困ったな、どうしよう?で、済むはずがない。最大にして危急の現実問題、それは、配下の大名や家臣が、羽柴三者連合に与(くみ)してくれればよいが、そうなるとは…。むしろ、ならないであろう、ということだ。
くどいが、このまま無策でいれば、兄秀吉の死は露見し、羽柴軍団は土けむりをあげて瓦解するにちがいない、それも、いとも簡単に。
だから今このときこそ、起死回生の手をうたなければならないと。
しかしながら、この案ではダメだなぁと、白日夢ながらボクはおもった。
もっとも、戦国の世でなくとも、ひとは勝ち組に参与する。それが、世の常というものだ。〈寄らば大樹の蔭〉と、力あるものにひとはなびく。これが、人情というものだ。
それを受けての、秀長のもういっぽうの案だが…、それは家臣一同への欺瞞ともいえる、大がかりで無謀な計略であった。よって、
_やはりムリか!_秀長には不可能におもえ、どうしようもなく気が重くなっていった。
一歩でも踏みはずせば奈落の底、語源どおりの“四面楚歌(楚=自国に見かぎられた項羽は絶望のなか自死する)”に陥る、そんな断崖絶壁のまぎわにたつおもいだったのである。
かといってほかに妙案など、短時に浮かぶものではない。
“窮余の一策”とのことばがあるが、たしかに、歎息し頭をかかえたすえの策であった。それだけにあまりにも空想にすぎ、それゆえ、具体策まではうかんでこなかったのである。
四半刻の静寂がふたりをつつんでいた。
やがて官兵衛は、沈思ののち重い口をひらくこととなる。
その密談の内容だが、企図を完遂していく渦中はむろんのこと、事後においても万が一露見すれば、連座の罪はまぬがれないのだ。首がとぶ、ていどでは済まない密計のなかの密謀なのである、まちがいなく。
それほどに恐ろしすぎる深謀であった。
で、そんな官兵衛ではあったが、主家への深慮遠謀よりも先に、“黒田家”のゆく末を黙考したのである。寸刻の熟考とはなったが、しかしとうぜんであった。
秀吉配下のままで、かりに羽柴家滅亡となれば、黒田家も消滅するであろう。大船沈没時に発生する大渦に、散乱した荷物も巻きこまれ海中に没するのたとえのごとくである。
そこで、羽柴家から離脱する道はないかと、刹那の手探りをこころみたのだ。
が、ムダな足掻きとの結論に、すぐにいきついてしまった。というのも…、
まずもって、独立は不可能だ。いくら知謀をもってしても、現石高が一万石ていどではどうにもならない。国と称することすらおこがましい。
動員勢力はがんばっても五百。しかも、武器弾薬だけでなく兵糧米の備蓄も半年後には底をつきてしまうだろう。なさけないかな籠城すら、ままならない国力であった。それもだが、さらには友軍といえる同盟領もなく、よって、援軍などくる当ても、もとよりない有り様なのだ。といって、
宇喜多家五十万石を大樹として頼ろうにも、当主秀家は若年でしかも秀吉庇護のもと成長してきただけに、羽柴家との結びつきがつよい。後見人で叔父の忠家はというと、忠義な堅物でとおっており融通がきかない。
くわえて、五十万石とはいえ、羽柴領にほぼかこまれていることもあり、裏切る可能性はひくく、また独立もしないであろうと、官兵衛はみた。だから、とても頼れる相手ではないと。
ここで、秀長とで見解にちがいが生じてくるのは、官兵衛は、秀家の父直家を調略した経験があったからだ。利にさといだけに、織田軍へと寝返りさせたわけだが、秀家は、父親とは真逆の性格で、義を重んじる人物だとしっていた。
それだけに、うごかそうにも、時間がかかりすぎると。つまり、宇喜多家との交渉経験の有無が、そこにあったのだ。
もうひとつは黒田家にとって、宇喜多家は利用できる存在か?であって、羽柴家からみての、ではない。
その秀長はというと巨大な実兄を、しかも突如なくしたのである。その、屋台骨をうしなった衝撃はあまりにもおおきく、すべてに疑心暗鬼をいだいている状態だった。
よって、立場のちがいがおおきい。
たしかに、大黒柱をうしなったのはおなじである黒田家。で、自国領が畿内を中心とする羽柴家配下の領地のなかに位置しており、敵方に与しようにも距離がありすぎる。
そこをあえて敵国の傘下にを画策…、だがそのまえに秀長に察知され、潰されてしまうだろう、と。
それでも万が一頼るとすれば、毛利家であろうが、
毛利家の雄、小早川隆景とは、たしかに膝をまじえた既知の間柄ではある。頼めば、手をかしてくれる可能性はひくくない。外交戦略である合従(がっしょう)や連衡(れんこう)は、中国戦国時代にはじまった。