さても、各自が急行し事件現場を確認した矢野係の面々も、そしてかれらが尊敬する上司、星野管理官四十五歳の強面(こわもて)の眉もが列席する緊急捜査会議だが、すでにはじまっていた。
いまだおおきな政治力を有する元首相の射殺事件、その第一回会議である。それにしても異例のはやさでひらかれたのだった。
ちなみに、海外での要人暗殺のばあいはとくに、テロ集団が犯行声明をだすこともすくなくないが、事件から五時間後の午前五時十四分、警察にも各報道機関にもそれらしいものはとどいていなかった。
ついでながら犯行声明としては、ついにとどくことはなかったのである。
「丸害が、タクシーをおりて歩道を横断しはじめた瞬間」捜査本部に設置されたスクリーンに映しだされた現場写真や同所概略図をしめしつつ、鑑識の平野係長が説明していた。
「四時の方向から頭部を撃たれました」四時とはこのばあい、射殺直前の被害者からみてその正面を零時に見たてての方角をさしていた。つまり、右ななめ後方120度の方位のことになる。
「うむ、わかった。で、早期逮捕のための手だてだが、具体的にはどんな態勢でのぞんでいる?」道路の火急な非常検問が有効と判断ししじした刑事部長原和博五十二歳の語気だが、“早期逮捕”に力がこもっていた。出世欲の権化の、たんなる願望のこえである。
「事件発生から十九分後、できるところから順次、各種検問をしきました」精いっぱいの迅速さだったことを、原に暗にうったえたのも、現刑事部長がもたらした狭量な結果第一主義が具現化したからだ。なぜその手をうったかや、経過、課程がかろんじられる風潮は、現場をしらない原に因がある。
「が、いまのところ不審者や不審車両の発見にはいたっていません」
このばあいの各種検問とは、犯罪の予防・検挙を目的とする警戒検問と、基本的には犯行直後の犯人逮捕を目的とする緊急配備検問のことをさしている。
しかし五時間たってもあたりがないと交通部を代表して報告したのは、そこのベテラン警部補であった。
ところでかれが想定した不審車両とは、狙撃現場から逃げさる手段としての車やバイクをさしている。
「吉野、目撃者はでたか」矢野係の面々においてはとおり相場となっている小心者…刑事部長の原だったが、早期解決をねがうあまりその声がうわずっていた。ボンボンそだちの童顔(五十面で童顔とは、ウケる~のだが)のせいでまったく似合っていないにもかかわらず、威厳をつけるためにだろう、生(は)やしたコールマンひげがぴくぴくと忙(せわ)しない。
「最初は二人からでしたが、十七分後には、着弾現場周辺の訊きこみに着手しました。現在、所轄の人員もふくめて三十八人態勢でのぞんでいます。ですが、いまのところこれといった目撃証言は」機動捜査隊の吉野警部補(主任)が残念そうにこたえた。
「銃声を聞いた者もいないということか」音のおおきさにもよるが、銃声をきいたものがいれば、すなわち、そのちかくが狙撃の現場となる。
「はい、午前五時半現在ひとりも。あるいは」とのべ、ついでサイレンサ―をつかった可能性に言及したのだった。
渋いかおのままうなずいた原部長。「つぎ!銃にかんする情報は?」すこしもいい情報がないことにイラつきだしたキャリアという立場の、ただし実体はたんに頭でっかちなだけで捜査経験の些少なこのおとこ、まずは、目撃証言と凶器である銃から犯人にせまろうと、そんなおもわくだけで会議にのぞんだといっていい。
換言すれば、ほかの手だてをおもいうかべる知恵も余裕もないという体たらくであった。
「解剖結果から、射入角度は19度から22度(3度の誤差は被弾時の衝撃による。そしてこれが、射撃地点特定の足枷(あしかせ)となっていた)」
この時点ですでに、運びこまれた警察病院(中野区中野四丁目)で死亡が確認され、早速、司法解剖にまわされたのだった。被害者が元総理であったから、原が早期の解剖を命じたのである。
この情報により、右斜め後方120度からの銃撃とあわせ、狙撃現場の特定だが遅くとも今夜中にはと捜査員たちは思った。
「頭部から摘出した弾丸は22口径でした。弾はその一発だけで、うち損じた様子はありません。丸害がたっていた路面やちかくの建物などに着弾した痕跡はなかったと鑑識からきいておりますので。また科捜研のほうですが、ライフルマークを照合し、まえの有無(過去の事件での使用歴)をしらべている段階です」
平野鑑識係長のかわりに発言したのは、矢野係の藍出警部補(結婚間近の三十五歳)であった。
平野は、報告をおえた段階で現場にもどっていったからだ。捜査会議のとちゅうで退席するのは異例なのだが、ほかの鑑識課員が総出で現場にへばりついての鑑識活動中である。ひとりでも人員を割(さ)きたくなかったのだ。
さて、翌日になり、履歴を特定できないライフル銃から発射されたものと判明した。残念ながら、銃から犯人をおうのはむずかしいということだ。
きいたときの原の眉がくもった。
ちなみにライフルマーク(線条痕)をたとえて、“銃の指紋”と表現されることもおおい。
だが十数年ほどまえから量が増え、いまは主流になりつつあるコールド・ハンマーリング(冷間鍛造方式)で大量生産された銃のばあいはやっかいだ。
この大量生産ということばがしめす意味あい、それは線条(銃身内にほられたミゾ)にほとんど差がない、換言すれば個性や特徴のない銃が、相当量でまわっているということだ。
つまり銃を特定するに、指紋だったはずの線条痕がいぜんほどには効力を発揮しなくなったと、残念ながら、なるからである。
警視庁内において英邁でしられる矢野の、一番弟子を自負する藍出はつづけた。「まずはここ三年であらたに銃を入手した人物、各所轄から情報をすいあげて、まずは、東京と神奈川の銃砲店からあたっていくつもりです」
かれは原にではなく、尊敬する星野の眼をみてしめくくった。とはいっても、とくに腹を意識しての無視ではなくごく自然体であった。
「そうしてくれ」きびしげな眉目で腕ぐみしたままだった星野は、それでヒットしなければ関東一円に範囲をひろげるよう、いちおうの指示をした。ただし、さほどには期待していない。
闇サイトによるネットで購入した可能性もあり、否、さらにいうならば、購入時期も数量もふめいだからだ。銃砲店でだったとしても、三年いや五年以上まえに購入した銃かもしれないうえ、一丁だけときまったわけでもない。つまり、あやしい購入者を見つけだすことすら、簡単ではないということだ。
それでも調べないわけにはいかないのだが。
ところで、捜査に不可欠な重要手がかりについて。
現時点にかぎらず、今後を想定するにどうやらすくなそうだと。緻密な計画犯罪により、犯人(あるいは犯人たち)に翻弄されそうな、イヤな予感に鳥肌がたっていた。
一発で仕とめた手腕、最短時間ではった包囲網にひっかからない逃げあしの巧妙などスマートそのものだからだ。そのあたりのこともふくめて、矢野警部ならいわずもがなで、しらべるにちがいないとも星野は察している。
そんな暗黙の期待を違(たが)えるはずのない矢野は捜査会議直後、インターネットの闇やウラにも精通しているぶかの藤川巡査長に銃の購入経路をさぐらせた。五日間で六十時間以上をかけて、闇サイトにアクセスさせた。
だが、案の定中(あた)りはなかった。購入時期も数量もふめいというのがネックとなったきらい、それもあるにはある。
しかしそれ以上のふめいをうんだのが、闇サイトにおける出店者みずからがもうけた有効期限であった。おそいものでも十日、はやいやつだと一週間できれて、消滅してしまっていたからだ。
闇サイトそのものが反社会的存在であるうえに、そこで銃という、違法そのものでしかもおそろしげな品物の闇売買をするとなったら、出店者自身が官憲をおそれてとうぜん警戒してくる。
具体的には、A出店者がZという闇サイトを短期で利用しては姿をけすために出店をやめる。直後に店名をかえ、Y闇サイトに乗りかえて出店する、という手法をとっていた。むろん、摘発や逮捕をまぬがれるためにだ。
そういうわけでいまだ警察組織は、出店者数さえ掌握できないでいる。
しかしながら、需要と供給という経済学上のバランスから想像するに、出店者の数自体は、そうおおくはないであろう。
そんな見当をつけながらの藤川は、コンピュータにかんする知識においては警視庁随一である。それゆえ、裏サイトの生滅事情も情報として有していた。しかもかれは、第一級のハッカー顔まけの技量すらみにつけていたのである。それほどの藤川でも、既述したようにこころみは成功しなかったのだった。
もちろん闇業者は、銃以外も取りあつかっている。店により多少の差はあるが、そんなやからは劇薬や爆弾等のヤバい代物をあつかっているばあいがほとんどで、短期的一定期間がくれば河岸をかえるために消息をいったん絶ち、どうじにべつの市で店をあけ、秘かにキャクをまつのである。
ところで、どこかナマケモノににた風貌の、期待にこたえられなかったことでもうしわけなさげな藤川だった。見ためににあわず責任感が人いちばい強い巡査長なのだ。むろん、かれに責任などないのだが。
…藤川の奮闘はさておくとして、五日前にはなしをもどそう。
矢野は、原を中心にした第一回捜査会議の最中ではあったが、宙を見すえ思考していた。左右の掌を胸のまえあたりでかるくくっつけ、そろいの指どうしのはらを無意識のまま、時折ほんの小さくぶつけてははなして、しかもゆっくりとふかい呼吸をしながらだ。
かれにみえていたのは、事件解決の困難さを予想させる、アリバイ捜査の無意味性についてである。
狙撃犯はしょせん、実行犯でしかないと仮定したのだ。つまり主犯が狙撃者をやとったとの仮説である。
そうであれば、アリバイをとうても意味がない、となる。ゆえに被害者の周辺人物のアリバイを、こんかいにおいては捜査対象からはずすことになるだろうと。
ただし、周辺においてきく必要が唯一でてくるばあいがある。クレー射撃や猟などを趣味とし、それら腕のたつ人間が捜査線上に浮かびあがったときなどにおいてはだ。
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