげることにした。「男女で、たとえばのど仏にそのちがいがあらわれますよね」。
しかし、三人ともが思いだせないと答えた。
「では、男性らしくないしぐさ、小指をたててグラスをもつとか」
今度はおばさんたちが即答した。「それはなかったと、はい。だってそんなしぐさ、気持ちがわるいでしょう」お互いを見あわせながらうなずき合った。
まあこんなものだと、矢野へのおみやげをもち帰れそうにない鑑識課員は、当初の、似顔絵をかくための質問にもどるしかなかった。「これというような特徴は?そうですね、ひげを生やしてたとか、キズがあったとか」
それにたいする事務員の発言がふるっていた。「イケ面だったら、そのへんしっかり覚えているのにね。さっきの、のど仏の出具合についても。ああ、そういえば鼻の横にすこしおおきめのホクロがありました」であった。
それについても、どちら側だったか一致しなかったのである。
もうひとりは、ちがう表現をした。「印象がうすいというのか、存在感のない、寡黙だったこともあり、かすみのようなおとこでした」
ワンマン会長も、じぶんたちの嫌疑が晴れたことに気をよくしたのか、口をひらいた。あるいは先日の警察官たちとちがい、盾つくような態度ではなかったからか。「おとなしいというのか、気が弱そうな…」
これには、ふたりの女性ともに同意した。「こまかいことに、よく気はつくけれど、それだけが取柄みたいな」
さて鑑識課員だが、かれらがいった、顔立ちがバラバラだったことを意にも介していない。顔のパーツよりも、むしろ、雰囲気やざっくりした印象に重きをおくタイプだったからだ。
あとの雑談めいたことを耳にしながらも、似顔絵作製歴十一年の手練(てだ)れは、ひとの記憶が当てにならないことを、数えきれぬほど身でもって体験してきたのだから。それゆえ、印象が三者三様だったとしても、不満ではなかった。
かれは、折衷案で描いていったのである。顔の部位で、三人のうちのふたりが一致すればそれを採用した。三者三様だった場合は、いちばん自信ありげな記憶をたよりにかいていった。
そんな鑑識課員は、基本的に事情聴取には興味がない。顔だちと背格好と服装にだけ耳をかたむけている。事情聴取めいたものは、録音機にまかせればいいと。このての雑談が捜査の参考になることを、若いころのデカ経験で知ってはいる。
それに、矢野警部に、録音を依頼されてもいた。
ところで雑談のつづき。
「だいいち、面接の日をいれても五日かせいぜい六日ていど、事務所にきていた期間って」とは、もうひとりのおばさん。どこか言いわけがましくもきこえた。
それでもどうにか描きあがった絵をみて、これまた三者とも小首を傾げていた。なんどか描きなおしや加筆を試みたが、これはというものは、ついにできあがらなかった。
それでも無いよりはましと原刑事部長の判断で、マスコミをつうじて似顔絵をながしたのだった。…ものの、かえって捜査を混乱させてしまったのである。過去の失敗にたいする反省も訓をえることも、しなかったけっかだ。
それは1968年、東京都府中市で起きた三億円強奪事件(1975年12月10日に公訴時効が成立した。ちなみに2022年現在においても、テレビ番組がとりあげるほどに有名な未解決事件である)の犯人写真(警視庁がマスコミをつうじ大々的に公表したが、じつはちがっていた。被疑者のひとり、かりに少年Aとするがそのおとこに似た、しかし別人の顔写真だったと後年になり発表したのである。別人の写真公表という愚行がいっそう、捜査を混乱させたといわれている)の失敗因が、教訓にはならなかったということだ。
不祥事つづきの警察は責められるべきだが、会長たちを責めることはできない。二か月ちかく経過しているうえ、人間の記憶などというものは、本来かなりいいかげんなものだ。
たとえば職場の同僚などで、関心をもてないひとの顔を思い浮かべてみると、それがよくわかる。かりにあなたが専門家に似顔絵を描かせることになったばあい、対象者の顔の各パーツの形状を的確にいえるだろうか。
そのような事実もふくめ、だから名探偵シャーロック・ホームズは、「観察力が大事」と相棒のワトスンに強調するのである。
ところで、絵空事のような探偵小説などよんだことのない和田。「そんな暇があったら、目のまえの仕事に集中しろ!」…タイプのデカなのだ。
そんなかれだが、凶悪犯罪の散見する現実世界に生きるデカとして、ここにきて、あることに思いがいたった、
――名前も住所もデタラメだった。とうぜん、じぶんを特定されたくなかったからだ。だったら、かんたんな変装くらいしていたのではないか?――と気づくのに、えっ、やっと、の感は否めないが。
それでもまあ、原主導の、刑事たちによる、似顔絵を手にしての地取り捜査が進展しないなか、和田のこの仮説だが、ふたつの殺害においてほとんど証拠をのこさなかった犯人ならば、無造作にすがおを曝(さら)すはずがないと。
つまり、ホクロも出っ歯も怪しいということだ。そうとみせるグッズなら市販されている。むろん、変装していたという証言をえたわけではないが。
まちがいないのは、残念ながら、直接接触したかれらの記憶に食いちがいがおおく、期待をもてないということだ。
ところでもうひとりの鑑識員だが、犯人がつかっていたロッカーを中心にトイレまわりやそなえつけの什器類等の指紋採取に黙々といそしんでいた。しかし、拭きとった痕跡を確認できただけであった。
帳場がかけていた期待は、むなしいものとなってしまった。
せっかく犯人が影をちらつかせたにもかかわらず、その影すらとらえることができないのかと、無言の悲観が、帳場の全員におおいかぶさったのである。
だが、悲観材料ばかりではなかった。犯人の身長である。映像およびドローン盗難被害者や、おばさんたちの証言が、160センチごえでほぼ一致していたことだ。
このことにおいても、犯人はやはり単独犯ではないか、これが矢野の見解だった。場壁邸付近で目撃された不審者、男女や年齢などなど、たしかに日替わりではあったが、きまって単数だったではないか。
それに、第二と第三の事件で間隔があいたのも、警察を油断させるためだった、ではなく、単独犯だからだ。むろん、異見を承知のうえで、複数犯ならいろいろと手わけができるぶん、四十日という日数の、ひつようはなかったはずだとした。
ただ、単独犯説をはばむべく、おおきな難点がある。盗難被害者の証言だ。「美女だった」と断言している。
しかし、“オネエ”と呼ばれているひとが出るテレビ番組でも、またタイのニューハーフコンテストでも、明かされてはじめて、おとこだと驚かされることもすくなくない。
で、こちらも確証はまだないが、ドローンを盗んだ犯人、やはり女装だったのだろうと再度。
捜査が行きづまった状況にかんがみ、矢野は会議で、一考をと原にせまった。それだけの価値があるはずだと。
しかし原は、矢野のはあくまでも思いつきにすぎず、根拠に乏しいとした。またなにかと錯綜しており、あらたな捜査方針は弊害として、捜査員を混乱させるだけだとも。
そのうえで、じぶんの「捜査方針にしたがいなさい」そう、命令したのだ。数段、階級がしたの警部に指図されるのを、たんに、よしとしなかったのである。
数年まえに弾劾罷免されたどこかのバカすぎる大統領のように、傲岸で独断なのだ。
じつは心の底で矢野に敵愾心をいだいている原刑事部長は、耳をかしたくなかっただけなのだ。
黙殺しつつ、手づまりの捜査本部として、徹した地取りをかけさせたのだった。
そんな状況下、矢野は、上の命令による持ち場をこなすしかなかった。とはいっても、岡田とふたりでだった、地取りの成果がでないことを、適当な理由ではぐらかしながら。
原の自己顕示欲や優越感をみたすべく、命令にしたがっていると、ただ見せかけたかっただけなのだ。
いっぽうで、のこりの部下には、犯人につながるなにかを、追わせていたのである。
“西”(本名が東である可能性はひくくないと、矢野はみている)がもよりの駅から徒歩で来所していたとしたおばさんの証言をもとに、まずは、後援会事務所周辺半径三百メートルと、駅につうじるいくつかの道路において、目撃者をみつけられればと。
それにしても惜しむらくは、駅と周辺に設置されている防犯用や監視用カメラがとらえたであろう映像が、すでに消去されていたことだ。西の存在を、もっと早く帳場がしっていれば、消されるまえに、映像をおさえたであろうに。
しかし、ないものねだりをしても始まらない。
ともかくも、偽名西の来所時間と退所時間にあわせて、朝は通勤通学途中の、夜も帰路にある勤め人などや通行人に、例の似顔絵をみせてまわったのだった、
ホクロや出っ歯が変装だったとして、しかしその姿のままで、駅と事務所間を往復していた公算がたかいとふんで、似顔絵をつかったのである。
だけでなく、飲食店やコンビニなどもシラミ潰しにあたったのだった。もし立ちよっていればそこから追跡調査し、有力情報を入手できるかもしれないと期待しつつ。
だが、いずれもあたりはなかった。それでも捜査の常道として、徐々に範囲をひろげていった。いまはこれでしか犯人に迫るすべがなかったからだ。
しかしながら、目撃者をみつけることは、ついにできなかったのである。
日差しは、春めいてきたというのに、帳場は冬のままだった。
他方、原が命じる地取り捜査の本隊も、同じ似顔絵を手に、目撃者さがしにかれらの靴底をすりへらさせつづけていた。
事務員の証言からはありえないのだが、しだいに網をひろげる意味で、バスや異なる路線の各駅でも、似顔絵を手にきいてまわったのだった。しかしそのどちらにおいても、目撃者をみつけられないという無残なけっかにおわった。
そこで視点をかえた。
犯人の、もともとの生活の基点が東京にあったとして、千葉にはウイークリーマンションか簡易ホテル、カプセルホテルなどで寝泊まりしていた可能性ならば、ちいさいながらあるだろうと。
だが、こちらも徒労におわった。こうなると、東京からかよっていたとの公算がおおきくなる。
それもかんがえて、犯人が利用しただろう路線の各駅と付近にも、似顔絵をベタベタと貼っておいたのである。が、やはり有力な情報をえることはできなかった。
それにしてもあらためておもうのは、大胆なやり口についてである、犯人は、三人のおとなのまえに姿を曝したのだから。
そんななか、正確な記憶としてはのこらないよう、犯人は腐心しつつ、ことにおよんだのではないか。
周到さと放胆さをかねそなえた年齢不詳の犯人は、行動力でも抜きんでていると、星野もある意味で、内心感心した。ゲーム感覚ではもちろんないのだが、手ごわい敵だと。
なればこそもしあるとして、つぎの殺人をゆるしてはならないと、一種リキんでしまった。口惜しいがいまはそれ以外、なにもできなかったのである。
捜査会議で、各方面での地取りがムダ骨のままで埒があかないとしらされた面々は、下唇に血がにじむほど悔しがったのである。つぎの事件がおきないよう、ただ祈るしかないじぶんたちの不甲斐なさにだ。
いっぽう、既述したように、和田以下の精鋭による懸命の捜査も、矢野係長の極秘任務としてすすめられていたのである。
にもかかわらずこちらも、足取りをまったくつかめないまま、イラだちの日にちだけがいたずらに過ぎていた。
しこうして、犯人の幻を追いつづけている矢野班は、どこかで方向のあやまった道をただやみくもにつき進んでいただけ…、はたしてそうなのか?ちがう道に迷いこんだ、たんなる方向音痴にすぎないのか、じぶんたちは、と。
いやちがう、かずかずの事件を解決してきたという自負において、そんなに体たらくではない!
だとすると、やはりは翻弄している犯人がいまは数段上で、奸智にたけた“そやつ“がこしらえた出口のない迷路へと、誘(いざな)われているのではないか?と。
だとしたら、こちらとしては捜査方針をかえ、ちがった視点から見るひつようがある!
で、ここ一両日の矢野だが、迷路からの脱出法はないか?に没頭していたのである。しかし見えてこない。
――とにかく疲れたぁ――で、息抜きしたくなった。
珍しくそんなため息のあと、ふと浮かんだのが愛妻、ではなく、なぜか岡田の顔だった。ブ男なのだが、どこか愛嬌があり和めるから…か。いやいや、そうではなかった、見あげた天井のシミが似ていたからにすぎない。
つられて、飲み会で岡田が酔っぱらったおり、しばしば口にしていた笑いばなしを、思いだしたのである。
ライト級元世界チャンピオン(言っちゃうけど、じつはガッツ石松)が、役者として時代劇に出演したあと、「むかしの人は、仕事のたんび、カツラをつけたり外したり。ほんと、大変だったろうな」と発した迷言を。
疲れているせいか、おもわず鼻でムフゥと嗤ってしまった。役者がカツラをつけるのは客に見せるため。脱ぐのは、役をおえ、カツラの必要がなくなったから。子どもでも知ってい…、そう独り言(ご)ちかけて、頬がこわばった。
あっ!そういうことか!と気づいた刹那、じぶんの不明に、シャーロック・ホームズはまだあこがれの存在でしかないと、ちいさく歎息した。
それはそれとして、気づいたこと。
…犯人は、事務所の三人にみせるために変装し、その必要性がなくなると、すぐさま、すがおに戻ったのではないか。そう、すぐさま!
犯罪者というやつは、できるだけ素顔をみせたくないものだ。とうぜんの心裡である。往路も復路でも、だから、できるだけ変装のままでいただろうと。デカとしての経験から、そう思いこんでいた。
しかしこんかいばかりは、その忖度や経験則が足枷となった。いや、そうではなく、犯人の気持ちになったつもり…が、まったくもって不充分だったようだ。
よくかんがえてみれば、出っ歯にしろおおきめのホクロにしろ、かえって目立つことになる、
ということは逆に、事務所に入るぎりぎりまで、そしてでた直後もそうだが、素顔であるほうが自然とひとごみに紛れこめると。木をかくすなら、同じ木がはえている森こそのぞましいの理屈だ。
つまり、来所前にどこかで“西”の顔をつくり、帰路の途中で変装をといた…。しかもできるだけ事務所のちかくで。
疲労がピークにあるとはいえ、もっとはやくに気づくべきであった。
それにしても、岡田は、やはり貴重な戦力である。おもわず破顔した。
で、後援会事務所をいちばんしっている和田に、この推測を披露したのだった。
「なるほど!きっとそうですよ」と、矢野の着想をきいた和田はひざを叩いたのである。
さっそく、検証すべく、和田は記憶をたどったのだった。
すると、事務所から駅へ百メートルほどの距離に、児童公園があったことをおもいだした。敷地内にたしか、トイレも設置されていたはず、とも。
和田がすむ町の児童公園がそうであるように、昼間は子どもたちのはしゃぐ声にみたされるが、朝はおそらく利用者もすくなく、日が暮れたとなると人影はほとんどなくなるのではないかと。
ならば犯人にとって、まさにうってつけの場所といえるだろう。
さっそく、電車にのった和田は、その公園の平日の朝と夕刻以降のようすを観察することにした。
ところで、矢野係に配属されるずっと以前、まだ若かったとはいえ、早とちりから誤認逮捕したことがあった。それがトラウマとなって、いまでもじぶんの推測にたいし、疑心暗鬼になりがちなのだ。
じつはこれが、矢野にもまだうち明けていない、デカとしての心の深手である。
そんな深手をかかえながら、朝暮、公園を観察したのだった、鑑識にかりてきた指紋採取用キットで、トイレからえられるおとなの指紋のみを検体としつつ。
というのも、犯人はこのトイレで変装したのだろうとにらんでいるからだ。それを、たんなる憶測にはよらず、証拠により事実として証明できれば、誤認逮捕の心配をしなくてすむ。
むろん、ここの指紋だけでは、いまは意味をなさないことを、承知のうえでの採取であった。
しかしけっかからいうと、犯人の指紋を採取できなかったのである。手袋を装着していたとしるにはさらに時間を要するのだが、それを詳述するのは、いまではない。
ともかくいまの和田は、犯人がトイレを使用したという証拠を、みつけた場合の今後の捜査法を、あいた時間でいろいろとかんがえたのだった、ムダになることを想定のうえで。
その思考のひとつが、矢野がとる単独犯説についてである。
カメラにおさまった映像のすべてにおいても、さらには五人以上(公園でのドローンの操縦訓練をみた老人、また場壁邸付近での車中の人物を目撃していたひとたち)の証言でも、いつもひとりであった。
それはさておき、かれはこの公園で最低限とはいえ、成果をえることができたのだった。
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